第74話 今までありがとう、姫様
「かはっ……」
口から血を吐き出すベアトリーチェ。
本来、王女である彼女が誰かに傷つけられて口から血を吐くなんて、ありえないことだ。
しかし、実際にそれは起きているし、それを引き起こしたのが、彼女の側近というのも事実だった。
「あー、ごめんね。勘違いしないでほしいんだけど、僕って姫様のこと好きだよ? あれだけ長く一緒にいたから、そりゃ情も移るよね」
ユーキ……もとい、雪は苦々しそうに顔をゆがめている。
ずっと騙してきた相手を切り捨てられた喜びは、そこにはなかった。
決して楽しみや面白みを見出しているわけではないことが分かる。
だが、後悔はしていなかった。
それは、刺された本人であるベアトリーチェが、彼女を観察して分かったことだ。
「でも、君たちが悪いんだから。僕たちは悪くないんだよ。ちゃんと地獄で反省してね?」
「ま、さか……あなたが……」
「えーと、どっちの意味だろう? 僕が転移者だったのが意外だったのか、裏切ったのが意外だったのか」
雪はそう言って笑った。
今まで隠してきたことを暴露するのは、楽しかった。
ベアトリーチェを刺したことに悦びは覚えなかったが、こちらは自慢するように雪が話し始めた。
「転移者って隠すのは、意外と簡単だったよ。この世界って、戸籍とかないから、隠そうと思えば出自ってほとんど完璧に隠せるんだよね。まあ、過去を知っている人間がいたら、その人にばらされる可能性もあるんだけど……。僕が転移者って知っている人は、仲間以外皆殺しにしているから、ばれる要素がないんだよね」
当然のことながら、転移者と知っていたのは彼女を【飼っていた】連中である。
人間をそのように表現する時点でろくでもない連中であったことが分かる。
とはいえ、雪はしっかり彼らに復讐済みだ。
当然許す気には微塵もなれていないが、怒りで我を忘れるというようなことはなくなっていた。
「あとは、適当に孤児という形で冒険者になって、そこで活躍して騎士に引き上げられて……姫様に拾われたってわけ。ある程度国や世界の情報を集められる地位まで行かないといけなかったんだけど、まさか王女の側近になれるとは思っていなかったよ。ありがとね、姫様。そのおかげで、禍津會にいろいろな情報を伝えることができた」
「…………」
ベアトリーチェは言葉を返すことができなかった。
さすがの彼女でも、この事態を飲み込むのには少しばかり時間がかかる。
まあ、少しという時間だけで解決しようとしているのが、ベアトリーチェの異常性を物語っているが。
「で、今度は裏切った理由だけど……これは長ったらしく話さなくても分かるよね? 姫様なら」
無論、復讐である。
この世界に対して、人間たちに対して。
禍津會のほぼすべての構成員の動機は、これ以外にない。
ベアトリーチェも当然理解していたし、この社会構造を受け入れ維持しようとしていた自分に対してならば、より強い恨みを抱かれても不思議ではないと思っていた。
案外雪はベアトリーチェには怒りを抱いていないようなのが意外だった。
「はあ……。あれだけ、転移者のことを、嫌っていたあなたが、まさかその本人だとは思っていませんでした」
「え、そんなに喋れるの? こわ……」
胸を刺したのに平然としゃべり始めるベアトリーチェに戦慄する雪。
まあ、もう死ぬからいいか、と気を取り直して最後の会話を楽しむことにした。
「ああ、あれは転移者と見破られないための嘘、ってわけじゃないよ。本当に僕は転移者が嫌いだ。自分で自分を助けようとしないっていう言葉が前につく転移者がね」
嘘をついていたら、ベアトリーチェには見破られていたかもしれない。
だから、転移者が嫌いだというのは真実だった。
「僕もかなりひどい目にあったけど、それでも自分で何とかしようと徹底的に足掻いたよ。その分、徹底的に痛めつけられたけど。それに、最終的にはリーダーに助けてもらったんだけどね」
偉そうなことを言っていても、結局は他人に助けられたと言われればそれまでだ。
だが、もし自分が何もしていなかったら、おそらく助けはなかっただろう。
雪はそう思っていた。
「だからこそ、誰かに助けてもらうのを待っているだけ。そして、そのまま死んでしまう転移者が嫌いだよ」
「な、るほど……」
ベアトリーチェの声が小さくなる。
それは、彼女の余命が短いことを表していた。
「あー、そんなに喋るから、命が縮まったんじゃない? どうする? 介錯しようか?」
「結構、です」
「そっか。じゃあ、僕はもういられないし、行くね。今までありがとう、姫様。楽しかったよ」
最後にひらひらと手を振ると、雪は本当に去っていった。
「そう、ですか……」
せっかく有能な手ごまだと思っていたのに、まさか噛みつかれるとは思わなかった。
ベアトリーチェは、思わず自嘲する。
「はあ……こんなことに、なるとは……想定していません、でしたね……」
ベアトリーチェは最後にそう言うと、小さく笑って、動かなくなった。
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