35 裏山の女神さま(1)
夏の休暇四日目。今日はダリオが楽しみにしている裏山に登る。
「ハイキング感覚で山頂まで上がれる」と言う話だが、昨日の釣りを思い返すと、この島の “ハイキング感覚” はアスールの想像の範囲を軽く超えていそうで……ちょっと怖い。
「ダリオさんが登れるんだったら、僕らも大丈夫だよ」
ルシオは簡単に言うが、ダリオは見た目通りの老人ではない気がするのだ。
朝食後、ハイキングの準備をしていると、アーニー先生が広間に入ってきた。いかにも “海の男” といった雰囲気の、日に焼けた背の高い男の人と楽しそうに談笑している。早起きをして一緒に剣の鍛錬でもしていたのだろう。
「先生があんなに楽しそうに誰かと話してるのなんて、初めて見たかも……」
「そうなの? 一緒にいるのはジル・クランって言って、父さんの右腕、主船の副船長だよ」
「主船?」
「うん。オルカーノ海賊団は基本二船が一緒に行動するんだ。主船と二番船」
(そう言えばローザが大きな船が二隻あったって言ってたな。ローザが乗せてもらったのはミゲル船長の船だったはずだから、主船ってことになるんだろうな)
「ここまで来る時に船を操っていた人覚えているだろ? ちょっと愛想のない」
「あの人はちょっとどころじゃないよね。相当愛想がない!」
ルシオが正直過ぎる感想を言った。
「ははは、そうだね。その彼、マルコスは主船の甲板長だよ。水夫の中では一番偉いんだ」
「えっ、そうだったの……」
レイフは同じ主船の副船長がここに来ているってことは、近くでマルコスに話を聞かれたんじゃないかとキョロキョロ周りを確認している。
「大丈夫。今日来ているのはジルだけだよ。彼が今日のハイキングのナビゲーター役をしてくれることになってるから」
「ナビゲーター?」
「そう。ちゃんと山道を把握している人がいないと、僕たちここに戻って来られないからね」
「それは、レイフでも?」
「そうだね。僕も絶対ではないよ。急に雨が降ったり、霧が出たときは……遭難するかも」
アスールもルシオも言葉を失った。
「それって……やっぱりハイキングとは言わないよね?」
「普通は問題ないんだよ。山頂まで二時間もあれば辿り着ける。上でのんびりお弁当を食べても全部で五時間かからずに戻って来られるよ」
「普通は?」
「そう、普通は。時々どうしてか急に天候が崩れることがあるんだ。この島の年寄りはそれを “女神さまの気まぐれ” って言ってる」
「女神さまね……」
「今日は大丈夫だと思うよ」
「だと良いけど」
そう言ってルシオは不安気な視線をチラリとアスールに送った。
「毎回厄介ごとに巻き込まれるのは、僕じゃなくてローザだからね!」
「えー。君たち二人ともある意味引きが強いよね」
「そんなことは……」
アスールははっきり否定できない。確かに小さい時からいろいろとローザはやらかしている。それにアスールも毎回のように巻き込まれているのはルシオの言う通りだった。
ー * ー * ー * ー
山道を歩き始めて最初の一時間位はルシオの相変わらず調子っぱずれの鼻歌がアスールの耳にもはっきりと聞こえていたが、道幅が急に狭くなり、鬱蒼とした茂みを両手で掻き分けなければ足元にある筈の道すら見失いかねなくなってきた辺りから、すっかりルシオも静かになった。
「もうちょっと行くと休憩出来る場所があるから、それまで頑張って!」
先頭を歩いている筈のジルの明るい声だけがアスールの耳にもしっかり届いた。
先頭をジル、その後ろにルシオ、ダリオ、レイフ、アスール、最後がアーニー先生という並び順で歩いている。
それぞれが離れずに歩いているはずなのに、鬱蒼とした茂みにほとんど飲み込まれて、アスールから見えるのはすぐ前を歩いているレイフと、時々ダリオの背中が見え隠れするだけだ。
そんな状況でも、すぐ後ろをアーニー先生が一定のリズムで歩いてきている音がずっと聞こえているのでアスールに不安は無い。
「おおー。やっと着いたー」
突然ルシオの楽し気な声が響いた。そのまま十数歩進むと突然前が開け、ルシオが歓喜した気持ちがアスールにも理解できた。
そこには小川が流れていて、その手前にこの五人くらいなら充分に休憩できるだけの広さの平坦な場所がある。
ジルはダリオに座りやすそうな大岩を指差して、そこで休むように言っている。
「ちょっと登った岩の間の湧水。今日も出ているだろうから、爺さんに汲んで来てやれよ」
ジルがレイフにそう言うと、座っていたダリオがスクッと立ち上がった。
「湧水ですと? それならば是非とも自分で」
「ダリオさんはそこで待っていて下さい。今すぐに俺が行って汲んできますよ」
「御気遣い不要です。私は自分の眼でその湧水を見たいのです」
ダリオの方がアスールやルシオよりも余力がありそうに見える。ダリオはこともな気に岩場を登って湧水を汲んで美味しそうに飲んでいる。
アスールも見習ってダリオが立っているところまでなんとかよじ登る。岩の割れ目からチョロチョロと水が湧き出ていた。
「本当だ。美味しいね」
「左様で御座いますね。あの世へ旅立つ前に “女神の清水” を飲むことが叶って感無量です」
「何? その “女神の清水” って?」
ダリオはちょっと照れたように笑ってから話し始めた。
「私が小さい頃に祖母から聞いた話ですので、それが実際にあった本当の話なのか、祖母の作り話なのか……。そもそもその場所がここだと決まっている訳でも御座いませんしね」
ダリオの話はこうだ。
昔、海底火山の爆発によっていくつかの小さな島ができた。だがその島々はまだまだとんでもなく熱くて、とても生き物が暮らせるような状態ではなかった。
ある日、渡り鳥の群れが遠い国を目指して海の上を飛んでいた。
渡りの途中でひどい嵐に巻き込まれ、一羽の雌鳥が翼に傷を負ってしまった。群れから遅れた番の二羽は休むところを探していた。遠くに島影が見えたので、二羽は群れから離れてその島を目指すことにした。
ところが、やっとの思いで辿り着いたその島は、二羽の鳥には熱すぎて羽を休めることなどとてもできない。雌鳥はもう他の島を探しに行くことも、群れに戻ることもできないくらいに衰弱しているというのに。
天界からその様子を見ていた神が子どもたちに言った。「誰でも良いから自らの力であの哀れな鳥たちを助けておやり」と。
三人の神の子どもたちが島へ降りてきた。一人目が大量の雨を降らせて島を冷やした。二人目が種を蒔き森を作った。最後の一人が小さな生き物を作った。
二羽の鳥はその島で羽を休め、渡りをやめてそのまま島に留まることにした。
神はたいへん喜んで、最初の一人に褒美としてその島を与えた。こうして島は豊かな森に小さな生き物たちが静かに暮らす楽園となった。最初の一人は神より水の女神 “アクエル” の名を頂き、清らかな水を守りつつ、その島で小さな生き物たちと幸せに暮らした。
「ダリオはその島がここだと考えているの?」
「だとしたら嬉しい、くらいには思っております。この島のお年寄りの中には、女神の存在を信じている方も居られるようですしね」
「レイフが言っていた “女神さまの気まぐれ” のこと?」
「はい。真偽の程は不明ですが、そう考えれば、この山登りもなお一層楽しめますよ」
ダリオは楽しそうにそう言うと、美味しそうに湧水をまた一口飲んだ。
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