前口上
「よぉ、兄さん」
声をかけられ後ろを振り返ってみると、一人の男が立っていた。
健康的な日焼けした肌に、適度に鍛えられた体は、一見するとやり手の強者に見えるが、男の纏う雰囲気は小物のそれだ。
対して声をかけられたほうの青年は、色白で女性と見紛うような華奢な体格をしている。
「何のようだ」
不機嫌そうな声で答えると、男はなにが可笑しいのかニタニタと笑いだした。
「いやぁ、実は一週間前にアンタが山のような大男を殺したのを見てなぁ……」
男がそう言うと同時に物陰から三、四人の男達が出てくる。
どうやら男達は賊の類いで、声をかけてきた男は賊の頭のようだ。
「なにかの見間違いじゃないですかい? こんな細腕じゃあ、アンタの言う大男は殺せませんよ」
少し困ったように言う青年に、頭は苦笑した。
「確かに、俺も一瞬見間違いかと思ったが……確かに見たんだぜ。」
頭が、腰にさした刀を抜く。それに続いて、青年を取り囲む男達も刀を抜いたり、懐から拳銃を取り出した。
第三者が見れば、すぐに奉行所に通報しそうな光景だが、今、青年達がいる場所は路地裏。
誰一人として見ていない。
頭は余裕綽々といった風体で、こう、青年に言い放った。
「アンタ……<山姫>だろ?」
びゅうっ……と突如、怪しい風が吹いた。
頭の言葉に、青年の目が怪しく光る。
「……殺されるくらいの覚悟は、してるんだろう?」
先程とは打って変わった青年の、低く、恐ろしく、美しい声音に、男達は半歩、無意識のうちに下がる。しかし、相手は一人。自分達は五人。刀も、銃も持っている。少し離れたところには十人の仲間が待機している。
不安を抱く要素は一つもない。
一歩、男達が青年に詰め寄る。
それと同時に、分厚い雲が太陽を覆い隠す。
直後、裏路地が紅い鮮血に彩られる。
<山姫>
山奥に潜む、美しい女の妖怪とされる。
その伝承は多くあり、故にどれが真実に近いのかは定かではない。
しかしいずれも、踵にまで届く長い髪に若い女であった、という部分だけは一致している。
山姫に笑いかけられ思わず笑い返せば、生き血を吸われ死ぬという。
……とある場所に、<山姫>にまつわる一つの伝承がある。
ある日、山を三つ越えた場所にある市場に行くため、一人の男がその山を越えていた。
その男は滅多なことでは表情を変えない、木偶の坊のような男であった。
道中、あたりはすっかり暗くなり、男が仕方なく休憩をとっていると、目の前に一人の美しい、若い女が現れた。
女は言った。
「もしよろしければ、私の家で泊まっていかれてはどうでしょうか」
男はこれは有難い、そう思い、女の申し出を受けることにした。
女の家は貧しくも無く、かといって裕福でも無い、普通の家だった。
男は女に勧められるまま飯を食い、寝床で丸くなって寝た。
翌日、男は女に起こされて起きた。
「どうもありがとう。私はこれから市場へ行くのだが、もし、買ってこられるものがありましたら何か買ってきましょうか」
「いいえ、そんなこと、必要はありませぬ。ただ、帰りにまた、この家に寄って下さいませんか」
男は女の申し出を嬉々として受け入れ、また来る、そう約束して市場へと出かけた。
市場からの帰り道。
男は女との約束を思い出し、急いで女の家へと向かった。
女の家の扉を開ければ、そこには嬉しそうに微笑む女が囲炉裏の前で座っていた。
その姿に男は嬉しく思いながらも、しかしその顔は少しも笑おうとはしていなかった。
しばらくして、男と女は結ばれ、二人の間には二人の子供が生まれた。
その間、いくら女が笑いかけても、男は少しも笑おうとはしなかった。
一家は、貧しくも裕福でもなく、それでも村一番の幸せな家族として知られていった。
あるとき妻となった女が言った。
「なぜ、あなたは笑わないのか」
悲しげな表情をしながら、妻は言った。
男は、
「笑わないのではない、笑えないのだ。笑ったその瞬間、この幸せな時間が失われそうで」
男の言葉に、妻ははっと胸をつかれた。
この、夫となった愛しい人は、自分の秘密を知っている。
女は男の前で初めて涙をぽろぽろと零した。
「いつから、ですか」
泣き崩れる女の姿に心を痛めながらも、男は口を開いた。
「お前と初めて会ったあと、市場で、一人の僧侶を出会った。なんとなく、私はその僧侶にお前のことを話したのだ。すると僧侶は厳しい顔で『その女に会ってはならん。会ったとしても、決して笑いかけてはならん』と。なぜかと私が問うと、『その女は、きっと山姫だ。自分に笑みを返した人間を捕って喰う、恐ろしい鬼女よ』……と。しかし、私は信じられなかった。たった二、三言会話を交わしただけなのに、お前を疑うということが少しもできなかったのよ。
……私は僧侶の言うことを聞かずにお前の居るあの家へと向かった。そして、見てしまったのだよ。お前の後ろに、血塗られた刃物と人の骨があるのを。恐ろしかった。しかし、嬉しそうに微笑むお前を見ていると、どうしても見捨てることができなかった。だから私は、どんなに幸せでも絶対に笑ってはいけない。お前と一緒にいるために。そう決めたのだよ。」
その言葉を聞き、女はただただ涙を零した。
そして、こう言った。
「確かに、最初はあなたを喰うつもりでした。けれど、今ではあなたのことを、心の底から、深く、深くただ深く愛しております……。しかし、あなたと一緒に居ることは、もう、できませぬ。今までの二人の子は、ただの人として産まれてきてくれましたが、今、私の腹の中にある新たな命は、きっと人を、あなたを、子を、喰う」
女は、驚きの表情を浮かべた男と、その横ですやすやと寝息をたてる我が子を愛おしそうに眺めた後、姿を消した。
男とその子供の目の前に、二度と現れることはなくなった。
※後半の山姫伝承は作者による創作です
読了、ありがとうございました。
技術的にいたらない点は多々ありますが、温かい目で見守ってくだされば、と思います。
後半に出てくる山姫ですが、本当に各地に伝承があります。
本文にもあるとおり、「若い女」という部分はかわらないのですが、綺麗な十二単を着ているだとか、半裸だとか服装だけでもさまざまです。
山姫の弱点もバラバラなので、皆さんも調べてみると面白いと思います。
そして、面白いエピソード等がございましたら、作者にご一報を(笑)
誤字脱字、アドバイス等がござましたら、お教えください。
もちろん、感想もお待ちしております。