第120話 おやすみなさい、マスター
奴隷ちゃんの身体が光を纏っている。
いつも着ていたのは、理人から送られたメイド服だ。
光を纏い、その衣装すらも少し変わっている。
神々しい。
一言で言えば、それしか表現できない。
光を纏った奴隷ちゃんを見て、この世界で最下層に位置する奴隷であるとは、誰も思わないことだろう。
神。それか、それに類する超常の存在。
見ているだけで眼が焼かれてしまいそうな、そんな力を放っていた。
「……え? マジで何それ?」
「あの気に食わないバカな女よりも、私はあの女の力を使うことに長けていたようです。身体にも、よく馴染む。今なら、あの存在を複数人片手で屠ることもできるでしょう」
少し忌々しそうに顔を歪める奴隷ちゃん。
力の元持ち主よりも、うまく強大な力を操ることができていた。
だからこそ、彼女はこの世界で最強なのである。
「どうですか、マスター? 格好いいですか?」
「……凄すぎるわ。やっぱり、君は俺の奴隷に相応しくないと思う」
別に皮肉でも何でもなく、心の底からの本音であった。
色々と国家が乱立しているこの世界ではあるが、彼女なら暴力一つで世界をまとめ上げることもできてしまいそうである。
「そんな寂しいことを言わないでください。私は、何があってのマスターの奴隷です」
奴隷ちゃんはそう言うと、腕を上げる。
そこには、世界中から光の奔流が集まり……。
「【天装・爆雷】」
振り下ろす。
それと同時に、世界に光が満ちた。
そう表現することしかできないほどの、爆発的に光が溢れ出す。
どれほど備えていても、どれほど硬いもので身を覆っていても、すべてを破壊する冷酷な光の一撃。
音すらも聞こえなくなるほどの、圧倒的な殲滅。
それが、たった一人、理人に向けて放たれた。
光によって、奴隷ちゃんの視点からも何も見えなくなる。
視界を塞がれるのは、戦闘においては非常にマズイ。
だが、この攻撃を行うに当たっては問題なかった。
なにせ、これを受けて生きている者は、誰もいないのだから。
それこそ、マカやあの女のような超常の存在ですらも、痕跡一つ残すことなく命を落とすことだろう。
だから……。
「ああ、さすがマスターです……」
その光の中から、血みどろになった理人が飛び出してきたのを見た時は、思わず奴隷ちゃんは感嘆の息を漏らしていた。
「おおおおおおっ!」
片腕は完全に消失していた。
少しでも顔を守るための盾にした。
目だ。相手のことを視界に入れることのできる目を守った。
それでも、身体の左半分は完全に壊れてしまっていた。
片目も、片腕も、片足も。二度と回復することはできないだろう。
だが、それでよかった。
右手にあるのは、小さなナイフ。
奴隷ちゃんはもちろん、そこらの大人を殺すにも、何回も執拗に刺し続ける必要があるような、殺傷能力の低い武器。
色々と超越した存在である彼女では、大したダメージを与えることはできないだろう。
だが、理人には呪いがある。
奴隷ちゃんにもダメージを通した呪いを、直接体内に注ぎ込む。
それが、理人の捨て身の特攻による、唯一の希望の糸であった。
「これほどの強い感情をマスターから向けられたのは、初めてです。とても、とても嬉しいです」
「……じゃあ、受け取ってくれてもよかったんじゃないか?」
理人の捨て身の特攻は、奴隷ちゃんに届くことはなかった。
光によって、彼女の肌に突き立てられることは阻まれてしまった。
理人は苦笑いする。
さらに攻撃を仕掛けようとはしない。
それが、明らかに無駄であることが分かっているからである。
これは、自分の命を懸けた、最後の力を振り絞った特攻である。
それが通用しない以上、もはや勝負は決しているのだ。
「――――――失礼します」
奴隷ちゃんが腕を振る。
理人の身体から、パッと鮮血が飛び散ったのであった。
◆
ゆっくりと意識が浮上していくのを実感する。
もうずっと暗く冷たい場所に沈んだままだと思っていたから、これには俺自身が驚いた。
と言っても、もうこれが最後であろうことは、だいたい予想がついていた。
目を開けると、光を纏わずいつものメイド服に戻った奴隷ちゃんが、俺をじっと覗き込んでいた。
この子が奴隷として俺の近くにいるとき、やたらと夜這いという襲撃を仕掛けてくるため、ろくに眠ることができなかった。
こんなにも奴隷ちゃんに無防備な姿をさらしたのは、初めてかもしれない。
さすがに変なことはされていないようだ。
まあ、俺の身体も半身が焼け焦げているし、全身が血だらけになっているしで、変なことをしようにもできないだろうが。
「お疲れさまでした、マスター」
そんな奴隷ちゃんは、俺を見下ろしながらそう言った。
俺が膝枕されていることに、今気づく。
「……やっぱり、奴隷ちゃんには勝てなかったなぁ」
「約束を果たすためですから」
「あの約束のことを、こういう風に解釈しちゃうの……?」
俺がポツリと呟くと、奴隷ちゃんは驚いたように目を丸くした。
彼女のこんな表情を見るのは、本当に久々だ。
何だか面白くて、笑ってしまう。
「マスター、覚えて……」
「まあ、俺が異世界人を自発的に助けた、唯一の子だったからなあ。忘れたくても忘れられない。それを表に出しちゃうと色々とためらってしまいそうだったから、しなかったけど」
しみじみと語る。
死にそうだからこそ、そんな気持ちになった。
いやあ、まさかあの時気まぐれで助けた異世界の少女が、奴隷ちゃんになるとは……。
絶対想像できないだろ。俺以外の誰でも無理だろ。
助けたことに後悔はないけれども、もっと違う形で成長してもらいたかった……。
「しかし、俺の不用意な一言が、今の俺を殺すことになるとは……。因果応報ってやつかな」
助けてくれ。
別に、本気でそう思っていたわけではない。
そもそも、他人に助けてもらおうと思えるほど、他人のことを信用していないし。
あの弱くて小さかった女の子が、俺を助けることができるようになるとも思えなかった。
適当に言葉を紡いだだけなのに、それが自分の首を全力で絞めたのである。
なんと馬鹿らしいことか。
「これがマスターにとって一番いいことだと思っています。もしそうでなければ、後でエッチなお仕置きをしてください」
「もう身体に感覚ほとんどないんだけど……」
いつも通りの奴隷ちゃんで少し安心する。
エッチも何も、もう今にも死にそうなんだけど。虫の息なんだけど。
そう思っていたら、奴隷ちゃんが一言。
「――――――大丈夫ですよ」
「……そっか、大丈夫か」
何が大丈夫かさっぱり分からないが、今の奴隷ちゃんにそう言われると、本当に何もかもが大丈夫であると思えてしまった。
心のどこかにかすかにあった死への恐怖が、和らいだ気がした。
だからだろうか、凄く眠たくなってきた。
目を閉じれば、もう二度と開かないだろうなと、俺は自分のことながら他人事のように思えた。
このまま寝てしまいたいが、絶対に一つだけ、言っておかなければならないことがあった。
「ああ、奴隷ちゃん。俺はもう死ぬから、これだけは言っておく」
「はい?」
「奴隷ちゃんを、奴隷から解放する」
「……分かりました」
俺の言葉を聞いた奴隷ちゃんは、ゆっくりと頷いた。
初めて、このことですんなりと受け入れてくれた。
拍子抜けというのもおかしな話だが、非常に驚かされる。
俺が死ぬということもあって、受け入れてくれたのだろうか?
何にせよ、嬉しいものだ。
「よかった。最期の、最期に、言うことを聞いてくれて……」
喋るのがひどく億劫だ。
目も開いているのがしんどい。
ああ、世界をリセットできなかったのは残念だが……まあ、いいや。
俺は、もうここまでだ。
そんな俺の視界にかすかに映ったのは、邪気のない美しい笑顔を浮かべる、奴隷ちゃんだった。
「おやすみなさい、マスター」
「――――――ああ、おやすみ」
そうして、俺は永劫の眠りについた。
◆
「せ、先生! 目を覚まされました!」
俺はそんな声で眼を覚ました。
いや、死んだはずなのに目を覚ますという表現はおかしいのだが。
パチクリと目を開ければ、何年も見ていなかった、白くて清潔な部屋。
病院であった。
もちろん、異世界にも治療する場所はあったが、こんなにも現代的なものはなくて……。
「えぇ……?」
唖然とする俺。
もしかして、元の世界に戻ってきた?
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クズな主人公貴族くんがちょっとヤバいメイドたちに振り回されるコメディ小説です。
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