♯5,君と窓下
一応自分の中で一章終了って感じですかね。
今回は次章への繋ぎと一章の総集編みたいな物です。
5月末、体育祭の熱が校庭に残っているかのような日差しの下、
俺は初めて登校時間ギリギリに下駄箱にたどり着いた。
自教室の窓には空いた俺の席と、その前に座る黒井の姿がうかがえた。
都立海呑高等学校、俺の通うこの高校には秘密が有る。
大まかに言うと海呑とは偽名であり、本来の名前は国立特定問題児更生推進所である。
日本が問題視している引きこもりやいじめの問題を改正するまでの間、過去の事例によって社会復帰が難しくなったと考える児童を再び社会に出す為のカウンセラーだった。
そのカウンセラーの事実的トップが、この学校の養護教諭である矢部治美だ。
私立高校を作ろうと思っていた元理事長が矢部の存在を知り、
様々な面で通常の登校は難しいと判断された生徒を集めるようになった。
ただ、当然のごとく通常の登校が難しい生徒を集めたって不登校は治らないし、問題は積み重なるばかり。
結果私立特定児童改正高校は、たった五年あまりで都立海呑高校へと移り変わった。
現理事長は元理事長の弟で、矢部も継続している為影では未だ同じような事を続けているらしい。
そのため、この学校には過去にいじめを受けていた生徒も少なくない。
不登校になっている人も多いが、黒井心のように元気に登校している人も居る。
これだけ聞けば、被害者の気持ちが分かる平和な学校と感じるかもしれない。
然し、一つ断言しておこう。
この世で最も恐ろしい加害者は、根っからのサディストやサイコパスの類では無く、被害者だった者である。と。
既に臭う扉をスライドし、俺はまた此処を訪れた。
今日は放課後や休み時間では無く、朝イチに。
保健室の中ではいつも通り煙を吹かす矢部治美の姿があった。
矢部は目が合うと、あたかも予想通りと言わんばかりのドヤ顔を含んだ笑みを溢し
「やぁ、宮古君。まるで鍵が壊された下駄箱の上履きが消え、代わりと言わんばかりの思いを込められた落書きやら、悪口の書かれた紙でも貼ってあったから教室行きにくくて保健室に朝から来たようだけど、何かあったのかい?」
すげぇな、こいつ。もはやお前があれやってるレベルだろ。
相手の行動の理由が瞬時にわかるというのは、カウンセラーとしての才能は凄まじいが、ここまで来ると変態の類だ。
「何かはあったが、本題はそれじゃない。伝えることができてな。」
「ん?なんだい?」
優雅にコーヒーを啜り足を組んでいる。
いつも黒のタイツを履いている矢部だが、今日は暑いからか脱いでいるようだ。
それ、絶対他の男子の前でやらないほうが良いな。
30超えた生脚に需要があるかは知らないが。
「俺、暫く登校しないから。」
と3秒の静寂の後、矢部の指の力がコーヒーの重みに負け、
カップが床にぶつかる甲高い音が反響した。
「は…?」
という間抜けた声を添えて。
もし矢部がメガネを掛けていたら、間違いなく右側がずれて落ちているだろう。
「じゃあ、俺バイト行ってくるんで。」
「待て待て待て!」
去りゆく俺の背中に手を伸ばし、矢部が今までに無い程慌てて声を張った。
「なんだそのナメた発言と態度!?私一応教師だぞ!?」
「そうですね。」
「そうですね。って!?なんだ?いざ自分が被害者になったら不登校に成るのか!?あんなに説教垂れていたのに!?」
何にそんな慌てるのかわからないな。
「取り敢えず一旦は今のA組を継続させときたいからな。
黒井がいい感じで馴染んだら復帰するから、頃合いになってたら連絡してくれ。」
「いやいや、それじゃあ一番の問題が解決しないだろう?」
一番の問題?確かにA組全員の統率は取れないが、それは然程問題では…
「私が暇になるだろう!?」
「さよなら。」
入った時より早く強くドアを閉め、何か訴えている矢部を無視して俺は帰路についた。
バイト終わり、俺はあの公園をあえて避けるように家に帰っていた。
黒井と連絡先を交換していなかったのが幸となった。
重平から橋李に情報が漏れる可能性も十分にあり得るが、十中八九今回の件で俺を一番嫌うのは橋李である筈なので、そんな事は起こり得ないだろう。
家のドアを開けるとそこだけはいつも通りの光景だった。
「兄さん、お帰り。」
「凌、ただいま。」
宮古凌。俺の弟である。
俺と違い頭も良く、運動もできる。
今日は凌が夕飯を担当する日の為、いい匂いが玄関まで漂っている。
靴を脱いでリビングへ向かおうとすると、
「兄さん、今日学校行ってないよね?」
矢部と言い、凌と言い、俺の周りには勘の良いヤツが多い。
「酷い言いようだな。確かに俺は授業を完全に受けきった事は多くないが、流石に学校を休む程では…」
「いや、その…こんな事言いたくないんだけどね」
なんだ?凌の事だから何か確信を持っているかと思った。
何故言い淀むのだろうか?
俺は考えながらもリビングに移動し、荷物を整理していた。
「その…いつものが無いから。」
いつもの。とは面倒な常連気取りみたいな事を言うな。
「まぁ、そんな事は置いといて。その荷物もそうだよ。
兄さんは置き勉しないから教科の荷物をその日の順番事にいれるでしょ?昨日の夜と順番が変わってない。本当に学校に行っていれば癖で使った教科は背中側に移動するからね。」
よく観察してるな。
超記憶症候群とはいえ、流石だ。
いつもの。とはズボンに巻き込まれたシャツのシワのことだろうか?
確かにバイトではその店の制服を着る為、いつもより学校の制服を着る時間は少なかった。
とはいえ、そんなものでわかるだろうか。
「まぁそんなことより、夕飯にしよ。兄さん。」
「あぁ。そういえば美琴は?」
基本はリビングで黒丸と遊んでいるか、宿題をしているはずなのだが。
「寝室じゃないかな?さっき呼んだから好きなときに来ると思うよ。」
それなら別に良いか。
美琴は10歳でまだ幼いと言え女の子だ。
あまり部屋には入って欲しくないだろう。
俺と凌は3人分の夕飯の準備をし、食べ始めた。
「で、兄さん。何で学校行かなかったの?」
まだ一口目を運んでいる途中だったが、いきなりだな。
「色々あったんだよ。何せあの学校だ。」
「隠さないでよ。兄さんの事だから、どうせ面倒事に首突っ込んで、トカゲの尻尾みたいにその首切ってきたんでしょ?」
俺、弟から自殺願望のある爬虫類だと思われていたのか。
「まぁお前は俺より頭いいし、もしかしたら現状を打開する最適解が出るかもしれないか。」
俺はこの凡そ二ヶ月の出来事を話した。
黒井が中学時代のイジメにより、父親からの虐待が発見出来なかった事。
その後は母親からも虐待を受けていた事。
高校で主犯の逢川愛依と再開した事。
逢川が黒井に直接被害が出ないイジメに近い事をし、それを第三者に密告させ、教師に黒井を調べさせようとした事。
二人が和解したこと。それによって黒井が母親と向き合う事になった事。その後は親戚の所へ行ったこと。
逢川が計画を伝えていなかった為、本気で黒井のイジメを行っていた者たちが居たこと。
その二つの派閥を和解させるため、体育祭を成功させようと橋李虎古が奮闘していた事。
俺がA組の共通の敵となり、クラスが纏まるようにした事。
「成る程、だったら兄さんは大分道を間違えたわけだ。」
「勝手に納得しないでくれ、いつ俺達は以心伝心したんだ?」
というか道を間違えた事ぐらい、今の現状を考えたら…
「兄さんは、真っ先に黒井心と関係を断つべきだった。」
…………
は?
いや、どういう事だ?
俺はてっきり体育祭のことについて言われる物かと。
そんな俺の回転する脳を置き去りに、凌は自分の考えをつらつらと述べ始める。
「理由は大まかに三つ有るよ。
一つ目は、黒井心が余りにも早く母親から逃げれた事。」
確かにたった三日近くで長期間虐待を行っていた母親から逃げられるだろうか。
「ついでに親戚の家が学校に近いって言うこと。
そんなにアクセスし易いなら、真っ先にそこを頼るべきだ。
あくまでも、黒井心が悲劇のヒロインであるなら。」
そう言われると、確かにおかしな話だ。
これではまるで、黒井が自ら虐待を望んでいたみたいだ。
その時俺が思い出したのは、黒井がイジメを容認し続けていたというセリフ。
これは母親の事も含めていたのだろうか。
「二つ目は、体育祭で黒井心の上履きが消えた事。」
「それに関しては俺もよく分からないんだ。あの状況で黒井を狙う事も、何故一回で終了したのかも。」
それとも凌はその理由すら俺から話を聞いただけで分かった。とでも言うのだろうか。
「多分…というかほぼ確実に、それは黒井心の自作自演だね。」
「ちょっと待ってくれ?」
黒井が自らイジメの再発を連想させる事をした?
何故?黒井にメリットが有るようには一切感じない。
「えっとね、多分ね、その黒井…?って人は律君の事が好きなんじゃないかな?」
下から不意に現れた幼い少女の声の正体は
「美琴、ただいま。」
いや、ただいまじゃくて。何か今とんでもないこと言わなかったか?
「だってね、自分を助けてくれたヒーローみたいな人が別の人を助けようとしたらね、嫌なんじゃないかな?」
どうやら今来たのではなく、割と初めから居たらしい。
「美琴、それは黒井心が被害者で在るという前提が必要だ。」
空かさず凌が反論するが、問題はそこか?
「美琴ぜんてー、なんて難しい事言われても知りません。」
待て。だから大事なのは、前提がどうこうでは無くないか?
「そもそも黒井心が兄さんに好意を寄せていたとしても…」
「そんなの良いじゃん。女の子は恋に生きるの!」
「ちょっと待とうか!?」
二人がまるでいきなり大声を上げて、「この人は何がしたいんだ?」みたいな顔をしている。
「俺が黒井に好かれてる訳無くないか?」
「…」
「…」
おい何だこの空気。
何で二人は「こいつ何時鈍感力高めたんだ?」みたいになってんだ?
変な顔をしながらも、凌が口を開く。
「だって兄さん。黒井心の言葉が鮮明に分かったんでしょ?」
「それが何だって…」
「まぁそんな事はどうでもよくて。」
食い気味に遮られた。
「もう一人危険な人がいるね。」
俺としては納得出来ないが、ここは凌に任せるとしよう。
「逢川愛依。今回の騒動ももしかしたらその人の狙い通りなのかもね。」
さっきから頭が痛くなるばかりだ。
黒井に続き逢川までも?
「逢川はどう考えても白だろ。あいつが何か企んでる様には見えない。」
確かに逢川の伝達ミスによって体育祭が複雑になったのは確かだ。だが、そこは俺がフォローした筈。
「逢川愛依の目的は、兄さんと黒井心を離れさせることだったんじゃ無いかな?」
凌はスイッチが入っているようで、全く夕飯を食べようとしない。
一方美琴は、見ていて気持ちが良いくらい食いついている。
美琴の口元を拭いつつ、俺は思考を回す。
暫く待っていた凌だったが、タイムアップらしい。
「逢川愛依の目的が自分の行動を教師に伝えることなら、絶対にその計画を伝えるべきで無い人物が居るよね?」
教師にクラスのイジメを報告する。
かなり勇気がいる行動だろう。
性格面での優等生。ならば答えは一人だけだ。
「橋李には、伝えちゃ駄目なのか…」
頭の良さで言うなら、恋澄が圧倒的だが、
あいつがそんなことをするとは思えない。
確かに逢川の狙いを達成するには、橋李には協力してもらうより利用する方が良い。
そもそも、単純に橋李に頼めば良かったんじゃ無いのか?
何故あのとき教師に逢川の計画を密告したのが、
橋李ではなく、隣のクラスの三木だったのか。
「答えは、逢川愛依が善人である為だよ。
冷静に考えてみて。入学早々そんな人の人生を大きく変える計画を話せる友人ができると思う?」
「そうか、橋李という優等生を巻き込めばある程度の信頼を得られる。」
だから橋李には伝える必要があった。
他の人にはある程度二人の仲が良くなってから。
でも、それの何処に問題があるのだろうか。
これだけでは単純に逢川が自分の立場を守りつつ行動しただけの事。
逢川を危険人物と判断するには流石に早計だ。
「これの何が危ないのか。そう思ってるよね?」
当たりだが、流石にそこまで分かると気味が悪いな。
「逢川愛依は、これを入学初日。つまり、黒井心を目撃して直ぐに計画したということ。」
そりゃ逢川がそこまで頭のキレる人物だと言われればびっくりだが。
「そんな人物が自分のせいで起こった事件を自分で解決しようとしなかった。これがどう言うことか、」
「逢川は、俺がこうなる事を分かった上で放置した?」
まさかとは思うが。しかし凌が間違っているとも思えない。
「気をつけた方が良い。でも多分ね予想が当たるなら…」
「とうした?やけに渋っているな。」
「逢川愛依は、退学する。」
予定が崩れなければこれからは黒井が物語の中心になります。
まぁ鈴音と君のソナタを順番に投稿していくつもりなので
多分次回は少し先になります。