四章 そして羽ばたくホークスウイング(+エピローグ)
第四章 そして羽ばたくホークスウイング
教室の引き戸を開け、自分の席に座る。今日はテストの返却の日だ。この席も随分懐かしい、と思う程度には愛着を持っている。もっともロクに授業は受けていなかったし、最後にこの席に座ったのもテストの時なので、かれこれ二週間は座っていないことになるが。
しばらくすると、担任教師が教室に登場し、静かにホームルームの幕が開けた。
「うし、俺も面倒だから、とっととテスト返却して今日は終わりにするぞ」
随分と酷い物言いだが、俺としてもつまらないホームルームを長々と続けられるよりはよっぽどありがたい。
程なくして、名前順に呼ばれテストの返却が始まった。あめみや、という名字の都合上、俺の順番は比較的序盤に訪れた。
「おいおい、こりゃ一体どういうことだぁ……」
担任が首をひねりながら答案を返してくる。
返却された答案用紙のうち、理科の答案をまじまじと見ると、そこには百点の文字と、丸しか付けられていない解答達が列挙され、他には俺の名前も書かれていた。これによって、他人の解答だった。という線は消えた。
「ちょっと、待ってくださいよ、一体どういうことですか」
「どうした雨宮、不満か? もっとも俺は不満だが」
「教師が生徒の点数に不満持ってどうするんですか。っていうか何なんですか百点って」
全く、教師というのは生徒に勉学を教える立場で百点に対して文句を言うとは一体、どういうことなのだろうか?
「何だも何も、全問正解、一点の減点もなく百点らしいんだから仕方ねえだろうが」
「は、はぁ……」
「そんなに不満なら減点してやっても、俺はいっこうに構わんぞ?」
「いえ、全力で遠慮させていただきます」
他の生徒には聞こえないように、両者とも耳元で小さい声で言い合う姿は、傍から見れば凄く怪しいことだろう。
何がどうなっているのか解らないが、とりあえず、その場はおとなしく自分の席に戻ることにしておいた。
「すごいね、秋人、百点だって?」
「ああ、どうやらそうらしい」
他人事のように言ってみたが、自分の手の中には相変わらず、自分の名前と百点と書かれた答案が居座っておられる。百点なんて取ったのは小学校以来な気がする。そして、教師との小声のやりとりは全て聞こえていたらしい。
その後、まとめて返された答案を見てみると、中学以来の俺の自己新記録を大きく塗り替える点数ばかりだった。こればっかりは流石の天才と美空に感謝するほか無い。その他スカイアライアンスの皆様方にも感謝しなければ。もっとも鳥人類が終われば、俺はまたこの教室に舞い戻って、訳の分からない勉強に身を投じることになるのだろうが。
「おぉ、おかえり」
「こんにちはー」
「やっほ、雨宮」
ホームルームの終わった教室から抜け出し、部室の扉を開けると、メンバーが全員集合していた。なんだか、まるで自分の居場所に帰ってきたようで心地が良い。その反面、この心地よさも、鳥人類が終わるまでかと思うともの悲しいものがある。
「ん、あきとんか?」
だからその呼び方はやめてくれ、などと一瞬でも言おうと思ったが、最早それが美空にとって意味をなさないことなのは、度重なる体験で学習していたので無駄な労力を使うのは控えておくことにした。
「そういえば、確かテストの返却だったようだね。どうだったんだい?」
妙に全員が顔を煌めかせていると思えば、なるほどそういうことか。美空のお母さんの反対がなくなった今、鳥人類に向けての一番の憂慮すべきことは俺の補講があるかどうかに掛かっている。
「赤点は無事回避。しかも、全教科自己新記録というオマケ付で。みなさん、ありがとうございました」
「ふふ、僕の教え方に問題は無い。そういうことだよ」
まるで、そうなる結果が当然だった。と言わんばかりに、美空が得意げな顔をした。
「あたしも教えてやったのに、万が一赤点でも取ってたら、ぶん殴ってやろうと思ってたわ」
バイオレンスな発言を何の躊躇もなく、すっぱり言ってのけるあたり、さすがは本田さんだ。しかもちょっと笑顔である。おそらく、これで赤点など取っていた日には、本当にぶん殴られていたかも知れないと考えると、背筋に冷たいものが走る。
「おう、よかったな」
「これで、鳥人類への道は開かれましたね!」
そうだ、俺は自分の赤点を回避しに、ここへやってきたのでは無い。もっとも、最初は確かにそのつもりだったのだ。それが今ではすっかり、鳥人類に出場する気満々になっている。ものの因果とはかくも不思議な物だ。だが、しかしそれをまた心地よいと思っている自分も確かに居るのだった。
――
終業式もつつがなく終わり、夏休みが始まったその日、目覚まし時計にたたき起こされ、朝食を取るべく寮の食堂に降りると、昴がいた。
「よお、昴だけか?」
「うん。秋人も夏休みに入ったって言うのに早いね。寮のみんなは気合い入れて昼まで寝る。とか言ってるよ」
「別に気合いは入れなくても良いだろそれ……」
気合いを入れて本気の睡眠とかどんなだよ…… なまけものでも本気で怠けたりしてないと思うぞ……
「秋人は鳥人類かい?」
「おう。相変わらずの人使いの荒いリーダー様でな。夏休みに入ってからは毎日、ミーティングと訓練だってさ」
「大変だねぇ。まぁ僕も今日は部活で撮影に行くんだけどね」
こいつはこいつで学校生活をエンジョイしているのだろう。
「鳥人類と言えば日取りは決まったのかい?」
「おう、そういえば伝え忘れていたな」
すまん。と謝りながら昴に鳥人類の日程を伝え、俺は部室へと急ぐために寮を出ることにした。
「おはよ、あきとん?」
「よう、相変わらず早いな」
美空は大抵俺より早く来ている。本人曰く「これが僕の鳥人類に対する情熱だよ?」ということらしい。
「今日から夏休みだね……」
「俺たちには関係ないけどな」
「いやいや、そうでもないよ?」
「どういうことだよ」
「鳥人類のことに100パーセント集中できるじゃ無いか!」
「そんなことだろうと思ったよ」
「くふふ、最近要領が良くなってきたね」
流石にこんなやりとりでも、回数をこなせばこなれてくるといったものだ。
「さて、今日はも今日とてシミュレーターを借りているんだ。早速行こうじゃないか」
「ん、おう」
気軽に、と言えば少々語弊があるが、まるで喫茶店にお茶でも飲みに行くような、そんな雰囲気で美空は言った。そんな気軽さで、まるで実機さながらの訓練が出来ることは非常にありがたい。
「さ、早速始めようか?」
「あんまり調子乗るなよ、足だってまだ完治してるわけじゃないんだしな」
最初の内は物々しいテーピングに包まれ、念のために松葉杖を突いていたほどだったが、今では日常生活に支障が無い程度には回復したらしく、それらの出番はなくなっている。
「まぁ一応、漕げなくはない。と言ったところかな。本番までできるだけ温存しておくことにするよ」
「おう、無理そうなら遠慮無く休んどけよ」
そうは言ったが、美空は機外で休もうとせず、俺と共にシミュレーター内のコックピットへ乗り込んだ。
「うん、後は実機次第だね……」
「おう…… 結構しんどいけどな」
シミュレーターでの幾度目かの訓練を終えて、椅子に座り込むようにして休息を取る。
それなりに訓練を重ね、機体の操縦も板に付いてきた。あとは、俺の体力(+美空のなけなしの体力)がどこまで持ってくれるか、という部分だけだが、そればっかりは実際に飛んでみないと解らないのだった。
――
「絶好の日和だね?」
「おう、これからの疲労を考えると気が滅入るけどな」
トラックに積み込まれた、解体されたホークスウイングと、頭上に広がる快晴の夏空を交互に見上げながら、俺と美空は会話していた。
今日は、ホークスウイングの記念すべき、テスト飛行の日だ。
「忘れ物は無い? 出発するわよ」
本田さんに声を掛けられて、俺と美空は持ち物を確認して、トラックとは別の車に乗り込んだ。こっちの運転手は本田さんだ。
車に揺られること、一時間弱。
ついた場所は、だだっ広い草原とアスファルトの広がる場所だった。
「うん、場所にとって不足なし。だね」
「おう」
しばらく佇んでいると、スカイアライアンスのメンバーではない車が入ってきた。続いて入ってきたトラックの荷台には、明らかに鳥人類用と思われる機体が、積載されている。
その車から、こちらに近づいてくる人影が一人見えた。その顔は、以前部室にいるときに押しかけてきた葉山だった。どうやら、大京大学のテスト飛行もここでやるらしい。
「あら、ごきげんよう」
「ん、こんにちは。共同利用、ということだけど、すまないね?」
「いえいえ、こちらこそ。それに広いですから、お互いに困ることでも無いですわ」
そう、言葉を交わして、葉山は自分のチームへと帰っていった。
「なにあれ、知り合い?」
「ちょっとした顔見知りさ」
近づいてきた本田さんにそう言ってから、軽く笑って、美空は機体の方へと目を向けた。俺も釣られるようにして目線をそちらに向ける。
パーツで運ばれてきた機体が、組み立てられた状態で、そこに鎮座していた。純白の機体が日の光で、キラキラと輝いている様に見える。その周りには、今日のために集まってくれた、旅谷部長の研究室の人達の姿も見えた。
「呆けてないで、僕らも準備をしようか」
「……おう」
まるで、でかいプラモデルのような機体が、俺の力だけで飛んでいる光景は、どうにも想像出来なかったが、とりあえず、美空と共に機体に近寄った。
「おーっし、来たな。機体の組み立ては出来た。今電子機器類のチェックしてるから、もう少し待ってくれ」
「ん、僕達も着替えておこうか?」
「ん」
俺は車から荷物を取り出して、中に入っているジャージに着替えた。来るべきフライトに心が浮つくのを、感じた。
「よしっ、セット終わりました! これでいつでも大丈夫ですよ」
「よし。美空、雨宮、行くか?」
旅谷部長が、俺と美空に目を向けながら、問いかける。いよいよ、その時かと思いながら俺は、頷いて見せた。
「よし、良い返事だ。最初から飛ばすなよ? 確認程度で……」
「一つ質問」
旅谷部長のレクチャーを、美空が遮った。
「どうした美空?」
「今のは洒落かい?」
「違う。というかどうでも良い! ああ、もう、最初は確認程度で、飛行したらすぐに着陸だ!」
「ん」
おお、流れるようなネタとはこういうことを言うのか。と横で聞いていた俺は妙な感心をした。
「何はともあれ、とりあえず、乗り込もうか?」
「ああ、あ、美空」
俺が呼び止めると、美空はこっちを振り向いた。
「ん?」
「無理すんなよ。ペダルに足乗っけとくだけで良いからな」
「ん、わかったよ」
美空にとっては不本意かも知れないが、俺達には本番が待っている。こんなところで躓くわけにはいかなかった。
コックピットの中に身を収める。思った以上に中は狭苦しく、すぐ後ろに座っている美空の気配が背中にひしひしと伝わってくる。
「聞こえてますか?」
耳についたヘッドセットのスピーカーから、若干ノイズの乗った蓮池さんの声が聞こえてくる。無線の感度の確認らしい。
「聞こえてますよ」
「了解しました。こっちも大丈夫ですから、いつでも行って下さいね!」
「はい」
どうやら、離陸の準備は整っているらしい。俺も、一通りコックピットの中や、計器類を見渡す。幸い異常は無い。
「行くか、美空?」
「うん、行こうか」
美空の声を背中で聞きながら、俺は前を見つめた。そこには、どこまでも続くんじゃないかと思うような、アスファルトの平原が広がっていた。
気を引き締めて、ペダルに乗せた足に力を入れる。一瞬の硬直の後、ペダルはゆったりとした回転を始める。それに合わせるようにして、機体につけられたプロペラが、回り出した。しかし、その回転は早くなく、俺はせかすようにしてさらに足に力を加えた。
プロペラの残像が見えるようになりだし、その残像しか捉えられなくなった頃、いきなり機体は前進を始める。
一度動き始めた機体は、慣性に従って動き続けようとし、推力となったプロペラが、俺の体力を機体が前進する為のエネルギーに変換していく。
「あきとん、大丈夫かい?」
「まだ余裕だよ」
美空が、後ろから声を掛けてきた。この機体に乗るために鍛えてきた俺の体力は、これぐらいでは枯渇しない。しっかりと普段のトレーニングの結果を俺は身にしみて感じていた。
「いきなり飛ぶから、気をつけて?」
「おう」
若干の注意力に意識を割きながら、俺はペダルを踏みつけた。
だんだんと主翼がしなりだし、地面の抵抗が少なくなったのか、ペダルが若干軽くなった気がした。その時。
ふわり、と浮遊感が俺に伝わると共に、体に伝わるゴロゴロという感じの接地感がなくなった。
下を見れば、少しだけ地面が遠くなっているのが、俺にもわかった。
「飛んだね、あきとん!」
「飛んだ、な……」
正直、感動よりもびっくりしたと言う方が正しい。
玩具みたいな機体が、ふわりふわり、と浮いているのは自分でも信じられないのだ。それでも現実に、その翼は機体の重さを支えながら、前に進んでいた。
「飛びましたね! ゆっくりでいいので、着陸出来ますか?」
「やってみます」
飛び立った矢先から、着陸しろと無線が飛んできた。確かに飛び立った以上、いつかは降りなければならないが、それにしても、忙しない事だな。と思いつつ、ペダルを漕ぐ足から力を抜いた。
推進力を失った機体が、徐々に速度と高度を落とし、しばらくして、ガラガラという音と振動と共に、接地した。機体は惰性で進み、少し経った後、完全に止まった。
車で追いかけていた部長達が、機体に駆け寄ってくる。
「おーい、無事か?」
「大丈夫ですよ」
機体の間近から掛けられる部長の声は、無線とは違ってはっきりと聞こえた。
狭苦しい機体から、外へと這い出た俺達を待ってたのは、皆の拍手だった。
「とりあえず、処女飛行成功おめでと」
ありがとうございます、という暇も無く、本田さんに飲み物を渡された。一緒にコックピットを抜け出した美空も、手渡された飲み物をがぶ飲みしている。
その後も、順調にテスト飛行は続き、夕方になっていよいよ最後の飛行テストが始まった。そこに、悲劇が待ち構えていると、その時は知る筈も無く、俺と美空は機体に乗り込んだ。
何事も無いように、ゆっくりと、空中を進んで行くホークスイング。
その横っ腹に、夏らしい突風が吹き荒れた。
次の瞬間、機体は風に煽られるようにして、どんどんと左へ傾き始める。
「まずい。パワーと修正舵!」
「やってる!」
美空に言われるよりも早く、俺の体は横風に反応していた。ありったけの力を込めてペダルを回し、操縦桿が折れんばかりの勢いで、機体を何とか押しとどめようとした。機体の随所から軋むような音が聞こえてくるが、気にしている余裕はない。
「あっ……」
無線から、蓮池さんの漏れだした声が聞こえる。
努力の甲斐は虚しく、左側から、ガシャン、という小さな音が聞こえてきた。長い主翼の左翼端が、ついに地面に引っかかってしまったらしい。
俺と美空の抵抗も、悪あがきにしかならず、引っかかった主翼に引っ張られるようにして、機体は左回りの螺旋降下を始める。それは半周もしないうちに、墜落、という表現に変わった。
ばきり、という音と共に左主翼は折れ、コクピットも地面へと突っ込んでいった。高度が高くなかったのが幸いしたらしく、怪我はしなかった。
俺は、構造部材の折れる音が、棒高跳びのポールが折れたときのそれに、よく似ているのを思い出した。
「とりあえず、ここから出ようか?」
「……」
奇跡的に破壊を免れたコックピットに、座ったままボケッとしていた俺の背中から、美空の声がした。こんな時でも、冷静な物だな。と、回らない頭の中で、ぼんやりと思った。
コックピットから這い出した俺の視界に、最初に入ったのは、翼の折れた機体だった。左の主翼が完璧に真ん中から折れ、最初に地面と接触した翼端部は、ぐちゃぐちゃになっていた。
俺が、壊した?
最初に、俺が考えたことは、そんな事だった。
もしかしたら、俺の操縦がもう少しうまければ、この事態は回避できたかも知れない。
もしかしたら、俺のペダリングにもう少し力があれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
そんな事だけが、俺の頭の中で渦巻いていた。
「ねえ、怪我とか、大丈夫?」
「僕は、なんとか大丈夫だよ?」
「…… 大丈夫ですけど、機体は……」
駆けつけてきた本田さんが、機体の傍らに立ち尽くす俺達に向かって、無事を確認してきた。本田さんのその問いかけに、俺は自分の無事を伝えようとしたのだが、うまく声を出すことが出来なかった。
そんな事よりも、自分が壊してしまった機体のことが、とにかく気になっていた。
「機体はー…… とりあえず、回収するから、休んでな」
困った様な顔で、本田さんは俺にそう告げて、破損の確認に行っている蓮池さんと、旅谷部長の方へと、駆けていった。
「美空、大丈夫か?」
「ん、問題ないよ」
さすがに、すぐに手伝えるほど回復が早いわけではない。仕方なく、地面に座り込むようにして、俺は美空と会話することにした。
「さっきのは、風か?」
「そうだね、突発的な横風さ。本番でもたくさんの機体が、あんな風に落とされてるね」
「……あれは、俺の所為か?」
「どうかな。そうだ、とも言えるし、そうじゃない、とも言えるんじゃないかな。本当は君の所為じゃない、って言ってあげるべきなのかも知れないけどね。実は僕もちょっと、きてるんだ。この事態にね」
「そうか……」
美空が、淡々と事実を述べた。俺にとっては、無駄にフォローされるよりも、心地は良かった。どうせフォローされても、自分の責任ではないと開き直れるほど、俺の心は丈夫には出来ていない。
「さて、僕は機体の損傷も調べないといけないから、手伝いに行くけど、君はどうする?」
「……行くよ」
流石に、墜落させた張本人が見ない訳にはいかなかった。
恐る恐る、機体に近づいていく。集まってくれた全員が、破壊された機体をトラックへと積み込んでいる途中だった。
左の主翼は途中で折れ、右の主翼もフィルムが剥がれている。おそらく墜落の衝撃で内部的には、多くの場所が損傷したりゆがんだりしているだろう。
コックピットも、外装がかなり派手に壊れている。これで俺達が無事だったのは信じられない。
元々軽い素材で作られている機体は、程なくして全て回収され、その場には、スカイアライアンスの面々だけが残された。
「粗方、片付け終わったわよ……」
「ん。わかったよ」
全員の表情は暗い。それはもちろん俺だって例外では無い。
鳥人類コンテストの開催まで、あと一ヶ月ほどしか無い。そのことが俺も含めた、メンバー全員に重くのしかかっていた。今からパーツを新調したとしても、間に合わない事が素人目にも火を見るよりも明らかだった。
「すみませんでした……」
もしかしたら、俺の所為では無いかもしれない、とか、そんなことよりも、とりあえず今はこう言うしか、選択肢がなかった。
「あの、別に雨宮君のせいじゃありませんよ」
「おう、お前のせいじゃない」
「ま、雨宮がそういいたい気持ちも分からないじゃ無いけどさ。でもやっぱり、あんたのせいだけには出来ないって」
そんなフォローを受けて、俺は若干泣きそうになりながらも、なんとか持ちこたえていた。
「どうあれ、過ぎ去った時間には戻れないよ。だから、とりあえず顔を上げると良い。僕も君を責めようなんて思ってないからね?」
美空にそう言われて、俺は顔を上げた。周りの空気は重苦しく、目の焦点が定まらない。
「鳥人類には、出られるのか?」
恐る恐る、俺は美空に尋ねた。
言いたくなかったけれど、その判断を問いかける責任が、俺にはあっただろう。
「どうかな。論理的思考に基づくなら、まず出られないだろうね。一応、この機体だって、製作にはそれなりに時間は掛かっているわけだしね」
美空が淡々と、嫌に冷静に、観測結果を伝えた。
そこから、美空の顔が俯き、まるで泣きそうな顔になりながら、言葉を続けた。
「でもね、それでもなお、やめようとは、思えないんだ」
「あら、何か、ありましたの?」
騒ぎを聞きつけたのか、葉山の姿がそこにあった。何人かの関係者も引き連れているようだ。
「ああ、実はね……」
美空が葉山に事のあらましを説明し始めた。もう一度繰り返して耳に入ってくる、墜落と、機体が破壊された事実に、心が引っかき回されるような気持ちになった。
「……それは、私にしても、不幸な話ね」
それから少し、考え込むような動作をしてから、葉山はもう一度美空に向き直った。
「設計図を、見せてもらっても良いかしら?」
「今更減る物でも無いしね、大丈夫だよ」
そう言って、美空はどこからか取り出した設計図を、葉山に手渡した。
葉山は手渡された設計図を、精読するようにゆっくりと目を通した後、顔を上げて口を開いた。
「あなた、これで、満足しているの?」
「満足、か。それは一体どういうことかな?」
一転して、冷静な表情に変えた美空が、葉山に尋ねた。
「そのままよ、この設計図にあなたは、満足しているの? 確かに、この設計図は素晴らしいわ。だけれど、あなたのような唯一の天才が描く設計図よ、あなた、これで満足しているの?」
美空の真意を測るように、葉山は美空の目を真っ直ぐに見てそう言った。
「確かに、僕の頭脳をフル稼働させたなら、確かにもっと完璧な設計が出来たと思うよ。そればっかりは、認めざるを得ないね。だけれど、そんな設計図は日の目を見ないよ。それこそ机上の空論。と言う奴さ。限られたリソースを無駄なく使う事が必要だったからね」
美空が、観念をしたように葉山にそう告げた。
「ねえ蒼子、そんなこと話してる場合なの?」
本田さんが、苛立つように美空に話しかける。
「確かにね、僕はこの機体を修復する方法を考えなくちゃならない。それ以上に大切な話でも、あるかい?」
美空はこの機体を修復すると、葉山に向かって、言い切った。
若干の緊張の空気が、場を取り囲み、視線が葉山に注がれた。
「私が言いたいのは、それこそ機体の修復の話ですわ」
「どういうこと?」
美空の言葉を待たずに、本田さんが先に声を出した。
「私は、天才の天才たる才能をこの目で見たいのですわ。それに、万が一このまま鳥人類コンテストを棄権でもされよう物なら、心残りですから」
そんな風に言って、葉山は少し微笑んだ。
「美空蒼子さん。機体が壊れた今、もう一度設計図を引く気はないかしら? 時間は限られていますけど、機材も、人間も、ある程度融通することはできますわ。それらを全て、使ってもらって構わない。条件は一つ、主翼だけでも良い、あなたがそのリソースに見合った設計図を引くこと」
「それって、協力してくれる、って事ですか?」
「あまり敵に塩を送るような真似はしたくないのですが、事が事ですから、それにね」
そこまで言って、葉山は言葉を句切り、美空に向き直った。
「天才の本気、見せてもらえませんこと?」
美空にとっては、最高に意地悪な言い方だな、と俺は思った。もっとも、この話を受けない選択肢は最早、美空の中には存在していないだろうが。
「僕にとっては、嬉しい話かも知れないけど、僕の一存で決められる話じゃ無いね? 少し、考えても?」
美空は、あくまで冷静にそれに対応した。若干口元が緩んでいたが、それぐらいは大目に見てやろう。
「ええ、構いません。時間はありませんけど」
現に、俺達に与えられた時間は、残り少ない。超人類コンテストまでの残り時間は、一ヶ月程度だ。
「正直、悔しいわね。でも、この際なりふり構ってられる状況でも無いんでしょう?」
「ああ、そうだね。僕としても使える手段が多いなら、使いたくはなる。僕としてはね?でもそれで君たちはいいのかい?」
美空の問いかけに、皆が頷いた。
「見せつけてやれよ。天才の本気って奴をさ」
少し茶化すように旅谷部長も言った。
「あきとん、いいかい?」
最後に、美空は俺に尋ねた。
「思うようにすれば良い。ここまで俺を引っ張り回したんだ。最後までよろしく頼むよ」
結局、俺はそう言ってしまうのだった。
「ん。と言うわけで、よろしくお願いするよ」
美空が差し出した右手を、葉山も笑顔で受け取った。
――
それからの毎日は、俺にとっては今までと変わりの無い、トレーニングの日々だった。俺は、無い機体のことを考えても仕方なく、機体を壊してしまった責任の一端を負っている俺としては心苦しいが、そのところは美空や、他のメンバーに託すほかなかった。
ある日、スカイアライアンスのメンバーと共に、俺は大京大学の航空部室に居た。
美空が完成させた設計図を持ってきたことを伝えると、葉山の他にも色々な人が、設計図の載せられたテーブルへと集まっている。
「できたよ、とりあえず見てくれるかい?」
「もう、できたんですの?」
「殆ど不眠不休だったよ。我ながらやる気がありすぎるというのも、考え物だね?」
そう言いながら、美空は小脇に抱えた紙を机の上に広げ、小さく笑った。葉山が怪訝な目をしながら、その設計図に目を通した。
「本当に、描けてますのね……」
顔を設計図から上げずに、葉山はそう言った。
「これでも、それなりに苦労したよ」
自信満々、といった風に美空は、設計図に目を通す葉山を、眺めていた。
「前よりも、少々複雑になっているけれど、大丈夫かな?」
「ええ、この程度なら問題ないかと思いますよ」
「ん、ではこれで進めようか。みんなは大丈夫かい?」
美空のその問いかけに、誰も異を唱えることはなく、ただ首を縦に振るだけだった。
そうして、俺達の当面の拠点は大京大学となり、忙しい日々が始まった。もっともその忙しい人員に俺は入ってなかったが。
続々と完成していく、新しいパーツ類を尻目に、一人トレーニングに勤しんでいるのは、何か違う気がしないでもなかったが、俺にはそれしか出来そうになかったので、機体が出来上がったときに、ちゃんと飛ばせるようにトレーニングに精を出すことにした。
「随分と熱心ですわね……」
「正直、美空とか、他の人達みたいには、できませんから。せめてこれぐらいは、ですよ」
暇をもてあましているのか、感心するように俺のトレーニングを見ていた葉山に、話しかけられて、俺はそんな風に答えた。
「……そう、チームワーク、ね」
「よかったんですか? 仮にでも敵なのに」
忙しなく動き回る美空達を尻目に、そんなことを葉山に聞いてみた。
「よくなかったかも、知れませんわ」
「え……」
「冗談です。そんなに真に受けられると困りますわ」
正直、この人が冗談を言うなんて思っても見なかった俺は、少し面食らってしまった。
「私、これでもそれなりに頭は良かったんですの。子供の頃は天才なんて言われましたわ」
「天才、ですか……」
俺達の視線は、現場の陣頭指揮を執っている美空に注がれる、美空は紛う事なき本物の、天才だ。
「でも、私は天才じゃなかったの。それが事実でしたの」
自分のことを天才だと、自認できなくなった天才は、天才では無い。
思い上がりの勘違い。言ってしまえば残酷かも知れないが、割とよくある話だ。俺の周りにも、そんな人間は居た。そういう人間は大体、人と自分を比べて自分が天才で無い事を知る。
天才は誰に比較されること無く天才だ。それは、彼ら自身が絶対的な尺度そのものだということでもある。
「悔しくて、やるせなくて。願っても私は天才には成ることは出来なかった。そんな時でしたわ、美空さんの噂が耳に入ったのは」
「前に一度、あなた方の部室にお邪魔しましたわね。あの時、本当は天才にひれ伏しに行こうと思っていたのですの。だけれど、その圧倒的な天才さを、彼女は出し切ることができなかった。そんな彼女なら、もしかしたら勝てるんじゃ無いかと、私達なんかが彼女に勝てば、彼女も自らの身を置く場所を考えるんじゃ無いかと、思ったんですけどね」
そういって、葉山は視線を美空の方に向けた。
「なんでしょうね、頑張ってる子を応援したくなるもの、なのですかね…… 気付いたら彼女を手伝いたいと思ってしまいましたわ。奇しくも、違う形ですけれど、美空さんを引き込んでしまってる形ですしね」
「そういえば、そうですね」
俺も、葉山に言われるまで気付かなかったが、確かに最初の葉山のもくろみ通り、美空は大京大学の航空部で設計図を引いていた。もっとも、俺達のようなオマケ付ではあるが。
「やっと、これで気持ちよく、負けることが、天才の前にひれ伏すことが出来ると思いますの。私がたどり着くことの出来ない高みに、たどり着ける存在が居る。嬉しい話ですわ」
それから、と葉山は今度は俺に向き直って、口を開いた。
「ですが、まだ、ですよ。私は高みへとたどり着いた天才にひれ伏したい。だから、パイロットさんには期待してますのよ。天才を、しっかりと高みまで連れていってください」
そう言い残して葉山は、美空の周りの人間の輪へと戻っていった。
そんな高みまで、俺は本当に飛ぶことが出来るのだろうか。
そんな一抹の不安を、心に抱えながら日々は過ぎ去っていった。
――
「すっげーな……」
「どうだい、大丈夫かい」
「ああ」
俺と美空は、新しい機体のデータが入力されたシミュレーターで、機体に慣れるための訓練に勤しんでいた。他の皆は、美空の設計図が完成してからというもの、急ピッチで機体製作に勤しむために、忙しそうに動きまくっている。そんな皆のためにも、今度こそちゃんと機体を操ることが出来るように、訓練することが俺達の今の仕事だった。
「前よりも、低速でも安定するようになったな」
「軽い素材が使えるようになったからね、その分主翼を大きくして揚力を稼ぐ設計にしてある。操舵翼もこれまでと比べて大きくなっているからね、操縦性も増しているよ」
「なるほどな」
「だけど、その分空気抵抗が少し増してしまっているからね、そのあたりは頭に入れておくんだよ?」
とりあえず、操縦性の代償は俺の体力にのしかかってくる、ということだけを頭の中に入れておくことにした。
そんなに長い時間、集中してシミュレータに向かい合っていられる訳でも無く、休憩を挟みながら、だんだんと新しい機体の特性に体を合わせていった。
そして、機体のパーツが全部仕上がり、組み上げることが出来るようになったと告げられたのは、鳥人類コンテスト当日の五日前だった。
美空に呼ばれ、政成大学のグラウンドに赴くと、そこには両脇に主翼を抱えた機体が、堂々と置かれていた。前の純白の機体と比較すると、若干黒いパーツが目につくようになっている。美空曰く「カーボンを多用したからね?」ということらしい。
機体の周りには、スカイアライアンスのメンバーが陣取り、葉山を始めとした、大京大学の人達もちらほらと見えた。
最終チェックの真っ直中の機体の横で、若干暇をもてあましている様に見える、本田さんに話しかけてみることにした。
「久しぶり、な気がしますね」
「そういえば、随分会ってない気がするわね」
事実ここ最近、俺はトレーニングとシミュレータ漬け、本田さんも機体製作で毎日動きまくっていたらしいので、こうして落ち着いて顔を合わせるのは、久しぶりと言っても差し支え無かった。
「危うく、間に合わないかと思ってましたよ……」
「結構やばかったわよ。最後の方は全員てんやわんやだったんだから」
そう言って、本田さんは機体の方に目を遣りながら、肩をすくめて苦笑した。
「でも、どこも妥協はしてないから、安心しなさい」
「大丈夫ですよ。皆さんのこと、信用してますから」
ここまで、来てしまったのだ。どんな機体を預けられたとしても、その機体が、スカイアライアンスから託された機体なら、乗らない選択肢は俺の中には存在していなかった。
それからしばらくは、手持ちぶさたになりつつも、皆の作業の進行状況を横から見ていた。
「チェック終わり、問題なし」
旅谷部長が顔を上げて、高らかに宣言した。
「ホークスイング、Mark2 ロールアウトだよ」
美空が、俺達を見回して、頷くように言った。
その声を聞いた途端に、旅谷部長がバタリ、とグランドの上に倒れた。蓮池さんも機体の横で大きな伸びをしている。どうやら、俺の予想以上に、彼らはハードワークだったらしい。
「機体が完成してからの電子器機のセッティング、それに最終チェックだから、あの二人が一番最後まで動いてた訳よ」
「そうなんですか」
駆け寄るようにして、彼らの側まで行ってみる。
「雨宮、後は任せたぞ……」
「そんな縁起でも無い事言わないで下さいよ。まるで死ぬみたいじゃないですか……」
「いや、俺は死ぬね、死んだように眠るね」
「きっと、もう錯乱して、自分で何言ってるかわかってるか怪しいですよ。部長は」
蓮池さんの性格も軽く辛辣になっているのも、疲れの所為ということにしておこう。
「美空、これでやっと飛べるな」
「飛ぶなんてもんじゃないよ? 飛び越えていこう!」
美空も感動なのか、なんなのか、若干言葉がおかしいことになっているが、気にしないことにしよう。
何はともあれ、俺達のカードは出そろった。
あとは、本番を残すのみだ。
――
「おはようございます」
「おはよー」
「おはよ。あきとん」
そろそろ、本格的に暑くなってきそうな七月の空の下、美空を乗せた本田さんの車が寮の前まで、俺を迎えに来てくれていた。後ろに付いたウイングとクーペというのがいかにも早そうな車だ。
いよいよ、鳥人類コンテストの本番も明日となり、今日はその準備のための移動日である。
「実家の車借りたらこれでさ。ま、乗り心地は悪いかも知れないけど、のんびり行きましょう」
「いってらっしゃい。また会場で」
「おう」
玄関まで見送りに来てくれた昴に礼を言いつつ、本田さんの運転する車に乗り込む、美空が後席で俺が助手席。スポーツタイプのシートが普通の乗用車と違い身体にぴったりとフィットする。それにしても、実家の車がスポーツカーじみた車とはどんな家族なのだろうか。と、そんな俺の疑問をよそに車は発進していく。
「そういえば、免許取る予定とかないのー?」
「考えたことなかったですね。取ってみても良いかな、とは思いますよ」
「僕も一回取ってみたいね」
一回取った免許を二回は取れないだろう。むしろ、それは一度免許取り消しになることを意味している。
「ねえ、あきとん?」
「ん、どうした?」
「今のはツッコミどころなのだけれど?」
「よし『一回取ったら二回は取らないだろ!』っと」
「ん」
一言そう言うと、美空は後ろで居眠りを始めた。本田さんの視線がちらりとルームミラーに向く。
「こりゃ拗ねたね」
「ですかね」
「多分ね」
そのまま、美空は最初の集合場所である大学まで後席で居眠っていた。
スカイアライアンスの他のメンバーとは、大学の正面玄関付近で集合した。この一団と一緒にいると、まるで自分が大学生になったかのような錯覚を時々覚える。正直、体格差もそれほどあるわけではないし、学校外での活動であれば制服も着ないので、正直見分けは付かないだろうと思う。
「全員そろってるかー?」
「見りゃわかんでしょうが」
旅谷部長の号令に本田さんが見事なタイミングで、すかさずツッコミを入れていく。
「いよいよ出発ですねぇ……」
「ですね」
「僕も胸が高鳴りそうだよ」
その後も、積み忘れの確認や、途中休憩の打ち合わせなどをして、俺たちは元来た車へと戻った。旅谷部長と蓮池さんがトラックを運転する手はずになっている。
「よく考えたらトラックの中に二人っきりなのよね。これって何かあるかしらね……」
「どうですかね。もしかしたらあるいは……」
「だが、あの二人にそこまでの甲斐性があるとも思えないが……」
「「だよなぁ(ねぇ)」」
旅谷部長と、蓮池さん、もしかしたら何かあるかも知れないが、美空の言うとおり、あの二人に何かあるとも、なかなか思えなかった。
先に出発する機体を乗せたトラックを追いかけて、本田さんが車を発進させる。少々の振動がシートから伝わり、エンジン音が車内に響いた。
一時間ほどして、最寄りのサービスエリアで朝食も兼ねた休憩と相成った。それにしても、高速道路のサービスエリアというものはどうしてテンションが上がるのだろうか? うどんを啜りながらふとそんな事を考える。
「ちゃんと食べなさいよねー。体力勝負なんだから」
「いや、早すぎますって本田さん。そういうのは本番当日ぐらいに言ってくださいよ。流石に今からは無理ですって」
「やー、あたしとしてもなんか気がはやってるのか、ついついね。ごめんて」
「いや、別に謝られるほどじゃないですけど……」
なんだかんだで、皆それなりに気分が高揚してきているらしい。ふと、陸上競技をやっていた頃の大会を思い出す。みんなでバスに乗り込んで大会の会場まで遠征するのだ、その道中でもがやがやとみんなで騒いでいた。今の俺の心は、その気分の高揚さに似ている。
しみじみと回想にふけっていると、向かいに座っていた美空がうなだれていた。
「うぐー……」
「どうしたんだ、美空?」
「いや、ちょっと食べ過ぎたよ……?」
「俺に聞くなよ…… っていうか大丈夫かー?」
「うー、ちょっと休憩したら大丈夫だと思うよ?」
全く、うちの天才さんは、どこか抜けている節があるから面白い。飛ばなければならないと随分と緊張してしまっていたが、このメンバーと一緒に居るとなんとかなりそうな気がした。
「ねえ、なにかなかった?」
「え、なにかって何ですか?」
「ほら、車の中で二人っきり、なにかなかったの?」
「別に、何もありませんでしたよ?」
「あー、やっぱりー」
「俺が呼ばれた気がしたが?」
「「あー……」」
そして、隣では女子二人がなにやら不穏な会話を繰り広げていたが、渦中の本人登場によってその話は打ち切られることになった。
「ん、もう大丈夫だ」
「おー、みんな大丈夫なら出発するぞー」
部長の言葉で全員が席から立ち上がり、各々車へと戻り、琵琶湖への旅路が再開された。
――
高速道路をひた走ること、三時間。
スカイアライアンスのメンバーは、決戦の地、琵琶湖のほとりは彦根市に到着していた。
「んー、湖畔は気持ちいいねぇ」
「全く、とっとと準備して前日説明へ行くわよ?」
「ん」
ホテルに到着し荷物を開けることもままならない間に、鳥人類コンテストの前日説明会へと繰り出すことになった。ちなみに機体の方は一足飛びに現地へと運ばれる手はずになっている。組み立て自体は明日だが、保管するための専用の倉庫が用意されているらしい。そのために旅谷部長と蓮池さんは、後から合流して前日説明会の会場で合流する手はずになっている。道中、同じく前日説明会に行こうとしている、グループらしき集団をいくつか見かけた。
会場の前で、旅谷さんと蓮池さんが合流する。だんだんと緊張感が高まってきた。
「さて、行くか」
「そうだね?」
「あい」
「んー」
「はい!」
誰の声かセリフだけで判別できるようになれば君のスカイアライアンスの一員だ! なんて心の中で呟いてみたりして、自分の中のちょっとした緊張感をほぐしてみてから、会場内に足を踏み入れた。
熱い。
一番最初に感じたのは、会場の熱気だった。
ただひたすらに、熱かった。暑い訳でも無く、熱かった。
「これは…… すごいね」
「ああ……」
思わず隣に立っている美空と顔を見合わせそうになった。他のメンバーも同様に押し黙ったまま、そこで固まっていた。
別に会場内が五月蠅いわけでも、空調が効いていなくて暑い訳でも無い。ただ静かな会場内に、確かな意志を持った熱さがそこにあった。
「さて、とりあえず座ろうじゃ無いか?」
「お、おう」
美空が先頭を切り、無言のメンバーを引き連れてスカイアライアンスに割り当てられた席へと着席する。華奢な女子高生が先陣を切って歩いて行く姿は、会場の興味を引いたようで、歩いている中、随分と視線を感じた。
「……ねえ」
「ん、どうかしましたか?」
「この空気、やばいわね」
「……そうですね」
沈黙に耐えかねたのか、それともこの会場の雰囲気に慣れてきたのか、本田さんがやっと口を開いた。
「美空のお母さんの言ってた覚悟ってこういうことなのかな……」
「そういえば、そんなことを言ってましたね……」
確かに美空のお母さんは言っていた「覚悟はあるのか?」と。本田さんに思い出さされて、ようやくこの会場内の熱気について理解できた。
覚悟の証しであり、本気の証し、なのだと。
急に不安になってくる。
俺に、俺達に、本当にその覚悟を持ち合わせていたのだろうか?
本当に、こんな熱気を持っている奴らと戦うことが、できるのだろうか?
そんなことを、前日説明会を聞きながら、ずっと考えていた。
それはつまり「俺たちに飛ぶ資格はあるのだろうか」ということ。
――
「しっかし、凄かったな……」
「ええ…… そうですね」
前日説明会からホテルに舞い戻り、荷物の整理をしながら、旅谷部長がそう呟いた。男二人がホテルの部屋でダウナーになっている姿は、さながら甲子園で敗退した高校球児のようだな、と思った。
そして、この後昼食もかねて、ミーティングをするようで、ホテルの玄関前で集合らしい。
かしくて、俺たちはホテルからほど近いファミレスにて、前日ミーティングをすることになった。ホテルのレストランでも良かったのだが、大学生グループが、がやがやとする場所でないうえ、財布にも厳しく、却下となった。(仕送りもあまり多くない俺としてはありがたかった)
「……さて、始めようじゃないか?」
言葉は凛々しいが、運ばれてきたハンバーグを突きながら言っているので、いまいち締まりが無い。
「……機体はちゃんと運んできた。組み立ても明日当日で問題ないぞ」
「通信機材の充電もしてきましたし……」
「……俺も大丈夫、です。体調は万全ですし」
「ねえ、あんたら大丈夫? あたしもアレだけどさ……」
覇気の無い会話の応報を繰り返す。必要事項はきちんと伝達されているものの、全員先ほどの前日説明会でそれなりのダメージを負っているらしい。
「……ミーティングの前に、君たちのメンテナンスが必要だねぇ」
美空はそう呟いて、両手にしていたナイフとフォークをテーブルにおいた。
「あきとん? 戦いの前に、既に消耗しているようだね、あの空気にあてられたかい?」
美空がすっと俺の事を射貫くような目で見て、そう聞いた。美空の目で見て、俺が一番ダメージを負っていると思ったのだろう。残念な話だが、その予想は完全に当たっていそうだ。
「流石にあの空気でな…… 情けねえけど、自信とか、覚悟とか、そういうもんがごっそり持ってかれた気分だよ……」
「全く、プレッシャーに弱いね?」
「そういうお前は何とも無いのかよ?」
「そうだね、あの雰囲気は確かに覚悟の大きさとか、そういうものを感じたけれどもね」
「だったら……」
俺の同意を求めるような声に呆れたのか、ただ単に聞いていなかったのか、美空は射貫くような目で、俺の言葉を遮るように口を開けた。
「天才の才能を、女子高生の青春を、なげうっても良いと、そうして僕はここまで来たんだよ。それこそ、まるで鳥人類のことしか頭に無い、なんて言われるくらいにね。覚悟なんて決まっているよ。結果を追うと、僕は言うよ? 覚悟が足りないと、もっとやっていれば、と、嘆いている暇があるのならね、せめて自信を持って全力を出したらどうだい? 結果はその後まで確定などしないよ?」
美空の目が据わり、涼しい顔で俺たちに向かって首を傾げた。少しの沈黙が場を包む。
本当にいつだって、こいつは前しか見ていないんだな。と思った。
こんな風に前だけを見ていられるなら、幸せなんだろうか。とも思った。
「……いまさら、足掻く事も許されない、か。あたしはもうどうなってもパイロットに任せるよ。もうあたしの仕事は大半が終わっちゃってるしね」
諦めが付いたような、割とすっきりした顔で、本田さんがそう言って、テーブルの上の水を飲み干した。
「確かにもっと鳥人類に時間をつぎ込めたかも知れない。もしかしたら、これ以上があったかも知れない。そんなことを考えてしまう。だけど、俺は出来る限りをやったんだ。美空の言うとおり、後悔するにはまだ少し、早いかもな……」
心のもやが晴れたのか、旅谷部長までそんな風にあっさりと立ち直ってしまった。流石の美空というところなのだろうか。しかし、その流れでも未だに俺の心は立ち直らないのだった。
「あの、やっぱりプレッシャーです、よね?」
「ええ……」
失礼なことを聞くような口調で、蓮池さんが俺に問いかけた。
「あの、えっと、誤解をされるかも知れませんけどいいですか?」
そんなの聞いてみ見ないと分からない。という言葉を喉の先まで出しそうになって、こらえながら、蓮池さんに向かって、頷いた。
「ここに来れた。鳥人類のプラットフォームに立てる。それだけでボクにはまるで夢のような話だったんです。だから、そこから先の結果なんて、ある意味おまけでしか無いんですよ」
そこまで言い切って、蓮池さんは手元の水を口に含んだ。そして最後に「あの、別に結果や記録がどうでもいいって話ではないですよ」と俺に告げた。
全員の発言が終わるのを待っていたかのように、美空が蓮池さんの後を引き継いだ。
「出場者全員は、確かに僕らの敵だよ? そして、彼らは同じ志を持った同志だよ。だけれど、それさえも、今更それがどうしたって言うんだい? いざ始まってしまえば僕らの敵は、そこにある自然と、己の肉体だけだよ?」
饒舌かつ、早口で美空はそう言い切り、それから目をそらして、目の前のハンバーグにフォークを突き立てた。見て察するに暖かい内に全て食べたいらしい。
「ふぉんなふぉとをふぉにしているのならね……」
「ハンバーグが食いたいのはわかるが、せめて口の中にある物を飲み込んでからしゃべってくれ」
こんな時でも平常運転の美空が凄いと思う、しかし今は単純に羨ましいと思った。
「うん、済まない。では仕切り直して……」
えへん、と一度咳払いして、フォークとナイフをまた机に戻し、美空が口を開く。
「戦うことも、記録を追い求めることも、全て忘れていい。だから、まずは楽しもうじゃないか? 僕のベクトルが向いているところは鳥人類じゃない、もっとその先なのは知ってるよね?」
「ああ」
美空は、父親を追いかけて、彼の潰えた人生の意味を探して、この場所にいる。
「そうだよ。父親は本当に楽しそうに空を飛んでいた。だから、僕達も精一杯楽しもう?」
そういって、美空は俺に微笑んでみせた。
その笑顔が本当に屈託の無いものだったのが、むしろ俺を呆れさせた。
俺が今まで抱えたいた不安感や気負っていたものが、全てどうでも良くなっていった。
「お前もちょっとぐらい不安感とか抱けよ……」
「くふ、それを思わないのが僕だからねえ」
「怪我したときは、いつになく不安そうにしてたくせに」
「ん…… そういえばそうだった…… かな?」
美空に勝った。と、安っぽい勝利感に浸ってしまった。別に美空とどうでもいい争いをするつもりは毛頭無かったのだが、ついつい口が動いてしまった。
「……もう大丈夫そうだね?」
「ん、そういえば…… そうだな」
「さて、仕切り直してミーティングと洒落込もうじゃ無いか?」
「おう」
美空のその言葉を皮切りに、全員の顔に真剣さが戻ってくる。なんとか俺たちは前を向くことが出来たらしい。
「さっきも言ったけど、パーツの搬入は終わっている。明日の朝っぱらから現地で組み立てだ。うちは人員が少ないから全員参加な?」
「えっと、電子機材も持ち込んだときに動作チェック済みです。問題ありませんよ」
「らしいから、機体は最高の状態で引き渡せそうよ? 問題はパイロット二人ね?」
「僕は今のところ目立った問題は無いよ。もっとも怪我以来、何もしていないから、脚力と持久力は未知数の領域だけどね。あと天気予報を見る限り天候にも問題はなさそうだよ。絶好の鳥人類日和。当日次第でどうなるかは解らないけどね?」
「期待してるぜ?」
流石に天才美空といえど、期待に応えて天候操作まではできないだろう。
「もしもそれが皮肉だというなら、随分と手の込んだことだね? ところであきとんの方の調子はどうだい?」
もはや今となっては、あきとんという呼ばれ方に違和感も抱かなくなり、随分と美空に染まってしまったな、と思いながら、くるりと足首を回して調子を確かめた。
「おう、大丈夫そうだ。気持ちの方もしっかりと活が入ったしな」
ずい、と息を吸い込んでから美空が口を大きく開いた。
「よし、我々は最強の布陣を敷いた! 琵琶湖に敵はなし!」
「お客様ー。他の客様のご迷惑となりますので、少々ボリュームをお控えくださいー」
「あ、すみません」
店員さんの絶妙なツッコミに、思わず俺がぺこぺこと頭を下げる。そして美空の格好いい宣言は非常に格好悪いものとなってしまった。
そして俺は、喋っている間にすっかり伸びてしまったパスタをずるずると啜るのだった。
覚悟は決まった。
スカイアライアンスのみんなのために、
精一杯楽しんで、
飛んで、落ちよう。
その後は、湖畔を歩いたり、観光を少ししたり、土産物を探したりして、前日の静かな時間はどんどん過ぎていった。翌日に控えている鳥人類のことを思うと、無用に体力を消耗することは避けたかったので、ホテルの周りを歩き回る程度だったが。
ホテルでの夕食を食べ(バイキングで非常においしかった)風呂にゆっくり浸かり(寮の自室のバスルームより広かった)ベッドに横になり、ボケッとテレビを見る。どうせ明日になれば、嫌でも緊張感に苛まれることになるのだ。今のうちに出来るだけリラックスすることぐらいは許されるだろう。
「ふー、部屋の掃除やなんやとしなくても良いのは、なんつーか、楽ですね……」
「ああ、楽だな……」
旅谷さんも風呂から上がって、髪をわしゃわしゃと拭いた後にベッドに横になってテレビを見ていた。
「こういうところのテレビ番組って地元ローカルとかあって面白いよな……」
「あー、そうですねえ。面白いかどうかはともかく、つい見ちゃいますよね」
何もすることもなく、ただ流れているテレビ番組に笑いながら夜は更ける。
無言の空間に耐えかねて、我ながら話題のチョイスは微妙だと思いつつも、旅谷さんに話を振ってみることにした。
「そういえば、蓮池さんとは何も無かったんですか?」
「どういう意味だそれ?」
「いや、本田さんが言ってたんですよ。男女で二人っきりだよなー。って」
「なにもねえよ。俺がそんな玉に見えるかっての」
「美空もそう言ってました」
「最近の高校生ってのは手厳しいなぁ。まぁどうせ、彼女居ない歴=年齢だけどよ。そういうお前はどうなんだ?」
「そんな浮ついた話はないですよ。ここに来る前から男所帯でしたし」
「そういえば、お前元々陸上部だったんだっけか?」
「ええ、そうですよ」
「だったら、女子とかにモテたんじゃないのかー?」
「そんなことありませんでしたね。高校入ってすぐに止めちゃいましたし」
「あー、そうか…… ま、この鳥人類が終わったら、きっと恋愛やらにも使える時間が増えるさ」
「何はともあれ、明日が勝負ですね」
「おうよ、少年。未来は明るい!」
そんな、他愛も無い話をして男二人の夜は更け、明日の本番に備えて布団をかぶり、床についた。
――
翌朝
「しっかり食べときなさいよー?」
「あ、雨宮、牛乳取ってきてくれ」
「うん、このパンは美味だね? もう一つ取ってきてくれないかい?」
「皆さん朝から食欲旺盛ですねぇ……」
賑やかなテーブルを囲みながら、俺たちはホテルの朝食バイキングに舌鼓を打っていた。ついでに言うと俺はウェイターではないのだから、注文を付けるのは止めていただきたい。
「ん、食った食った。行くわよ」
「ん、決戦の地へいざ行かん」
「はい」
「朝っぱらから女性陣は元気だな……」
「全くですよ」
腹ごなしも終わり、そんな暢気な空気を感じつつ俺たちは鳥人類の会場へと向かうことにした。競技が午後からになる俺達は、午前中が機体の組み立てに与えられた時間だ。人員の少ないスカイアライアンスはパイロットの俺と美空も機体組み立てに駆り出されるようだ。大した働きは出来ないだろうから、せめて足を引っ張ることだけは避けようと心に誓った。
「じゃ、先に行ってますね?」
「おう、出来るだけ早く持って行くよ。どっちが早く着くか勝負だな」
そう言って旅谷部長が一人、別ルートで機体パーツを乗せたトラックの元へと行った。
「さ、僕らも行こうじゃ無いか?」
「ボヤボヤしてると、部長に先越されるかもしれないしねー」
「……急ぎましょう」
「ええ、部長に負けてられないですから」
やはり女性陣は元気だ。俺も女性陣の後を追って湖畔の駐機場へと急ぐ。しばらく早歩きを続けていると、目の前に湖畔の裾に広がる、駐機場が見えてきた。
「すっげえなぁ、おい!」
「落ち着きましょうよ、本田さん。なんか口調変わってますって」
「いやいや、これはなかなか落ち着いていられないよ? はしゃいで飛び跳ねてしまいそうだよ?」
「もう、飛び跳ねてるじゃねえか」
たどり着いた先には、他の出場チームが多数、場所を陣取っていた。プラットフォームから近いところから、出場順に場所が割り当てられている。流石に今の段階で機体が完成しているチームは無いが、パーツが出そろって組み立てに入ろうとしているチームはちらほらと見かけられる。
そんな光景を前に、はしゃぎ回り出しそうな二人にツッコミを入れつつ、俺自身も浮かれそうになる。
「……ボク達の方が早かったみたいですね」
「そうですね」
俺たちが到着したスカイアライアンスの陣地には、まだ旅谷部長の姿はなく、どうやら俺たちは旅谷部長との勝負に勝ったようだった。別に勝ったところで何も無いのではあるが、こういうものは気持ちの問題なのだ。
「あら、おはようございます」
「ん、おはようございます」
若干浮かれている俺達の前に現れたのは、葉山だった。この晴天の下で作業をしているのだろう、その肌には汗が浮いている。
「今日は、敵ですわよ。無様に負けないでくださいまし?」
「ん、正々堂々、飛ぶことにするよ。負けないよ?」
「その心意気でないですとね」
そう言って、くすくすと笑って葉山は去って行った。去り際に少し俺と目が合ったのが、まるで「期待しています」と言わんばかりだった。
しばらく、湖畔の駐機場でのほほんとしていると、旅谷さんの運転するトラックがそばまで入ってきた。荷台にはぎっしりと、機体たるホークスウイング・マーク2のパーツが積載されている。
「お、こりゃ一本負けたな……」
「ふふん、さて罰ゲームは何にしようかなー」
「おいおい、そりゃやり過ぎだろ……」
少しオーバー気味な反応で、旅谷部長がたじろぐが、意にも介さないように本田さんは話を続けた。
「ま、部長への罰ゲームは後に置いておいて、とっとと組み立てましょう」
「さて、スカイアライアンス、ついに勝負の時だよ、始めようか?」
そんな美空の号令と共に、機体の組み立てが始まった。何はともあれ、まずはトラックからパーツの類を降ろし、梱包を解体して、破損が無いかチェックする。ここまでの過程で何かしらの問題が見つかれば、悠長に構えていられなくなるのだが、幸い何も問題は無いようで肝心の組み立て作業へと進んでいく。
旅谷部長と本田さんが組み立てた部分を、美空が完成形の設計図を見ながら、チェックを入れていく。順当に進めば競技の時間までには余裕を持って機体の組み立ては終わるだろう。
少し離れたところで、蓮池さんもGPSを確認したり、無線機の動作チェックをしたりと、電子機材をセットアップしていく。
俺も組み立て班に従って、パーツを運んだり、梱包のゴミをトラックへ戻したりと、本番の飛行に備えて、体力を削られない範囲でちょこまかと手伝いに励んだ。
「やあ。秋人?」
「おぉ、昴。来たか!」
作業の合間に、後ろから声をかけられ振り返れば、そこに昴が立っていた。約束通り鳥人類コンテストを撮りに来たようだ。
「うん、朝一の電車でね」
「ま、出場までは時間もあるし、ゆっくりしていけよ?」
「うん。しっかりと撮っていくよ」
そう言って昴は、首からぶら下げた愛用のカメラを指さした。
「あきとんー、お客さんかい?」
「おう。こいつは俺の友達で写真部の豊田昴。俺たちの勇姿を撮ってくれるらしいぞー」
初対面だが、二人とも妙に人懐っこい性格をしているので特に問題は無いようだ。
「ん、存分に撮っていくといいよ? だけど、ひとつ条件」
「お前、何言ってんだ?」
突拍子も無い美空の話に、俺はとりあえずツッコミを入れて、昴の顔色を伺う。
「えっと、何ですか?」
「僕達の機体組み立てを少し手伝うこと。もちろん一番近いところで撮影できるおまけ付きだよ?」
「解りました。大丈夫ですよ」
「お前も即答か!」
「まぁまぁ、秋人だって僕が手伝えば楽じゃない?」
そんなことを言われては黙るほか無い。人員の少ないスカイアライアンスとしては手伝ってくれる人間が一人増えるだけで戦力が大幅に増える、まさに願ったり叶ったりだ。
そして、昴としても間近で機体の写真が撮れる、というのはそれなりにおいしいらしく、甲斐甲斐しく手伝いをしながら、その作業の合間に徐々に完成していくホークスウイングをカメラで撮っていた。そういえば、大会の記録を取ったりすることは、全く考えてなかったスカイアライアンスとしては丁度いい記録係だろう。そして俺も、昴がよく動くおかげですっかり仕事が無くなり、動いても「体力を温存しておけ」と止められるのだった。
だんだんと、いつぞや学校のグラウンドで見た姿に、機体が完成していく。
美空がその頭脳を全てつぎ込んで設計図を描き、旅谷さんや本田さんが、その腕を振るって機体を作り、蓮池さんが小さいながら大事な電子機材を調整している。リソースを提供してくれた、葉山にも感謝しなければならない。
これが完成した暁には、俺と美空に託されることになる。もっとも、美空の戦力が未知数な今、主に俺に託されることになるのだろうが……
――
「ん、何か考え込んでるのかい、秋人?」
「お、俺と無駄話してて良いのか?」
「むしろそれは秋人の方だと思うんだけどね、最終チェックだからって、僕は晴れて解放されたよ」
「そうか」
「で、何をそんなに上の空みたいになってるの?」
「いや、あの機体が俺に託されるんだな。って思ってな」
「もしかして今更怖じ気づいた?」
「いや、それは昨日のうちに解決済みだ」
そういって俺は昨日の顛末を、昴に話して聞かせた。
「珍しいね、秋人がそんな風に自信喪失するなんて。陸上やってた頃は随分プレッシャーには強そうだったのに」
少し意外だった風に昴が言った。確かに陸上部で棒高跳びをやっていた頃は、
「陸上でプレッシャーに強かった裏返し、ってなところなんだろうな」
「ん?」
「いやな、どう足掻いたって、高飛びは個人競技だからさ」
「それは、確かにそうだね」
「全ての結果は自分自身が招いたものだし、それは自分自身にしか返ってこない。そういうことだろ?」
「うん」
「今回は決定的に違うし、よく考えてみたら俺にとって、初めてのチームプレイなんだよ。だから、アホみたいに緊張してるんだと思う」
棒高跳びは、全ての結果を、俺一人が負えば良い競技だった。俺の身体ひとつで他のプレイヤーと勝負していた。もし、ミスをしてもそれは俺だけの結果だった。
だけど今回は違うのだ。全員の期待を背負って機体を飛ばす。俺のミスはチームのミスだ。そしてそれは、チームの結果へと直接的に跳ね返る。
初めて経験するチームプレイの緊張感、どんどんと俺に蓄積されていくプレッシャー、そんな初めての感覚に、俺は戸惑っていたのだった。
「そっか。でもやるしか無いんだよね」
「そう、だな」
「秋人だって、ベストを尽くすんだよね?」
「そりゃ、まあな」
「だったら、考え込んだって仕方ないんじゃ無いかなぁ…… もう今更じゃない?」
「……それもそうか」
ここまでたどり着いてしまったのだ。自分の実力以上が発揮できないことは、俺自身が知っていることだ。
ちゃんと実力を全て出してやれば良い。むしろ、それしか出来ないのだから。
「ありがとな。なんかすっきりしたぜ」
「いえいえ。どういたしまして。僕はちょっと他のチームの撮影をしてくるよ」
そう言って、昴はさっさとどこかへ行ってしまった。
「ん、チェック終わり」
「おっしー、終わったー!」
「何回チェックしても見落としがありそうで怖いな……」
「電子器機は離陸前にもう一度チェックしますね」
俺がぐるぐる色々考えている内に、俺の目の前に、いつか見たことのある機体が堂々と完成していた。
「なにそこでボケッとしてんのよ。これがパイロットじゃなかったらぶん殴ってるところね」
「いや本当、パイロットで良かったですよ……」
「……そこまで言えるようになったら、もう大丈夫そうね」
そんな風に一言俺に告げながら微笑む姿は、さっきまでバイオレンスな発言をしていた人っと同一人物だとは思えない。
「おーい、雨宮、美空、こっちこいー。コックピットの調整するぞー」
「あ、はいすぐ行きます!」
目の前に鎮座している機体の開け放たれている乗り込み口からコックピットの中へと入る。散々シミュレーターで慣れ親しんだコックピットだが、目の前に広がっている光景がシミュレーターのそれと全然違うために、もの凄く違和感を感じてしまう。
「お邪魔するよ?」
「おう」
美空も俺の後ろに乗り込んでくる。狭いコックピットの中で、女の子の存在を真後ろの至近距離に感じるのは何度やっても慣れない物があった。
「これで大丈夫かー? 一応シミュレーターと同じセッティングにしておいたけど」
「あ、俺は大丈夫です」
「殆ど大丈夫、欲を言えばもう少し座面が下がるといいね?」
「すぐに直すよ」
コックピットから這い出ると、すぐに旅谷さんがコックピットに手を入れる。
「……よし、これぐらいで良いか?」
「ん、完璧だね……」
「電子機材は一応チェックしましたけど、本番前にもう一度チェックしましょうか」
「わかりました」
機体は完成した。後は満を持して本番を待つだけだ。
――
「お昼買ってきたわよ」
「あ、ありがとうございます。言ってくれたら手伝ったのに……」
「パイロットは出番までゆっくり休んでなさいって。終わったらいくらでもこき使ってやるから」
「あはは……」
「お、昼飯か!」
「おっひるごっはんー」
「美空さんって時々壊れますよね……」
「普段から壊れやすい奴ではありますけどね」
本田さんからコンビニ弁当を受け取って、機体のそばで広げる。組み上がった機体をそのまま放置しておくと、風に煽られてどこかへ行ってしまうかもしれないので、機体のそばを離れられないのだ。
「大京大学、航空研究会。まもなくテイクオフです」
音のした方に目を向けると、観客席の方を向いた電光表示板に、インタービューを受ける葉山の姿が映っていた。
「これから、みたいだね?」
「ああ……」
昨日の見方は今日の敵。確かに俺達に協力をしてくれた葉山達だったが、それは、この日の勝負のためと言っても過言では無い。
結局のところ、彼らはライバルであり、倒すべき敵なのだろう。
だからこそ俺は、彼らの飛行をしっかりと見ていたいと、思った。
「大京大学、航空研究会のただいまの記録は、21346メートルでした」
「暫定一位か……」
機体が湖面に落ちる、その瞬間まで電光表示板から目を離せずにいた俺に、超えるべき記録が数字となって現れた。
その記録を超えることは、俺にとっては、責務のようなものだ。
天才の天才たる所以を証明するためにも、俺はその一位の壁を越えなければならなかった。
「僕達は、これを超えるんだ。なに、楽しんでいけば問題ないよ」
俺の隣で、美空がそんな風に言って笑った。そんな風に言われると、まるで本当に何でも無いような事に思えてくるから不思議だ。
「さ、みんなちゃんと位置に付いたー?」
本田さんの問いかけに、全員が返事をだす。各々持ち場に着き、前のチームの後を追うように、機体を押しながら前に進んでいく。遠くに見えるプラットフォームが大きく見えてくると、胸の高鳴りと緊張感も増してくるのを痛いほどに感じた。
しばらくの後、俺たちはプラットフォームの付け根の部分、高いプラットフォームへと登るためのスロープの入り口部分にたどり着いた。前のチームはもう離陸した後で、俺たちよりも前には機体の姿は無い。
「さて、一気に登ろうか?」
プラットフォームの頂へと、大きな翼を携えたホークスウイングを、押し上げていく。登り切ったプラットフォームのその先には、たっぷりと水を湛えた湖面が、どこまでも続いていきそうな程に広がっている。
「やっと、ここまで来たな」
「最初はここまで来られる気がしませんでしたけどね」
ちょっとした達成感に満足しているような、そんな顔の旅谷部長に、ちょっと苦笑しながら返した。
「くふ、天才だしね?」
「ま、その天才様には、まだこれから一番大事な仕事が残ってるんだけどね」
「楽しみで仕方ないよ」
「その精神力が羨ましいぜ」
「君も、もう大丈夫なんだろう?」
「まぁ、一応な」
そう断定しながら、問いかけるように聞いてくる美空はある意味意地が悪い。しかも、それが十中八九当たっているのが何とも悔しい。
「さぁ、ビシバシ働こうじゃ無いか?」
「……そうだな」
そんな気楽さを伴って、時間は離陸の時へと、進んでいくのだった。
前のチームの記録がパネルに表示され、飛行が終わったことを示す。次はいよいよスカイアライアンスの番だ。
「政成大学航空部スカイアライアンス。なんとパイロットは高校生の男女二名。その先にどんなドラマが待っているのでしょうか。まもなくテイクオフです!」
そんな紹介アナウンスが入ると、緊張感は一気にうなぎ上りになる。随分今更だが、場合によっては、これがテレビ放映されるかもしれないのだ。そう思うと胃が痛くなってきそうになった。
「行こうか?」
美空に促されるようにして、ホークスウイングに乗り込んで、各種計器・電子器機の類に問題が無いかもう一度チェックする。もっとも、基本的な計器以外は後席に座っている美空のお仕事なのだが。
「がんばんなさいよ?」
「下から見守ってますね」
「よろしくお願いします」
そう告げると、蓮池さんと本田さんはプラットフォームを離れていった。機体に併走するボート上で電子機材から送られて来る情報を見ながら、無線でサポートしてくれる手はずになっている。
少し待っていると、頭につけたヘッドセットから、蓮池さんの声が聞こえてきた。
「……あー、マイクテス、聞こえてますか?」
「大丈夫です。こちらはどうですか?」
「感度明瞭、大丈夫ですね。こちらは準備できています、好きなタイミングで離陸して下さい」
『了解』
耳元から蓮池さんの声が聞こえて来たことに、なんとなく安心する。後ろのノイズの中で本田さんの声も聞こえていた。
「大丈夫そうだな。よし、楽しんで行ってこい!」
「はい!」
「ん」
その言葉を聞いて、旅谷さんは機体の後ろ側へと消えた。プロペラが安定して回り、離陸可能になったら、後ろから機体を押して少しでも勢いをつける作戦だ。
「よし、行こうか?」
「おう」
こんな時でも余裕の残るいつも通りの口調が崩れることの無い美空につられるようにして、俺の緊張感も抜けてリラックスしていく。そんな風に感じ始めると、目の前に広がる湖面も、まるで暖かく俺を迎えてくれているようで、ちょっとした安心感を感じた。
コキコキ、と動きを確かめるようにペダルを動かしてみてから、力を入れて押し込むようにしてペダルを回す。ぐるり、とペダルが一回転し、ゆっくりと目の前のプロペラが回り出す。一度勢いの付いたペダルは最初ほど重たくはなく、踏み込んでいく度にプロペラの回転数が上がっていく。
「そろそろ、動き出すよ?」
「……了解」
美空の声を背中で聞きながら、計器とコックピットの外に交互に目を遣り、動き出すその瞬間を静かに待つ。
プロペラの回転がどんどんあがっていき、くん、と機体が前に進みたいと一歩前へ出そうになる。
「さ、行こう!」
その声と同時に、一気にペダルを踏みつける、と同時に後ろからの呪縛が解かれ、ホークスウイングは一気にプラットフォームを走り抜け、空中へと躍り出る。
刹那、機体は重力に引き寄せられるようにして、がくん、とその高度を落としそうになる。その機体を支えるように、ペダルに力を入れながら、くいくいと操縦桿を引いてやると、次の瞬間、重力に引かれ落ちゆく中で翼が空気を掴み、ふわり、と少し浮き上がって安定する。
「これで一安心だね」
「あのまま落ちていたらどうしようかと思ったよ……」
「大丈夫そうですね、進路はそのままで飛行を続けてください。風も大丈夫そうです」
「了解したよ」
俺に変わって美空が返事を返す。一人で漕ぐよりも若干軽いペダルに、通信やペース配分、後ろで美空もしっかりと飛行に貢献していることを感じた。
プラットフォームから飛び出せば、凄い感動でも巻き起こるのかと思ったが、めまぐるしく変わる風の状況や、速度に応じて出来るだけ体力を温存できるようなペダルワークなど、他に気を取られることが多すぎて、外の景色を堪能している余裕など皆無だった。
プラットフォームを離れてもうかれこれ何分経っただろうか。
二人とも無言の中、シャコシャコというペダルを漕ぐ音と、翼やプロペラが風を切る音がコックピットの中に響く。
「っ、だんだん、きてるね……」
「おう……」
「流石に、しんどいかい?」
「まだ、大丈夫だよ。美空こそ、大丈夫か?」
「まだいける、大丈夫だよ?」
しんどいことにはしんどいが、それは連続した運動をしているからには当然で、まだまだ本当の辛さという段階には達していない。どちらかと言えば、俺よりも負荷が少ないとはいえ、ペダルを漕ぎながら、情報に気を遣って(ちなみに俺の心拍数や血圧やらも測定されているらしい)臨機応変に作戦を立てている美空の方が心配になってくる。流石に美空のお母さんの手前、美空に万が一の事を起こしたらその方が問題だ。
「少し、風が、吹いてきたね…… 地上班、流されるけどそのままで大丈夫かい?」
「多少なら問題ありません。大丈夫です。そろそろ十キロをを超えますから折り返しの事も考えておいた方が良いかもしれません!」
「とのことだよ?」
「わかった。折り返しまで行ってやるから、ちゃんと考えとけよ」
無駄な会話がそぎ落とされ、必要十分なだけの言葉が俺たちの間を往復していく。
鳥人類コンテストのルールでは、二十キロを超えると折り返しが可能になり、折り返し分も含めた四十キロが最大到達距離となる。
ただし、折り返しは機体に負担を掛け、操縦技能的にも難しい。
とりあえずは、折り返しまで行けると良い。
それが、スカイアライアンスのちょっとした目標だった。
俺の体力がどこまで持つのか解らない、機体の耐久性もどうなるかは詳細不明、そんなスカイアライアンスにとって優しい、という目標ではないだろうが、何の目標の無いよりは、ひとつ目安になるものがあった方が、パイロットとしてはやりがいがあるというものだ。現にここまで順調に飛行してきたことを顧みると夢物語でも無いだろう、と思えてくるのが希望という奴だろうか。
「だんだんと、疲労もたまってきたかい? 脈拍もだんだん早くなってきたね……」
「おう…… さすがにな……」
時間は刻々と過ぎていき、テイクオフから三十分も過ぎようとしていた。
天候としてはありがたいことに晴天で、突風なども無いのだが、それ故にコックピットの中はビニールハウス状態で、体力がじりじりと削られていくのが手に取るようにわかった。ペダルを一回転させるごとに汗が背中を伝い、荒い呼吸がさらに一段加速しそうになる。
ふと、計器を睨み付けることをやめ、外の景色に目を遣る。風の影響で沖合の方に流されたのか、湖の岸辺は遠くにみえ、自分の足下少し下にブルーの湖面が広がっている。
「飛んでる、のか……」
「急に、どうしたんだい、ついに疲労で頭が回らなくなったかい?」
「いや、なんと無く、思ってな」
「そうかい、飛んでるんだよ」
少しずつこの飛行にも慣れてきて、ようやく空を飛んでいる、その事実に感動できるだけの精神的な余裕が生まれてきているらしい。
「感動とか、そういうのはあるのか?」
「あるよ? だけれどそれを噛みしめて理解するのは、ちゃんと仕事が終わった後さ」
天才という人種はどこまでも、現実的で、まるで論理の塊であるように感じる。外見的には感情的で無いが故に、冷酷に見えるところもあるが、その実、内心では感情を表に出しても仕方ないと言うことを、痛いほどに解っているのだろう。
「まぁ、色々と必死でそんな余裕が無いとも言えるけどね?」
「……そうかい」
俺があれこれと考えていた無駄を返せ。
もっとも、俺にしても外の景色を見る程度の精神的余裕があるだけで、体力的にはもうだんだんと必死という領域に入ってきている。
「なんにせよ、飛んでしまったらあとは遅かれ早かれ、落ちてしまうんだ。最後まで空に、しがみついていようじゃないか」
「おう、そうだな」
その言葉をかみしめながら、ペダルをこぎ続ける。一回一回がだんだん辛くなってきたが、途中で足を休ませることは出来ない。いくら二人で漕いでいたところで、非力な美空一人ではどうにもならないだろう。
中で必死に動力を生み出し、操縦しているパイロットのことなど知らない。といった風にホークスウイングはふわりふわりと前へ飛んでいく。
対地速度を見ていると自分のペダルの回転数のイメージよりも随分遅くてやる気が削がれそうになるが、気を抜いてペダルの回転を落とそうものなら、機体はすぐさまに湖面とキスをしそうになる。低空飛行でも低速でも安定して飛行させ続けることが今の俺の仕事だった。
「折り返し地点も、もう少しだね」
「だな」
だんだんと遠くに琵琶湖大橋が見えてくる。この大会では琵琶湖大橋越えはルール違反となり出来ないが、まるで橋が海から生えている棒高跳びのバーのようで、飛び越えてみたい。と思った。
そのとき、折り返し可能を知らせる大音量のサイレンが、琵琶湖に鳴り響いた。待ち望んでいた祝福のベルのように聞こえるが、同時にここからが新しい挑戦の始まりでもある。
「やっと、ここまで来たな……」
「長かったねぇ、でもまだ終わってないよ?」
「で、どうする?」
運命の選択を美空に仰ぐ。体力もほぼ限界に達そうとしているが、それでも最後まで美空に付き合おうと言葉を待った。
「そうだね、とりあえず折り返そうか?」
「……了解」
「風も大丈夫です。ゆっくり左旋回でお願いします!」
俺達をモニタリングしている、蓮池さんから指示が飛んできた。
「そういうことだけれど、大丈夫かい?」
「ああ、やってみる」
頭の中で、これまでシミュレーターでやってきた、旋回の訓練を反芻する。
「よし、行くぞ?」
「ん」
「最後まで気を抜いたりすんなよ!」
地上からの激励も、この状況下では最高の栄養剤だ。相変わらずの物言いに心の中で一通り苦笑してから、残りも最後まで頑張ろうと誓う。
耳に届く本田さんの無線に、一言分かりました、と返して俺は、目線を空へと向けた。若干早めにペダルを回しつつ、操縦桿を軽く倒す。
鈍重な機体はすぐには反応しなかったが、数秒後に思い出したように、左へと少し傾いた。
ゆっくりと回り出した機体は、少し揚力を失って高度を下げようとする。それを食い止めるように、俺はペダルに力を加えた。
目の前に見えていた、琵琶湖大橋が真横に見え、そして、俺の視界では捉えられなくなった、そのタイミングで機体の傾きを元に戻すように、操縦桿を倒す。
「ん、パーフェクト」
「まぁな……」
散々シミュレーターでやらされていたことが、現実に出来たことに、自分でも若干心のなかでドヤ顔をしたい所だった。
完璧な折り返しを決めて、プラットフォームへの帰り道に乗ったホークスウイングだったが、俺にはもうあまり体力は残されていなかった。
それでも、視界の彼方にある筈のプラットフォームめがけて、ペダルを回し続けた。
「大丈夫かい?」
「正直結構ヤバイ」
折り返しから少ししたところで、美空が口を開いた。
「さて、そろそろ頃合いかな…… もう何に囚われることも無いよ、思いっきり行ってくれたまえ? 実はうずうずしているんじゃないかな?」
「……おう、まあな。でも、いいのか?」
「いいんだよ」
そういって、美空が後ろで笑った、気がした。
今でこそ、長距離をトレーニングをするマラソンランナーのようになっているが、元々俺は棒高跳びの選手だ。そして棒高跳びに要されるのは持久力ではなく、瞬発力。
無線は沈黙したまま一言も発しない、それを俺は勝手に肯定の返事だと受け取った。
「うぉりゃあああああああああああ!」
叫び声と共に、一気にペダルをかき回す。
自分の中にまだこれだけのやる気と体力が残っていたのか、などと冷静に思っている余裕は今の俺にはなく、ただ急速に放電していく電池のようにエネルギーを使い、ペダルをかき回す。そこには何の作戦も、思惑も無い。ただ、親の敵のようにペダルを踏みつけた。
「だあああああああああああああああっ!」
背中から自分では無い誰かの声がして、ペダルが少し軽くなる。普段聞かない叫び声に必死な状況も合わさって、それが美空の叫び声だとわかるのに、少し時間が掛かった。俺の脚力に比べれば随分と小さい力だが、それでも、くん、とさらに機体が加速する。
スプリンターのラストスパートのように機体はどんどん加速していき、機体の外の景色が流れるようにして後ろへと過ぎ去っていく。そして、その加速に伴って、俺たちの体力も急激に減っていく。別に最高速の記録を正式に取っているわけでは無いのだから、効率と記録の観点から言えば、全くの無意味に等しい行為だが、実際にやっている俺としてはもの凄くすがすがしい気分になった。俺の後ろで美空も同じ気持ちになっていてくれるなら嬉しい、と思った。
最後のスプリントに音を上げたのは、やはり美空の方が早かった。
「はぁはぁ…… 僕はここまでだね? げへっ、ごほっ」
「あんまり、無理すんなよ?」
「ごほ、もう、したあとだよ……」
「……」
そういえばそうだった。
美空がリタイヤしたことにより、ペダルがまるで俺の力に刃向かうかのように急に重たくなる。若干漕ぐ速度が落ちるがそんなものを今更気にしている余裕も、理由もなかった。そのまま何も考えずに、これまでと同じようにペダルを踏みつける。
「もう、くっ……」
ペダルにかかる負荷は変わっていないはずなのに、どんどんと漕いでいる足に掛かる抵抗は大きくなっているように感じる。もうあまり、先は長くないな。などと死にかけのジジイの様な事を思ったが、走馬灯現象は見えなかった。
次第に大きく感じる抵抗に屈しないように力を入れようとしても、足が言うことを聞かずに、だんだんとペダルを漕ぐスピードが落ちていく。
「さすがに…… きついかい?」
「もう、だめだ……」
「ん」
いつも通りの美空の言葉に、俺は足の力を少し、抜いた。むしろ、もう限界まで回しているのに、実際は少し手を抜いているように見える程度にしか回っていない。このままでは、だんだんと機体の速度は落ちていき、しばらくした後に湖面へと落ちるだろう。
「まだ最後まで、少しあるよ。ちょっと表を見たらどうだい?」
背中から包み込むような美空の言葉に、必死で漕いでいたために前傾姿勢になって下を向いていた顔を上げて、前方を見る。
「随分と、高いところまで来てしまったみたいだね?」
「お、おう……」
目の前に広がる景色に見とれたのか、それともただ単に疲れて言葉を出す余裕も無くなっていたのか、俺は言葉を失っていた。
必死で漕いでいたおかげか、むしろ必死すぎて機体の制御まであまり手がまわらなかった所為なのだろうが、増えていくスピードに応じてどんどん高度も上がっていったらしい。湖面や地上にある物が随分と小さく見えた。
真下にはブルーの湖面が広がり、機体の左右には湖岸が見えている、正面には俺達が最初に飛び出してきた、プラットフォームが遠くに見えていた。
「すっげえな……」
「ふふん、これは多分僕達しか見られないだろうね?」
「だな」
「……大丈夫ですかー?」
「なんとかまだ生きているよ、後は最後の悪あがきと洒落込もうか?」
「はい、了解です」
地上からの連絡に、景色に見とれている場合では無いと、一気に意識が現実へと引き戻される。
「さて、ぼやぼやしている暇は無いね。あきとん、落ちようか?」
「おう」
落ちる。と言ってもそのままドボン。という訳では無い。高度が最大の今の状態から、出来るだけ遠くまで滑空するのだ。もちろんペダルを漕ぐことによって加速させたり、高度を上げたりすることは出来るが、残っている体力では気休め程度にもならないだろう。
目の前の計器を見つめながら、最良滑空速度になるように操縦桿を動かす。途中で風に煽られたりしたが、ある程度は誤差の範囲内だ。
ふわりふわりと徐々に高度を落とし、機体は位置エネルギーを失っていく。気がつけばすぐに、湖面すれすれのところまで達していた。
「そろそろ、おしまいだねぇ……」
「だな……」
二人とも、悠長な会話に勤しんでいるが、機体は着水まで秒読み、脚力に至ってはその殆どがもう発揮できていないだろう。足が棒のようになる、とはまさにこのことだ。
きらきらと太陽光線を湖面が反射する。
機体が湖面に大きな影を映し、視線の高さには水平線が、随分と近くに見えた。
そして、ホークスイングの底面が湖面に触れる。ぱしゃ、と小さい水音が聞こえ、水しぶきが上がる。
ここから、もう一度機体を空中へと戻すだけの体力は俺と美空には残っていない。
プロペラは完全に停止し、主翼が空気を切る音も小さくなり、変わって水を切る音が聞こえてくる。最後にはその音も止まり、ホークスウイングは水上で完全に停止した。停止した機体は揚力を完全に失い、だんだんと湖面に沈み始める。
機体の構造上、すべて沈むということはないはずだが、それでもコックピットが水没する前にこの空間から脱出しなければならないのは確かだった。
「脱出できるか?」
「ん、大丈夫だよ?」
機体を半ば壊すようにして脱出路を確保する。なんとか機体から這い出して、湖面にダイブした
最初に思ったのは「気持ちいい」だった。夏の湖上で必死に運動をしていたのだから、体温と汗が一気に奪われていくのは、快感以外の何物でも無い。
泳ごうと思ったが、足が思うように動かない。しかし、ライフジャケットのおかげで沈んでいくようなことはなく、ぷかぷかと水面に浮くことができた。
美空を探そうと辺りを見回すと、すぐ近くに同じように浮かんでいる姿が目に入る。
「大丈夫かー?」
「うー、涼しいねえ?」
割と大丈夫そうだった。むしろその口調からはこの状況を楽しんでいるような気さえうかがえる。
「お迎えに上がったわよ」
すぐに、本田さんと蓮池さんが乗ったボートが俺たちの横まで来た。
「おい、美空、乗れるか?」
「ん、大丈夫だよ」
見た目にはまるで沈没事件の遭難者のようになりながら、ボートの縁から這い上がって、仰向けに寝転がる。渡された水を一気に喉に流し込んだ。
「二人ともお疲れさんー、あとはまぁゆっくりしてなー」
「あい……」
「ん……」
その言葉を聞いて全身から一気に力が抜けていく。このまま眠れてしまいそうな位の脱力っぷりだったが、興奮しているのか意識だけはしっかりと保っていた。
「あたしと瑠乃緒は作業するからゆっくり休んでなよ?」
機体は悲しいかな落ちてしまえば、ほぼ只のゴミなのでちゃんと責任を持って持ち帰らなければならない。そのためにボートで曳航するためにロープを掛けたり、最後には持ち帰りやすいように解体したり、終わってからも作業が多い。もっとも、今それを手伝うだけの体力は俺と美空には残されてなどいなかったが。
「あきとん、空は綺麗だねえ?」
「ああ、そうだな」
美空の言葉につられるようにして空を見上げる。夏の太陽、白い雲、それらを全て内包する青い空。全てが眩しく見えた。
頬に柔らかい感触が走り、ふわり、と甘い香りが鼻孔をくすぐる。一体なにをしやがった、この天才は……
すぐに、隣に顔を傾けると美空の顔がアップで視界に写った。
「おい、なにしてんだ?」
「解っていることを聞くものじゃないよ? そうだね、しいて言うなら喜びの表現。かな?」
そういって、美空はくすり、と笑ってまた空を見上げた。俺も最早ツッコミを入れる気にも、美空の行為について話を掘り下げる気にもならずに、同じように空を見上げた。
荒い呼吸も少しぐらいはマシになり、ようやく飛んだ事への感動が遅れてわき上がってきた。
ちゃんと、飛べた。その事実が何よりも嬉しかった。そして、チームの一員としてちゃんとホークスウイングを飛ばせたことに、安心した。
しばらく、同じ所で止まっていたボートだったが、やっと曳航の準備が整ったのか、湖岸へと動き出した。作業をしていた蓮池さんと本田さんも俺たちの隣に来た。
「最高高度と最高速度は、ボク達のものですね! まぁ、非公式記録ですけど」
「さっすが優秀なパイロットね」
「あはは……」
本田さんの皮肉めいた言葉に、苦笑いで返すほか無い。
殆どのチームは記録を狙って体力を温存するために、こんな暴挙には出なかっただろう。しかし、俺たちが同じ作戦にでたところで記録が伸びたかどうかは怪しい。短期決戦のスプリントを選んだからこそ、俺はあれだけの、今振り返ってみても驚異的なパワーを発揮出来たのだろうと思う。もっとも、それをちゃんと理解しているのは俺と美空だけかもしれないが。
ボートが湖岸に到着する頃には、体力も少しは回復して、二人とも何とか自立して行動できるようになっていた。
「よう、ご苦労さん」
「ただいま帰りました」
「ただいま」
湖岸では旅谷部長が俺たちを出迎えるや否や問答無用に、わしゃわしゃと頭を撫でてきた。
「……なんか、父親みたいね」
「まだそんな年じゃねえぞ?」
スカイアライアンスは、やっぱりスカイアライアンスだった。だけれどこの場所が心地良いと感じる程度には俺も染まってしまった。
「さ、結果発表すんぞ」
客席向け、そしてテレビ向けに設置された電光表示板に、俺達の飛行記録が表示されようとしていた。
「政成大学、スカイアライアンス、雨宮秋人さん、美空蒼子さんの結果は……」
視線が、表示板に固定され、耳が研ぎ澄まされたようにアナウンスを待つ。
「27328メートル。暫定一位です」
巨大な歓声が、辺りを包み込んだ。
やった。
やってやった。
「暫定、一位……」
「みたいだね」
興奮している俺を余所に、美空は涼しげな顔で結果を聞いていた。
「もうちょっと、感動してもいいんだぞ?」
「いやいや、ここからが鳥人類コンテストの真骨頂だよ? 強豪チーム達の、本領発揮はこれからさ」
そう言いながら、美空は表示板へと目を向けている。そこには、次の出場チームが映し出されていた。もしかすると、天才故にこれからの予想が出来てしまう美空は、ある意味に悲しい人間なのかもしれなかった。
そうして、他チームの飛行を見届けながら、撤収作業が始まった。俺と美空も手伝おうかと声を掛けたのだが、ゆっくり休んでろ、と断られてしまった。
着水の衝撃で主翼に張られたフィルムは所々が剥がれ、プロペラも少し曲がってしまっている。さっきまで一緒に飛んでいた機体があられも無い姿になり、こうしてすぐに、解体されていく様はなんとももの悲しいものがあった。
それでも、皆それぞれに、機体にねぎらいの言葉を掛けながら解体していく。ただの物と言ってしまえばそれまでだが、それでも機体に愛着という物があるのだ。
ふと、湖面の方に目を向けると、また一機、どこかのチームの機体が湖上をふわりふわりと飛んでいった。
――
しばらくの後、機体の解体と積み込みも終わり、俺達は観客席に座り込みながら、残りチームの飛行を見守っていた。
流石に、後半には強豪校が犇めいているらしく、時々俺達の記録を塗り替えられて仕舞っていた。
「今のところは一応暫定三位、ってところだけれど、さて、どうなるかしらね」
今のところぎりぎり表彰台というところではあるが、まだ最後のチームまでは達していない。最終的な順位はまだまだ分からない。今回の大会では、天候にも恵まれたことによって好記録が続出していて、常連チームの間では激しいせめぎ合いが行われているようだった。
飛び立っては、ボロボロになって帰ってくる機体を幾つも目の当たりにしながら、競技は最後のチームへと進んでいった。そのたびに俺たちは、会場の電光掲示板に表示される、飛距離と暫定順位を見て一喜一憂していた。
全ての競技が終わり、一応の審議のあとに最終順位が確定する。まるで、合格発表を待つ受験生のような心境、周りの空気も一段とぴりりと引き締まる。
審議中にブラックアウトしていた電光掲示板に光が点り、確定順位が表示される。
絶対に見逃さないという気迫で、それを上から順番に目で追っていく。
「ありましたよ!」
最初に声を上げたのは、意外な感じだったが蓮池さんだった。その声を皮切りにして、全員がスカイアライアンスの順位を見つけた。
五位。それがスカイアライアンスがもぎ取った、結果だった。
「……なんて言うか、地味に嬉しいわね」
「だな……」
「がんばりましたもんね」
「どうせなら賞金も欲しかったところだけれど、とりあえず苦労が報われたね」
各々に思うところはあるようだが、俺たちの鳥人類コンテストは、最大のイベントが過ぎ、終わりに差し掛かろうとしていた。
表彰台と賞金を逃したことは確かに悔しいが、常連チームや強豪チームが名を連ねている上位に食い込めたことは、ちょっとした奇跡だろうと思う。
いや、それを奇跡と呼ぶには、あまりにも陳腐で失礼な話かも知れない。
時の運だけで無く、きっと、俺達の実力で得た五位だ。それに運も実力のうち、なんて言ったりする。
「政成大学航空部 スカイアライアンス、五位。飛行距離27328メートル」
むさ苦しい男達が表彰状を受け取る中、周りからの拍手を浴びながら、堂々たる態度で美空が賞状を受け取った。ここまで来ると旅谷部長のメンツ形無しである。それを今更気にするような俺たちではなかったが。
「やってくれましたわね……」
賞状を受け取ってきた美空と一緒に、葉山も俺達の方に向かってきて、そう言った。
「それは、美空に言うべきですよ」
「いえ、そこに居る天才さんには、設計図を再度引いてもらった時に、既に負けていましたわ」
「そう、ですか」
「だからこそ、こうしてチームであれば、もしかしたら勝てるかも知れないと、思って居たのですけれどね。まさか、そこまでやるとは思いませんでしたわ」
言葉に反して、葉山の顔は笑顔だった。
「……ありがとうございます」
若干悩んだ末に、俺が葉山に返した言葉は、感謝だった。
「それから、美空さん。ぜひ、来年はうちの機体の設計をして欲しいわ」
「気が向けば、考えておくよ」
そういって、美空は葉山に笑いかけた。
「さて、行こうか?」
「おう」
表彰式を終えて、壇上から帰ってきた美空のその言葉を皮切りに、達成感と、悔しさと、少しの虚しさ、そんな色々を心の中に抱えながらも、俺たちは琵琶湖に背を向け、歩き出した。
「おつかれさん……」
駐車場まで歩き、、今となってはその役目を終え、トラックに積まれたホークスウイングを一撫でしながら、そう語りかけた。別に返事を返してくれる訳でも無いのだが、どうしても、感傷的になってしまうのは仕方ないことだろう。
「じゃ、後で」
「おう」
そういって、旅谷部長がトラックを走らせていった。残ったメンバーホテルへと歩き出す。
「やっほ、お疲れ様。五位、おめでとう。って話しかけてもよかったのかな?」
ホテルに帰る道すがら、掛けられた声に振り向くと、そこには昴が立っていた。まるで神出鬼没で、いつどこでひょっこり出会ってしまうか分かったものでは無い。
「おう、大丈夫だ。ありがとうな」
「写真も結構撮ったから、帰ったらちゃんとプリントアウトするよ」
「よろしく頼むわ」
「じゃ、僕はこれで。流石にホテルを取るだけのお金が無くてね。日帰りさ」
「それももったいない話だな」
「ま、その分機材とか買っちゃってるし、なんとも言えないけどね」
そんな風に言いながら昴は人懐っこく笑い、そのままどこかへ行ってしまった。なんというかせわしない奴だ。
――
その後、ホテルの部屋でささやかな打ち上げが行われ、大学生組は酒などを飲んでいたようだが、結局それも長く続くことはなかった。全員疲れたのか、早々に眠りについてしまい、その上、翌日起きたのはチェックアウト時間ぎりぎりだった。
「おいおい、急がないと間に合わないぞー」
「ちょっと待って、まだ荷物の整理終わってない!」
「はて、僕はアレをどこにしまったのだったのかな?」
「髪ぼさぼさです……」
男組が廊下で待ってる間、女子の部屋からはそんな慌てた言葉が聞こえて来た。
女が三人で姦しいとはまさにこのことのようで、そこに如何に天才が紛れ込んでいようと変わらないことを知った。
琵琶湖の地に別れを告げ、スカイアライアンス一行は一路、政成大学を目指して、帰路へと付いた。席割りは行きと同じだ。
「しっかし、一夜明けてみるとなんていうか、昨日の事は夢みたいね」
「それが夢じゃ無いのは、俺と美空のふくらはぎの筋肉痛が全てを物語ってますよ」
今日になって急に痛み出したふくらはぎをさすりながら、俺は苦笑した。
「もう少しで肉離れの再発をするところだったかもしれないね…… 随分痛むよ?」
「だから無理すんなって言ったのに……」
「でもね、無理してでもやりたいことがあったんだよ」
これまで鳥人類の為だけに、怪我をするほど突っ走ってきた美空だからこそ、その言葉に重みが出る。最早言い返す言葉は何もなかった。
昼過ぎに大学へとたどり着き、各々帰ることになった。本来ならばホークスウイングの後片付けやら、ゴミの分別やら、機体からの機材の回収、等とたくさん用事はあったのだが、全員の疲労具合を鑑みて、また後日と言うことになった。
「じゃ、本田さん、美空、また部室で」
「ん」
「片付けに来なかったらしばくから」
「ちゃんと行きますって」
本田さんに寮の玄関前まで車で送って貰い、別れの言葉を交わす。
「やっほ、秋人。昨日ぶり」
「おお、昴も、昨日ぶり」
寮に入って談話室代わりの食堂を抜けようとしたところ、ちょうど昴と鉢合わせた。
「と言うわけで。はい」
そう言って昴は、俺に写真の束を手渡してくれた。
「綺麗に写ってるのは、一応人数分プリントアウトしておいたから。また欲しいのがあったら印刷するよ」
「ありがとな」
「こっちこそ。だけど、ホントあの機体は気持ちよさそうに飛んでたね」
「そうか?」
「うん。出場全チームを見ていたけど、スカイアライアンスが一番飛んでたね。ボクの主観だから信用には足らないけどね」
「はは」
そういって、お互いに笑った後、俺は昴と別れ、数日ぶりの自室へと帰還した。
「ふあ……」
行儀が悪いと解りつつも、旅行カバンを床へと放り投げ、自分はベッドへと倒れ込む。寮の玄関から自室までたどり着く僅かの間だけでも、俺の足はビリビリと痛みだし、悲鳴を上げていた。
ベッドに仰向けになりながら、昴から手渡された写真を眺める。どの写真も綺麗に写っていた。
「本当に、飛んでたんだな……」
こうして機体の外から撮られた写真を眺めていると、自分が本当に飛んでいたのだと認識させられる。本田さんには得意げに、飛んでいたんだ、と自信を張って言ったが、その実、一番幻では無かったのかと疑っていたのは俺ではないだろうか。
だけれど、俺たちは飛んでいた。それはどうやら、疑いようのない事実だった。
随分と駆け足で、ここ数日間が過ぎていったような気がする。
美空は、何かを掴むことが出来たのだろうか。
これからスカイアライアンスの面々はどうするのだろうか。
一抹の疑問を抱えながらしかし、横になった俺に容赦なく疲労はのしかかっているらしく、そんな疑問や不安を頭の片隅に追いやって、目を閉じればすぐに眠りへと誘われた。
エピローグ 飛んでそして。
怒濤の鳥人類コンテストから帰り着いて数日後。何とか足の痛みも引いた頃に、俺は政成大学航空部、スカイアライアンスの部室前にいた。
「これは燃えるな」
「こっちは燃えないね?」
「これ捨てちゃって大丈夫ー?」
「ん」
「この機材、まだ水没してないので回収して仕舞っておきますね」
「おう。よろしくな」
疲労の為に延期になっていた、機体などの後片付け作業をメンバー全員総出で行う事になっていたのだ。なんだかんだと掃除をさぼった結果、ゴミがそこかしこに散らかってしまっている部室の掃除もついでにしてしまおう、という事になったので随分と大げさな事になっていた。
いざ掃除をすると、色々と発掘されるもので、機体のミニチュアやら、手書きの設計メモなんかが出てく度に当時の話に花を咲かせていて、なんやかんやと掃除は進まない様子だ。
「さて、あらかたはこんなもんかな?」
「おう、ゴミの分別ご苦労さん」
「くふ、筋肉痛で予期せずサボれてしまったよ?」
にこり、と椅子に座っている美空が笑う。未だに筋肉痛が取れないので、比較的足にも疲労の少ない作業を遣らせようと気を遣っていたのだ。ちなみに、帰ってきた翌日に病院に行ったところ、本当に肉離れ再発一歩手前で、医者にこっぴどく怒られたそうだ。
「さ、コーヒーでも飲みましょ」
「コーヒーメーカーも、ちゃんと洗ったんでおいしいですよー」
「豆は俺セレクトだ。最近凝っててな」
「それは大丈夫なのかい?」
「美空に言われると不安になってきた」
「大丈夫、冗談だよ?」
「お前は真顔で冗談を言うな」
「くふ、失礼」
蓮池さんにコーヒーを入れて貰い、一口啜る。独特の苦みが口の中に広がった。
鳥人類直前のぴりぴりした空気感は消え、ほのぼのとした空気が俺たちを取り囲んでいる。外の椅子に座っている美空にコーヒーを持って行こうと部室の外へ出ると、熱を振りまく夏の太陽がギラギラとその猛威を振るっていた。
コーヒーを美空に手渡して、目を細めながら、遠くに見える積乱雲に目を遣った。
「しっかし、もう本当に夏だな…… これで俺の役目も終わって、晴れて夏休みか」
なんとなく、呟いてみる。
俺の役目も終わり、もの悲しいながら期間限定のスカイアライアンス生活も終わりを告げようとしていた。
振り返ってみれば、いきなり鳥人類のパイロットになれと言われたのは、まだ春風の吹いている頃だったか。春から夏までの間を、それこそ飛んで行ってしまうような早さで、駆け抜けていったように思う。
各々に、色々な感情を持ちながらこの場所にいた俺達だった。その思いの果てに得た物はあったのだろうか?
本田さんは、旅谷部長は、蓮池さんは、これからどうするんだろうか。
そして、美空は、何かを見つけることができたんだろうか。
「あきとん」
「どうした?」
不意に美空が俺に声を掛けてきた。それは椅子に座ったままだったが、確固たる意志を持った声で、久しぶりに美空のこんな声を聞くな。等と思いながら、俺は美空と向き合った。
魅入られるような大きな瞳と、俺の視線がぶつかった。
「本当に、ありがとう」
そう言って、美空は深々と俺に頭を下げた。そんな風に美空に真正面から真剣に、感謝をされたのはこれが始めてではないだろうか。
「おう。俺自身も、楽しくなかった、なんて言ったら嘘になるよ」
自分のことながら、素直じゃ無いなと、苦笑いをしながら美空に言った。
「そうかい、それは、良かったよ」
「ところで、美空は、何かつかめたのか?」
美空にとって、鳥人類で飛ぶことはそれ自体が目的ではなかった筈だ。それは父親の影を追うための手段であり、鳥人類が終わった今、この目の前の天才は次の手段を考えていてもおかしくない。そんな風に、いつだって美空は自分一人で先陣を切って歩いて行く。
「そうだね……」
「ちょっと待ってくれ……」
自分から言い始めた話題を、俺は遮ってしまった。
鳥人類が終わった今、何も無ければ、俺がここに居る理由も無くなる。
そうなれば、目的も何も無く、教室で惰眠を貪って居るだけの毎日が始まってしまうんじゃないかと思った。
それが、俺は少し怖かった。
「なにを考えているのか知らないけどね、あきとん?」
会話を途中で遮った俺の顔色を伺うようにして、美空が俺に話しかけてくる。
美空の話を聞きたい。聞いてやりたい。
だけど、それを聞いてしまえば、もう後戻りが出来なくなりそうで。
俺は、何も言えなかった。
だけれど、美空の口は言葉をはき出そうと開かれる。
「僕が君を早々手放すと思っているのなら大間違いだよ?」
そういえば、美空はこういう奴だった。
勝手に人の思考を読んでくるような、そんな人間なのだ。
そして、それを理解した上で、彼女は人を引っ張り回す。
全く質が悪い。
だけれど、それが嫌だとは、どうしても思えなかった。
「どうやら僕には、ストッパー役が必要みたいでね、頼んでも良いかい?」
目線を俺に戻して、軽く微笑むようにして、美空が俺に問いかける。言葉こそ俺に選択を迫っているが、美空の目だけは、まるで結果を断定しているように、俺を真っ直ぐに見据えていた。
「いいよ、好きなところまで引っ張っていけ」
「ん」
結局、俺は何も言えずに、美空に甘えた。
本当のところを言えば、美空がどこまで行くのか、見ていたかった。俺ももう、天才に魅せられた人間だった。
もしかしたら、美空は分かっていて、俺に言ったのかも知れなかったし、はたまたそれは、偶然なのかも知れない。
「少し落ち着いたら、次はパラグライダーでもやりに行こう。もっと高い場所を、見たくなった。もしかしたら、父親も同じ気持ちだったのかも知れない。それに不思議だけど、みんなにも飛んで欲しいと、思ってしまうんだ」
そういって、美空は天を見上げた。
「なになに、楽しそうな話? だったら、あたしも行くわよ」
「お、もう次の話か?」
「パラグライダーとか聞こえましたよ?」
美空の言葉が聞こえたのか、ぞろぞろと皆が部室から出てくる。その顔はまるで、真夏の太陽のように明るい笑顔だった。どうやら、皆、美空に付いて行く気満々らしい。
鳥人類への挑戦は、終わった。
スカイアライアンスの物語は、まだ終わらない。
バードマン! 了