第112話 うわ、きっつ
「いいかしら。そこらにいる人間とお前は、まったく違うの。あなたは特別。人間とは異なる存在なのよ」
のちに奴隷ちゃんとなる少女は、そう口酸っぱく言われて育てられてきた。
腰を折り、優しく奴隷ちゃんの頭を撫でる女。
にこやかな笑顔は、とてもやさしそうに見える。
ただ、言っていることはまったく表情と一致していなかったが。
「異なる……?」
「そう。だから、あなたは人間をどのように扱っても構わないの。腹立たしければ殴ればいい。自分の欲しいものを持っていれば奪えばいい。暇つぶしに品位を奪うようなことを強制してもいい」
「でも、それって悪いことじゃないの?」
子供ながらに、それが悪いことだと思った。
自分の欲望のために他人を踏みにじるようなことがあっていいのか?
奴隷ちゃんは疑問だったが、女はニッコリと笑う。
「それは、人間が人間にするから悪いのよ。でも、あなたは他の人間とは違う特別な存在。だから、それをしても許されるのよ」
そう何度も教え込まれると、子供はそういうものだと思い込んでしまう。
子は親に似るというが、それは当然だ。
親がそのように子を育てるからである。
子供の世界は、親が非常に大きいウェイトを占める。
親が言うことは絶対だし、一種の洗脳である。
だから、奴隷ちゃんも自分だけは特別だと思った。
他の人はダメだが、自分は許されるのだ。
なぜなら、母が自分を特別だと言ってくれるから。
「いい? むしろ、そういうことを積極的にやるのよ。でないと、人間はすぐに増長する生き物。調子にのって、下手をすればこちらを攻撃するようなこともしてくるわ。だから、それは決してさせないように、ね?」
「うん、分かった!」
奴隷ちゃんはにこやかに笑って頷いた。
そこに、女に対する疑心など微塵もなかった。
母が言うのだから、それが正しい。
絶対であり、当然のことなのだ。
だから、奴隷ちゃんは悪びれもなく、母の言うことに従って、人間たちに対して横暴にふるまった。
奴隷ちゃんに横暴という意識はなかった。
当たり前のことを、普通にしていただけだ。
気に食わなかったら叩いたし、欲しければお金を払わず店先に売ってあるものを奪った。
無論、人間たちもやられっぱなしではない。
悪びれもなくあくどいことをする子供を痛めつけてやろうと、何度も報復しようとした。
しかし、それが果たされることはなかった。
なぜなら、奴隷ちゃんには母という強烈なバックアップがいたから。
彼女に逆らうことはできない。
ありえない。
人智を超えた力を持つ彼女を敵に回せば、どんなに頑張っても殺されるのは自分たちだからだ。
その強力な後ろ盾があるからこそ、傍若無人にふるまう奴隷ちゃんに対しても、何もすることはできなかった。
だが、その我慢も数年も続けば、限界が訪れる。
「いい加減にしろ!」
「もう我慢の限界だ! このガキ、ぶっ殺してやる!」
「ひ、ひぃ……っ」
大の男が怒りを爆発させて奴隷ちゃんににじり寄る。
まだ少女で、しかも他人からこれほどまでの怒気をぶつけられたことがない。
恐怖を覚えるのも当然だった。
そして、自分ではどうすることもできないことも分かっていたので、当然のように助けを求めた。
「お、お母さん、助けて! お母さんに言われた通りにしたのに……!」
「そうね。お前たち」
母はまた助けてくれる。
ずっと自分の味方だったのだから。
そして、奴隷ちゃんににじり寄っていた人間たちも、顔を引きつらせる。
この女の恐ろしさは身をもって経験していたし、だからこそ今まで好き放題にする奴隷ちゃんを咎めることができなかったのである。
安心する奴隷ちゃんに、恐怖する人間たち。
そんな彼らを前にして、女は口を開いた。
「――――――その子のことは、好きにしなさい」
「…………え?」
唖然とするのは、奴隷ちゃんも人間も同じだった。
母は、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
しかし、それが空虚で形だけのものであることは、子供である奴隷ちゃんにも伝わってきていた。
「おかあ、さん?」
「そのお母さんっていうのも変な感じがするわね。確かにお前を作ったのは私だけど、腹を痛めて産んだ子ではないから。本当に作っただけだし、何とも思わなかったわ。むしろ、ちょっと気持ち悪いから、もう呼ばないでくれるかしら?」
「え、え……?」
愕然とする奴隷ちゃん。
女は、普通の人間ではなかった。
この当時の奴隷ちゃんや人間たちが知る由もないことだが、彼女はマカと同じ超常の存在だった。
あまりにも大々的に色々とやらかしてしまったマカは、討伐隊が組織されて封印されたのだが、この女は賢しく立ち回って自分の欲望を満たしていた。
結局は、自分たちの暇つぶしと快楽のための遊びである。
「遊びで作ってみたのだけど、なかなか大変だったわ。時間なんて無限に近いほどあるから、多少時間がかかる遊びでもいいかと思っていたけど。もうやることはないわね」
信じていたものから、寄る辺にしていたものから裏切られる。
その落差は、凄まじいもの。
まだ色々と発達していない子供ならば、より純粋な絶望が生まれる。
時間も手間もかかる大変な前準備が必要だったが、今の奴隷ちゃんの顔を見ていると、その苦労も報われる。
女は顔が裂けんばかりの笑顔を浮かべていた。
「でも、その顔が見られただけでよかったわぁ。今までの苦労が全部報われた。ああ、面白いわ。本当に……面白い!」
ゾクゾクと背筋に走る快感。
これはいい。この遊びは、いい。
もうこの子供では遊べないが、また同じことをしてもいいかもしれない。
そう思った。
「さて、もうそれが見られたし、興味もなくなったわ。人間、お前たちがその子に何をしても、私は咎めないわ。好きになさい」
「あ、お母さん!」
「そう呼ぶなって言っているでしょ、玩具。もう二度と会うことはないでしょうけど。それじゃあね」
あっさりと、女はその場を去った。
少なくとも数年以上育てた子供を、あっけなく捨てた。
そもそも、子に対する愛情なんてものは持ち合わせていなかった。
自分が楽しむためのおもちゃを育てていたのだ。
そして、おもちゃは利用価値がなくなれば捨てられる。
当然の道理であった。
だが、残された奴隷ちゃんは絶望する。
彼女には、もはや守ってもらえる人は誰もいない。
そして、今の彼女の前には、彼女に対する強烈な悪意と敵意を持っている人間たちがいて……。
「さて、何があったのかさっぱり分からないし、お前がどういう立場なのかも知らないが……」
「俺たちを支配する化け物からお墨付きをもらったんだ。今までさんざんやってくれたなあ……!」
「自分のしてきたことを、後悔させてやる!」
「あ、ああ……」
もはや、恐れるものは何もない。
人間たちの暴力の気配が近づいてくる。
彼女は、ただそれを絶望の表情で見つめることしかできなかった。
「うわ、きっつ」
奴隷ちゃんが救われるのは、それから数年後。
そんなのんきな言葉と共に現れた、一人の男によってだった。