【番外編】母の痛み
まどろむ意識が表層に上がり、やがて全身の痛みと共に覚醒する。
「……ッ」
「ナルシス!」
目の前には、俺ほどではないもののそこそこに美しい、緑の目を持つ少年の顔。自身より一つ年上の従兄弟、アドニスの姿が見えた。
彼はこちらが目を覚ますや否や、横たわる俺の体に覆い被さり強く抱きしめる。アッ、いて、いてて! 痛……やめろアドニス! どけ! 怪我人だぞ俺は。
「僕が一体、どれだけお前のことを心配したと思ってる。疾馬を盗んで一人山頂に向かうなんて、ユウマ様がいなければ、今頃お前は死んでたかもしれないんだぞ」
文句を言おうとするも、こちらを見据えるアドニスの瞳からぼろぼろと涙が溢れる様に閉口する。彼が人目もはばからず泣いてる所なんて、久しぶりに見た。
「アドニス……」
「目が覚めましたか、ナルシス」
懐かしいその声に、ばっと顔を上げる。ベッドの居並ぶ居室。入り口に佇むのは、懐かしい母の姿であった。
「は、母上! なぜここに……!?」
「……外では父か、フラミスと呼びなさい。全く、お前はいくつになっても子供のようだね」
そう言って母、フラミスは目を細めてこちらを見やる。久しく見る彼の顔。胸中に洪水の如く数多の感情が来去し、その中にぽつりと残った感情の赴くまま言葉を紡ぐ。
「あ、貴方に、そう言われる筋合いは。俺はもう。母上の子じゃない」
「……なぜそんな悲しい事を言うのです」
「母上……フラミス様は、俺を自らの身代わりにグロースの家にやったのだと使用人らが噂していました。家を出て父に嫁ぐ条件として、『天の魔力を持つ子が産まれたらグロースに引き渡す』という祖の誓約を、兄たる当主様と交わしたのだと」
自分で言っていてなお、胸の張り裂ける想いだった。俺は父のことも、母のことも。兄上や姉上のことも愛していた。それなのに産まれる前より決まっていた、身勝手な大人達の都合で家族との仲を引き裂かれた事実がただ、たまらなく悲しかったのだ。
フラミスはしばし無言であった。やがてゆっくりと、その桜色の唇を開き言葉を紡ぐ。
「我が兄アラミスとの、祖の誓約の話が出ていたのは事実です」
「……」
「ですが私はそれを一蹴し、強引にヴァリエ王国のペーリエ家への輿入れを強行した。故に兄は激怒し、私をグロースの家から排除した上で、領内への立ち入りも禁じました」
「え……でしたら母上、なぜ私をグロース家に」
「それは単純に、お前の素行があまりに目に余るものだったからです」
母フラミスのあまりに率直な物言いに、俺は絶句する。隣のアドニスは「その通りだ」と言わんばかりの目をこちらに向けている。全くもって心外だ。
「ナルシス。お前の軽挙妄動な振る舞いそのものは、年齢ゆえまだ看過されるものでした。しかしお前がシュルツ王子に懸想し、あまつさえ公の場でそれを吹聴したのが良くなかった。一部の者は、稀有な天の魔力とグロースの後ろ盾に目が眩み、幼子の戯言を本気に受け取った」
「よ、良いじゃありませんか母上! 私は本気でシュルツ様のことを愛しているのです!」
「それをよく思わぬ者共が、何度かお前の元に刺客を送り込んでいたとしてもですか?」
一瞬、母フラミスの目が見たこともないほど鋭く険しいものへと変わる。
「っ……」
「私はヴァリエの国内にお前を留めるより、自らの生家に預けた方が良いと判断し、兄もまたそれを了承しました。それだけの話です……ナルシス。お前はまだ子供だから分かるまいと、真実を打ち明けなかった私にも非があります」
「母上」
「お前は私の大切な子供。住む国が違えど、子を想う気持ちは変わりません。そうして今この場にも、私の他にお前の身を案じてくれている者がいる」
母の目が、隣のアドニスに向く。先ほどの彼の涙を思い出し、俺は俯く。
「お前はもっと、自らを大切に思う周りの者達に目を向けなさい。受けた優しさの分だけ誰かを思いやり、報いるための思慮深さをお前は身につけねばなりません」
「……はい」
「フラミス様」
「ええ、分かっておりますアドニス殿。ナルシスには今より、緊急治療魔法を施しましょう」
「え、緊急治療……」
その単語に、思わず自身の口端が引き攣る。
緊急治療魔法。水属性の上位に位置する魔法であり、受けた体の傷を一瞬にして治す奇跡の御業。しかしその代償として。
「お前が単身死地に赴き怪我を負ったと聞いた時、私は正しく肝の冷える思いをしました。そんな母の心の痛みを、お前にも今一度理解して欲しいのです」
「ア、アドニス。たすけ……」
「フラミス様の言う通りだ、ナルシス。これを機にお前はちゃんと心を入れ替えた方が良い。歯を食いしばれ」
アドニスに手首を押さえつけられ、母がコツコツと足音を響かせ自身の元へと歩み寄る。
一説によると、緊急治癒魔法はその強力な効果の代償に、傷を受けた時のおよそ倍の痛みが全身を襲うのだという。
「アッ、あ、ウワああぁーーーーーー!!!」




