プロローグ
『本日をもって、風紀同好会の部室は無名部に明け渡しとなります』
一文綴られた飾り気のない紙を見上げ、一人不服そうな少年、妹尾李月は大きく嘆息する。やや大きめの眼鏡の奥の瞳は憤りとも取れるような強い意志があり、組まれていた腕はすっと伸び、張り出された紙を掴むと力任せにそれはくしゃりと丸められてしまった。
「無名部…怪しい…」
そして丸めた紙は風紀同好会の名に恥じぬよう、しっかりとくずかごに投げ入れられ、妹尾少年は小さく拳を掲げる。
「やっと手に入れた部室、必ず取り返してやる…!」
妖怪退治屋 黒天部!
深夜。
校内に、懐中電灯の明かりがふわりふわりと揺らいでいた。
こそこそと警備の目を逃れて進入した少年、いわずもがな今日部室の退室勧告を受けた妹尾李月。大き目のショルダーバッグに手をつっこみ、
もう皺だらけになった手帳を片手に、慣れ親しんだ部室を前にして彼は一人悩んでいた。
元々、風紀同好会はそれなりに仲がよかった友人三人と構成した部活で、出来たばかりの頃はまだ同好会に過ぎず、しかも風紀を取り締まるという一点では委員会活動。部員が集まるわけでもなく、ぽつりぽつりと活動しなくなった風紀同好会はついに廃部に追い込まれた。
李月だけは、自ら作った部活ともあり、誠心誠意挑んでいたが、それが裏目となり、様々な生徒から反感を買い、ついには孤立してしまったのだ。
廃部は免れたものの、もう戦意喪失してしまった二人は幽霊部員と成り下がり、李月は一人、部長とマジックで手書きされた椅子に腰掛けている毎日が続いた。
一生懸命活動し、ようやく与えてもらえた部室は一階のじめじめした西側の最奥。まるで倉庫のように扱われていたその一室をきれいに一人で掃除し、いつ新しい部員がやってきてもいいように整備していた。
しかし口うるさく歩き回る李月を尊敬する人物が現れるわけでもなく、顧問だった教師に先日、この部室を明け渡した部活が出来たと説明され、李月は肩を落とした。
まさか顧問と部室までに見放されるとは。
そして新しい部活とは一体何かと見に行けば、あの様だった。
顧問を問い詰めてみたが、何故だか彼は話すことを頑なに拒み、席を立ってしまった。
説明もなく、突然努力して手に入れた部室を追われた李月は納得がいかなかった。
そうして納得をさがしにやってきたのだが、
いざ今まで過ごしてきた部室を前にし、李月は萎縮していた。
果たして、この向こうの得体が知れないこの部活は何者なのか?
懐中電灯を握る手につめたい汗が滲み、李月は扉をそっと引いた。
部室は昨日追い出されたばかりだとは思えないほど激変していた。
真っ黒なカーテンが引かれた不気味な部屋は、理科室のように何故かホルマリン浸けの標本が並べられたステンレスの棚が壁際に一つ。会議室のテーブルに周りをパイプ椅子が取り囲み、実にオカルトチックな造りと変貌している。
黄色い液体に浸された動物たちを不気味げに見つめながら、李月はそろりそろりと歩き出した。やはり変な部活だ、気味が悪い。
不正をさぐりに来たものの、早々帰りたくなった李月が振り返ろうとした瞬間、内履きのつま先が、こつん、と固いものに触れて李月は立ち止まった。
「何だ?大きなこれは…棺…?!」
手でその感触を確かめながら、懐中電灯を照らす。
真ん中に十字架が施された洋風の棺は、この部屋には嫌にマッチしている。いよいよ本格的に気味が悪くなってきた李月が立ち去ろうと立ち上がった瞬間、触れていた棺が突然光を帯び、
李月はやや後ずさって尻餅をついた。
「えっ?」
中からすっと真っ白な手が伸びる。
カタン、と小さな音が鳴り中に眠っていたであろう少年がゆっくりと起き上がった。
中に人がいたこと事態が驚きであったが、更に李月の頭を混乱させる原因が彼にはあった。
「…俺……?」
棺の中の少年は座ったままの体制で、首だけを動かして李月を見つめる。端整な顔をゆっくりとほころばせ、笑む。
その優しげな表情は相対して狼狽する李月をまるで鏡で写したような瓜二つ。
懐中電灯がこぼれ落ちるのも構わず、もつれる足で悲鳴を上げた李月は走り出した。
「うわああああああっ、で、でたぁあっ」
カラン、と一回転した懐中電灯を起き上がった少年はそっと拾い上げ、忙しなく去っていた李月の背中を追うように、出て行った戸口をただ、見つめるのだった。