第105話 怪物の男
極寒とも言える極地。
北方の国アリアトは、その地理上雪に包まれた国だ。
一年のうち、雪が降らないのは一か月もないかもしれない。
それでも、人が住みやすい地域というものはあるもので、そこを開拓してアリアトという国は出来上がった。
だが、どれだけ人間が努力をしても、決して人が住むことのできない場所も存在している。
その牢獄があるのは、そんな場所だった。
まったく飾り立てもない洞窟。
その中を改装して牢獄としている場所に、本来であれば首都の温かい場所で執務をしている大臣が、身体を震わせながらやってきていた。
身体がもこもこに膨れ上がるほど防寒しているのだが、それでもガチガチと歯を鳴らすことを止められない。
「くう……! 寒すぎる……! ここでは暖房はきいていないのか!?」
「本来、ここに投獄される者は死刑以上の罰が与えられた者です。当然、快適に過ごせるようなものは何一つとして許可されません」
大臣よりも多少薄着ではあるが、それでも全身をびっしり防寒具でカバーした看守が応える。
大臣との違いは、やはり慣れだろう。
今まで温かい場所でずっと仕事をしてきた者と、この極寒の場所で仕事をしてきた者。
それだけである。
「そうはいってもな……。この気温で暖房も効いていないと、投獄された者は死ぬだろう?」
「それでも構わないと作られたのが、この牢獄です。いちいち処刑の手続きなどをするまでもなく処分できますから、経済的でもあります。この寒さですから、死体が腐ったりもありませんしね」
極寒の牢獄。
ここに投獄される者は非常に少ない。
そして、往々にして極刑が言い渡された極悪人だけである。
理人たちがいた世界に比べて人権というものが軽視されている世界で、犯罪者の権利なんて存在しなかった。
「数日と持たずに死ぬだろう、こんなところに入れられたら」
周りを見渡しながら言う大臣。
防寒具をこれだけ着込んでいても、なお寒さを感じる極地。
どれほどの食事を与えられているのかは知らないが、この世界で犯罪者に対して渡される食事は、当然大したものではない。
すぐに身体が弱って命を落とすのではないかと思うが、看守は首を横に振る。
「いえ、そうでもありませんよ。凶悪な犯罪をやってのける者は、相応の力を持っている者が多いので。現在、この牢獄は10室ありますが、空きは6つです。なお、これは数年前から変わりません」
「……入れ替わりが激しすぎて埋まり続けているのか?」
「いいえ。そう言う意味ではありません」
「…………」
唖然とする大臣。
つまり、数年前からこの地獄に叩き落されても、少なくとも四人が生き残っているということである。
もちろん、今大臣が着込んでいるような服を渡されているはずもない。
つまり、生物として自分たちと明らかに異なっていた。
看守がじっと大臣を見る。
その目には、確かな恐怖があった。
「あなたがお求めになっているのは、その中でも特級の怪物です。本当によろしいのですか?」
「……怪物には怪物をぶつけるしかあるまい。今や、世界の三割が破壊され、殺された。なりふり構っていられないのだよ」
大臣の脳裏によぎっているのは、【禍津會】である。
彼らの世界に対する報復攻撃。
それが始まって数か月だが、すでに三割が破壊され、殺されていた。
そして、その魔の手はこのアリアトにも届こうとしている。
彼らを普通の犯罪者と見ることはできない。
でなければ、世界がこんなにも破壊されることはないだろう。
だから、強大な力を持つ怪物を釈放しに来たのである。
大臣の一歩も引くことのない姿勢を見て、看守はため息をつく。
「そうですか。でしたら、私はもはや何も言いません」
あの怪物を外に出すのは反対だが、しょせん自分も雇われの身。
大臣が求めるのであれば、拒否もできないのだ。
極寒の牢獄の中を歩き、一つの巨大な檻の前に立つ。
「こちらです」
そこには、一人の男がつながれていた。
世界創世の日から一度も解けたことのない氷に鎖が打ち付けられ、それに縛り付けられている。
食事もまともに与えられていないはずなのに、身体は屈強なままだった。
そして、その目は今もなお狂気的なまでの強烈な光を放っていた。
「……なんだ? 見世物を見に来たのか? こんな環境の中、随分と物好きだなぁ」
「……この環境の中で、衣服は……?」
「そんな上等なものは貰えねえらしいな。まあ、別に困ることもないから構わないんだが」
大臣がまず驚かされたのは、その男が身に一切何も纏っていなかったことである。
普通の服を着ていても、数時間と持たずに凍死するであろう環境がここだ。
だというのに、数年以上、衣服を一切身に着けずに生存していたというのか。
自分たち一般の人間とは明らかに異なる生体に、大臣はごくりとのどを鳴らす。
「で、何の用だ?」
「……お前に力を振るってほしい」
「なに? 俺のことを知ったうえで言ってんのか?」
眉を顰める男。
自分が犯罪者であること、この悍ましい牢獄にぶち込まれるレベルのことを仕出かしたことなんて、相手も知っているだろう。
それでも、なお大臣は引かない。
「もちろんだ。大罪人、【怪物】ブレヒト。世界を救うため、お前の力を借りたい」
そこまで聞いて、ブレヒトは初めて興味を持った。
「……おもしれえじゃねえか。どういうことか、話してみろ」
ニヤリと笑うブレヒト。
その凄惨な笑みは恐ろしいが、だからこそ禍津會に……理人に抗うことができると、確信できるものであった。
◆
「……今、何か面倒くさそうな予感がした」
「は?」
アリアトに近い場所で、理人が露骨に顔を歪めて言うと、隣にいた愛梨が怪訝そうに眉を顰めるのであった。
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