第109話 自分で死なないとな
ブレヒトの犯した罪は、国家反逆罪である。
彼は、アリアトという国家そのものを崩壊させようと企て、実際に実行に移した。
規模こそ違えど、理人たちとしていることは似ているかもしれない。
禍津會は――――リーダーである理人は少し違うが――――世界への報復。その過程で国家を蹂躙し、人を殺す。
ブレヒトはその対象を世界からアリアトという一つの国家のみに絞って行動していた。
理由は簡単で、単純に復讐である。
大きなことをするには、大きな理由がある。
復讐というのは、往々にして行動の強烈な要因となる。
ブレヒトの両親は、政争に敗れて暗殺された。
彼がまだ小さかった頃である。
両親という強力な後ろ盾を失った子供がどのような人生を歩むかは、想像に難くない。
かなり文明が発展している理人たちがいた世界でも、かなり苦しい人生になるだろう。
社会福祉であったり人権であったり、そんな考えが深く浸透していないこの世界で、大概は大人になることもできず命を落とすことだろう。
幸いにして、ブレヒトは他の者とは一線を画す特別な力があった。
と言っても、順風満帆で幸せな生活でなかったことは、当然だった。
食事もロクに取れず、寒さに震え、他者から暴力を振るわれ……。
だから、それを使ってアリアトという国に対して報復を始めた。
政治闘争というつまらない権力争いで親を殺し、自分の人生をめちゃくちゃにしたアリアトに対して。
禍津會のメンバーと違ったのは、ブレヒトは一人で行動したことである。
たった一人で国家に反逆する。
すぐに捕まって、処刑されておしまいだ。
誰の記憶にも残らない。
しかし、ブレヒトは【アリアト建国以来最悪の犯罪者】と呼ばれるようになる。
護衛がいる国家上層部を次々に殺害し、その牙はついに無辜の民にも向けるようになる。
彼の怒りと恨みは、留まるところを知らなかった。
そして、遂にはたった一人に対して国家が総力を挙げて逮捕に動き、捕らえるに至ったのである。
一万という、甚大な被害を受けながらも。
「なんで殺しておかなかったんだよ、アリアトは……」
理人が呟くが、無論処刑をしようとはした。
しかし、できなかったのである。
今、まさにその理由が示されていた。
「……あらぁ?」
不思議そうに首をかしげる響。
自分の身体が、自分のものではないようだ。
なにせ、勝手に膝をついてしまっているのだから。
「くっ……!? 何よ、これ……!」
それは、戦闘に参加していた愛梨も同じであった。
両手と両ひざを地面についている。
必死に立ち上がろうとするが、それができないでいた。
「分からなかっただろ? 俺はこの戦闘が始まってから、ずっと準備していたんだぜ?」
ブレヒトは得意げに笑いながら立ち上がる。
その姿勢は、先程とまったく逆転してしまっていた。
「何かしらぁ、これぇ?」
「お前らの身体の機能を凍らせた。それだけさ」
なにそれそんなのできんの?
聞いているだけの案山子みたいになっていた理人が戦慄していた。
「くそっ……! だから異世界とか魔法とか、オタク御用達のキモイ文化が嫌いなのよ!」
「その文化めっちゃ使っているくせに何言ってんだお前」
怒り心頭の愛梨に対し、理人がポツリと呟く。
転移してくる前のことは、色々と思い出して精神的ダメージを負うことになるので、そこを詮索するのは禍津會では暗黙の了解で禁止されている。
だが、たぶんそういうタイプの学生とかだったんだろうな、と理人は愛梨に対して思った。
きっと、この状況で考えることではないが。
「まあ、俺はこういうことができるから、処刑されなかったんだよ。誰か近づいてきても、身体の機能を凍り付かせる。俺に危害を加えることはできない。だから、生き延びたんだ」
処刑人が近づいてきても、身体機能を凍り付かせておしまい。
遠くから魔法の的などにしようにも、ブレヒトのこの力はどこまで広範囲に及ぶのか分からない。
少なくとも、処刑が実行されていないということは、そういうことなのだろう。
「お前らに、勝手にアリアトを滅ぼしてもらったら困るんだよ。この国を滅ぼすのは、俺なんだからな」
「まさかそういう理由で目の前に立ちふさがる奴がいるとは思っていなかったな……」
ブレヒトは、善意や義憤からアリアトを守ろうとなんてしていない。
自分の獲物を取られないようにする。
それだけだ。
アリアト以外の国を滅ぼすのであれば、好きにすればいい。
だが、この国だけは自分が滅ぼすのだ。
ぽっと出の連中に奪われていいものではない。
それこそが、ブレヒトが大臣の提案を受け入れて禍津會と戦闘している理由である。
これを彼らが知れば、阿鼻叫喚になることは間違いない。
身柄の解放だとか交換条件を出してきて適当に頷いておいたが、ブレヒトにとってはどうでもいいことだ。
禍津會を倒した後は、次はアリアトになるだけなのだから。
「さて、お前がリーダーか。お前の片目のことは聞いているぞ。その恐ろしい能力もな。だから、それは使わせねえ」
「マジか……。俺、これないと誰よりも弱いんだけど……」
ブレヒトの言う通り、マカから奪った眼を使うことはできなかった。
彼の凍結は、そこまで効果を発揮する。
足の機能も奪われ、理人は膝をつく。
「頭から潰すのは鉄則だ。まずはお前を殺して、残りの二人も殺す。別に禍津會に恨みがあるわけでもないから、残りは襲い掛かってきたら殺すことにする。その間に、アリアトをさっさと滅ぼしておくけどな」
「ふ、ざけないでくれるかしらぁ? そんなこと、させるわけないでしょ」
「でも、お前らはもう何もできない。黙って見てろ。次はお前らなんだからな」
怒りに燃える響を見下ろし、ブレヒトは理人に眼を向ける。
「じゃあな」
身動きの取れない人間を殺すことなんて、とても簡単だ。
あっけなく理人の命を奪おうとして……。
「……それは困る。死ぬなら、自分で死なないとな」
「……あ?」
唖然とするブレヒトの顔に、返り血が飛び散る。
理人は、自ら身体を飛散させて命を落としたのであった。