第60話 ぽぇ?
あれからユーキと接触を持つようになったベアトリーチェ。
まだルドルフに取り込まれておらず、卓越した能力を持つ女騎士。
喉から手が出るほど欲しかった強大な暴力装置として、目をつけた。
しかし、まだ完全に取り込むに至っていない。
まず、ユーキの求めることがいまいちよくわからないこと。
金でもないし、地位や名誉でもない。
何を求めているか分からなければ、対価を提示しようがない。
加えて、彼女は代々騎士というような由緒正しき家系とかではなく、叩き上げである。
そんな彼女をいきなり王女の護衛にしようとすると、角が立つ。
そういった理由があって、顔見知り程度だった。
そんなベアトリーチェは、何と王城の外に出ていた。
それも、外国とこれから一戦を交えようとする戦場に。
あまりにも不相応な場所にいる彼女に、ユーキは目を丸くした。
「あれ、姫様。どうしてここにいるの? 姫様って戦えたっけ?」
「いいえ、まったく戦えません。子供と殴り合っても負けるでしょう」
「う、うん。姫様が子供と殴り合いって、何が原因なのかすっごく気になる。ついでに、それでも負けちゃうんだ……」
何でもないように平然と言う王女に、ユーキも頬を引きつらせる。
ベアトリーチェも愚かではないので、自分の興味や好奇心でここまで出てきたわけではないだろうが……。
「だから、あなたには期待していますよ。私に危険が及ばないように頑張ってください」
「うん、まあ適当に頑張るよ。ところで、何でここに?」
「今回の作戦を主導する貴族の方が、私を呼んでくださったのです」
目をパチクリと開かせるユーキ。
この外国との一戦は、とある大貴族を大将としている。
無論、軍の最高指揮官は国王であるが、そんな重要人物がほいほいと最前線に出るはずもない。
その大貴族だが、実は跡取りの息子にベアトリーチェを嫁として迎えさせたい意向が伝えられており、かなり有力な夫候補になっていた。
基本的には外国の王族に嫁入りして同盟関係を作ろうとするのがルドルフの考え方のようだが、国内の体制を盤石のものにするために、大貴族と婚姻を結ぶというのも悪い選択肢ではない。
……ということらしいが、自分の意思が一切介在しないことに、ベアトリーチェは辟易としていた。
「え、戦場に? 危なくない?」
「危ないですねぇ……」
ため息をつくベアトリーチェ。
「ですが、かなり位も高い貴族の強い要望なので、むげにできないのです。まあ、万が一のことがあれば、外交上の強い武器を失うことにはなりますが、次代の王を失うわけではないですから、父も兄も了承したのでしょうね。天秤にかけて、貴族からの支援を取ったのでしょう」
大貴族の方からすると、良い所を見せようというのが主要因だ。
王女獲得レースで大きく前進したいという想いもあるのだろう。
さらに、万が一のことがあったとしても、王女という立場上、外国からあんまりな対応をされることはない。
まだ小競り合いで済んでいるものが、全面戦争になりかねないからだ。
そもそも、他国の王族をないがしろにする国など、別の国々からもよく思われない。
億が一ベアトリーチェが倒れることがあったとしても、王国を継ぐ者がいなくなるわけではないので、彼女は派遣されてきたのである。
「あながち、何かあった方がいいとお兄様は思っているかもしれませんが」
「そこらへんは難しいから分かるつもりないよ」
関わりたくないと手をひらひら振るユーキ。
そんな彼女に、ベアトリーチェは優しく笑みを浮かべる。
「ともかく、あなたは頑張ってくださいということです。大きな功績を上げてくれれば、私も動きやすいですから」
「ん? なんだかよくわからないけど、分かったよ」
功績を上げてくれれば、一気に引き上げることができる。
さすがに一度の功績で上げることはできないだろうが、何度か繰り返して失敗しなければ……。
ベアトリーチェはようやくできる子飼いの暴力装置に、笑みを隠せなかった。
◆
「まさかこんなことになるなんて……」
ため息をつくベアトリーチェ。
いや、想定はしていた。
しかし、まさか起きないであろうという非常に限りなくこの上なく低い可能性だと思っていた。
とはいえ、残念なことに、実際に起きてしまったのは、その低い可能性の想定だった。
敗北。
王国軍は、外国軍に敗北してしまったのだ。
それも、劣勢や局所的な敗北というわけではなく、がっつり完敗である。
大将は貴族の子息であったが、間違いなくそれよりも大切な存在がベアトリーチェ。
そんな彼女が、敵国に捕らえられているという時点で、どれほどひどい敗北なのかが分かるだろう。
「ベアトリーチェ王女殿下とお見受けする。無駄な抵抗はせず、大人しく従っていただきたい。こちらも手荒な真似をするのは、本意ではない」
「ええ、分かっています」
連行されていくベアトリーチェは従順だ。
まあ、この状況で無駄に抗っても、何もいいことはない。
逃げ切れる自信があるならまだしも、もちろんそんなことはないからだ。
「ふうむ、さすがに噂に名高い姫君。美しいな」
連れていかれた先にいたのは、敵国の指揮官。
舐め回すような視線が向けられるが、ベアトリーチェは一切不快感を出さずに笑みをこぼす。
彼女の美しさは、諸外国の間でも有名だった。
「丁重に扱っていただいて感謝します」
「我が国はそちらと違って文明国だから、普通の待遇はさせてもらうさ。しかし、貴国の指揮官の情けないことよ。あの逃げっぷりは、一生の笑い話になる」
「…………」
ベアトリーチェは何も言い返さない。
自分に良い所を見せようと無理に引っ張ってきたにもかかわらず、危険だと見るやすぐに逃げ出した貴族の子息。
指揮官の言うことは、まったく間違っていないからだ。
自分の夫候補からは完全に脱落したな、と思う。
「さて、せっかくだから、少し酒を入れながら話でもしようじゃないか。無論、私が虐待などをするつもりはない。だが、色々と協力的ならば、便宜も図ってやれると思うが……」
「(はずれですね)」
虐待をするつもりはないようだが……。
好色な目は、ベアトリーチェにも伝わってきていた。
本来なら決して手の届かないところにいるベアトリーチェ。
それを少しの間、やりすぎない程度に好きにしようというのだろう。
まあ、捕まってしまった以上、そういうことは覚悟していた。
ため息をつきたくなるのを我慢しながら、彼女は頷いた。
「ええ、お酌くらいならさせていただきますよ」
「王女に酌をさせるか。私も運がいいな。では、さっそく……」
「失礼します!」
華奢な肩を抱き寄せようとしたところ、兵士が飛び込んでくる。
お楽しみを邪魔されたことで、指揮官は露骨に機嫌を悪くする。
「……なんだ? 今、私は忙しい。殿下の接待をせねばならんからな。あとにしろ」
「一大事です!」
かたくなに引こうとしない兵士に、さすがの指揮官も眉を顰める。
ここには敵国の王女であるベアトリーチェもいるが、そんなことを気にする余裕もないようだった。
「お、王国の女騎士が、たった一人で突っ込んできました!」
「ぽぇ?」
不思議な声が、ベアトリーチェの喉から出てきた。




