第91話 日和るな
「うむうむ、貴様なら絶対に適合できると信じておったぞ。わらわの期待通りじゃ」
マカは目玉をえぐった直後とは思えないほど、とてもニコニコして理人に頬ずりをする。
すでに血は止まっているし、痛みもない。
それくらいの力は残っている。
なお、理人はまだ激痛にさいなまれている模様。
顔を青白くさせて脂汗を浮かばせているが、悲鳴を発しなくなったのは、とんでもない精神力である。
「お前、俺に目玉突っ込んだ時、『さて、どっちじゃ……』とか言っていなかった? 少なくとも五分五分だと思っていただろ」
「はれ? そんなこと言ったかの?」
んー? と首をかしげるマカ。
イラっとした。
「あと、熱くはないけど熱い気がするから絡みつくのは止めろ。なんか重たい感じもするし」
「感触だけ戻しておいた。喜べ、男」
「この状況で性欲にぶっちぎれるほど、俺も男じゃなかったみたいだ」
意地悪そうに笑うマカに対して、理人ははっと鼻で笑った。
基本的に思念体である彼女だが、今は多少実体を取り戻させていた。
それくらいができる程度には、封印も弱まってきているようだ。
グラビアアイドルでも見たことがないような前に突き出た豊満な胸だが、それを押し付けられても何とも思わない。
というか、普通に目が痛い。
鬱陶しいし、むかつく。
「で、結局お前は俺に何をしたんだ? 全然説明もないから、ただ痛めつけられただけみたいなんだけど」
「力が欲しいかと言っただろう。貴様にわらわの力を与えたのじゃ」
「力……?」
もっと詳しく聞こうとしたとき、硬い石の地面を踏みしめる足音が聞こえてくる。
やってきたのは、ミムリスに雇われている男であった。
手には、粗雑な皿とその上に異臭を放つものが乗ってある。
あれが料理とは、さすがの理人も言いたくはなかった。
「ほら、飯だ」
そう言って、乱雑に地面に置く男。
皿の上のものが飛び散って、地面にへばりつく。
この狭苦しい地下牢が臭いのって、これも理由の一つかとマカは顔をゆがめた。
「しかし、まあお前ってなんで生きているんだ?」
普段は何も語らず去っていく男だが、明らかに見下した目を理人に向けながら囁いた。
顔を見れば、険しい。
何か仕事中に嫌なことでもあって、その八つ当たりをしているのだろうと理人は思った。
絶対に反撃してこないから、サンドバックにはちょうどいいのだろう。
無論、右から左に聞き流しているので、理人は何とも思っていないが。
「こんな残飯以下の飯を食って、あの女に痛めつけられて……何が楽しくて生きているんだよ。俺だったら、こんな目に合うくらいなら死ぬね。どんだけ命が惜しいんだよ。ここまで来ると、みっともないを通り越して哀れだわ」
偉そうに死に関して語っている男だが、実際に死に直面すれば、どう反応するかは分からない。
人間なんてそんなものだ。
自分が言われているわけではないのだが、死後は自分のものになるものをバカにされて、マカは額に青筋を浮かべていた。
「ほれ、好き勝手言っておるぞ。殺してしまえ」
「いや、別にいいんじゃないか? よく分からん奴に何を言われても響かないし」
コソコソと話をする二人。
男は言葉攻めで満足しているのか、目を瞑りながら話し続けているため、気づいていない。
「デモンストレーションじゃ。貴様が死後わらわのものになるという対価に、相応のものを与える。それが契約じゃ」
「おら!」
それでも面倒くさいなあと理人が思っていると、動けない彼を男が蹴り飛ばした。
この程度の痛みなら、ミムリスから何度も貰っているから悲鳴を上げることはないが、痛いものは痛い。
大の男に蹴られるのだから、それも当然だ。
見上げれば、男が心底楽しそうに笑っていた。
「あー、ストレス解消にお前みたいなバカがいてくれるのはありがたいかもな。お前、普段からボロボロだし、多少傷を負っていても気づかれないだろ。仕事をしていたら結構しんどいことばっかでな。発散させてくれよ」
一方で、どんどんと不機嫌になっているのがマカである。
死後は自分のものになる所有物に、何をしてくれているのか。
理人の耳元で、呪詛のように囁く。
「ほれ、殺せ殺せ。身の程を弁えず、自分が優位な立場にいると確信している愚か者を殺せ。殺せ、殺せ、殺せ」
この期に及んでも、理人は目の前の男に怒りも恨みもなかった。
だが、本来の力の持ち主であるマカに唆されたことによって、彼女から強制的に移された目が輝いた。
再度理人を痛めつけようと、拳を振り上げていた男。
「ぐぎっ?」
その拳が、雑巾でも絞ったかのようにグニャグニャになっていたことで、ポカンと口を開ける。
理解してから襲い来る激痛に、理人と違って大きな悲鳴を上げる。
「な、何で俺の身体がこんな……!? だ、誰だ、止めてくれ、助けてくれ!」
腕だけではない。
そこからどんどんと侵食していくかのように、足や胴体や首がねじ曲がっていき……。
「あああああああああああっ!!」
最後には、人間の質量とは思えないほど小さくまとめられた死体が出来上がった。
それを間近で見せられて、全力で引く理人。
一方で、マカは褒めてほしい子犬のように、キャッキャッとはしゃいでいる。
「どうじゃどうじゃ!? わらわの力、凄かろう?」
「……見ただけで死んだんだけど。しかも、えげつない死に方で。お前、こんなやばい力を与えまくっていたのかよ」
「いや、わらわの身体の一部を分け与えたからこその力じゃ。今までの人間には、これほどの力は与えられておらん」
誰でも彼でもこんな強大な力を渡していたわけではない。
今回、理人はマカの眼を受け取ったからこそ、これだけの力があるのだ。
「で、どうじゃ? この力を使って、好き放題したくなったじゃろう?」
「好き勝手って……。ただ、まあ……」
楽しそうに問いかけてくるマカ。
人間が欲望のままに行動するのは好きだ。
質問を受けた理人は、少し考えて……口を開いた。
「――――――これだけの力があれば、この世界を変えることができるかもしれないな」
◆
「さて、今日も美味しいご飯を頂こうと思ってきたのだけれど」
ミムリスは地下牢にて、不機嫌そうに顔をゆがめていた。
視線の先には、なぜか鎖につながれていない理人の姿があった。
「これは、どういうことかしら? ねえ、リヒト?」
「……どういうことでしょう」
「日和るな」
ギロリと睨みつけてくるミムリスにそっと目をそらす理人。
そんな彼を、マカが呆れたように見るのであった。




