すべての密室はツンデレに通ず
「密室というのはだな、ツンデレなんだ」
「……は?」
先生がまた変なことを言いだした。
先生はいつも変だが、今日はとりわけ調子がいいようだ。
「『誰も入れません』『誰も出られません』と散々突っぱねておいて、
最後には『実はこうすれば開きました』と心を開く」
定規のように背を真っすぐに延ばした男性が、眼前に広がる光景を見下ろしている。
「ツンデレは、可愛い」
細められた目は爛々と光っていた。
「はぁ……」
ボクも改めて現場を眺めた。
さる高貴な御身分である夫人の寝室。
ベッドの上には遺体がそのままにされていた。
先生に言われて調べたが、
遺体に目立った外傷はなかった。
眠るように息を引き取ったのだろう。
他、部屋を見回しても争った形跡はない。
ボクは顎をしゃくり、ご夫人の遺体へと視線を戻した。
「じゃあ、これはどうやったらデレるんですか」
先生はこいつマジかとでもいうような顔をした。
「君、ツンデレの良さというのはね。
たまに見せるデレにあるんだ」
不敵に笑う。
「そんなに結論を急ぐな。せっかちなやつめ」
舌打ちが出そうになったがどうにか堪える。
彼の言う通り、この事件は一筋縄ではいかない。
屋敷の最上階。窓が一つ。扉が一つ。いずれも施錠済み。
合鍵なんてものは当然なく、鍵も部屋の中にあった。
言うまでもないが壁や床、屋根裏に秘密の通り道はない。
部屋へと続く廊下に見張り兵士が一人いたが、
怪しい人物は夜通し見ていないと証言している。
部屋の中からは、夫人の口腔内を含め、
致死性の毒物反応は一切発見されなかった。
死因は、窒息死。
密室による死。
自然死、あるいは
――殺人だ。
「ツンデレの『嫌』は、時々『はい♡』なんだ」
唐突に先生は振り返った。
成人男性から繰り出される全力「はい♡」の威圧感はひとしおだ。
「密室もそう。この部屋は『嫌』で埋め尽くされている。
でも、一か所だけ『はい♡』と答えている場所がある」
先生がにやりと唇を歪めた。
国家反逆を企てているような邪悪な顔で見定めているのは、扉。
「そこが犯人の通り道だ」
「……っ!」
ボクは弾かれたように扉へと駆け寄った。
ウォード錠は無残にもえぐり取られている。
今朝、夫人の異変を察知した家人が部屋に押し入るために壊したものだ。
鍵穴だった場所を覗くと、廊下の壁。モルタルのくすんだ灰色。
ウォード錠の鍵穴は貫通していて、広い。
内側から鍵を刺さなかったら部屋を覗き込むことが出来る。
すなわち鍵穴は“窓”だ。気体なら容易に流し込める。
例えば、ガスを鍵穴から流し込んで、部屋の酸素を奪う。
夫人が酸欠に気が付いたときには時すでに遅し。
その後、押し入るときに鍵を破壊すれば、証拠隠滅に――
「……ちなみに、君が今疑っている場所は、
本気で『嫌』と言っている。
そっとしておいてあげなさい」
「……はい」
「はい♡って言え」
「チッ」
「ンフっ」
先生は気持ち悪い鳴き声を上げるとドアノブに手を掛けた。
「生きている夫人を見た者に話を聞きに行くぞ」
「はい、先生」
◇
■見張りの兵士
「ええ、昨晩23時ぐらいにお休みになったんです。はい。
かなり体調が悪そうでフラフラと歩いておりました。
いつもはもっと夜遅くまで起きていたと記憶しております。
お声をかけても、呂律がまわっていないご様子でした。
今朝、直属のメイドが奥様を起こしに来ましたね。
まもなくメイド慌てた様子で戻ってきて、
すでに亡くなっている奥様を発見しました。
それ以前に部屋に近づいたものは旦那様以外にいません。
もちろん、自分も近づいておりませんです」
■夫人の御主人
「確かに、妻は晩酌をしてからめれんな様子だった。
月を見ながらワインを飲むのが日課だったんだ。
酌は使用人から気まぐれに指名していた。
え、アテですか。
いえ、ワインしか飲んでないはずですね。
夕食の時には、調子が悪い、なんて様子は少なくともなかったと思う。
でも、たったの2杯であんなに酔うなんて、今までなかった。
眠る前、日付が変わるくらいに扉の前で声を掛けたけど、返事はなかったよ。
他意はない。心配だっただけです。
今思えば、その時にはもう……死んでいたに違いない。
殺されたのか、それすらわからん」
■夫人と気の置けなかったメイド
「う、うぅ……。なんで、奥様が……。
はいぃ。今朝、わたしが奥様を起こしに参りました。
でも、ノックをしてもお返事が無くて、鍵もかかっている。
これはただ事ではないと思い、
兵士さんにお願いして鍵をこじ開けて貰ったんです。
そうしたら、奥様が……! ベッドで真っ白になっていらしたんです!
兵士さんは慌てて医者を呼びに行きました。
わたくしは、奥様に縋り付いて、
ワンワンと泣いていることしか出来ませんでした。
え? ワインですか?
昨晩のワインボトルはキッチンに片付けました」
◇
聞いた内容をメモ帳に記入していく。
聞けば聞くほど謎は深まるばかりだ。
夫人は23時に部屋に入った。
日付が変わる24時頃にはもう反応がなかった。
この僅か一時間で見張りの目を盗み、
どうやって扉をすり抜けたというのだろうか。
「苦戦しているようだな」
「先生」
「窓も扉も施錠。
しかも、部屋は見張られており容易には開けない。
実に模範的なツンデレだ」
出た。またツンデレ説。
部屋の遺体はすでに運び出されている。
先生は腕を組んでベッドを睥睨していた。
「さて、君ならどうアプローチする?」
『どうやって出た?』『どうやって入った?』
そんなことばかり考えているようでは、
おそらく一生、彼女は振り向いてくれない」
「じゃあ、何を考えれば?」
「なぜ彼女は、そこまで頑なに心を閉ざしているのか」
彼は枕を裏返すと、重々しく頷いた。
「密室も同じってことさ。
関係者を集めてくれ。
犯人がわかった」
「は、はいっ!」
ボクは弾かれたように部屋を飛び出した。
ダイニングルームに関係者が集まってくる。
主人、兵士、メイドの三人。
三者三様の反応で席に座った。
最後に先生。
キッチンから勝手に拝借したであろうグラスに入れられたワインを持っていた。
「いったい誰がやったんだ! 許せん!」主人が真っ赤になる。
「じ、自分はなにも知りませんよ」兵士が真っ青になる。
「ああ、そんな。奥様、奥様……」メイドが真っ白になる。
「皆様、お集まりいただきありがとう。
密室による夫人の怪死事件。
これは自然死ではなく、殺人です。
間違いありません」
席に着くなり開口一番に殺人事件だと断定。
先生はワインを一口舐めながら、
テーブルに座るボクたちを睨め付けた。
ピストルと鞭を携えて、
猛獣の巣へと殴り込みに行くような気迫だ。
全員が唾を呑み込んだ。
「だが、真相解明に移る前に、ツンデレについて講義してやろう」
ボクは額に手を当てた。
「ツ、ツンデレだって!?
そんなのはどうでもいい!
早く犯人を――」主人が声を荒げて立ち上がった。
しかし、先生は眉間に深刻な皺を寄せて制止した。
「ツンデレが、どうでもいいだと?
……なら帰る。
聞かないなら帰る。
事件も解かない」
あまりに堂々たる拗ね宣告。
そのまま荷物を持って立ち上がった。
皆があっけにとられる中で、
ボクは慌てて、
「わ、分かりました! 先生! ツンデレは重要です!」
と言うと、
先生は即座に振り返って、
「よろしい。では続けよう。ご主人もそれでよろしいか」
圧。
主人は教師に叱られた生徒のようにシュンとなった。
「……はい」
異様な空気が流れる中で、先生は満足そうにうなずいた。
何処からか持ってきた黒板の前に立ち意気揚々と話す。
これからはじまるのはツンデレ講義。
だが、まてしばし。
ツンデレというのは、すわなち。
――密室なのである。
「では聞くがいい。ツンデレにはいくつか種類がある。
まずは、偶然が重なり最悪の出会いを果たすタイプ。まだ好意はない。
次に、好意はあるが素直になれないタイプ。愛情表現が遠回しだ。
さらに、好意があることは隠しているつもりでも、観察すれば一目瞭然のタイプ。
主人公を想っているが、家の事情などで気持ちを隠し、距離を置くタイプ。
あるいは、好みの人物を演じて本心を隠すタイプ」
そして――」
彼は黒板に新しい項目を書いた。
『遠隔で殺害したにもかかわらず、室内で犯行が行われたように見せかける密室』
『被害者はまだ生存している。密室を破った瞬間に殺害し、密室殺人と思わせる密室』
「先生」
「なんだ」
「後半、密室ですよね?」
「細かいやつだな」
彼は咳払いを一つ。
「だが、もう分かっただろう。
今回のツンデレは、『密室を破った瞬間に殺害し、密室殺人と思わせるタイプ』だ」
全員が息を飲んだ。
「つまり、被害者はまだ生きていた。
殺人は夜分に行われたんじゃない。
――朝なんだ」
静寂。
誰も言葉一つ発しなかった。
「主人に質問がある。
夫人は昨晩、晩酌をしていたそうだ。
普段どれくらい飲むのかな」
「……ボトル2本くらい開けます」
「夫人はかなりの上戸だったわけだ。
夕食もしっかり食べて空腹でもなかった。
なのに、たったのグラス2杯で泥酔した。
なぜか?」
先生は顎をしゃくってボクに突き出した。
答えは歴然だ。
「薬が入っていたからです。
極めて強力な睡眠薬だった。
だから、有毒反応がでなかったんです」
先生はボクの答えに満足したようにうなずいた。
「まさしくそのとおり。
薬とアルコールの食い合わせで急激に意識朦朧となった夫人は部屋に戻る。
薬は容量を過剰に逸脱していたのだろう。
ベッドの上で仮死状態になっていたのだ。
だから、主人の呼びかけにも応じなかった」
「なる、ほど……」
額に玉汗を噴き出しながらしどろもどろに呟いた。
「兵士、貴君に聞きたい。
朝、メイドが夫人を起こしに来た時、
鍵を壊して部屋に入ったそうだな。
貴君は夫人の様子を確認したか」
「は、はい」
「夫人は死んでいたと誓えるか」
兵士は言葉に窮した。
何かを言おうとしては辞めては繰り貸す。
辛抱強く腕を組む先生は、何時までも待つぞと言わんばかりに背を預けた。
「……いえ。本当は、自分は入口近くで見ただけなので、わかりません」
「そうか。医者を呼んでくれたそうだな。
どれくらい部屋を空けた」
「五分ほどです」
「わかった」
兵士は安堵と罪悪感が入り混じった顔で頷いた。
「犯人は」先生はふぅと息を吐いた。
「部屋に入って夫人の様態を確認する必要があったのだ。
昨晩たらふく睡眠薬を飲ませたからな。
もしかしたらそのままあの世に旅立っているかもしれない。
だが、まだ息があったなら改めて始末しないといけない。
これが兵士に鍵を破壊させて押し入った理由だ。
その後の流れは簡単。
部屋になだれ込んだ犯人は、
未だ昏睡している夫人を指さして、
死んでいると声を張り上げた。
冷静さを失った兵士まんまと騙されて医師を呼びに行った。
部屋に残されたのは犯人とまだ息がある夫人。
五分間も二人きりになったんだ」
「は、犯人はどうやって妻を絞め殺したんですか」
胸元を握りしめながら絞り出す主人。
「首に跡はなかったはずですよ」
「……凶器、そうだな。凶器についてはなそう。
枕だ。
夫人の寝具である枕を抜き取って顔に押し当てたんだ。
裏にくっきりと残っていたよ。
夫人の噛み跡と、まだ湿っている唾液が。
唾液跡こそが、犯行が夜ではなく朝だった証だ。
犯行を終えた犯人は枕を元に戻し、
そのまま素知らぬ顔で部屋にいたのだよ」
主人、兵士、メイド、ボク。
テーブルに座る者たちの目を丁寧に睨んでいった先生の視線が、一点で止まった。
「これが事件の真相だ。
そうなんだろう。
――メイド」
全員の視線が集中する。
「な、何で皆さんわたくしを見るんですか……?
ち、違います。わたくしやってません!
信じてください!」
疑念。
口には出さないが、全員が同じことを思っていたと思う。
先生が机に肘をついた。
まるでウサギを狙う猛禽類のような目だ。
「メイド、最後にひとつ聞く。
夫人の最期の晩酌に付き合ったのは、お前だな?」
メイドは脅えた顔をしていた。
震えていた。
自分にそんなことは出来るわけがない。
そう言いたげに身を縮めている。
だけど、狩人は許してくれない。
銃口を突き付けるように、メイドの双眼を射抜いていた。
沈黙に堪えられなかった主人が
「何とか言ったらどうなんだ!メイド!はっきり答えなさい!」
腹痛に喘ぐようにして言った。
その瞬間。
「――そうですよ」
その声は驚くほど、落ち着いていた。醒めていた。
「で? わたくしが奥様に睡眠薬を盛った証拠はあるんですか?」
豹変だ。冷たい目。顔には表情がない。
「どうなんです? せ・ん・せ・い?」
うんざりしたような顔で先生はこめかみを掻いた。
夫人を手に掛けられたのは確かにメイドだけ。
それは明らかだろう。
しかしながら、薬に関しては憶測でしかない。
急所だ。まだ証拠は見つかっていな――
「あるぞ」
「――えっ?」
虚を突かれたようなメイドの声が聞こえなかったらボクが言っていただろう。
先生は小さくため息をつくと、ワイングラスを持ち上げて軽く舐めた。
「あると言ったんだ。
お前、ワインの残りを捨てただろ。
キッチンに澱が残っていたぞ。
そこにびっしりと薬が検出された。
初歩的なミスをしたな。
犯人はメイド、お前だ」
メイドは目を見開いた。
ワナワナと口を動かすが、声は続かない。
やがて、膝をつくように俯き肩を震わせた。
ボクはそれが観念、あるいは屈辱によるものだと思ったが、違った。
メイドは突然髪をふり乱しながら顔を上げた。
「あーーはっははは、あはっ! はぁーはっはっはっは!」
まるで狂気の役を演じているような、血気迫る笑いだった。
主人は口を堅く結び、兵士は気圧され、息を飲んで様子を見守る。
メイドはひとしきり笑うと、席を立った。
「はい。わたくしがやりました」
そして主人にとびっきりの笑顔を見せた。
「奥様をあんなに苦しめておいて、自分だけ被害者面ですか?
――愛していますよ、ご主人様。
最期の瞬間まで、わたくしを愛し続けてください」
次の瞬間、メイドは懐から包丁を取り出した。
兵士が主人を庇って躍り出る。
だが、切っ先はそこには向かない。
凶刃は両手で固く握られ、持ち主の胸の奥へと――
それと同時に、ボクはメイドに向かって飛び掛かった。
包丁を蹴り飛ばし、そのまま腕をとって床に身体を叩きつける。
肺を押しつぶされたメイドから「ぎぃ」と苦悶の喘ぎが漏れ出た。
そのまま腕を締め上げる。
「ああああああ!! 痛い痛い痛い! 放して、放せええええっ!!!」
「暴れないでください! 腕をへし折りますよ!」
「ううっ……! ううううっ……」
咽び泣くメイドから体の力みが取れていく。
もうヤケは起こさないだろう。
念の為に手を縛ったけど、抵抗する様子もない。
彼女は抜け殻のようになっていた。
あっけない幕切れだ。
敢え無くメイドは警察に引き渡されていった。
「この度はどうもありがとうございました……。
まさか、メイドがあんなことを……」
精魂尽き果てた様子の主人は何度も先生に頭を下げている。
処方箋を出す医師のような事務的な態度で先生は頷いた。
「女性の嫉妬は殺人の動機になりえます。
あのメイドはあなたとの関係をすべて破壊して、
一生消えない傷を残そうとしたのでしょう。
……あなたは今回の事件であまりに多くのものを失った。
なので、これ以上私からは何も申し上げません。
しかし責任の一端はあなたにも十分にあったことはお忘れなく」
「……はい。肝に銘じます。……重ね重ね、ありがとうございました」
主人はボクにも丁寧に頭を下げた。
「お嬢さんも……どうもありがとうございました。
まさか、あんな……あんな小さな体で、あれほどの、暴漢を……」
小さいと言われたことは癪に障ったが、まぁよしとしよう。
「いえ、これがボクの仕事ですから」
「デレも見えたことだし、さっさと帰ろうか。
今日の残りに目を向けよう。
主人、達者でな。
兵士にもよろしく」
そっけなく先生は回れ右、スタスタと歩いて行ってしまった。
ボクも主人に会釈して、後を追う。
「先生、ワインの澱ってどこにあったんですか。
いったい、いつのまに」
先生は肩をすくめた。
「さぁ? あの家のどこかにあるんじゃないか」
「……ブラフだったんですか?
そもそも、なんでワインに薬があると確信できたんですか。
まだ推測の域を出ていなかったはず――」
「ツンデレというものはね」
また始まった。
「辛抱強く寄り添わなければいけない。
どれだけ素っ気なく突っぱねられても、焦ってはいけないんだ。
そうすれば、いずれ向こうからデレる。
案外、きっかけは些細なものさ」
「……どういう意味ですか?」
先生は呆れたようにため息をついた。
「まったく。
君は私ばかり見て周りが全然見えていないな。
私がワインをもってダイニングに入ったとき。
ワインに口をつけて君たちを睨みつけたとき。
そして、一番は君に薬のことを聞いたとき。
メイドは顔に出ていた。
目が泳いだり、呼吸を乱したり、
明らかに隠し事をしている兆候だ。
それで十分だった。
薬はワインの中だ」
先生はニンマリと微笑んだ。
「密室は、必ずデレる。
予定調和だよ。
可愛いお嬢さん」
「なっ……!」
探偵の観察力を遺憾なく発揮した先生は
ここぞとばかりに頭に手を乗せてきた。
「あれ? 照れた?」
「……っ、まだ仕事中ですよ。もう」
と、ボクは急激に熱くなった顔を隠すように歩調を速めた。
跳ねのけることも出来たはずの手を、
そのままポケットに突っ込んで。
先生の歩幅に合わせていた。
(完)
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佐倉美羽




