49 飛行訓練を始めよう
指定された翌週の風の日。アスールとルシオは授業後に急いで寮に戻り、ホルクを鳥籠へ入れ、覆いを被せると、また大急ぎで学院のホルク飼育室へ向かった。
「こんにちは。ホルクの飛行訓練に参加するために来ました」
今ではすっかり顔見知りになった事務担当の女性に挨拶をする。向こうも二人が来ることは聞いていたようで、すぐに応対してくれた。
「飛行訓練は外の訓練場で行われます。それで、あの……大変申し上げにくいのですが」
「はい。何でしょう?」
「先日、こちらの者が飛行訓練には費用は掛からないとお伝えしたと思うのですが、実は一つだけご購入頂かなくてはならない物がありまして」
女性は申し訳なさそうに二人そう告げた。
「何を購入すれば良いのですか? 本日は二人とも持ち合わせが無いので、もし今日訓練に参加出来ないのであれば、次回お金を持って出直します」
「もちろん費用は次回でも大丈夫です。実は、必要なのはホルク用の鳥笛なのです。既にお持ちですか?」
「「いいえ」」
「では、ご購入されるということでよろしいですか?」
「「はい」」
「鳥笛にはいくつか種類がございまして……」
そう言って女性は棚から木箱を持ってきた。中には数種類の鳥笛が並べられている。
「一般的なものはこちらの金属で出来た物です」
見せてくれたのは、何の変哲もない銀色の細い鳥笛だった。首から下げられるように細い革紐が取り付けられている。
続いて見せられたのは、おそらく素材が違うのだろう、金色の鳥笛だった。金属部分に装飾が刻まれている。こちらの方が値が張るそうだ。
「もう一種類ございまして、こちらはセクリタ製です」
特殊な箱に入れられたその鳥笛は透明で、キラキラと美しく輝いている。
「こちらは購入後に魔力を流して染め上げて頂くタイプです」
「父上のもシアン兄上のもこれだ!」
「そうなの? 僕は兄の鳥笛なんて注意して見たことないから分からないや」
「お兄様というのは、ラモス・バルマー様のことですか? でしたら、シアン殿下とご一緒にこちらの品をお求めになられましたよ」
「本当? だったら僕もセクリタ製が良いな」
「じゃあ、二人ともセクリタ製を購入します。支払いは次回で良いのでしたよね?」
「はい、それで結構です」
アスールとルシオは鳥笛の入れられたケースを受け取ると、魔力遮断加工がされていると思われるケースを開けて笛を取り出した。二人の鳥笛はあっという間にその色を変えていく。
「まあ、やはりお二人も魔力量は素晴らしいですね。シアン殿下とラモス・バルマー様が二年前に同じように鳥笛を一瞬で染め上げた時は本当に驚きましたが、今回は『ああ、やはり!』と納得致しました」
そう言って女性は柔らかく微笑んだ。
ホルクの飛行訓練はこの春に孵った七羽で一斉に行うそうだ。
アスールとシアン以外は、院内雇傭システムでホルク飼育室に出入りしている学院生五名が参加しているようだ。その五人の首から下がっているのは最初に見せられた銀色の鳥笛だった。
「他の人の笛は銀色だね」
「そうだね」
「それは、あの五羽のホルクが学院の所有物だからですよ」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこに居たのは以前ホルクを引き取った日に立ち会ってくれたホルク研究家の老人だった。
「学院で飼育しているホルクが特定の人間の指示にしか従わないようでは困りますからね。場合によっては今後、第三者に買い取られていく可能性もありますし」
それはつまり “秋の学院祭” のことを言っているのだろう。
「セクリタ製の笛は音が違うのですか?」
「鳥笛は人間に聞こえるような “音” は出ませんよ。ホルクには聞き取れる “波” のようなものが出ているのです。セクリタ製の笛の場合、その波に魔力が乗るので普段からその笛を使って訓練されたホルクは、それ以外の笛には反応しなくなります」
「つまり、個人専用のホルクになってしまうということでしょうか?」
「まあ、概ねそのような感じです。さあ、そろそろ訓練を始めるようですよ。頑張って!」
初日の訓練はそれほど難しいものではなかった。
ホルクを左腕に乗せたまま腕を地面と水平に数分間保つ訓練に始まり、その左腕を振り上げてホルクを空に放つ訓練、笛を短く三回吹いてホルクを左腕へと下ろす訓練。この三種類をひたすら繰り返した。
「これって、ホルクの訓練じゃなくて人間の方を訓練してるよね?」
短い休憩の時にルシオが左腕をぐるぐる回しながら愚痴をこぼした。
「確かに。でもこれが出来なきゃ先に進めなさそうだね」
アスールも左腕をさすっている。
「そうらしいですよ。僕は今回が初参加ですが、去年訓練に参加した友人が、慣れるまでは筋肉痛との戦いだったと言ってましたから」
声をかけてきたのはスカーフの色から、第四学年の学生だと分かった。
「そうですよね。もう腕が重くて重くて……」
ルシオは全く動じずに、にこやかに返事をした。
「急に話しかけてしまい失礼いたしました。自己紹介させて頂いて構いませんか? 私はレイピック辺境伯家次男、ギアン・レイピックと申します」
「アスール・クリスタリアです」
「バルマー伯爵家次男、ルシオ・バルマーです。先輩は貴族なのに、雇傭システムを利用しているのですか?」
「まあ、結果として利用している形をとっていると言うか……。どちらかかと言うと、ホルクの飛行訓練に参加する為に雇傭システムを利用させて貰っていると言うのが正しいですね」
「どういう事ですか?」
その時、休憩終了の合図があった。
「ああ、訓練を再開するようですね。良ければ今日の夕食をご一緒しても?」
「アスール、どうする?」
「構いません」
「良かった。では夕方の時に」
「「また後ほど」」
休憩の後も、ひたすら筋肉を酷使する繰り返しの訓練が延々と続いた。
「次回は明後日です。今日と同じ時間にこの場所で。ホルクは連れて来た時と同様に鳥籠に入れて飼育室まで戻して下さい。それでは、お疲れ様でした」
そう言って指導教官が去って行くと、訓練に参加していた七人はホルクを左腕に乗せたまま、その場に力なくへたり込んだ。
「つ、疲れた」
「これが週に三回も……もう無理だ」
あちこちから悲鳴にも似た嘆きの声が聞こえて来る。
「僕とアスールはこの後寮までホルクの入った鳥籠を運ぶんだよ。ちゃんと寮まで無事に辿り着ける未来が見えない……」
「大袈裟だな、ルシオは。さあ、早く帰ろう! 夕食前にお風呂に入りたいよ」
「ピイィ。ピイィ」
「そうだね、帰ろっか」
ピイが機嫌良く相槌を入れたので、ルシオが面白がってピイに尋ねた。
「ねえ、籠の中でお前たちが飛んでたら、僕たちが運ぶのは籠の重さだけでいいの?」
「ピイィ?」
「あはは。アスール、これどう思う?」
「えっ? うーん。どうなんだろう? でもこんな狭い籠の中でずっと飛んでるなんて無理だよね、ピイ?」
「ピイィ」
「それはどっちの返事? 飛べるってこと? 無理ってこと?」
「ピイィィ」
「もう、ルシオ! いいから早く帰ろう!」
「ピイィ!」
「もしかしてお腹が空いているから早く寮に連れて帰れって?」
「ピイィ。ピイィ」
「なんだか分かんないけど、とにかく帰ろう!」
「だね」
アスールとルシオは行きよりも倍以上重たく感じる鳥籠を抱えて、寮までの道を笑いながら歩いた。
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