第111話 本当、なんでだろう
「…………」
アリアトの滅亡。
その情報を聞いて、ベアトリーチェはしばらく硬直したままだった。
禍津會がアリアトを滅ぼすことは、想定できていた。
というか、確実に起こる未来だというくらいには確信していた。
軍事大国ではない国が、一人一人が一騎当千の力を持つ禍津會を止められるはずがない。
だが、時間はかかると思っていた。
それは、アリアトにいる【怪物】が、禍津會を多少抑え込むだろうと推測していたからだ。
だが、結果はどうだ?
一日も遅延させることはできなかった。
非常にスムーズに、アリアトという国家が滅んでいた。
「時間稼ぎにもなりませんか。本当、こんな強い人々を、よくもまあ最下層に置くことができていたものです」
自嘲気味に……というより、本当に自分たちを嘲るベアトリーチェ。
転移者たちが覚醒する前に使いつぶしていたからこそ、薄氷の上で成り立っていた社会構造だった。
改めてそれを認識させられる。
「この戦いに勝ったとしても、以前と同じような感じにはしてはいけませんね」
ふっと息を吐くベアトリーチェ。
同じような感じとは、転移者の待遇である。
限りなくゼロに近い勝機であるが、万が一勝利したとしても、転移者を悪辣に扱えば、また同じことが起きる。
なら、全員殺してしまうというのも一つの手で、ベアトリーチェも確かにそれを考えはしたが、いつどこに何人現れるか分からない。
非常に手間がかかってしまう。
なら、好待遇とまではいかなくとも、ある意味普通の生活ができるような体制を整えておくべきか。
「まあ、知っていましたけどね。その怪物とやらがどれほどの力を持っていたのかは知りませんが、マスターの方が凄いんです」
そんなベアトリーチェの隣で、奴隷ちゃんが自慢げに胸を張っていた。
「一応敵対している相手を褒めないでくれますか?」
「いや、別に敵対はしていませんし……」
奴隷ちゃんは無表情でベアトリーチェを見る。
「それに、怪物なんて大それた呼ばれ方をしていましたが、私ならワンパンでした」
「普通ワンパンできないんですよ」
しかも、ここで言うワンパンとは、一発顎に入れて失神させるとか、そんな生易しいものではない。
グチャッと、文字通り一撃必殺の意味である。
人間が人間を殴ってそんなことには、普通ならない。
「しかし、この辺りの主要な国は随分と滅ぼされてきましたね。そろそろこちらに来る頃でしょう。楽しみです」
雰囲気はウキウキである。
不謹慎極まりないが、そんな彼女を窘められる人物はこの世界で一人しかいないし、その彼はここにはいない。
そんな奴隷ちゃんをじっと見るベアトリーチェは、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「……あなたはどうしてこちら側についているんですか?」
「はい? もしかして、マスターの方についていた方がよかったですか?」
「いえ、そうなっていたら、もうこの世界は滅んでいると思うので、こちら側についてくれていて助かっています」
理人と奴隷ちゃん。
その二人が敵に回り、全力でこちらを潰そうとしてくる。
悪夢以外のなにものでもない。
想像しただけでおもらししそうになった。
「ですが、話をしていく中で、あなたがこちら側に着く理由がまるで分かりません。私たちに好意を寄せてくれていることもなく、無辜の民が虐殺されるのを防ぐための義憤も感じられない」
「まあ、それはないです」
あっさりと認める奴隷ちゃん。
別に、ベアトリーチェたちが好きではない。
というか、単純に興味がない。
彼女にとって、世界で色づいているのはマスターだけだから。
何の罪もない人々が殺されていくことにすら、興味はわかない。
赤の他人が、どういう事情でどういう方法で殺されようとも、知ったことではない。
冷たいと思われるかもしれないが、それが本音だ。
だって、【自分がされていた時に助けてくれたのは、誰一人としていなかった】のだから。
だから、彼女はマスターである理人を慕うのだ。
自分を助けてくれた、唯一の存在だから。
「では、どうして? あなたなら、リヒト様の傍にいられる方がいいでしょう?」
「……約束、したので」
「約束……?」
怪訝そうに眉を顰めるベアトリーチェ。
彼女には、何も話すつもりはなかった。
◆
夜空に広がる星々を見上げる。
……なんかすっごくロマンティックなことをしている気になるが、俺の傍には誰もいない。
いや、誰かいたところで、そんな甘ったるいことはできないんだけどさ。
そんな俺に、声をかけてくる。
『で、ここまでは順調だが、これからはどうするのじゃ?』
かつて、四六時中俺に憑いて会話を強要してきていたマカである。
今にも消滅してしまいそうなほど希薄になっているが、確かにそこに存在していた。
「……どうするって? というか、お前なんで平然とこっちに引っ付いてきているんだよ」
『暇じゃし』
「しかも、生きていたっていうことが驚愕だわ」
『力の大部分を奪われたくらいでは死なん。そんな簡単に死ねるのであれば、わらわはとっくに討伐されておるよ』
「お前は本当に何なんだ……」
結局、マカは何なのだろうか?
人智を超えた力を持つ存在であることは分かるが……。
まあ、いいや。
気になるとか言ったら、それこそ面倒なくらい話してくるだろう。
今はそんな暇ないしな。
「しかも、俺はお前を裏切ったんだぞ? どうしてそんな平然としていられるんだよ」
めちゃくちゃ怨嗟の声を投げかけられても仕方ないことをしたとは思っている。
しかし、今のところそんな声をマカからかけられたことはない。
すると、彼女は楽しそうに笑った。
『これくらいでわらわは諦めんぞ。貴様は必ずわらわのものにする。可愛らしく反抗された程度で、目くじら立てたりするものか』
「……あれを可愛らしい反抗って。絶対にお前には叶わないんだろうなあ」
まさしく、掌の上で踊らされているような感覚。
俺がどれほどひどいことをしても、彼女はおおらかに笑い飛ばすのだろう。
勝てないなあ。
まあ、勝つ必要もないから、別にいいんだけど。
本気で怒らせるなら、奴隷ちゃんをけしかけるくらいだろうか?
さすがのマカもガチギレしそう。
『で、どうするんじゃ、あの奴隷は』
「……本当にどうしよう」
『何の策もないんかい』
呆れたようにため息をつくマカ。
無理だろ。どうするんだあいつ。
どう頑張っても蹴散らされる予想しかない。
……土下座したら見逃してくれたりしないだろうか?
『そもそも、あんなものをいったいどこで拾ってきた』
「いや、何か成り行きで……」
『成り行きにしては、貴様に随分と懐いておったように見えるがの』
そうは言うが、本当に成り行きだ。
あの時、奴隷ちゃんの方から恐ろしいまでの売込みがなければ、つながりなんてなかっただろう。
しかし、マカの言う通り、彼女はやけに俺に尽くしてくれていた。
正直、そこまでのことをした自覚はないのだが……。
「……本当、なんでだろう」