第58話 王子と王女
俺はフラフラになりながら寝室から抜け出していた。
ユーキはぴったりと寄り添ってくるし、それに納得できない奴隷ちゃんがめちゃくちゃ強く抱き着いてくるし……。
折れる、骨が折れる。
そのレベルだった。
俺、身体に肉がろくについていないから、もろに骨にダメージが入るんだよ……。
甘い匂いと柔らかな感触は確かにあったのだが、それ以上に命の危険を感じ取った俺は、命からがら逃げだしたというわけだった。
……さて、どうしようか。
まあ、一日くらい寝ていなくても何とかなるんだが。
奴隷時代はろくに寝させてもらえなかったし。
そんなことを考えながら歩いていると、月を見ているベアトリーチェと出会った。
王女が一人で何してんだぁ!?
「あら、こんばんは。眠れませんか?」
「ええ、誰かさんのせいで」
つい皮肉のように言ってしまったが、それくらい許してほしい。
誰かさんが唆してくれたおかげで、ユーキは添い寝をしてくるし、それに苛立った奴隷ちゃんに絞殺されそうになるし……。
おかしい、おかしい……。
「いったい誰のせいでしょう。子供が騒がしいのかしら? 私からもきつく言っておきますね」
「……もうバレているんですから、別に隠す必要ないでしょうに」
「すみません。でも、王城ではバカを演じないといけないこともありますから、こういうことは癖になっているんです。知らなかったふりというのは、とても大事なんですよ?」
「王城のことは知りませんね」
ベアトリーチェにはベアトリーチェなりの苦労はあるのだろう。
まあ、想像することもできないが。
王族なんて、雲の上の存在だし。
とはいえ、俺にユーキをけしかけた理由にはならん。
許さんぞ、王女め……。
「ああ、そうだ。いつか言おうと思っていたことで、ここにはユーキもいないので言っちゃいましょうか」
思いついたように手を合わせるベアトリーチェ。
……それ、ろくなことじゃないよね?
俺が警戒していると、彼女は俺の目を見て言った。
「リヒトさん、私の部下になりませんか?」
「……はい?」
部下?
俺みたいな出所もはっきりしていない奴を、王女直轄の?
……こいつ、馬鹿なのか?
「仕事内容は、基本的に私の命令を何でも聞くというものです。無茶はしてもらうことはあるかもしれませんが、不条理なことを言うつもりはありません。お給金は……だいたいこれくらいでどうでしょう?」
速攻で断ろうとしていたが、コソコソと耳打ちされた給料の額に唖然とする。
嘘だろ……?
「ね、年収?」
「月収です」
「なん、だと……?」
こ、この額が毎月定期的に入ってくる、だと……?
これだけの額があれば奴隷ちゃんが好き勝手に食料を食い散らかしても何ら問題ないし、何より固定給というのが素晴らしい。
現代日本で生きてきた俺にとって、歩合制よりも固定給の方が魅力的に映るのは当然と言えるだろう。
ウキウキでベアトリーチェの手を取りそうになったが、何とか踏みとどまる。
やばいやばい。
王女直轄なんてなったら、この先大変だ。
「い、いや、い、いいい今はこんな感じで冒険者している方が楽しいから」
「そうですか」
めちゃくちゃ噛んじゃった、恥ずかしい……。
ベアトリーチェは残念そうに一瞬顔を歪めるものの、すぐに切り替えた様子で、いつも通りになっていた。
そして、広がる無言の空間。
き、気まずっ。
去ろうにもいきなり去ったらなんとなく印象が悪くなるかもしれない。
適当に共通の話題でも振ってみよう。
「……そう言えば、ユーキとどうやって知り合ったんですか? もともと騎士の家系とか?」
「いえ、彼女は彼女から騎士になった、超新興騎士ですよ」
「へー」
つまり、ユーキは自分の実力で騎士になって、しかも王女であるベアトリーチェの目に留まったのか。
凄いな、あいつ。
何もしないからという理由で転移者を嫌う理由も、少し理解できた。
あいつは自分でやってきたから、他人にも要求してしまうのだろう。
「では、眠れませんし、昔話でもしましょうか。面白くはないと思いますが、だからこそ眠気を誘うことになるかもしれません」
そういうと、昔を懐かしむように目を細めるベアトリーチェ。
……え? 長くなりそう?
嫌だなあ……。
◆
王城では、毎日会議が開かれている。
国の中枢にいる重要人物が集まり、懸案を議論しあっているのだ。
そこには、大臣などの主要人物はもちろんのこと、王族も一人は必ず参加する決まりになっている。
今回参加しているのは、王女であるベアトリーチェと、王子であるルドルフである。
「今回の会議の議題は、隣国の我が国に対する圧力について……」
「それも大事だが、まずは食料危機だろう。配給も考えなければ……」
「治安はどうだ? イリファスなる犯罪組織が暗躍していて……」
「(くだらない……)」
ガヤガヤとにぎやかに会議を繰り広げる要人たちを見て、ベアトリーチェが思うのは、そんな冷めた感想だった。
まったく解決策が出てきていない。
この要人たちは、会議をするということで満足してしまっているのだ。
それで仕事をしているという風にみなされていることが原因だろう。
何なら、彼らはもっと悪い。
隣国の影響力という言葉を途中でさえぎったのは、その要人が隣国とつながりがあるということを、ベアトリーチェは知っていた。
情報の横流しをして、大金を得ている。
食糧危機を遮った要人は、大量の食糧を抱え込んでいることを知っている。
それで自分の身の安全は確保しておき、いざというときは高値でそれをばらまいて、大金を得ようとしているのだろう。
この国の要人は、そんな者ばかりだった。
自分のことだけを考え、甘い汁を啜るために何でもする悍ましい化け物。
しかし、それが分かっていても、ベアトリーチェにはどうすることもできなかった。
政治的には何の実権も持たない彼女は、告発しようとしても潰されるだけだった。
じゃあ、それを政治に関与している兄や父に告げ口するべきか?
いや、そんなことをしても信じられないだろうし、政治に口出しすることは一切求められていない。
それが分かるからこそ、ベアトリーチェはくだらないと唾棄するのであった。
「悪いな、ベアトリーチェ。お前にとって、ここはつまらないだろうに」
ベアトリーチェに声をかけてきたのは、ルドルフである。
兄は気遣うような言葉を吐いているが、それが言葉通りの意味でないことは、彼女は理解している。
それでも、気づかないふりをして笑顔で対応する。
「いえ、そんなことありませんよ、お兄様。私も勉強になりますから」
「ははっ、何を勉強すると言うんだ? お前に政治の知識も軍事の知識も必要ないだろうに」
「……うふふ、そうですね。ついうっかり変なことを言ってしまいました」
このように、兄は自分を政治から遠ざける。
女である自分が政治に関与するのは当たり前であるという常識。
それに則っているように見えるが、それだけでないことは彼女も理解していた。
ルドルフはけっしてばかではない。
無論、彼女からすると賢くもないが。
せいぜいが、小賢しいくらいである。
「ああ、まったくだ。お前に期待されるのは、外交だけだ。幸い、お前は美人だからな。余計なことをして、その価値を下げるようなことはするなよ」
「ええ、分かっています」
王女である自分は、いずれ外国のかなりの地位の人間……王族に嫁ぐことになるだろう。
婚姻を持って関係を強くする。
それが、王女であるベアトリーチェに求められている唯一のことだ。
彼女はとても容姿が整っている。
見た目というのは、婚姻外交をしようとしているのであれば、とても重要だ。
それを損なわないようにしなければならないということで、彼女はほとんど何もさせてもらえない、箱入り娘であった。
彼女にとって不幸だったのは、少しばかり考える力があったことである。
それがなければ、ただの馬鹿としてふるまうこともできたのだが。
「よし、ならもう出て行って構わないぞ。お前がいても、何も変わらないからな」
「はい」
ルドルフに言われ、ベアトリーチェは大人しく従って部屋を出た。
「……本当、低俗」
その最後の言葉は、誰にも聞かれることはなかった。
「よろしいのですか?」
「ああ、あいつにいてもらっては困る。あれは、なかなかに優秀だ。バカではない。この会議の中身も理解しているだろうし、下手をすれば、解決策すら考えついているかもしれん」
尋ねてきた側近に、ルドルフは答える。
彼は、ベアトリーチェがかなり優秀であることを知っていた。
父である国王は知らないが、兄である彼は知っていた。
そして、それが国王を目指す自分にとって脅威となることも。
「そこまでは……」
「いいや、ありうる。そのことが、父に露見すれば……。あの人も俺と同じような考え方だが、あまりに優秀だとその考えも変わるかもしれん」
父は愚かだが、たぐいまれなる才能を目の前にすれば、さすがに間違った選択をしないだろう。
すなわち、ベアトリーチェの政治への参画だ。
それが認められて功績を上げ続ければ、王に彼女を推挙する者も大勢現れるだろう。
それは都合が悪い。
「王になるのは俺だ。あいつじゃない。あれも弁えているようだから構わないが……」
ベアトリーチェが野心のある女だったらまずかった。
国王という立場を、命がけで取り合いをする羽目になっただろう。
それがないのは幸いだと、ルドルフは考えていたが……。
「自分の領分を超えてきたときは、殺すしかないな」
たとえ、ベアトリーチェが望んでいなくとも、誰かが彼女を祭り上げようとしたのであれば、そういった対応もありうる。
すべては、自分が王となるために。
ルドルフの目は冷たく光っていた。
一年お世話になりました。
よいお年を!




