第121話 生きとったんかワレェ!
王城の執務室。
国家運営にかかる非常に重要な決裁案件が、ここに集まる。
なにせ、この執務室に缶詰になっているのは、普通の事務仕事を担当する文官ではなく、王子と王女なのだから。
優秀な能力を持つ王子ルドルフと、バグとしか言えない突然変異種のような頭脳を誇る王女ベアトリーチェ。
彼らならば、どのような難題も容易く答えを見つけて実行することだろう。
だが、その案件も多すぎれば、彼らを殺す。
執務室では、まさに死屍累々といった状態で、二人はぐったりと机に突っ伏していた。
「…………死んでしまいそうです」
ベアトリーチェがポツリと呟く。
口から飛び出したのは、弱音であった。
ベアトリーチェがそのような言葉を吐いたと理人が知れば、笑って相手にしないだろう。
絶対に嘘だと思うからだ。
「リヒト様に殺されるかもしれないとは思っていましたが、また別の忙しさで殺されそうになるとは思ってもいませんでしたね」
「……言葉にするな、妹よ。本当にしんどくなってくるから」
二人はゆっくりと顔を上げる。
目の下には濃い隈がついている。
何日もろくに眠れていないことは明らかだった。
だが、これだけ仕事が急増しているには、理由があった。
「しかし、本当に奇跡のようだな。あの【禍津會】が壊滅し、世界に平和が戻ったなんて」
ルドルフが書類を睨みながら言う。
そう、彼らの仕事が急増した理由は、禍津會との戦闘の事後処理である。
なにせ、彼らは世界を相手に大暴れした。
街を破壊し、人も大勢殺した。
そんなボロボロの状態だから、ベアトリーチェたちの仕事量が増えてしまったのである。
ちなみに、ベアトリーチェによって、ルーダも冒険者関連の仕事で非常にこき使われていた。
何度か逃走を図るが、同じく有用で使われているレイスやゴールデール兄弟が逃がすはずもなく、足の引っ張り合いを毎日やっている。
「私たちの力で勝ち取ったものではありませんから、より現実味がないですね」
「本当だよ。まったく、俺には何が起きたのか、いまだによくわかっていないぞ」
禍津會に滅ぼされそうになっていた世界。
圧倒的な理不尽の前に何とか抗おうと必死に準備していれば、その禍津會が突如として壊滅した。
もう何が何だか分からない。
そもそも、禍津會の構成員一人でも倒すことができるのかと議論されるくらいだったのに、それら複数が一気に全滅したとなれば、理解できるはずもなかった。
「あちらも恐ろしいほどの力を持つ者が大勢いましたが、こちらにはそれ以上の人がいたということです」
ルドルフはまだ理解できていないが、ベアトリーチェは分かっていた。
奴隷ちゃん。彼女が禍津會を壊滅させたのだと。
人智を超えた力を持つ禍津會をも、単体で滅ぼすことのできる怪物。
本当に彼女はいったい何なのだろうか?
ベアトリーチェをしても、まったく分からなかった。
「……いえ、こちらという表現はおかしいですね。彼女は、純粋に私たちの味方というわけではありませんから」
「そうだ。俺たちを救ったその英雄様は、いったいどうした?」
「行方知れずですね。禍津會と戦ってくれた転移者たちも、全員」
戦ってくれたというか、戦わざるを得ないようにしたのがベアトリーチェである。
禍津會と敵対して戦おうとしてくれた転移者たちは、全員いなくなっていた。
忽然と姿を消したのである。
禍津會に……転移者に恨みがあるこの世界の人間の犯行かとも思われたが、どうにもそうではないらしい。
加えて、奴隷ちゃんも禍津會を滅ぼしてからは、姿を現さなくなっていた。
兵を動かして捜索しているが、その居所はいまだに判明していない。
「まずいな。あれだけの戦力が他国に流出すれば、甚大な脅威になる」
ルドルフの懸念は尤もだった。
禍津會という世界最大の脅威が消えた以上、今度はまた以前までのように、国同士の覇権争いが始まる。
どの国も疲弊しているが、それには程度の差がある。
軽い症状の国が、今こそと行動を起こす可能性も、無きにしも非ずだ。
それが、奴隷ちゃんという特記戦力を確保できれば、なおさら踏み切ることに躊躇はなくなるだろう。
「……それはなさそうですけどね」
「なぜそう言いきれる?」
だが、ベアトリーチェはそれはないだろうと考えていた。
ルドルフが怪訝そうに尋ねると、彼女は力強く言った。
「そういう女だったからですよ」
あまりにも根拠が薄いが、しかしあまりにも説得力に満ちていた。
ルドルフは、そのよくわからない迫力に気圧される。
奴隷ちゃんという女が、マスターである理人以外に使われることを、許容できるはずもない。
「さて、お兄様。事後処理もですが、転移者に対する地位向上の政策はいかがですか?」
ベアトリーチェは話題を変えるため、今最も力を入れている動きを尋ねる。
この世界から姿を消した転移者。
だが、これからも現れないとは限らない。
そんな転移者を、今までこの世界はカーストの最下層に落とし込み、彼らから搾取することで社会構造を成り立たせていた。
そして、それは古くからの常識であり、変えようとすることは不可能であった。
だが、禍津會が大暴れした結果、その常識が完全に崩れることはなくとも、ヒビを入れることには成功していた。
この文化や常識を変えるには、今しかなかった。
ベアトリーチェの言葉に、これ以上仕事を増やされてたまるかと、ルドルフが懸念を示す。
「準備は進めているが……本当に必要か?」
「また禍津會のような……リヒト様のような人を生み出したいのであれば、今のままでもよろしいかと思いますが……」
「……早急に取り掛かるとしよう」
心底苦々しい顔をしながら、ルドルフはそう言った。
窓から見える空を見ながら、ベアトリーチェはポツリと呟く。
「リヒト様、安らかに」
その後、この世界における転移者への対応は大きく改善した。
少なくとも、二度と禍津會のような存在が現れることはなかった。
あれほど王位に固執していたルドルフは、その過程で自分よりもベアトリーチェが王位に相応しいと悟り、彼女が女王として即位し、自分は宰相として支えた。
彼ら二人の治政は、もっとも穏やかで平和な世界であり、ベアトリーチェは名君として歴史に名を遺したのであった。
◆
「で、何で戻ってきているんだ、俺……?」
数日経ったが、いまだに状況が呑み込めない。
俺はどうしてこっちの世界に戻ってきているのか?
死んだはずではなかったのか?
「それはこっちが知りたいわよ」
「……愛梨?」
ベッドの上で呆然としていると、部屋に入ってきた少女がいた。
ジト目を向けてくる彼女は、異世界で仲間として一緒に行動してきた愛梨であった。
生きとったんかワレェ!
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クズな主人公貴族くんがちょっとヤバいメイドたちに振り回されるコメディ小説です。
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