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玉の輿がしたいだけなのに!~毎度事件が起こる上に、興味のない平民魔法師団長から溺愛されるメイドの事件手帳~

作者: 高岩 唯丑

エキセントリック・メイドドリーム

プロローグ


「あぁんっ、いけませんわアンデスト様! 私は卑しい身分のメイドです!」

 私はそんな声をあげる。少し大袈裟な言い回しだろうか。

「そんなの関係ない! 君がいいんだ! ベル!」

 アンデストの声が響く……私が声を変えていっているだけだけど、それでも妄想には十分だった。私は、自分の両肩を自分で抱きしめて悶えながら、床をゴロゴロと転がって、同じ場所を往復した。溢れんばかりの妄想が止まらなくて、ジッとはしてられないのだ。

「はぁんっ、アンデスト様!」

「ベル! 愛している!」

 気持ちが盛り上がってきて、もう一度妄想の中のアンデストと愛の言葉を交わした。そうするとキュンとしてしまって、もう一度ゴロゴロと転がりまくる。

 不意に部屋のドアが開いた。同僚のメイドであるエルラが蔑む様な視線を向けている。

「朝から何してるの? しかも外まで聞こえてるんだけど」

 盛り上がりすぎて、声のボリュームが上がりすぎてしまったらしい。アンデストとの秘め事が聞かれてしまった。申し訳ありません、アンデスト様。私は努めて何もなかったように言葉を返した。

「べべべべべつに! なにも、しししししてませんが?!」

 なぜか言葉に詰まりまくってしまったけど、冷静に対処できたらしい。エルラからは蔑みの視線は消えて、仕事モードの顔になっている。

「まぁいいけど……そろそろ皆さん起き始める頃だよ、アホな事してないで仕事着に着替えなさいよ」

 アホな事ではない。朝の愛の挨拶である。王子たちに尻尾を振るだけの犬には理解できまい。私は立ち上がり、部屋の角にあるタンスからメイド服を取り出して、素早く寝間着から着替える。早着替えは得意だ。できるだけ長く寝るためだったり、妄想に浸るために必須だったから。

 着替え終わって、机にある小さな鏡を覗き込む。そして少しあざとく見えてしまうけど、可愛らしくガッツポーズをした。手の甲を顔の方に向けて、腰を少し突き出して、チャームポイントを少し強調する。ガッツポーズに見え辛いけど、私はこれの方が似合うだろう。

「今日も頑張ろう」

 それを見たからなのか、エルラが後ろで鼻で笑ったのが聞こえる。まだいたのか。私がエルラの方を振り向いて、不満を込めて「なによ」と言葉を投げつけてやった。

「アンデスト様はそういうのは好きじゃない、私みたいにクールビューティーが好みよ」

 クールぶったポージングを、時間をかけて決めるエルラ。耳がチャームポイントと思っていらしく、メイドキャップで隠れてしまわない様にしている。形のいい耳のおかげか、クールビューティーに見えなくもない。私はそれに対して、お返しとばかりに鼻で笑ってやる。あまり時間もないので、それだけに留めてやった。


 エルラと別れて私は、今日の当番の場所に向って歩き始める。私達メイドは、だいたいみんなライバルだ。身分の低い私達は、みんな身分の高い人間に見染められて玉の輿に乗ることを夢見てメイドになる。メイドドリーム。それを目指しているのだ。

 ちなみに私が勤めているのは王城である。夢は大きく、王族狙いなのだ。

「あぁ、アンデスト様の身支度をお手伝いしないと」

 アンデストの神々しい裸体を、合法的に眺められる当番だ。私は溢れ出るよだれを抑えながら、アンデストの自室へと向かう。アンデストは専属メイドをつけていないおかげで、定期的にこうやって楽しい時間を過ごせる。着替えを手伝うのだから、上手くいけばそういう事になる可能性もある。ぐへへ。そういう事が起きれば、アンデストの専属メイドまっしぐらである。私は自然と鼻歌とスキップが出てしまう。

 ちなみに私は、誰かの専属メイドになれていない。なので日ごとに、色々な仕事をローテーションしている。ある意味これは、王子たち全員と親密になれるチャンス、そう捉えている。じっくり全員を攻略して、どの王子を落とすか決めた後、専属メイドを奪い取るのだ。まぁ現時点で、一番のお気に入り王子はアンデストだけど。

 そんな風にアンデストの自室に向かっていると、前から歩いてくる人物を見つけて、私は少し身構えた。アリーン・ソーランだ。

「やぁ、愛しのベルよ、会えてうれしいよ、奇跡に感謝なのだよ」

 アリーンが恭しく頭を下げてそう言った。何が奇跡だ。ほぼ毎日こうして出くわすという事は、どうやってか私のローテーションを把握しているという事。変質者、犯罪者だ。

「おはようございます、魔法師団長様」

 私はきっちりとした姿勢と、きっちりとしたお辞儀でアリーンに挨拶した。アリーンは私と同じ平民だった。その上幼馴染である。まぁまぁイケメンなのは認めるけど、身分は低い。こいつを選んでも玉の輿は出来ないのだ。だから基本的にこういう態度である。

「つれないなぁ、ベル、僕はこんなにも君への愛を証明しているのだよ?」

 私との距離を少し縮めて片膝をついたアリーンが、手に赤いバラを出現させて渡してきた。私はそれを無視して、歩き始める。後ろからアリーンがついてくる足音がした。

 アリーンには子供の頃に自分の夢を話していた。いつかメイドとして貴族の屋敷に勤め、貴族を落として玉の輿に乗るんだと。それを聞いたからなのか、アリーンは魔法師団長にまで出世した。それからまだ平民だけど、私の玉の輿候補相手になれると思ったのか、私に求愛を始めたのだ。

「高めの給金をもらっているだけの平民に興味ない、領地持ちでも、有り余る財産もないでしょう……まぁ、魔法師団長まで上り詰めたのは、すごいけど」

 私の言葉は最後の方だけ、小さくなってしまう。自分のためにここまでしてくれるのは嬉しいけど、素直に認められないのだ。アリーンは少し芝居かかった動きと口調をしながら、私の前に躍り出る。

「君に振り向いてほしくて、ここまできたのだよ……でも足らないならまだ昇って見せよう……そうだな、爵位を得られれば君を玉の輿に乗せてあげれるかな?」

「爵位? 無理でしょ、私達平民だよ」

 国の歴史は知らないから、そういう人がかつて居たのかどうかわからないけど、無謀だという事は分かる。貧困から這い上がるのは、この世では難しいのだ。私もアリーンも、今の待遇を得られたのは運がよかったからだと思う。特に私は。まぁあまり卑屈になるのはよそう。

 今まで余裕そうに微笑んで少し軽薄な感じだったアリーンが、ふいに真剣な表情になって口を開く。

「やってやるさ、君への愛を証明するために」

 何を言っているのだ。頭では冷静にそう考えているのに、体が違う反応をしてしまう。顔が熱くなり、胸が高鳴った。反応を抑えようと、お尻の方に手を回す。これでは、アリーンを受け入れているようではないか。

「なななななな何言ってんの! そんな……」

 そこまで言った所で、アリーンが体を寄せてくる。私はそれに反応して後ずさると、アリーンも足を止める事なくついてくる。ついに私は壁まで追いやられてしまい、アリーンは私の顔の横あたりの壁に右手をそっとついた。

「僕は、本気なのだよ……君が好きだから、愛しているからね」

 全身が、沸騰しているお湯に浸かっているように熱い。声を出そうと口を開いても、上手く言葉が出ない。逃げれない訳じゃないのに、アリーンの真剣なまなざしから目をそらせなくて、逃げられない。好きなんかじゃないのに、どうして逃げられないのだろう。

 どうしようもなくなっていると、突然、女性の悲鳴が聞こえてくる。助かった。

「いまのは悲鳴かね」

 アリーンが今の体勢を解いて、悲鳴がした方に顔を向ける。私はこれ幸いと悲鳴がした方へと駆け出した。

「た、助けないと」

「ちょっ、ベル! 待ちたまえ!」

 走り出した私の後ろから足音が聞こえる。アリーンはついてきている様だ。

「ついてこないで!」

「助けに行くんじゃないのかね?! 意味がわからない事言ってるのだよ?!」

 自分でも訳が分からない。胸の高鳴りとか全身の熱さとか、そういう物を忘れるために私は声をあげながら全力疾走する。

「にゃあぁぁぁぁ!」

「いや! 意味がわからないのだよ?! 助けに行くのではないのかね?! 絶叫しながら疾走する意味は?!」

 もう意味がわからなくなっている。何をしているのか。でもとにかく走るのだ。もう走るしかない。

「きゃっ」

 そうしていると私は進行方向にある部屋から出てきた人物に、ぶつかってしまってしまった。自分で言うのもなんだけど偉いもので、出てきた人物を見て即座に頭が切り替わって、あざといスイッチが入り、可愛らしい悲鳴を上げたのだ。

「ベル……すまない」

 私は声をかけてきた人物に上目遣いをして、口を開く。その人物は、この国の王位継承権第一位の王子アンデストだった。

「アンデスト様……申し訳ありません」

「いや、大丈夫……それより今、誰かこの廊下を絶叫しながら走っていなかったかな?」

 アンデストがキョロキョロと廊下を見渡す。

「いえ? いませんでしたよ?」

 本当に分からなかった。そんなはしたない人が、この優雅な王城に本当にいるんだろうか。私は首を傾げる。そうしていると遅れてアリーンが追い付いてきた。

「あぁ、アンデスト様……ご無事で」

「アリーン……絶叫と悲鳴が聞こえたがアレは何だろう」

 アンデストの問いかけに、アリーンが一瞬私に視線を送る。私はそれに殺意に近い物を込めた視線を返した。察してくれたようで、ため息をついたアリーンが口を開く。

「絶叫? はて、何のことですかね……悲鳴は確かに聞こえましたな、僕はアンデスト様の身が心配でベルと走ってきたのですよ」

「……そうか、私も悲鳴が聞こえて、確認のために飛び出してきた」

 アンデストの格好を見ると、すでに着替えていた。急いで着替えたためか少し乱れている。この人はいつも隙を見て、一人で着替えてしまうのだ。今も途中まで着替えていて、悲鳴がしたから、そこから急いで着たのだろう。

「申し訳ありません、お着替えの手伝いに遅れてしまって、着替えてしまったのですね」

「いや、いいんだ……着替えの時に肌を、その……まじまじと見られるのが、なかなか慣れなくてね、鼻息もちょっと怖いし」

 アンデストが、私から少し目をそらしながらそう言った。最後の方が小声でよく聞こえなかったけど、照れているらしい。この恥ずかしがり屋さんめ。

「いや、こんな所で立ち話をしている場合じゃない」

 ハッとした表情になってそう口にしたアンデスト。その様子を見て私も悲鳴の件を思い出す。

「僕が様子を見てきます、ベル、アンデスト様を頼めるかね?」

「もちろんです!」

 王城に勤める使用人は護身術程度に魔法が使える。危険が迫った時、使用人の方が兵士よりも近くにいるため、兵士が駆けつけるまで仕える主人を守るためだ。私も例に寄らず護身術程度に魔法は使える。

「いや、私も行こう……アリーンは戦闘はどちらかというと後衛やサポートだろう、危険人物がいた場合、逆に人質に取られそうだ」

 少し笑いながらアンデストが言った。その辺はよくわからないけど、アリーンが申し訳なさそうな表情をしている所を見ると、その通りらしい。

 これ以上の問答は受け付けないといった感じで、アンデストが走り出す。私とアリーンがその後ろをついていった。


 嫌な想像ではあったけど、やっぱりみんな同じ事を考えていたらしく、私達は王様の寝室へと直行していた。ここの辺りはアンデストと王様の部屋しかない。王様の安否を確認すべきだし、行動としては間違っていないと思う。

「あれは」

 アンデストが声をあげた。王様の寝室の前に、へたり込んでいるメイドが一人いる。アリアンだ。どうすればいいかわからない、という感じだ。

「アンデスト様……」

 へたり込んでいたアリアンが、一瞬だけ助かったという顔をした後、申し訳なさそうな表情に変わり私とアリーンを見る。その視線の意味が分からなかったけど、開きっぱなしの王様の寝室に目をやるとその理由がわかった。

 王様がベッドに仰向けに横たわっている。この言い方で正しいのかわからないけど、ベッドで寝る時の正しい位置。ベッドのシーツは赤く染まっていた。ベッドの側面に垂れているシーツまで血が達しているという事は、相当の出血だろう。顔は驚愕の表情で固まり青白い。直感で、もうダメだと分かってしまうほどに。

「父上?」

 アンデストも見てしまったのだろう。そう呟いて、ゆっくりと王様のそばに向かって踏み出す。それから数歩進んで王様に駆け寄ろうとしたところで、アンデストはアリーンに羽交い絞めにされ止められた。

「アリーン! 離してくれ! 父上が!」

「アンデスト様! もう王は」

「まだ! まだわからない! アリーン! 頼む! 治癒魔法をっ」

 取り乱すアンデストはしばらく暴れた後、ゆっくりとその場にへたり込んだ。アリーンが膝をついてアンデストに視線を合わせる。

「申し訳ありません、見た所自然死ではありません、証拠を消してしまわない様にしなければ」

 かけられた言葉が届いていないのか、アンデストは俯いて何も反応しなくなってしまった。しょうがない事だと思う。こんな場面を見てしまったら。

「君! 誰か人を呼んできてくれたまえ! 騎士が居れば騎士を頼む!」

 アリーンがドアの方を振り向いて、アリアンに指示を飛ばす。アリアンは恐々としつつも頷いて、よろよろと立ち上がると歩き始めた。

「さて、僕は遺体から可能な限り情報を読み取る」

 そう言いながらアリーンは私をみて、言葉を続ける。

「ベル、君はアンデスト様を見ていてくれ」

 見ていてくれというのはきっと、現場を荒らさない様にそこに押し留めておいてくれという意味が含まれているのだろう。私は頷いて返した。

 とんでもない事になってしまった。王の殺害なんて大事件だ。私はアンデストに歩み寄りその両肩をできるだけ優しく抱き寄せた。


 私は現場の見分が終わったアリーンの後ろについて、廊下を歩いていた。色々わかった情報を頭の中で整理する。

 王様が亡くなったのは昨夜。就寝のために寝室に入って少ししたくらいで、おそらく一の刻から三の刻のどこかみたいだ。少なくとも朝方ではないから、その刻限に絞っても問題ないらしい。

 凶器は片刃の短剣。それほど大きい物ではなく、服に忍ばせられる程度のサイズ。

 キズは背中にあった。背中と首の中間あたりで、右肩寄りの場所。刃が右肩の方を向いていたらしい。それに加えてベッドのシーツの右側面に、引っ張られたられた様なシワが深めに刻まれていた。座った程度でできるシワには見えなかったらしいから、おそらく犯人がそこに膝をついて、俯けで眠っていた王様に短剣を振り下ろして殺害し、発覚を遅らせるためなのか仰向けにして去っていった。それがアリーンの見解らしい。

「あっ」

 突然何かにぶつかってしまって、私は声をあげた。見てみるとぶつかったのはアリーンの背中だ。

「ごめん! 考え事をしてて」

 振り向いたアリーンが、面白そうにしながら口を開く。

「いいさ、ぶつかったくらい、それにちょっとベルに触れられたわけだから、嬉しいくらいなのだよ」

 背中にぶつかった事が触れられたという発想になるのは、なかなかにキモイぞ。私は少しアリーンに呆れた視線を送る。アリーンはその視線を物ともしない表情で言葉を続ける。

「ははっ、真に受けないでくれたまえ、冗談なのだよ」

 嘘つけ。絶対そう言う発想をしていた気がする。私は呆れた視線から疑いの視線に切り替えてアリーンを見つめ続ける。

「そんなに熱い視線を送らないでくれたまえ、照れてしまうよ」

 もう意味がわからない。私が視線を外してため息をつくと、アリーンが小さく笑った。

「ところで、ベルの玉の輿計画はこれで瓦解してしまったね」

「は? なんで?」

 心底嬉しそうな笑顔を浮かべたアリーン。ちょっと腹が立つのだけど。

「考えてもみたまえよ、王が殺されたんだよ」

「? それが? あの人関係ないし」

「さすがにメイドとして、その態度はどうなんだね、直属の主ではないにせよ、仕えているのに」

 苦笑しながらアリーンがそう言った。あんなおいぼれ爺さんに興味はないし、仕えているつもりもない。私は王子たちに身も心も捧げているのだ。

「まぁ、それはいいとして」

 苦笑から、勝ち誇ったような笑顔に変わったアリーンが口を開く。

「殺されたのだ……そして、王が居なくなる事で得をする人間がいる」

 たぶん誰もが、王様が死んだ際に思い至った事だろう。私は考えない様にしていたけど、アリーンはそれを指摘するつもりらしい。憎らしく思いながら、私はアリーンを正面から見据える。

「……王子たち」

「そうなのだよ、彼らは王を殺す動機がある、王がいなくなれば全てが自分の物になるのだからね」

 少し残念な表情でそう指摘したアリーン。考えない様にしていたけど、確かにそうなのだ。王がいなくなれば、富と権力が全て自分の物になる。そこまで考えて私は顔を横に振って口を開いた。

「でも、そんな事する様な人たちじゃあない」

「僕だって親しくしている人たちだ、そう信じたいがね……情は抜きにして考えなければ」

 そう言いながらアリーンが人差し指を立てて、天井に向けてくるくると回す。

「まずはアンデスト様……王殺しの第一容疑者なのはわかるね?」

「うぐっ」

 指摘された私は唸り声をあげる。アリーンは気にせず続けた。

「王を殺して、一番得をするのはアンデスト様、何故かわかるかね?」

「……王位継承権第一位で、王様が居なくなればアンデスト様が王様になる」

 アンデストは王様が居なくなれば、この国の王になれるのだ。富と権力が、国を自分の物にできる。王がいつか死ぬと分かっていても、目が眩んで、魔がさして、殺してしまった可能性はあり得る。

「で、でも殺すとしても毒殺とかの方がありえそうな」

「自分でやったとは限らんよ?」

 私の指摘に即座に言葉を被せてくるアリーン。私は何も言い返す事ができず、黙るしかない。誰かに殺させてその人物を切り捨てる。これから王になるのだから、それくらい容易い。

「次にセブリアン様……立派な容疑者候補だね」

 私が何も言えないでいると、アリーンが次の容疑者をあげる。

「セブリアン様は王位継承権第二位で、一見王を殺害しても得がないように見える」

「そうだよ、アンデスト様がいるんだから殺しても自分が王になれるわけじゃない」

 私が指摘した事に対して、アリーンが残念そうに首を横に振る。そうだよね。セブリアンにも動機がある。私は諦めたようにアリーンの言葉を待つ。

「アンデスト様より優秀なのに、王からは重用されていなかった、遠ざけられていたわけではないけど、何かとアンデスト様に任せていたね」

 セブリアンは少し難しい人だ。プライドが高めなのだ。まぁ優秀さに見合うプライドの高さではあった。つまり兄ではあるけど自分より優秀ではないアンデストを重宝する王には、不満があったかもしれない。

「何かがあって、積年の不満が爆発してしまった可能性は、充分じゃないかね?」

 私が考えた事を見通す様に、アリーンが補足の言葉を口にした。私がため息をつくとアリーンがさらに続ける。

「さて、トール様も忘れてはいけないのだよ」

「いや! トール様がそんな事!」

 トールはとても穏やかで優しい人だ。人を殺すなんてできるとは思えない。でも私の訴えに対して、アリーンは残念そうに首を横に振る。君も分かっているだろう、と言いたげだ。分かっていた。トールの事情は。

「見方によっては、一番王に恨みを持っていると思わないかね?」

 そうなのだ。トールは長男だけど、王位継承権第三位になっている。側妻の子供だったために、正妻の子である次男のアンデストと三男のセブリアンに追い越された。アリーンの言う通り見方によっては、一番恨みを持っている可能性はある。

「思い当たる節があるようだね?」

 私は憎々しくアリーンを睨む。それを受けてアリーンが一度苦笑してから、私に背中を向け言葉を続ける。

「王子たちの誰かに犯人がいる、万が一その犯人と結ばれてしまえば……色々面倒だし、一気に転落する可能性を秘めている」

「それで私の玉の輿計画が、瓦解したと言いたいわけね」

 振り向いて少し真剣な表情で頷くアリーン。私を心配しているのだろうか。

「誰が犯人かわからない状態で計画を続ける、そんな危ない橋を渡るより、僕にしておけば安心だ」

 私を好いてくれているから、危ない橋を渡らせたくないのだろうな。アリーンの眼差しを受けて私は顔が熱くなるのを感じる。何で私なんかをそんなに好きでいてくれるんだろう。私とアリーンでは、こんなにも差があるのに。

 いつも私はアリーンを無視していた。それでも側にいるのは、本当に好きだからなんだろう。私の玉の輿計画を聞いて、自分も貴族になればと上り続けているのは、私を本当に好きだからなんだろう。意識を始めると、どんどん私の体温は上がっていく。アリーンにしておいたら、そんな考えが頭を過る。いやいやいや、私は身分の高い人に見染められて玉の輿に乗って一生豪遊して暮らすのだ。幼少期の貧困時代とバランスをとるために、そうするべきだ。

「むぐう」

 揺さぶられている。これはアリーンの罠だろうか。いつも軽薄な態度と表情で、不意に真剣になるのは卑怯である。キュンとしてしまうではないか。

 そこでふと思いつく事があった。そうだ犯人を見つけよう。私は急いでその考えをアリーンにぶつけた。

「じゃっ、じゃあ犯人を見つければ! 私の玉の輿計画は、ダメにならない!」

「なっ……いや、そんな事は……」

 予想外の言葉だったのだろう。アリーンは明らかに動揺していた。そうだ、犯人を見つければ危ない橋ではなくなる。

「じゃ! 犯人探してくる!」

 私は体を反転させて、走り出す。正直アリーンの顔を見てられない。いや、私はアリーンにドキドキなんてしていない。断じて。犯人を捜すために走り出したんだ。アリーンにドキドキして耐えられなくなった訳ではない。断じて。


01 アンデスト


 私はアンデストの自室までやってきた。まず最初に第一容疑者と言われていて、一番のお気に入りのアンデストの身の潔白を証明したかったのだ。

「失礼します」

 何度かノックをしても返事がなく、仕方なく断りを入れて中に入ってみる。部屋でうずくまっているかと思ったら、そうではないらしく姿が見えない。

「やっぱり……あそこか」

 私はある場所を思い浮かべる。アンデストが何かあるといつも行く場所。落ち込んだ時とか、何か嬉しかった時にも行っている気がする。何もなくてもいているかもしれない。私はそんな事を思いながら、いつもの場所へと急ぐ。


 王城の西の塔。元々見張り台として使われていたけど、新しく見張り台が作られて使われた場所。もう人はいなくて、誰かが来る事も滅多にない。一人になれるからなのか、アンデストはそこが好きなのだ。

 私は西の塔のてっぺんの部屋のドアノブを掴むと、鍵がかかっていなかった。やっぱりいる。中に入るとアンデストの背中が見える。窓から外を眺めていた様だ。ドアが開いた音に反応して、こちらを振り向く。

「……ベル」

 アンデストが観念したように苦笑してから口を開く。

「すまない、すぐ戻るよ」

 ドアに向かって歩き始めようとするアンデストに向って、私は微笑んで少し首を横に振る。

「呼び戻しに来たわけではありませんよ」

 そういうつもりで来た訳じゃない。身の潔白を証明するため。何より一人で悲しんでいそうなアンデストのそばに、居たかった。私はアンデストの隣に並んで外を眺める。今は昼を過ぎて十三の刻。城下町には日の光が降り注いで、きっといつも通りの日常が営まれている。まだ王様が亡くなった事は伝えられていない。当然なんの騒ぎにもなっていないだろう。アンデストも窓の方に体を向けなおして、窓の外を眺めた。

 しばらく二人で黙って外を眺めている。不意にアンデストがポツリと呟いた。

「私は、王になるらしい」

「そう……ですね」

 王様が亡くなったのだ。王位継承権第一位のアンデストが王になるのは当然の話。何を言っているんだ、というのは少し違う気がする。本来なら病に倒れるか、老いで弱っていく姿を見て、気持ちの整理をして死を目の当たりにする。その筈なのに、王様は殺されてしまって突然突き付けられた父親の死と王座だ。混乱するのも分かる気がする。

 私は体を横に向ける。アンデストは窓の外を眺めたままだった。横顔は苦痛に耐えるように眉をひそめている。

「いや、理解はしていたんだ、私が次期王だと……でも」

 アンデストがこちらを向いて、一度声を潜めた。口に出してしまっていいだろうか、という沈黙。それから苦笑して口を開く。

「でも……まだ先の事だろうと安心していた、覚悟を決めていなかった」

 アンデストは目を伏せてしまった。混乱して当然だ。ただ親が死んだわけじゃない。王という、すべてを背負う重責までついてくるのだから。真面目だからこそ、全てが手に入るなんて楽観視はできないのだろう。

「本当は、王にはなりたくなかった……少なくとも、まだ時間があると思っていた、徐々に王になる覚悟を決めていいかと、悠長に考えていた」

 アンデストが伏せていた目をこちらに向ける。

「情けないダメな人間だよ、私は」

 本当は王になりたくなかった。この人が、王様を殺すわけがないのでは。一瞬そんな事を考えた私は、一旦考えるのをやめる。今はアンデストを何とかしてあげたい。

 私はアンデストの頭の後ろ辺りに手を回して、自分の胸に引き寄せ優しく抱きしめる。

「ちょっ、ベル?」

 慌てているアンデストに私は声をかける。

「……ちゃんと泣きましたか?」

 いろいろな責務に追われて、王になる覚悟とか考えてて、きっとそんな暇はなかったのではないか。私は出来る限り優しい声で、アンデストに囁きかける。

「王の覚悟とか一旦脇に置いておきましょう、今はあなたはただのアンデストで、私はただのベル……王族と国民でもなければ、主人と使用人でもありません」

「あ……あぁ」

 アンデストがゆっくりと座り込む。私もそれに合わせて膝立ちになった。

「ただの一般人だから、強くなくてもいいんですよ、泣いたって誰も失望したりしない、ね?」

「……あり……だとう……ううっ、あぁぁ……」

 背中に回されたアンデストの手が、握り締められる。少し震えていた。


 私とアンデストは並んで、窓の下の壁を背もたれにして座り込んでいた。アンデストが少し笑う。私は何だろうとアンデストを見た。

「恥ずかしい所を見られてしまった……でもなんだか気持ちの整理がついたよ」

「それはよかったです」

「昔、母上が亡くなった時を思い出した……あの時もここで同じように泣いたんだった、その時はベルじゃなくてエミラ様だったけど」

 私がまだここに勤めていなかった時だ。エミラ様は王様の側妻だ。元メイドでメイドドリームの体現者。私はあの人が大好きだ。エミラ様と同じ行動が出来て、なんか嬉しい。

「……エミラ様の方が良かったですか?」

 ふといじわるな気持ちになった私は、そんな事を口にしてみる。それを受けてアンデストは困った様に笑った。

「……そんな事は無いよ」

 いまならキスしても拒否られないのでは。私の頭によこしまな考えが浮かぶ。いけない。今はそれより、アンデストの身の潔白を証明する方が先である。

「……ところで、辛いかもしれないんですが、昨夜の話を聞いてもいいでしょうか?」

 私がそう問いかけると、アンデストは少し驚いたような表情を浮かべて聞いてくる。

「もしかして、事件を調べようと? 危ないし、やめておいた方が……」

 至極もっともな話である。王様を殺した犯人が王城内にいる訳だし、短剣で刺すという凶暴な部類に入る殺害方法を選んだ相手だ。危険というのは確かだと思う。心配してもらった事を嬉しく思いながら、私は慌てて言い訳を口にする。

「私が調べるんじゃなくて……そう、アリーン様に関係者に話を聞いてくるように言われて」

 アンデストは呆れたようにため息をつく。私は心の中でアリーンに詫びた。アリーンよ、ごめんね。

「やらないと私が怒られてしまうので」

 様子を伺うように私が言うと、アンデストが体をこちらに向けて正座する。

「危険だと思ったら、ちゃんと逃げるんだよ? アリーンを盾にしても、囮にしてもかまわないから、私が許可する」

 真剣な表情でアンデストは、すごい事を言っている気がする。私を含めアリーンの扱いに少し同情した。アリーンって、意外と皆からの扱いがぞんざいな気がする。それだけ信頼されている証だろうか。親しみがあるからか。

 私は正座をしているアンデストと向き合って、同じように正座をする。

「わかりました」

 遠慮なく盾か、囮として使わせてもらおう。アリーンはあれで魔法師団長だ。魔法で何とかするだろう。あぁ、でも弱い部類の人間だっけ。まぁいいか。

 少しふざけた雰囲気に区切りをつけるべく、私はコホンと一度咳払いをしてからアンデストに問いかける。

「王様が亡くなったのが、昨日の一の刻から三の刻くらいらしいんですが、何をしていましたか?」

「あぁ……」

 あごに手を添えて、少しの間考える様にするアンデスト。ややあって答えてくれる。

「もう寝ていたかな、確か、刻限を気にしていなかったから少し曖昧だけど」

 その時間なら当然と言える答え。もう少し突っ込んで聞いてみる。

「一人でしたか? 使用人は?」

「一人だよ、使用人は、もうかなり前にさがってもらっていた」

 これで女性と夜を共にしていた、とか言われたら立ち直れなかった。私が勝手に安心していると、アンデストが悲しそうな表情になる。どうしたんだろうと私が首を傾げると、アンデストは少し暗い声を出した。

「これだと、私は容疑者になるのかな……一人だったわけだし、本当だと証明できない」

 そうなってしまうけど、この時間ならほとんどの人間が同じ答えだと思う。城内を徘徊してました、なんていう人はいないだろう。

 私はアンデストの言葉を否定する様に、首を思いっきり横に振る。

「そんな! こんな悲しんでいるんだから、犯人の訳がありません!」

 私を見て、アンデストが力無く笑う。

「ありがとう……信じてくれて」

「アリーン様には、私の受けた印象的に犯人ではないと、伝えておきますので!」

 私の言葉にアンデストは苦笑しながら返してくる。

「信じてくれないだろうな」

 大丈夫。アリーンは関わっていない。私はそんな事を思いながら口を開く。

「他の方にも話を聞きにいかないといけないので、そろそろ行きますね」

 私はそう言って頭を下げる。

「……くれぐれも気を付けて、私はもう少しここにいるよ」

 アンデストが笑ってそう言った。私は立ち上がって部屋を出た。


 幕間01


 私は西の塔から、城に戻ってきた。

「やぁ、首尾はどうだね?」

 待ち構えていた様に、ひょっこり現れたアリーンが声をかけてくる。どうしていつも、私の居場所がわかるのか。今回は仕事と関係ないから、ローテーションから判断できないのに。まぁどうせ聞いても愛だの言って、はぐらかされるだけだから聞かないけど。

 私は立ち止まって、成果を自信満々に伝える。

「とりあえず、アンデスト様は犯人ではない」

「ほほぅ、どうしてだね? 理由を聞かせておくれよ」

 アリーンは挑戦的な笑みを浮かべている。私はそれに、勝ち誇った笑みを浮かべながら答えてやった。

「王様が亡くなった刻限は寝ていたらしいよ、それだけじゃない……ある話をして感じたけど、アンデスト様は犯人ではないと思う」

 涙の件は、私とアンデストだけの秘密だから話さない。

「それだけで、決めつけるのかね?」

 呆れたように、アリーンがそう問いかけてくる。私は少しムキになりながら返した。

「それだけって、秘密だから言えないけど、アンデスト様の態度は犯人ではありえない」

 納得していないらしいアリーンが、反論の言葉を捲し立てる。

「寝ていたのを誰かが確認したのかね? 使用人が就寝時に居たのかね? 態度にしてもそうだ、何があったのかわからないが、演技の可能性だって十分にある、すべてを手に入れるためにそれくらいするかもしれない」

 あれで今頃ほくそ笑んでいたら、私は人間不信で立ち直れなくなる。それくらい印象的には犯人ではない。そうは言っても、私の願望に近いという事は認めざる負えない。

「常に演技をしているベルなら、その可能性は考えるべきだね?」

「うぐぐぐぐ」

 私は唸る。自分だって玉の輿を狙って、演技をして過ごしてきた。人は利益の為なら、嘘をついて演技をする。その事は自分が一番わかっている。

 アリーンが勝ち誇った笑みを浮かべて、口を開いた。

「やはり、僕が一番安全ではないかね?」

 こいつ。絶対どこかで、盾か囮に使ってやる。私は密かに誓いめいた物を立てながら、口を開いた。

「まだ! 犯人捜しは始まったばかりだから!」

「いつまで頑張れるか、楽しみだよ……君はいつか僕を選ぶ」

 嬉しそうにそう言うアリーンを無視して、私は歩き始める。とりあえずこいつは選ばないと、今決めた。後ろからアリーンの声が聞こえてきたけど無視だ。

 しばらく怒りに任せて歩いていたけど、それが冷めると私はため息をつくしかなかった。冷静に考えれば、アリーンの言っていたのは確かな事。私の希望的観測を抜きにしたら、アンデストが犯人ではないとは言い切れない。確実な証拠がないのだ。

「はぁ……」

 もう一度ついたため息に反応する様に、声が聞こえてくる。

「あっ、ベルちゃん、ため息なんてついてどうしたの?」

 私はその声に即座に反応する。大好きな人間の声には、体がそう言う反応を示すのだ。

「エミラ様!」

 私の声は嬉しさで弾んだ。別に久しぶりに会ったとかではないのだけど、テンションが感動の再会の様になってしまう。いつもこうしているのだ。私はエミラに抱き着いた。

「こらこら、誰かに見られたらどうするの」

 エミラは咎める事を言いつつも、嬉しそうにそう口を開く。嫌がっていない様でよかった。私達は少しだけ戯れた後、離れて恭しく頭を下げる。

「申し訳ありません、足がもつれてしまって、受け止めていただいて感謝いたします、エミラ様」

「ふふふ、苦しゅうない、面を上げよ」

「ははっ」

 私は堪え切れなくなって声をあげて笑う。エミラも同じように笑ったけど、すぐに口の前に人差し指を立てた。それから二人は声を抑えて、クスクスと笑う。

 エミラも、落ち込んでいるんじゃないかと思っていた。でも大丈夫そうだ。冗談を言い合える位には、元気があるらしかった。やっぱり強い人間だ。

「安心しました……落ち込んでいるかと心配していたんです」

「あぁ、うん」

 私の言葉に対して、エミラは一瞬顔を曇らせる。でもすぐに笑顔を見せて口を開いた。

「落ち込んでいない訳じゃないよ、でも私がしっかりしないといけないし」

 しっかりしないといけない。そう言ったエミラの瞳には何かを決意したような、強い光が灯っていた。王様が亡くなり、すでに正妻も亡くなっている状態の現状では、エミラが王子たちの母親だ。トール以外にとっては義母ではあるけど、そんなの関係なく母親であろうとしているかもしれない。やっぱり強い人間だ。

 私はその強さに憧れていた。私も強くなりたい。

「ところで、セブリアンがどこに行ったか知らない?」

 いつもの笑顔に戻ったエミラが、思いついたように聞いてくる。今日はセブリアンとは全く接点がない。

「わかりません……すみません」

「あっ、いいのいいの、ちょっと気になった事あっただけだから……ところで、頼みがあるんだけど」

 何かを隠す様に、話を変えるエミラ。私はどうしたんだろうと思いながら、言葉の続きを待つ。

「トールが落ち込んでるから、何か元気の出る物を持っていってほしいの、今自室にいるはずだから」

 そこまで言ったエミラがイタズラっぽく微笑んで、続ける。

「お母さんより、若い女の子の方が元気が出るでしょ」

 なんとなくエミラの意図をくみ取る。私にチャンスをくれようとしているらしかった。こういう時優しくされると、コロリといく物だ。私はニヤリと笑って「承りました」と答える。

「うん、一回分くらいの時間はどこかで潰してくるから、気にしなくていいよ」

 意味ありげに、一回分という言葉を強調して言うエミラ。親としてどうなんだろうと思うけど、チャンスをくれたのだからありがたく受け取ろう。

「じゃあ、健闘を祈る」

 芝居がかった動きでエミラがそう言うと、その場を離れていった。私は急いで準備をするため、キッチンに向かって走り出す。


02 トール


 アップルパイを持った私は、トールの自室の前にいた。トールは甘い物が好きだ。とりわけアップルパイを好む。さすがに短時間で作れるものではないから、こういう時のために作り置きをしていた物を持ってきた。普段から王子たちの好きな物を用意している。トールの甘い物に関しては数日しかとっておけないので、常にいろいろな物を作っていた。今回は偶然アップルパイを作っていたから、運は私に味方している。

「まぁ、出来たら私が新たな好物を、トール様にもたらしたかった」

 アップルパイを超える新たな好物を私が見つけ出したら、私とトールだけの秘密になる。特別な秘密。それを目指して、色々な甘い物を渡していたけど。

「今回はしょうがない」

 私は一度深呼吸をして、ドアをノックする。

「誰……かな?」

 優しさに包まれた声。でもいつも通りじゃなく、確かに落ち込んでいる様だ。

「私です、ベルです、良い物をお持ちしましたよ、甘ーいアレです」

 私はあえて明るい声を出す。トールの良い所は人の好意を無下にできない所。たぶん一人になりたいと思っているけど、私の好意を受け取ってくれるはずだ。予想通り、目の前のドアが開く。

「……ありがとう」

 困った様に笑うトール。私は強引に中へと入り込んだ。それでもトールは嫌な顔はしない。苦笑はしているけど。

「アップルパイ好きですよね、ちょうどおやつ時の十五の刻ですし」

「あぁ」

 今やっと、アップルパイに気付いたような反応だ。それだけ落ち込んでいる証拠だろう。でも好物のアップルパイに、トールの声が少しだけ明るさを取り戻したように感じる。私は近くの机に、アップルパイの乗ったトレーを置く。

「さぁ、食べましょう、こういう時はホール食いです!」

 アップルパイは切り分けていない。全部食べれるように、小さめに作ったのだ。それを聞いたトールは笑う。

「ははっ、確かに……ベル君にはいつも驚かされるよ」

 笑顔のまま目を細めるトール。とても優しい穏やかな笑みだった。

「いつもありがとう、人の事をよく見ているね、僕が落ち込んだ時に君はいつも寄り添ってくれる……君のそういう所、好きだよ」

「トール様……ありがとうございます」

 トールのほんわりとした空気に、私もほんわりとする。トールの言う好きは、きっと恋愛的な意味ではない。動物に向ける様な物だろう。それは空気でわかる。それでも私は良いかなと思っていた。ガツガツとした恋ではなく、穏やかな愛という感じ。

 アンデストとトールで私はいつまでも迷っている。どちらも捨てがたい。二人とも踏み込めばきっと発展できるから、私次第なのだ……という考えは自意識過剰だろうか。

「一緒に食べよう、ちゃっかりもう一つフォークを用意しているのだろう?」

 いたずらを見抜いた親のように笑うトール。私はへへへと、懐からフォークを取り出した。

 しばらくの間全部忘れて、私とトールは笑いながら一つのアップルパイを食べすすめた。


「ごちそうさまです」

 私の言葉に反応して、トールが微笑んで返してくれる。

「こちらこそだよ、ごちそうさま」

 満足してくれたようで、トールの表情には先ほどの様な陰はさしていない。幸せな時間だったからな。私自身も、色々忘れられる時間だった。

「やっぱりベルは料理が上手いね……調理場の料理人に推挙しておこうか」

「やめてくださいよ、私はメイドが良いです」

 ちょっとした冗談で、私たちは微笑み合う。幸せな時間だ。

「ベル君と一緒に居ると、いろいろ忘れられるよ」

「あっ」

 私はつい声をあげてしまった。トールが不思議そうな表情で、問いかけてくる。

「どうしたんだい?」

「私も同じような事を考えてて、ビックリして」

 その言葉にトールは少し目を見開いた後、微笑んだ。

「そうなんだ、こういうのはなんだか嬉しいね」

「……はい」

 なんだかくすぐったい様な空気に、幸せを感じる。トールも同じだろうか。私はトールの顔を伺う。同じようにくすぐったそうに微笑んでいた。あぁこんなに穏やかな人間が親を殺すとは思えない。憎しみがあったとしても、それに負けたと思いたくない。

 私は幸せな空気に後ろ髪を引かれながら、トールに問いかける。

「疑っているわけではないんですが、でもアリーン様に……関係者に話を聞いてくるように言われて……なので聞いてもいいですか?」

 アリーンごめん。また嘘をついた事を心の中で詫びつつ、トールを見つめる。私の言葉で、少し悲しそうな表情を浮かべた。

「そう、なんだね……そうだね、今はそういう状態だった」

 緊急事態。それから目をそらし続けていられれば、どれだけ楽だろう。トールは、そんな事を思っているのではないか。でもそうもいかないのだ。

「王様が亡くなったのが、昨日の一の刻から三の刻らしいんですが、何をしていましたか?」

「昨日、その時間……もう寝ていたと思う」

 特に淀みなく答えるトール。それに私は「そうですよね」と返した。時間が時間だから、だいたいそうだろう。そして、誰にも証明してもらえない。

「……父上、どうして」

 トールが悲しそうに呟いた。また悲しい思いが、沸き上がってきてしまったらしい。アップルパイを食べる前に、話しを済ませてしまった方がよかったかもしれない。失敗した。

「こんな話をすると」

 そこまで言ったトールが、私を真剣な表情で見つめて言葉を続ける。

「犯人ではないと必死になって訴えている感じが、逆に怪しく見えるかもしれないけど」

「いえ! そんな事は」

 私の言葉に悲しみに溢れた微笑みを浮かべて、トールが言葉を続けた。

「父上には感謝していた、僕は人の上に立つ器じゃない、国を動かすなんてとても……皆からは外に追いやられた哀れな王子に見えたかもしれないけど、違うんだ……僕は今の立場に満足している」

 王城の使用人以外の仕事には関心がなかったせいで、どういう役職があるのかよくわからないけど、植物か何かを研究する所の、所長をしていたはずだ。エミラ様が花が好きで、その影響でそういう仕事をしているとか。少なくとも要職ではないはず。そこに満足しているという事だ。

 トールは王様を恨んでなんていない。この姿を見ればそれが分かる。トールはきっと犯人じゃない。

「ありがとうございました、アリース様に私の印象ではトール様は犯人ではないと伝えます」

「……ありがとう」

 トールが俯き気味にそう言った。心の中ではほくそ笑んでいるなんて思えない。トールは本当に王様の死を悼んでいるし、自分の立場に満足していたのだ。

 私が部屋を出るために、トールに一度頭を下げる。するとトールが思い出したように声をあげた。

「あっ、アップルパイ美味しかった、ありがとう」

「いえ、大したことじゃないですよ」

 トールは微笑んでいた。アップルパイの効果は少しくらいあったようで私は安心しながら、トールの部屋を後にした。


 幕間02


 私は廊下を歩きながら、頭を捻る。アンデストもトールも、王様が殺された刻限は一人だった。でも王様を殺しているようには思えない。演技でないのなら、王様に恨みも無ければ怒りもなかった。むしろ王様という立場を嫌がっている。容疑者と目されていたけど、二人とも実際は殺す動機が無かったという事だ。

「じゃあ、セブリアン様が?」

 確認する様に、私は声に出してみた。なんか違う気がする。セブリアンが王様を殺したところで、王様になるのはアンデストだ。殺すならまずアンデストの方だろう。少なくともセブリアンは合理的で頭が良い。王様はそのうち死ぬのだから、そんな危険は冒さない気がする。

 だけど私の中では、セブリアンが犯人であればと思っている。セブリアンとはあまり仲良くなっていない。あの人間は隙がない。全然揺るがないから、脈無しだと思っている。アンデストやトールが犯人ではないと思いたくて、結構最低な事を考えているな、私って。

「とりあえず、セブリアン様にも話を聞きにいかないと」

 勝手な自分の願望で、犯人と決めつけるのはさすがにいけない。私は、セブリアンの自室に向かって歩き始めた。


03 セブリアン


 私はセブリアンの自室の前に立って、一度深呼吸をする。もしかしたら犯人かもしれないという気持ちが、私を緊張させた。昨日の夜の事を聞いたら、消されてしまうのではとちょっと思う。私の様な卑しい上に平民使用人なら居なくなった事にしてしまえば、きっとみんな何も言わない。相手は王族なんだし。

 意を決して、私はセブリアンの自室のドアをノックする。中から反応は無い。少し安心してしまいながら、私は考える。何処かに行っているのだろうか。そういえば、エミラもいないと言っていた気がする。王様が殺されて、騎士団と魔法師団の調査が行われているし、部屋で大人しくしていてほしい物だ。

「セブリアン様はどこか好きな場所はあったかな」

 あんまり隙が無いから、そういうのは分かっていない。唯一好きな物が読書という事が、分かっているくらい。

「どうした? こんな所で」

 部屋の前でどうしようかと考えていると、突然声をかけられてそちらに顔を向ける。

「セブリアン様」

 少し苛立った声。それに表情も不機嫌な様子だった。私は怒られる前に、すぐ部屋の前から移動する。セブリアンがそれを見て、自室のドアに手をかけた。そういえばどういう理由で訪ねるか、考えていなかった。慌てて言い訳を考えていると、何も言わないでいる私にしびれを切らしたように、セブリアンの方が先に口を開く。

「まぁいい……ちょうどいいしな、中に入ってくれ」

 ちょうどいいとは、どういう事だろう。私は不思議に思いながら招き入れられた部屋に、セブリアンと一緒に入る。部屋に入ったセブリアンは、少し乱暴に椅子へと腰掛けた後ため息をつく。

「どう……されました?」

 怒られないかとびくびくしながら、恐る恐る理由を尋ねてみる。それに対してセブリアンは、懐から紙らしきものを取り出して、こちらに差し出してくる。

「字は読めるな? 読んでみてくれ」

 ちゃんと読めると私は少しムッとしつつ、差し出された物を受け取った。開いてみて、それが手紙という事に気付く。内容は「王殺害の犯人を見つける手掛かりがあります、シンクフォイル園の東屋へ来ていただけませんか」と短く書いてあった。シンクフォイル園とは、たぶんだけど城の南西にある庭園の事だろう。

「犯人の手掛かり?」

 それはすごい事だ。今それを聞いてきたのだろうか。私は少し期待を込めて、セブリアンを見る。

「あぁ、それで南西にある庭園に行ってきたが、誰も現れなかった」

 ため息まじりのセブリアンの声。誰も来なかったから、苛立った様子だったらしい。

「城内勤務の者で、手書きを見た事がある者たちとは文字が違う……使用人の中でこんな文字を書く人物に覚えがないか?」

 私は、セブリアンの問いかけを聞いてやっと理解する。ちょうど良かったという言葉は、この事を聞きたかったのだろう。ただ、残念ながら望んでいるだろう答えは出せない。

「いないです……申し訳ありません」

 そもそも、使用人が文字を書く機会がない。王城で勤める者として、最低限の教養として読み書きを出来る様に教育されてはいるけど、指示とかは口頭が基本だ。個人的な日記とかを書いている可能性はあるけど、それを見せてもらったことは無い。あとは字を書く機会がありそうなのは、使用人長であるメイド長と執事長だけど、私は見た事がない。

「そうか……早く保護しなければ、その人物に危険が及んでいるのかもしれない」

 セブリアンは少し体を前に傾けて、両手で口を覆うようにする。考える時によくするポーズだった。心配しているから苛立っているらしい。ちょっと意外。すっぽかされたから怒っているかと思ったら、相手の事を考えて焦って苛立っているのだ。

「心配ですね」

「……私達王子が容疑者だから、機嫌を損ねたくなくて、騎士団と魔法師団の調査など形だけだ、犯人がうやむやのままか、誰かが生贄にされて幕引きされるだろう……だからこそ危険だ」

 手掛かりを知っている事が犯人にバレたら危ない。しかも犯人が捕まらないかもしれない。差出人の身の安全は、いつまで経っても保証されない。

 差出人は、立場の弱い人だろうか。高官やましてやアンデストやトールなら、こんな事をせずに誰かを動かして自分で調べればいいし、相談するにしても普通に呼び出して密談すればいい気がする。立場が弱い人の可能性があるから、セブリアンは焦って苛立っているのだろう。

「……ところで」

 考えるポーズをやめたセブリアンが、私に視線を向けて言葉を続ける。

「シンクフォイル園というのは、南西にある庭園の事で合っていたか?」

「城には庭園が一つしかありません、たぶんそこで合っています」

 あの庭園がシンクフォイル園という名前なのを、今初めて知った。城内の人のほとんどが、知らないんじゃないだろうか。誰かから、その名前を聞いた事さえない。

「それから……手紙の件は内密に頼む」

「もちろんですよ、手紙の差出人に、危険が及んでしまうかもしれませんもんね」

 私がそう言ったところで、セブリアンが少し驚いた顔をする。

「意外だったな、失礼な話だが……もっと頭が弱いかと」

「ヒドイ! もぉっ」

 私はあざとく、プリプリと怒って見せる。

「そういう所を見せるのをやめたらどうだ、勘違いされるぞ」

 そんな事を言うのなら、私だって。そう考え反撃の言葉を私は口にする。

「セブリアン様だって、もっとニコニコしていれば……勘違いされますよ? 本当は優しい人間なのに」

「やっ、優しいなんて……弱い者を助けるのが王族の役目、王たる資格だ!」

 照れるポイントがよく分からないけど、セブリアンは少し赤くなっている。ただ素直じゃないだけか、優しいと思われるのが恥ずかしいのか。褒められるのが、恥ずかしいという事も考えられる。照れ隠しというやつだ。実はも可愛らしい、良い人間なのかもしれない。今まで敬遠してしまっていたけど。

「王たる資格……か」

 不意にセブリアンが自嘲気味に呟く。今まで可愛らしい感じだったのに、表情には陰が差していた。

「私にその資格がなかったから、父上は私ではなくアンデスト兄上を選んだのにな」

 王様には見る眼がなかったのだろうか。セブリアンは優秀だ。それに、分かりづらいけど優しい。ちょっと気難しい所があるけど。あと字を読めるか聞いてきたのは、私の様な使用人に偏見があるっぽいからだし、それが難点か。まぁでもそれは、ちょっと裕福な人間ならみんな持ってる偏見だし。王様もそれを気にしないのでは。

「その……優劣の差とかそんなの関係なく順番というか、アンデスト様がお兄様だからでは」

 私の言葉に、セブリアンが首を横に小さく振った。

「それを言うなら、トール兄上が第一位になるべきだろう、誰の子供か関係なく」

「確……かに」

 何も考えず順番で決めたのなら、側妻の子供であっても、長男のトールが一位になっているはず。私が何か反論できないか模索していると「ありがとう」とセブリアンが力無く笑ってから、続ける。

「もう確認しようがないが、おそらく父上にとって、優秀だとか誰の子供だとか順番とか、そんな物は関係なかったのだと思う、王たる資格、それがアンデスト兄上にはあって、私にはなかった……それだけだ」

 セブリアンは背もたれにもたれかかって、天井を仰いだ。少し泣きそうな表情に見えた気がする。

「私は、父上を見返したかった、私を選ばなかった事を後悔させたかった」

 悲しみが絡みついた声。セブリアンは誰かに投げかけるわけでもない言葉を、呟く。

「なのに……どうやって……これから誰を見返せばいいのですか……父上」

 少しわかり辛いけど、セブリアンらしく王様の死を悼んでいるらしかった。私はどうすればいいだろう。セブリアンはきっと、思いっきり泣いたりもしないだろう。好物に逃げたりもしない。強い人間だ。良くも悪くも、一人で立ち続けようとする。強すぎる王様。孤独な王様。もしかしたらそれを避けるために、王位継承権第二位としたのではないだろうか。

 私はそれを口にするか迷って、やっぱりやめておく。セブリアンはそれに、自分で気づくべきなのかもしれない。

「すまない、泣き言だったな」

 一瞬だけ目の辺りを手で拭ったセブリアンが、背もたれにもたれ掛かるのをやめて姿勢を正す。それから私に体を向けた。

「君の用事はなんだ? 何か用があったのだろう?」

 もういつものセブリアンだった。

「疑っているわけではないんですが、アリーン様に関係者に話を聞いてくるように言われまして」

 言い訳がましい言い方になってしまった。セブリアンにはバレてしまいそうだと、少しハラハラする。

「……あの変人、なぜ自分の部下にやらせないのか」

 私は今日三回目のアリーンへの謝罪を、心の中でする。アリーンの今後の評判を犠牲にしてしまった。そう思っているとセブリアンが、考える様な素振りを見せる。

「いや、形だけの調査にしないために、独自で動いているのか……それなら部下に任せない理由になる」

 良い感じに勘違いしてくれたおかげで、アリーンの今後の評判に悪影響は無さそうでよかった。

「昨日の一の刻から三の刻に王様は亡くなったらしいんですが、その時間は何を?」

「……寝ていたな、さすがにそれを証明できないが」

 ほとんど即答だった。

「……ですよね」

 予想通りの答えに、私は少し疲れを感じる。これなら聞いても聞かなくても、同じだっただろうか。それとも王子三人とも犯行は可能だったという事が、一つ事実としてわかったと考えるべきか。

「その様子だと、他の容疑者たちも概ね同じ答えか?」

 私の疲れた表情を察したのか、セブリアンが聞いてくる。私は「……はい」と頷いた。

「だろうな……一日かかっただろう、まぁそう簡単ではない」

 私は窓の外を一度、見る。空が赤くなってきていた。一日経ってしまった。それに対して、事件が進展する様な情報は得られなかった。どっと疲れたよ。

「……少なくとも、私の印象的にセブリアン様は犯人ではないです、アリーン様にはそう伝えておきます」

「……先入観は良くないぞ、見聞きした事をそのまま伝えるんだ、ただの情報として」

 自分が不利になるかもしれないのにそれを言うのは、すごいなと思う。誠実というか。私の中でセブリアン犯人説がさらに否定される。

「もういいか? これから忙しい」

「あっ、そうですね」

 これから王様の葬儀の、一の夜が行われる。その準備でセブリアンは忙しいはずだ。と言っても、私達使用人も忙しくなるけど。

 外に出るために、私はドアまで移動して一礼をする。そこでセブリアンが思いついたように声をあげた。

「気を付けるんだぞ、犯人を刺激する事を君はしているのだからな」

「はい、ご心配ありがとうございます」

 私はもう一度頭を下げて、部屋から出た。


04 そして、起こる異変


「はぁ」

 私はどっと疲れた気分になった。一日かけて三人の王子が寝ていた時間を、調べただけなのだから。

「どういう事だろう」

 最重要容疑者であったはずの三人の王子は、犯行があった刻限には寝ていた。つまり犯行は可能。でも印象的にも、動機的にも三人が犯人ではないと感じる。この中に、嘘をついている人間がいるのだろうか。私は信じたくない気持ちになる。

 今日、それぞれの王子と顔を合わせて話した。三人とも形は違えど、王様が、父親が居なくなってほしいなんて思っていなかった事がわかった。

 アンデストは王になる覚悟を、まだ持つ事ができないと言っていた。それなのに王様を殺害するだろうか。むしろ長生きしてほしいと思う気がする。居なくなって困るとさえ、思っているかもしれない。その上、声をあげて泣いた。泣きじゃくっていた。本当に悲しんでいたと感じる。

 トールは王様に感謝をしていた。自分は王の器ではないと理解していた。いろんな人から外に追いやられた哀れな王子と思われていたけど、実際はその立場に望んで留まっていたともいえる。のんびり研究をしている方が性に合っていると、そう思っている。野心なんて見えかったし、王様を恨んでもいなかった。

 セブリアンはむしろ王になりたがっていた。でもそれは殺害してでも手に入れたい、とはセブリアンは思っていない。実力で見返して、王座を得ようとしていた。その為に長生きしてもらいたかった、と思っているかもしれない。それに王様の死で涙を流していた。私には見えない様にしていたけど、あれはきっと泣いていたと思う。珍しく隙を見せてしまうぐらいに、ショックだったと言える。

「……騎士団と魔法師団は何かわかったかな」

 いや、セブリアンが言うには形だけの調査らしいから、何も分かっていないかもしれない。そもそも呼び出されて話を聞かれたりしてないのが、その証拠かな。私がこれだけ歩き回っていても、咎められていないし。私はため息をついてしまう。

「アリーンは形だけじゃなくて、ちゃんとやってるかな」

 私がアリーンの名前を出した途端に、前からアリーンが駆けてくるのが見える。もしかして私がアリーンの名前を出したのが聞こえて、嬉しくなって疾走してきたのだろうか。なかなかキモイぞ。

「ベル!」

 逃げようか迷っているうちに、アリーンが目の前まで迫って叫ぶようにそう言った。なんか様子がおかしい様な。そう思っているうちに、アリーンがスピードを緩めずに、私を抱きしめてきた。

「にゃっ……何するんだよ、バカ! 痛いわ!」

 私はアリーンの頭をはたく。それでもお構い無しに、アリーンは私を抱きしめ続けた。

「よかった……無事で」

「はっ?! ちょっ、なんなの?!」

 意味がわからない。私が逃れようともがいていると、満足したのかアリーンが離れて私の顔を見た。深刻な表情。嫌な予感がするほどに。

「僕は君が心配で、もしかして、君まで殺されてしまったのではと心配したのだよ」

「殺された? 何? 状況が見えない」

 アリーンの言葉に私は混乱する。どういう事だろう。誰かが殺されたとでも言いたげだ。王様が殺された衝撃が、今になって現れたのだろうか。さすがに遅すぎると思うけど。

「……落ち着いて聞くのだよ?」

 言葉にしようとして、いまだに信じられない、という感じの表情を浮かべるアリーン。こっちだって、訳が分からない状況なのだ。アリーンがそんな状況では、意味がわからない状況になる。

「なに?」

 勿体ぶっているのか、アリーンが一度深呼吸をしてから口を開く。

「……アンデスト様が、殺された」

「は? ころ……された?」

 殺された。殺害された。アンデストが死んだという事なのか。

「なんで……容疑者のはずじゃ、犯人なら殺されたりしないんじゃ」

 混乱しすぎて、訳の分からない事を口走ってしまう。まだアンデストが犯人と決まった訳じゃないし、容疑者ってだけで犯人ではないのだから、殺されないという確証にはならない。

「まって……なに、どういう事」

 頭の中で、変な理論を繰り広げている。混乱しすぎている。

「落ち着くのだよ、ベル、一度落ち着いて」

 頭が、グルグルと回されるような感覚に襲われる。アリーンの言葉が遠くに聞こえた。意識を飛ばさずに何とか堪えたけど、話ができる状態ではなかった。

 それからアリーンが話してくれたのか、噂を聞いたのかわからないけど、アンデストが殺された状況は確かこんな感じだった。

 遺体が見つかったのはアンデストの自室。アンデストは、短剣で胸を貫かれて亡くなっていた。犯行時刻は十五の刻あたりらしい。刺された周辺の胸の骨が折れて貫通した短剣は、心臓まで達していた。それは刺された事で倒れたアンデストに犯人が覆いかぶさり、体重をかけて短剣を根本まで押し込んだために骨が折れたのでは、という事だ。凶器の短剣は胸に残ったままだった。王様を殺害した凶器とは別の物で、両刃の物だったらしい。抜くのにかなり手間取ったと聞いた。

 やっと自失状態から立ち直った私は、気が付くと深夜の自分の部屋にいた。ベッドの上で仰向けに転がっていた。私はなんとか記憶を手繰り寄せる。

 アンデストの死を聞かされたあと、ほとんど呆然としたまま、仕事をこなした。王様の葬儀の一の夜の裏方の仕事。そこで急遽アンデストの葬儀も一緒に執り行われたのを見て、本当に亡くなったと実感してしまった。悪い冗談だと信じていたのに。

「どうして……アンデスト様」

 アンデストがなぜ。そう考えると、真っ先に浮かんでくるのは王位継承権についてだった。王様とアンデストが居なくなった今、セブリアンが王位継承者となったのだ。考えたくないけどセブリアンは演技をしていて、内心ほくそ笑んでいたという事だろうか。

 タイミング的に、私がセブリアンを訪ねる前に殺害をしている。確かに私が訊ねた時、セブリアンは自室におらず、ちょうど帰ってきた所に出くわした。そうなると手紙も、自作自演という事になる。

 もう一人の容疑者であるトールは、私と一緒に居た。十五の刻だから、アップルパイを食べようという話をしたから確実だ。トールは犯人ではない。少なくともアンデスト殺しは。

「やっぱりセブリアン様がやったの?」

 私は疑問を口に出してみる。やっぱり違和感があった。一番怪しいのはセブリアンだけど、私の印象では犯人ではないのだ。それともあれは、演技だったのか。

「ふぅー」

 私は一度大きく息を吐き、最初から思い出してみる。

 はじめに起きたのは王様殺害事件。亡くなったのは夜の一の刻から三の刻のどこか。もう丸一日くらい経っているから、昨日だ。

 首と背中の中間あたり右肩寄りを刺されていて、刃が右肩の方を向いていた。そして傷を隠して発見を遅らせるのが目的なのか、仰向けにされていた。寝室を覗いた人がいるかはわからないけど、たぶん夜では、ベッドに血液が染み込んでいても気づかない。いや、匂いで気づく人もいただろうから、そもそも覗いた人はいないかも。そう考えると、発見を遅らせる目的だった可能性は低いのか。

 ちなみに仰向けになっていたのはほぼ真ん中。言い方が正しいかわからないけど、寝る際の正しい位置。

 凶器は現場に無かったから傷跡からの推測らしいけど、服の中に忍ばせられる片刃の短剣。

 それからベッドのシーツの右側面が、引っ張られたように乱れていた。うつ伏せに寝ていた王様がいて、ベッドの右側面から膝をついて短剣を振り下ろした。そんな想像ができる。アリーンも同じ推測をしていたし、噂を聞く感じでは皆同じように想像したみたいだ。だからたぶん、そんな感じで殺されたのだろう。

「……アンデスト様」

 アンデストの殺害現場は見ていない。整理するために教えてもらった事を思い返そうとしたけど、辛くてできなかった。

 もう玉の輿がどうとか、関係ない。アンデストを殺した人間を捕まえたい。

「と息巻いてみても、何もわからない」

 ため息をつきながら、私は寝返りをうった。ふとベッドのシーツが乱れているのが視界に入る。

「……っ?!」

 私の中に衝撃が走る。今まで勘違いしていたかもしれない。私は仰向けになって、腕を何度か振ってみる。私の頭の中にある映像が出来上がっていった。

「こちらの方が、遥かに自然だ」

 これまでの想像には、矛盾があった。可能性がない訳ではない、小さな矛盾。そこが分かると一気にストーリーが出来上がっていく。あの時の気遣いも、計画の内だったのだ。

「……なんて事だ、犯人の可能性が最も高いのは……でも証拠がない」

 決定的証拠がない。今はただの推測でしかない。


05 朝の騒動


 翌朝、いつもの決まりの仕事を終えた私に、同僚のメイドが耳打ちをしてきた。

「なんか食堂で、騒ぎが起こってるらしいよ……セブリアン様が犯人じゃないかって感じの」

「え? 今?」

 同僚のメイドが頷く。いま食堂では、王子たちとエミラが朝食をとっているはずだ。これでは犯人の思うつぼだ。セブリアンは今の時点で、最も得をする人物。犯人と名指しされたら、みんな納得してしまうだろう。そうなってはセブリアンが濡れ衣を着せられて、真犯人は逃げおおせてしまう。

「ちょっと行ってくる!」

「え? ちょっと!」

 まだ仕事が残っているけど、それを投げ出して、私は食堂に急ぐ。後ろから同僚の咎める声が聞こえてくるけど、無視する。今はそれどころではない。ごめん。


 私は、食堂の前までやってきた。普段は仕事とかでみんなバラバラに食事をとっているけど、葬儀中の食事は可能な限り家族でとるのが、王家の暗黙の了解らしい。関係者が全員集まるこのタイミングは、セブリアンを犯人と糾弾するのにはちょうど良かったのだろう。

「ベルも来たのかね」

 騒ぎを聞きつけたらしいアリーンが、そんな事を言いながら近づいてくる。今日この場にはアリーンもいるべきだったから、呼ぶ手間が省けた。

「ちょうど良かった、アリーンも一緒に中に入って……私の話を聞いてもらいたいから」

 私の言葉に、一瞬アリーンのマユが動いた気がした。

「……どういう事かね?」

「中で話す」

 私は自分を抑えて、そう伝えた。分からないふりをしているのか。とりあえず中に入らない事には始まらない。私は扉を開け放って、食堂に入る。

 中には使用人を含めて、セブリアン、トール、エミラがいた。全員が一斉にこちらに視線を送る。

「……ベル、アリーン」

 セブリアンが少し苦しそうな声をあげながら、私達を見た。椅子から立ち上がって、少し後ずさっているような姿勢だ。机越しのその正面にはエミラが立ち上がって、セブリアンを指差している状態で止まっている。たぶん糾弾している所だったのだろう。その脇でトールが中腰になって、エミラを落ち着かせようとしているように見える。まさに、犯人を名指ししているシーンを切り取ったような場面。

 まだ決定的証拠がない状態なのに、飛び込んでしまった。でもセブリアンが濡れ衣を着せられてしまうのを、黙って見ている事もできない。とっていってもセブリアンが無実かどうかも、決定的証拠がないと分からないのだけど。

 私が固まってしまっていると、エミラが指差すのをやめて、微笑みながら私に近寄ってくる。

「ベルちゃん、あなた、昨日の十五の刻のあたり何してた?」

 エミラの問いかけで、私はトールの顔を見る。息子の身の潔白を、証明したいという事だろう。

「トール様と一緒にいました」

 私の言葉を聞いて、エミラがニッコリと笑う。それからセブリアンに体を向けて口を開いた。

「ほら、トールは潔白よ、そうなるとやっぱりあなたが一番怪しいという事になる、二人が居なければ、王座はあなたの物なんだから……焦ったわね、早くすべてを手にしたくて、あの人を殺して、アンデストまで手にかけた」

「違う! 私は殺していない!」

 エミラの指摘を、セブリアンは必死で否定する。でもその否定にはあまり効果がなく、周りの人の目は徐々に疑いに染まっていく。

「では、昨日の十五の刻のあたりは、どこに居たのかしら?」

 勝ち誇ったように、エミラが問いかけた。セブリアンが眉をひそめて苦しそうに少し喘ぐ。

「……庭園にいた、城の南西にある庭園に」

 おそらく手紙の差出人を守るために、本当の事を言わないのだろう。こんなにたくさんの人がいたら、犯人にまでその事が伝わってしまう。セブリアンはそう考えているのだ。もしかしたら、犯人はセブリアンがそうやって、口を紡ぐことも想定していたのかもしれない。ある意味一番の理解者である。悲しい事に。

「シンクフォイル園に? 苦しい良い訳ね、あそこには人が来る事がほとんどないし、証人もいないから仕方がない? それで通ると思っているのかしら?」

 呆れたように首を横に振るエミラ。セブリアンが悔しそうに顔を歪める。

「一応聞いてあげる、何をしていたの?」

「……それは、言えない」

 やっぱりセブリアンはそれ以上何も言わずに、黙ってしまう。このままでは、犯人という事で押し切られてしまう。周りにいる人たちのセブリアンに向ける目は、もうほとんど犯人に向けるそれになっている。

 ここで犯人を名指ししないと、エミラはセブリアンを捕らえて牢に押し込めるだろう。王政の怖い所だ。偉い人が言った事は、正しい事として進んでしまう。しかも今回は、周りの納得まで得てしまっている。私は悩んだ。決定的証拠がない。いくつかの状況証拠があるだけ。これで犯人を追い詰められるか。

 でもこのままでは、犯人が笑うだけだ。私は後ろにいるアリーンを苦々しく見つめる。アリーンは涼しい顔で、いつもの余裕の笑み。蚊帳の外だと思って胡坐をかいているのだ。

 私はセブリアン達の方に顔を向けなおして、一度息を吐く。意を決して声をあげた。

「すみません! セブリアン様は犯人ではないと思います!」

 私の声に、セブリアンもエミラも目を見開く。トールはこれ以上事態をややこしくしないでくれ、という感じでおろおろしていた。

「そう言っても、犯人ではないという証拠はないんですが」

 私の言葉を聞いてエミラが少し笑う。

「セブリアンを庇いたい気持ちは分かるけど、証拠がないんじゃ」

 私は、エミラの言葉を遮る様に声をあげる。

「でも、真犯人ならなんとなく分かっています、状況証拠から推測できました」

 その場の皆が息を呑んだのが分かった。シンと静かになったような空気。私は言葉を続ける。

「王様とアンデスト様を殺害した犯人は」

 そこで言葉を切る。ここまで来たら、もう止まれない。私は犯人の顔を見つめて、言葉を続けた。



06 そしてすべてが分かる時


「エミラ様……あなたじゃないですか?」

 私の問いかけに、エミラは呆気にとられたように口を開く。

「な……え? なんで……私が突然出てくるの?」

 そんなエミラの問いかけを、私は無視して話を続けた。

「私は、というより、この王城にいる人全員が、変な思い込みをしていました」

「思い込み? なんだ?」

 少し息を吹き返したように、セブリアンが問いかけてくる。

「王様が殺害された時、誰もが王位継承の件を思い浮かべて、容疑者を王子三人に絞り込んでしまっていませんでしたか?」

 その思い込みのせいで、セブリアンは犯人が自分ではないからトールが犯人かもしれない、と思っていたかもしれない。いろいろ頭が混乱しているせいで、セブリアンは目が白黒していた。

「確かにそうかもしれない」

 何事もなくそう言ったアリーンを、私は睨みつける。こいつが元凶だ。調査は騎士団と魔法師団が行っていて、その片方のトップが発言したせいで、皆がそう思い込んだ。アリーンが言わなくても、皆が考えそうなことだけど、決定づけて固定してしまったのはアリーンのせいだ。何ならアリーンにはこの場で謝罪を要求したい。この話を聞かせたかったのも、そのためだ。でも、今はそれより。私は怒りを抑えて、口を開く。

「今回のアンデスト様殺害だって、犯行可能だった人は一杯いたはずです、セブリアン様だけではないはず、エミラ様は……どこで何をしていましたか?」

 エミラは一瞬、眉間にしわを寄せる。答えようとしない。あるいは今、必死で考えているのかもしれない。私は構わず話を進めた。

「私は消去法でエミラ様を犯人ではないかと思いました、順番に容疑者を減らしていって、最後に残ったのがエミラ様という事です、今からそれを順番に話しますね」

 私の言葉で、その場にいる全員が視線を向けてきた。注目されるというのは、なかなか緊張する。普段から長を務めている人間は、すごいな。アリーンも頑張ったんだな。というかなぜ、今アリーンの事を考えるのか。私は頭を振って変な思考を振りほどこうとする。今はそれどろこじゃないのだ。

 私は一度深呼吸をしてから、その場にいる全員の顔を見渡す。何とかここで上手く話して、その後みんなの賛同を得て、決定的証拠を見つけ出さないといけない。王城には人が一杯いるのだから。誰かが恐れて、口をつぐんでいる可能性は充分ある。それを引き出す。じゃなきゃ私は、消されかねない。意を決して私は口を開いた。

「まずは王様が殺害された時……どうやって殺害されたのか、トール様はなんて聞いてます?」

 突然の指名に、一瞬戸惑った顔をするトール。ややあっておずおずと口を開く。

「父上がうつ伏せで寝ている所に、犯人がベッドに膝をついて短剣を振り下ろした……と」

 トールの顔が少しだけ、眉をひそめる。殺害シーンを、思い浮かべてしまったのだろうか。しかもその犯人は母親であるエミラだと、先ほど指摘されたばかりだ。かなり嫌な想像だったかもしれない。トールに話を振ったのは失敗だったかも。

「たぶんほとんどの人がそうやって想像したか、人から聞いたと思います」

 私はアリーンを睨みつける。こいつがその話の元である。やっぱり怒りが、ぶり返してきてしまう。

「先ほどから何かね、なぜ睨むのかね?」

 本当にわからないという顔で、アリーンが首を傾げた。少しばかりイラッとしたけど、言いがかりに近いものがあるから、これ以上はやめておく。私はアリーンを無視して、話を続けた。

「その殺害方法は、たぶん間違っています」

 その場にいた人たちが、一斉にざわついた。思い込んでしまったら、そうそう別の可能性を考えない物だ。仕方がない。

「注目してもらいたのは傷跡です……凶器は片刃の短剣」

 私はみんなが想像する時間を作るために、少し間を置く。

「片刃の短剣はだいたいが、柄の刃がついている側が持ちやすい様に曲線を描いています……つまり、順手でも逆手でも、片刃の短剣を握れば、刃が外側、つまり自分に向いていない状態になります」

「それはそうだけど、でもそれがどう関わってくるんだい?」

 戸惑った様子で、トールが問いかけてくる。他の皆も同じように戸惑った様子で、まだ分かっていない。

「王様の傷跡は右肩の方を向いていました、そして、ベッドのしわがついていたのは右側面……短剣を自然な形で持ってベッドの右側面側から短剣を振り下ろしたら……刃は左肩の方を向きませんか?」

 皆がそのシーンを想像していたのだろう。一瞬沈黙が流れた後、その場にいる皆は目を見開いたり小さく声をあげたりする。俯いているエミラを除いて。

「確かにそうだ、どうして気付かなかった、そんな矛盾に」

 悔しそうに顔を歪ませるセブリアン。私はすかさずフォローを入れる。

「アリーン様のせいですので、お気になさらず」

「なぜ僕のせいなのだよ! 僕の一意見にすぎない、最終的にどの意見を信じるか自分が決める物だろう、思考停止していた証拠なのだよ」

 私はアリーンの頭をはたく。使用人も王子たちも王様が殺されて冷静ではなかったのだから、思考停止にもなる。抗議する様に頭を擦りながら、アリーンが私を睨む。私もアリーンを睨み返して、文句を言ってやろうとした所にエミラの声で遮られた。

「焦って、そういう持ち方をしてしまっただけかもしれないでしょ!」

 エミラは焦っているように見える。余裕がない。やっぱり犯人はエミラなんだ。自分で考えておいて、それを少し疑っていた私は心が痛む。

「はい、それもありますね、でも今から話す犯行方法なら、そういう矛盾が無いので可能性は高いですよ」

 セブリアンが少し前のめりに「どうやったんだ、犯人は」と聞いてくる。

「はい……犯人は王様にベッドへ押し倒された状態で、抱きしめるような形になり短剣を背中に刺したんだと思います」

 その場にいた使用人の何人かが、少し腕を動かす。たぶん想像して確かめているのだろう。

「その状態なら右手で自然な持ち方をした短剣は、刃の向きが右肩の方を向きます、それで刃の向きの矛盾は消えます」

「確かにそうだ……でもベッドのしわはどう説明するのかね?」

 分からないといった感じで、あごに手を添えたアリーン。私はそれに対して答えを出す。

「刺した後、王様の全体重がのしかかってきます、それから逃れるためにベッドの右側面に這い出てしわが出来た、そしてその過程で王様が仰向けになった……なってしまったのか、発見を遅らせる目的で仰向けにしたのか、それはわかりませんが」

「でも!」

 間髪入れずに、エミラが怒りを口にする。

「それが分かったから何?!」

「重要ではないですけど、消去法には使えますよ」

 私の言葉にアリーンがニヤリと笑う。

「なるほど、容疑者を絞り込むのに使えるのだね」

「犯人は女性?」

 確かめるような口調で、トールがそう口にする。少し顔色が悪かった。少しずつ母親の凶行の可能性が高まっているのを、感じているのだろう。だからといってやめる訳にいかない。

「はい……と言いたいところですが、可能性が高いというだけです」

 私は少し続きの言葉を出すか一度迷う。別に悪いという訳ではないけど、怒られやしないか少し心配だった。とりあえず、ぼやかした言い方を務めよう。

「その……王様がそういう趣味をお持ちだった可能性があるので」

「僕が知る限り、王は男色の趣味は無かったがね」

 コノヤロウ。私がわざわざぼやかした言い方をしたのに、はっきり言いやがった。私の睨みつけに、アリーンは気づく様子もなく言葉を続ける。

「まぁ、隠していた可能性はあるが……少なくとも息子を押し倒すような、人でなしではなかったのだよ」

 そこが重要だった。可能性の話でしかないけど、王子たちの無実の証明になり得る。

「つまり犯人は女性の可能性が高い、少なくとも王子たちは王様の殺害はしていない」

 この事は、昨日ベッドに寝ころんでいる時に気が付いた。そこからエミラが犯人ではないかと絞っていったのだ。私がエミラに視線を向けると、苦々しい表情を浮かべるだけだった。反論が思いつかないのだろう。私は構わずに続ける。

「次に行きましょう……アンデスト様が殺された件」

 それを言った瞬間、思い出したように胸がズキリと痛んだ。やっぱりまだ、割り切れていない。言葉一つで思い出してしまって、ぶり返してくる。でも今は堪えないと。そうしているとアリーンが私に頷いて見せて、その場にいた人たちに向かって口を開いた。

「アンデスト様の殺害現場について、僕が少し復習しようかね、ベルばかりに活躍させられないのだよ」

 私が持ち直すまで、アリーンは時間を稼いでくれるようだ。たぶん。

「アンデスト様は昨日の十五の刻あたりに殺害された、凶器は両刃の短剣、王の殺害に使用された凶器とは違う物だ……後からわかったのだがね、武器庫から一つ短剣が消えていた……アンデスト様の胸の骨は短剣によって貫通していた、さらに貫通時骨が折れたようで、おそらく覆いかぶさって、体重をかけて短剣を押し込んだのが原因ではと思われる、ちなみに短剣は刺さったままになっていた」

 アリーンがトールの顔を見る。

「トール様はベルと一緒にいた、何をしていたのですかな?」

「……ベルがアップルパイを持ってきてくれて、それを一緒に食べていた」

 アリーンの問いかけに、おずおずとトールが答える。

「羨ましい限り……これでトール様に犯行は出来ない」

 アリーンが私に視線を送る。何かを訴える様な目だった。アップルパイを要求しているのだろうか。私は少し呆れて肩をすくめる。バカらしく思ったら、少し心が軽くなった。アリーンがセブリアンに視線を移す。

「セブリアン様は?」

 問いかけられたセブリアンは、考えるように眉を寄せる。ここまで来たら手紙の件を言ってしまうべきか、と悩んでいるのかもしれない。決断したのか、セブリアンは口を開く。

「……手紙をもらって、南西にある庭園に行っていた」

「ほぉう、どのような内容の手紙で?」

 アリーンがそう問いかけると、セブリアンは懐から手紙を取り出す。誰にも見つからない様に、持ち歩いていたらしい。

「犯人の手掛かりがあるから来てほしいと……私は誰にもその事を告げずに、一人で庭園まで行ってきた、誰も現れなかったが」

「ほぉ……なるほど、そういう事かね」

 アリーンが不敵な笑みを浮かべる。エミラが犯人と名指しされた後、この手紙の存在を知れば、勘が良ければあるストーリーが思い浮かぶ。

「アリーン、ありがと、あとは私が」

 私がそう言うとアリーンは一瞬残念そうにしてから笑みを浮かべて、芝居がかった礼をしながら二歩ほど後ろにさがる。本当に活躍したかっただけなんだろうか。少し呆れながら私は口を開いた。

「私もその手紙を見ました、手紙の中には南西の庭園の事を、シンクフォイル園と書いていました」

 私はエミラを見て、言葉を続ける。

「先ほどエミラ様は南西の庭園をシンクフォイル園と言っていましたね?」

「それが?! 言ったわよ! でも庭園の名前を知っていただけで、犯人なの?!」

 だいぶ追い詰められているらしく、声を荒げるエミラ。私は首を横に振ってから答える。

「……あくまで消去法のに使った、一つの手がかりです……南西の庭園の名前を知っている人は、たぶんかなり少ないと思います、少なくともこれまでに私は一度も聞いた事がありません」

「だから!」

 エミラの言葉を、私は手で制してから口を開く。

「……ここで言いたいのは、犯人が、というより手紙の差出人がシンクフォイル園という名前を知っていたという事です」

「……知っていた事が重要なのか?」

 よくわからないという顔で、セブリアンが呟く。その他の人たちも同じような感じだ。

「名前を知っていた人物が、手紙の差出人でしょう」

「それは分かるが……差出人を暴く事が重要なのか?」

 意外と抜けているのか。まだ分かっていないらしい。セブリアンの問いかけに、私は頷いて返した。

「単刀直入に言うと、差出人はセブリアン様を一人にして、アンデスト様殺害の濡れ衣を着せようとしたという事です、王位継承権の件で容疑者になっていたので」

「そうか! そういう事か……私に罪を着せて葬ろうと……つまり差出人は犯人か、もしくは共犯者」

 セブリアンはやっと理解したのか、興奮したように声をあげた。それに私は同意して補足する。

「他にどれくらい知っていたかわかりませんが、少なくともエミラ様は確実に知っていた」

 私の言葉にエミラは体をワナワナと震わせ、拳を握り締めている。自分の失言を恨んでいるのか。

「次に、アンデスト様が殺害された時の状況です」

 先ほどアリーンが説明してくれたおかげで、説明する手間が省けた。みんなよく理解しているはずだ。私はそのまま本題に入った。

「注目すべきは、胸の骨が折れていた事です……覆いかぶさって体重をかけたからでしょう、これって犯人像が限定されませんか?」

 みんな王子たちが王位継承権を巡って殺し合ったのだ、という思い込みが消え去っているおかげで、自然と犯人像が浮かんだようだ。

「剣の腕が立つ人なら、体重をかけなくても心臓を貫けると思います、それに力の強い人も同じでしょう……つまり体が小さくて、剣の腕に覚えがない人が犯人の可能性が高い」

「ほぉ、女性か、体格の良くない使用人……その中でもベルの様な者は除外できるか」

 貧しい出身……卑しい身分だから、荒事に慣れているという意味か。偏見っぽいけど、事実、私達はそこら辺の人間より力が強い場合が多い。補足する様に言ったアリーンに、私は頷く。王子たちはもちろん剣の稽古をしているから、体重をかけなくても心臓を貫けるだろう。

「そこまで考えて、動機や行動をふまえると、あるストーリーが思い浮かびました」

「ほぉ、そのストーリーとはなんだね?」

 アリーンが面白そうに微笑みながら、合いの手を入れる様に問いかけてくる。

「王位継承権三位に落とされた自分の息子に王位を継がせるために、王様と、アンデスト様を殺害し、その罪をセブリアン様に擦り付けて、邪魔な三人を排除する、その為にセブリアン様にそれらしい手紙を書いて届けて一人にさせる、たぶんセブリアン様の性格をよく知っていて手紙について黙っているのは分かっていた、さらに自分の息子の無実の証明のために私をトール様の所に行かせた」

 シンクフォイル園の名前に関しては、エミラがここで口走ってくれたおかげでわかった。いろいろ綱渡りだったけど、何とかここまで来れた。私はエミラを見つめる。犯人像と動機が揃っているエミラを。

「王様が押し倒す相手、シンクフォイル園という名前を知っていた人、剣の腕が無く体格が小さい人間……消去法でそんな犯人像が浮かび上がりました、それはエミラ様に当てはまります……そこからそんなストーリーが思い浮かびました、どうでしょうか?」

「そんなの! あなたの想像でしょう!」

 エミラが私を睨みつけて、叫ぶように抗議する。

「犯人像に該当する人物は私以外にもいるはずよ! 私が犯人というなら、証拠を出しなさい!」

 予想通りの反応が来た。やっぱりこれで諦めてくれない。しかも突発的だったから、まだ証拠を見つけられていない。でも今なら、証拠を見つけられるかもしれない。この話をここでしたのは、そんな狙いがあったからだ。使用人たちが、勇気を出して行動してくれるかもしれないという狙いだ。きっと何か証拠が残っていて、使用人だからこそ、私達の様な者だからこそ、それに気づいていた可能性がある。でも言い出せるわけがない。身分の低い使用人が、私達の様な者が、そんな事をしたら、ダメだった時に消されて終わる。それが恐ろしくて、何かに気付いてもきっと口に出せない。というかここで何も出てこなければ、私は消される。

「みんな! 些細な事で良い! エミラ様の不審な行動とか、そういう物を持っていたとか、何かない?!」

 使用人たちの顔に陰が差す。何かを知っているのか、知らないけどただ単にエミラが怖いのか、どちらかわからない。

「分かっているわよね?! 私はこのまま行けば、王の母親よ!」

 その言葉に誰もが俯いてしまう。もしここで手を挙げてそれが証拠にならなければ、私と共に消される。当然みんな理解している。それにエミラは元メイドで使用人たちに優しかった。慕われていた。私もその一人。エミラの不利になる事は言いたくない、という気持ちもあるかもしれない。でもこのままではアンデストを殺したエミラを、野放しにしてしまう。

「勇気を出して! 何かないの?!」

 一瞬、沈黙が流れる。そこにトールの声が弱々しく、でも確かに響いた。

「何かあるなら言ってほしい、声をあげた者はどんな結果になっても僕が絶対守る、母上に何もさせないと誓う」

「トール! 私を裏切る気?!」

 金切り声のエミラがトールに迫った。トールは小さく首を横に振ると、口を開く。

「母上、何もしていないなら、何が出て来ても問題ないでしょう」

「そ、それは」

 口ごもりながら、少し後ずさるエミラ。それを見つめるトールの目はとても悔しそうだった。勇気の決断。慕っている母親を、売るような真似をしたのだ。きっととんでもない葛藤があっただろう。私は使用人たちの顔を見る。トールは勇気を出したのだ。皆も。

「……あの」

 一人の気の弱そうなメイドが、アリアンが恐々と手を挙げる。その場の視線が一斉にアリアンに集まった。そのせいでアリアンは、一瞬手を下げようとしてしまう。

「何? 何があるの?! 大丈夫だから言ってみて!」

「あなた! 分かっているの?!」

 私とエミラは、競う様に声を張り合う。何とか見えたこの光を逃す訳にいかない。そうしていると、トールがエミラの前に立ちはだかり、手を挙げたアリアンに声をかけた。

「アリアン、大丈夫、君は僕が絶対に守る」

 こういう状態じゃなければ、幸せすぎてメイド全員胸キュン死しそうなセリフである。そのセリフを投げかけられたアリアンは、顔を真っ赤にして、体をくねらせて腰砕け状態になっていた。

「はにゃぁん、トール様ぁ」

 恐怖や異常事態のこの状況より、胸キュンが上回った様だ。表情から他の部分まで、とろけたのかと思うぐらいにフニャリとする。

「今非常事態だから! 何を知っているの?! 話して!」

 私の言葉にアリアンがハッとして、緩み切っていた表情が真剣な物に変わる。

「エミラ様は短剣をいつも忍ばせてます、太ももの所にベルトで身につけているのを見た事があります」

 そんな物を身につけていたのか。私はそれなりに親しかったと思ってたけど、知らなかった。何故かちょっと悔しさを感じつつ、私はエミラに体を向ける。

「見せてもらえますか?」

「断るわ! なん……キャッ!」

 エミラの言葉が不自然に途絶えて、小さい悲鳴が続く。トールがエミラを、後ろから動けない様に掴んでいた。

「確認してほしい」

 私に真剣なまなざしを向けて、トールが言った。私はそれに頷いて見せる。

「離しなさい! トール! このままならあなたが王になれるのよ! ベル! やめて! あなたの事は許してあげる! だから……」

 これまでの言動はほとんど自白と言っていい気がするけど、私は構わずにエミラのドレスのスカートに手を突っ込む。抵抗するエミラに手こずりつつ、手に触れた硬い物を掴んだ。それを取り出す。

「……見つけた」

 つい安堵の声が、漏れてしまった。

 片刃の短剣。もちろん血なんてついていないけど、これが全く証拠にならないという事は無いはずだ。

「ほぅ、見せてもらえるかね?」

 そう言いながら近づいて手を差し出してきたアリーンに、私は短剣を差し出す。何か良い手があるのだろうか。

「ふむ……刃渡りは王に残されていた傷と、おそらく合うのだよ」

「よかった……これは凶器かもしれない」

 アリーンの言葉に、私はとりあえず安堵の声が出てしまう。そうしているとエミラが、金切り声をあげて怒り出した。

「たまたまでしょう! そんな事だけで、犯人にされたらたまらないわ!」

 まだ言い逃れをするらしい。でも確かにこれも偶然、似たような物を持っていただけと言えてしまう。

「まだ調べてられる事があるのだよ」

 不敵な笑みを浮かべたアリーン。そして、懐から赤い布を取り出す。

「それは?」

 赤といっても、黒ずんだ赤だった。それによく見ると端の方に、白い部分が少しある。四角い布に、丸く赤色が塗られているような感じ。

「王の血を染み込ませたものなのだよ」

 そう説明してくれたアリーンが、エミラに向けて口を開く。

「ご存じないかもしれませんが、血液は洗い落として見えなくなっても、しばらく残っています……つまり王の血と、短剣についているかもしれない血を照合すれば」

「王様殺害の凶器かどうかわかる!」

 ほとんど叫んだような私の言葉に、アリーンが頷くと、手のひらが光り出す。

「アリーン! やめなさい!」

 トールに掴まれているエミラが、抵抗しながら叫ぶ。

「そうだ、あなたは爵位を欲しがっているそうじゃない! 私が王の母親になれば、叶えてあげられるわよ! 約束するわ! それをやめれば夢が叶うのよ!」

 エミラの言葉を聞いたアリーンの体が、強張る。まさかここまで来て、アリーンが誘惑に負けてしまうのか。私が口を開きかけた所で、アリーンが微笑んで口を開いた。

「僕はね、愛する人のために爵位が欲しいのだよ、でもそんな風に爵位をもらったら、愛する人に軽蔑される、本末転倒ってやつなのだよ……それに」

 アリーンは一度言葉を切ると、ニヒルな笑みを浮かべて言葉を続けた。

「こういう僕を、僕はカッコイイと思うのだよ」

 私を見てウィンクをするアリーン。私は呆れながらも、ちょっと同意してしまった。

「はは、そうだね、アリーン……カッコイイよ、とっても」

 何でだろうな。心がとても暖かくなる。訳の分からない事を言うアリーンに、呆れる私。昔からのやり取りだった。

「ありがとう、とってもやる気が出たのだよ」

 アリーンが頷いた後、その手の光が勢いを取り戻した。

 その光が短剣と王様の血が染み込んだ布に移り、その二つを光の糸で繋ぎ合わせる。これはどういう事なのか。私はアリーンの言葉を待つ。

「ふむ、この短剣は、王を殺害した凶器で間違いない」

 それを聞いた瞬間、私は拳を握り締める。決定的証拠を見つけた。これで。私はエミラに向かって口を開きかける。でもそれをエミラは遮る様に叫んだ。

「待って! 私はそんな短剣知らないわ!」

「にゃっ、何言って」

 私の言葉など、聞こえていない様にエミラは続ける。

「きっとベルがセブリアンの命令で、私のスカートの中から短剣を取り出したように見せたのよ!」

 なんという往生際の悪さだ。ここまできて、まだシラを切るか。でもその可能性を否定できる要素がない。確かに私が短剣を隠し持っていて、スカートの中から取り出したように見せた可能性がある。断じてやってないけど、見ていただけの人たちにはそう見えてもおかしくない。皆の前で、スカートをめくり上げるのは可哀相かと思ってやらなかったが、甘かったかもしれない。

「さすが、エミラ様、往生際が悪いのだよ、それがその地位まで上り詰めた秘訣なのかね?」

 そう問いかけながら、アリーンが余裕の笑みを浮かべていた。

「……ただ残念、この短剣には所有者が持たなければ、斬れないようになる魔法がかけられているようなのだよ」

 そう言いながらアリーンは、自分の手のひらを刺して見せてくれる。短剣の切っ先は、刃がついていない様に皮膚を押しているだけだった。驚愕の表情を浮かべるエミラ。もしかしたら、そんな魔法がかかっているのを知らなかったのかもしれない。エミラが短剣を欲した時に動いた人が、気を利かせてそんな仕様の短剣を特注したのかも。

「さて、自分の短剣ではないと主張されるのなら、良い証明方法があるのだよ、ご自分でご自分を刺していただけますかな?」

 少し意地悪な笑みを浮かべたアリーンが、短剣を差し出す。エミラがそれを見て顔を青くした。一瞬、逃げきれないと悟って自害されたらマズいと思ったけど、そんな事をする人じゃない。貪欲だし、転んでもただでは起きない人だ。

「……認めるわ、王は私が殺した」

 しばらくの沈黙の後、エミラは自白した。ただ王は、という言葉に引っかかる。この人はまだ諦めていない。私の予想は的中してしまい、エミラが叫ぶように訴え始めた。

「でも! アンデストの事は知らない! 手紙をセブリアンに出したのは王殺しを告白しようか迷っていただけで……きっとセブリアンは王が死んで、これ幸いとアンデストを殺したのよ! それで王殺しの犯人に犯行を擦り付けるつもりなのよ!」

 こうなったらセブリアンを道連れにして、トールだけでも王にしようという腹積もりらしい。でもアンデスト殺害の決定的証拠がない以上、その推理は可能性がある。どうすればいいか。

 アリーンとトール、セブリアンが一斉に私を見つめる。私ばっかりに頼らないでほしい。頼りない男たちである。

「証拠になるか分からないんだけど……いいでしょうか」

 私が頭を悩ませていると、エルラがそう声をあげて一歩前に進み出る。

「エルラ! あなたまで私を裏切る気?! あなたに名前をあげて、ここまで守って育ててあげたのは私よ?!」

 トールに掴まれていなければ、飛び掛かってしまいそうな雰囲気のエミラ。それを見てエルラの顔が歪む。ずっと葛藤していたのだろうか。短剣の件も、エミラの専属メイドのエルラなら知っていたはずなのに、言わなかった。それ以前に王様の殺害は、エミラの仕業かもと疑っていたかもしれない。でも信じたくて、黙っていた。でも短剣に王様の血が付いていた事で、決意したのか。しばらく黙った後、エルラは一度大きく息を吐いて、エミラの顔を見返す。

「エミラ様には感謝しています、卑しい身分の私を拾ってくれて、名前をくれて、エミラ様の専属メイドとして、こんな立派な所で働かせてくれて……母だと思ってこれまで生きてきました」

「じゃあどうして」

「……アンデスト様をお慕い申し上げておりました、私の王子様を殺害したあなたを、やっぱり許せない……それにあなたのそばに居たからもしかしたらと思っていた、でもあなたを慕うあまりに王様が殺された後、私は沈黙した、そのせいでアンデスト様が……もう黙っていてはダメだと思いました」

 ほとんど泣いているような顔のエルラ。葛藤で押しつぶされそうになって、それでも出した結論。黙っていても、声をあげても、きっと辛かっただろう。トールに掴まれたいたエミラが、力無く座り込む。

「証拠って何?」

 私が問いかけると、エルラは頷いて口を開いた。

「王様とアンデスト様が殺害された時に、エルラ様から血の匂いがしてきた、月の物の周期でもないのに……それでその匂いを探したら、その時着ていたらしい衣服の袖口に少し血が付いていた」

「ほぉ、ちゃんと保存してあるかね? 魔法で確かめてみよう」

 アリーンが嬉しそうに、エルラの側へ歩み寄る。これでアンデストの血がついていれば、決定的証拠だ。私は安堵のため息をつく。何とかなった。私はエルラに笑いかける。

「よかった、さすがエルラだね、犬系獣人族は(●●●●●●)本当に鼻が利く(●●●●●●●)

「まぁ、猫系獣人族の(●●●●●●)あんたとは(●●●●●)鼻の出来が違うんだよ」

 エルラが自分の鼻を指差して、誇らしげに笑う。確かに猫系獣人族は人間よりかは鼻がきくけど、犬系獣人族には敵わない。私は少し悔しさをにじませつつ「そうだね、助かったよ」と笑って見せた。

 アリーンとエルラが部屋を出て行くのを見送ってから、私は使用人たちを見渡す。この中には、エミラから血の匂いを感じ取った者もいるだろうな。怖くて黙ってしまった、という感じだろう。私達は卑しい身分だから、何かあれば簡単に切り捨てられる。

 使用人は、とりわけメイドは、獣人族の割合が高い。獣人族は普通の人間に動物の耳と尻尾をつけただけの見た目だから、愛玩用という意味合いが強いのかもしれない。それに獣人族は、社会的地位が低い卑しい身分だ。人間からしたら命令しやすい、という事なのかもしれない。そういう事があって、私は卑屈になって、獣人族以外を『人間』という言い方で区別してしまう。獣人族だってれっきとした『人間』だ。いけない癖だと思ってるけど、なかなか苦労した経験は抜けないのだ。

 いろいろ考えた所で、目の前の事態を思い出す。とりあえず今はエミラの件を終わらせなければ。

「これで言い逃れは出来ませんよ」

 エミラは力なく座り込んでいた。トールが傍らに座り込んで、エミラの両肩に手を添えている。

「どうしてこんな事……僕は王になんて」

 トールの言葉を遮る様に、エミラが口を開く。

「私は、平民だった、しかも最下層のかなり貧困な」

 エミラは人間だ。貧困層のほとんどは獣人族だけど、エミラやアリーンの様に、人間も一定数いる。そして、そういう人間は耳と尻尾を切り落とした獣人族ではないか、と疑われるのが常だ。魔法で人間の耳を作る事も可能だから、まぎれこむ事ができないことは無い。

「この国は、獣人族への差別が強すぎる……獣人族の皆はそれだけで貧困に苦しむし、貧困層の人間は獣人族と疑われる」

 セブリアンが何か言おうとして口を開きかけたけど、寸前で結局何も言わずに黙る。恵まれた人間の言葉はきっと、今のエミラには届かない。

「私は必死で、もがいて抜け出した、やっと手に入れた生活でトールも生まれた……幸せだったけど、でも」

「……噂ですね」

 生まれてきたトールを獣人族では、と疑う噂が流れたのではないか。そんな中で、アンデストとセブリアンが生まれて、王位継承権第三位になった。そういう事ではなかったとしても、国民は噂を真実だと思ってしまったかもしれない。エミラが私の言葉に頷いて続ける。

「怖かったの、私自身だけならまだしも、トールもこのまま外に追いやられて、またあの薄暗い貧困へと落とされるかもしれないって」

 だから王様とアンデストを殺して、その罪をセブリアンに着せようとしたのか。それで残ったトールが王様になれば、噂は残ってしまうかもしれないけど皆黙る。

「……差別、それのせいで」

 トールが小さく呟く。

「トール……あなたの名前は花から取ったの、トール・シンクフォイル……そのまま付けたらさすがに長いから、トールを名前にして、トールが生まれた記念に作った庭園にシンクフォイルと名付けたの」

 優しく微笑んだエミラが、トールの頬に手を添えた。

「花言葉はね……明るく輝いて……獣人族とか人間とか関係なくなるくらい、光り輝く素晴らしい王様になってほしくて、そうつけたのよ」

 トールが拳を握るのが見えた。何かを決意したような、そんな。


エピローグ


 それからエルラが提出した衣服からアンデストの血が見つかり、王様殺害の罪に加えてアンデスト殺害の罪で、エミラは捕縛された。死罪は免れないレベルの事をしたのだけど、これを王様になったセブリアンと宰相になったトールが、二人で各方面に頭を下げて回り何とか回避された。けどさすがに、お咎めなしはありえない。という事で初めて聞く様な名前の島へと流罪になった。でもそれで解決はしなかった。身分の高い高官たちが騒いだのだ。元々獣人族かもしれない身分の低い人間を、王族に入れるのは反対だったとか言い始めて。そういう考えが、差別を生んでいるのが分からないのか。

 そこでスカッとする事が起こった。トールがアリアンを妻にしたのだ。あの時勇気を出して、エミラが短剣を持っていると言ったアリアンだ。しかもアリアンは猫系獣人族にもかかわらず、側妻ではなく正妻に、だ。卑しい身分の獣人族は愛玩用というのが常だというのに、ちゃんと人間として扱ったのだ。高官たちのあごが外れたように口をあんぐりする姿を見て、爽快な気分になった。ざまぁ。

 でも悔しさもある。私だって猫系獣人族だ。私でもよかったんじゃないかな、なんて。あとから聞いた話によると、前からトールとアリアンは、妙に親しかったらしい。もしかしたら結構前から、そういう関係だったのか。トールは何か決意したようだった。宰相になったのも、アリアンを正妻にしたのも、そういう事なのかな。

「どうしたのだね?」

「別にぃ」

 アリーンに問いかけられて、私はそう答える。つれない態度をしたはずなのに、アリーンは少し嬉しそうに私を見ていた。

「なに、ジッと見て」

「いや……相変わらず可愛いのだよ、ベル」

「にゃっ、可愛いって……し、知ってるし」

 私は反応を抑えようと、お尻の方に手を回す。尻尾が動いてしまうのを、手で押さえるのだ。獣人族というのは厄介である。感情が尻尾に出やすい。いや、別に嬉しくないけど。アリーンに言われたから、尻尾が動いてしまっている訳じゃ、断じてないし。

「そっ、それより!」

 私は話題を変えるために、声を裏返してしまいながらそう声をあげて続ける。

「何の用だろう、私とアリーン、メイドと魔法師団長の組み合わせで呼び出しって、ありえない組み合わせでしょ」

現在セブリアンに呼び出されて、私とアリーンのセットで、執務室に向かっている所だった。

「ふむ……もしかしたら、僕に爵位授与の内示かもしれないのだよ!」

 思いついたようにアリーンが言うと、小躍り気味に早足になる。

「いや、だったら私を呼ぶ意味が分からない」

「きっと、事件解決の褒美なのだよ! 僕は爵位授与で、ベルにはその場でどんな褒美が欲しいか聞くつもりとか!」

 アリーンのテンションが、どんどん上がっていく。というか事件解決くらいで爵位授与されるだろうか。褒美と言うのはありえそうだけど。

「これで僕もベルにふさわしい男になれるのだよ」

「い、いや爵位授与と決まった訳じゃ」

 決まった訳じゃない。決まった訳じゃないのに、胸が高鳴ってくる。いや、何で胸が高鳴るの。尻尾が動いてしまうし、耳もピコピコと動いてしまう。頭の中に変な考えが過る。やっとアリーンと……。寸前で私はその考えを振り払った。違う違う。ありえないから。

「これでついに僕が、ベルを玉の輿させてあげれるのだよ」

 アリーンが攻め時と考えたのか、そう言いながらふいに体を寄せてくる。

「寄るにゃ! ふしゃー」

 とりあえず威嚇してみるけど、アリーンには効いていないようだ。くそ。なら言葉で威嚇するまで。

「玉の輿候補は、他にもいますけど?!」

「ふむ、セブリアン様かね?」

 トールは結婚するから、セブリアンを狙うしかない。今後はセブリアン一筋で行く。するとアリーンが少し声のトーンを落として言った。

「セブリアン様は差別なんてしないと思うがね……ただ、おそらく人間しか妻にしないのだよ、しかもそれなりに身分の高い貴族のお嬢様」

 アリーンの言葉はたぶん当たっているだろうと、私は思う。差別的な意味合いでは決してなく、無用な騒動を起こさないために、きっとセブリアンの代はそうするしかないのだ。

「はぁ……」

 私はため息をつく。セブリアンは黙って国のために殉ずるだろう。自由に恋愛をする事もできない。私は少し心配になった。強すぎる王。いつか潰れてしまわないだろうか。トールが一緒に重荷を持ってくれればいいけど。

「……僕にしとけよ」

 不意に耳元で、吐息と共にそんな声が耳に届く。アリーンが囁いたらしかった。

「ふにゃぁ!」

 私はすぐさま後ろに飛び退いて、威嚇のポーズを見せた。

「ふむふむ、効果はかなり高いのだね」

 アリーンの視線は私の尻尾を捉えているらしかった。すぐさま尻尾を手で押さえる。

「ははっ、ベルは子供の頃から、わかりやすいのだよ、表情は澄ましているのだがね……僕を見て反応してくれるのが可愛くて、愛おしい」

 アリーンの言葉は、最後の方だけ小声で聞き取れなかった。聞き返そうと思ったけど、T字通路から出てきた人物がそれを遮ったのだ。



「あら、奇遇……アリーン様」

 現れたエルラが、アリーンの腕にしなだれかかる。

「や、やめたまえ」

「あら、ベルもいたの?」

 アリーンの抵抗を無視して、エルラが私に顔を向ける。

「いちゃいけないの?!」

 なんかアリーンは抵抗しているのだけど、少し鼻の下が伸びている気がして、イラッとして声が強くなってしまう。

「べつにぃ、アリーン様ぁ、こんな愛想の悪い猫なんかじゃなくて、私にしませんか、くぅぅん」

 エルラはそう言いながら、尻尾をビュンビュンと振って体を密着させる。愛想を振りまくのが上手い犬め。というかアリーンがエルラを押しのけようとしている感じに、いまいち本気さが感じられなくて、イラッとする。

 私は黙ってアリーンとエルラの間に入って、引き離した。それからアリーンの腕を引っ張って執務室の方に向かって進む。

「こっ、これは、僕を選んでくれるという事で良いのかね」

 嬉しそうな声をあげるので、私はアリーンを睨みつけて「うるさい」と一喝する。そういう事ではない。そういう事ではないのだ。

「……いなくなっちゃわない様に、しっかり掴んでないとダメよ」

 後ろからエルラの声が聞こえる。私が振り向くと、エルラは少し泣きそうな顔をしていた。

「……うるさい」

 やっとの事で執務室にたどり着いた私とアリーンは、並んでセブリアンに向かい合う。トールもその場にいた。

「まずは礼を言いたい……王と兄上の事件を解決してくれて、ありがとう」

 頭を下げたセブリアンの言葉を合図にする様に、トールも一緒に頭を下げる。さすがに王族に頭を下げられるのは困ってしまう。私とアリーンはほぼ同時に慌てだして、口を開いた。

「い、いや! 頭を上げてください! それほどの事は」

「そうです、ベルはあくまで下心から……」

 それは言わせる訳にいかない。私はすぐさまアリーンの頭をはたいて、言葉の続きを阻止する。そうしていると頭を上げたセブリアンが口を開いた。

「本当に感謝しているのだ、礼を受け取ってくれ」

「そうだよ、本当に感謝しているんだよ」

 続いて頭を上げて口を開いたトール。二人は真剣な表情をしていた。私は渋々頷く。それを見たセブリアンは満足げに頷いて、口を開いた。

「それで二人に一つ頼みたい事がある」

「頼み……ですか?」

 私の言葉にセブリアンは頷いて、考えを今初めて声に出すという感じで口を開く。

「王直轄の調査隊を作りたい……そして、ベルをその隊長に、アリーンを技術補佐に」

「隊長?!」

「爵位の授与では?!」

 とりあえず爵位の件は予想通りだったから、私はアリーンの間抜けな表情を両手で押しのけて口を開く。

「私は獣人族ですよ?! それにメイドの仕事が」

「……獣人族が中枢の仕事において長を勤めた例はない、だが私は、この国を変えたい……差別をなくしたいのだ、その為の最初の取り組みとして、獣人族のベルを隊長にしたい……適正を考えた上だし、メイドの仕事に誇りがあるならそれを取り上げる気もない、調査隊の任務がない時はメイドとして働いて構わない」

 セブリアンの目は真剣そのものだった。獣人族の差別をなくすため。私はその言葉に少し光を感じる。もしかしたら。

「爵位の授与は?!」

 アリーンが再度声をあげる。もうないから。

「それも考えよう、アリーンには魔法師団長と技術補佐を兼任してもらわなければならないからな、その働きに対して報いなければ」

 セブリアンがそう言った瞬間、アリーンは「その任、承りました!」とのたまう。こいつ。

「やろうベル、差別を無くす為に」

 拳をグッと握り締めて、アリーンは私に顔を向ける。こいつ。


 私は考えた。王族を諦め別の貴族の所に雇われて、玉の輿を狙い続ける道もある。メイドドリームを追い続ける道も。でも、でもこれまで苦しんできた物を取り除ければ、メイドドリームなんて、愛玩動物の様な生き方以外にも、道を作れるかもしれない。そこまでの道は険しいかもしれないけど、やってみる価値はあるのかもしれない。

 私は顔をあげて、口を開く。


 メイドドリームが、ちょっと変わったメイドドリームに変わってしまったな。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ここで質問したい事があります。


最後のトリックは最後までわかりませんでしたか?

ヒントを入れすぎていますでしょうか?


出来れば教えていただきたいです。

よろしくお願いします。

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[良い点] ツイッターからこんにちは! ベルちゃん、貴方すごい妄想癖あるね…。でもそんなとこも、嫌いやないで! あるあるやからね、しょうがないよね!暴走しちゃうよね! [気になる点] 他の方々も言って…
[良い点] キャラがぶれずに一貫していて読みやすく、面白かったです。
[良い点] 口調でしっかりキャラ作りができていてキャラの姿が連想できるところがとても良いと思いました。 また、隅々まで内容が丁寧で抜きどころが無く、面白かったです。 [気になる点] 他の方も仰ってい…
2022/11/30 11:30 退会済み
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