失ったギフト(才能)
某漫画を見てて思う。
面白い。
なんというか心を抉ってくる気迫さがある。
よくある残虐さだけやごまかしのある感じの作風ではない。
だが、尚更、その様な作品を見る度に現実を突きつけられる。
昔は自分は、もっと文章を書くことや、何事にも夢中だった。
例えそれが間違っていることだとしても。
何時間でも同じことをやり続ける事が出来るというのが、自分にとって自慢でもあった。
でもそれは、誰しもにも与えられたギフトなんじゃないかと、今では思う。
ゲームだったり趣味だったり、部活だったり勉強だったり、長時間同じことを出来る時間は、誰にでもあったんじゃないか。
いつの間にか自分はそれを捨ててしまった。
社会で生きていく為に。
この世の中は残酷だ。
無能を容赦なく切り捨てていく。
中途半端な者は仕事に縋り付くしかない。
その仕事の中でも、無駄は排除しなければ、無能扱いされる。
間違ったことを延々とやり続ける奴に誰が評価してくれるだろう。
だから無駄なギフトは捨てなければならない。
なぜだかこの文章を書いてるうちに泣けてきてしまう。
嬉し涙なのか、悔し涙なのか。
わからない。
でも一つだけ言えるのは、これが普通っていうものなんだなって思う。
やっと自分は普通に近づけているんだと。
遊んで、勉強して、恋愛して、仕事して、結婚して、子供を作って、育てて、世を紡いでき、死んでいく。
…いくつか出来ていないのは仕方ない。
なんだかんだ言って、成功する為に必要なことは、続けられることなんじゃないか。
神様は細部の何ミリかに宿るという。
そんな細部を一直線に発見出来る人間なんてほぼいない。
ただ細部だけ作っても意味が無い。
あくまで他の全体も合格点に達していないといけない。
だからこそ、無駄だと思われる同じ作業を、何時間も必要とされる。
そういうことが求められる中で、全てにおいて平均点を取れる人間を羨ましく思う。
なぜなら、他の細部を描ける人間を見つけて、パクればいいだけだから。
インターネットが普及して、誰でも気軽に作品を投稿出来る様になった。
細部を発見した人間も中にはいるのだろう。
しかし全体的に合格点に達しない人は沢山いるはずだ。
必要とされるのはそれを世の中で悟られないようにパクること。
優れた芸術家は上手くパクる人だと言われる。
ある意味、誤解を招く表現ではあると思うが。
だからなんだろう…自分の中から捻り出した様に感じる作品に惹かれてしまうのは。
どこかで妥協しないで、真っ直ぐ尖り続けている作品は、否が応でも惹きつけられる。
なぜならそれは憧れであり、ほとんどの人が失った才能であるからだ。
最近は書く勢いもなくなりつつあり寂しいものです




