32 島の子どもたち
「今日、この後、子どもたちのお勉強を見てあげて欲しいのだけど、お願いしてしまって構わないわよね?」
夜中まで喋っていたせいで寝坊した三人が揃って朝食を食べていると、出掛ける支度を既に済ませているリリアナが言った。
急な呼び出しがあったらしく、テレジアのアルカーノ商会へ今から出向くらしい。
「あれは、お願いという名目の命令だな」
母親を玄関先まで見送ったレイフが、戻って来るなり面倒臭そうに呟いた。
「申し訳ないけど午前中付き合ってもらえる? 毎日午前中は島の子どもたちをここに集めて、母さんが勉強を教えてるんだよ。この島には学校も教会も無いからさ」
「そうなの? 僕らは構わないよ。ね、アスール?」
「ああ。もちろん」
「悪いな。釣りは午後から行こうぜ」
「「了解!」」
しばらくすると外から賑やかな話し声が聞こえてきた。玄関が開いて、子どもたちが入って来る音がする。元気に挨拶をする声が聞こえてくる。
「もしかして、許可無く入って来てたりする?」
「うん。入口は開けてあるから、あいつらは勝手に入って来るし、ちゃんと時間迄には全員教室として使ってる部屋に入って座って待ってるよ」
レイフは当然のように言って退けた。逆に、驚きを隠せないアスールとルシオを見て不思議そうな顔をする。
「ああ、そうか。この島ではこれが普通なんだけど、この島以外では普通じゃないってことだね? この島ではそもそも鍵をかける習慣が無いから……。入学したての頃、僕も寮の部屋の鍵を持たずに部屋から出ちゃって、帰ってみたら中に入れなくてさ。あれはほんと困ったよ」
「鍵、かけないの?」
「必要無いもん。知ってる人間しか島に居ないし。海賊団が根城にしている島に、外から悪い事する奴が来る訳ないだろ?」
「そう言われると、そうかも」
「さ。そろそろ新米先生登場の時間だ。行こう!」
割と広めの部屋に大きなテーブルが二つ。それ以外にソファーが一つ。ソファーの近くにはラグが敷かれ、ローテーブルもあった。
子どもたちは小さい子から、アスールたちと変わらない歳の子まで年齢層はバラバラで、全部で十五人ほどが来ていた。
「あれ? レイフ兄ちゃん帰って来てたの?」
「リリアナ先生は? 今日は居ないの?」
「その人たち誰?」
三人が部屋に入っていくと、それに気付いた子どもたちが一斉に騒ぎ始めた。
「ええい。うるさいぞ! 教室では静かにする約束はどこにいった?」
レイフの一声で少しは騒ぎが収まった。かのように一瞬は思えたのだが……見たことのない人間が二人も同時に現れたことで、教室の子どもたち、特に小さな子たちの興奮はだんだんと膨れ上がっていく。
「だ、ま、れ! この二人は俺の友だちだ。今日はリリアナ先生が居ないので、代わりの俺たち三人が臨時の先生をする。王立学院の成績トップ3だぞ。有り難く思え!」
「うぐっ。アスールは兎も角、僕はトップ3では……ないよ」
アスールにだけ聞こえるようにルシオがヒソヒソと話をする。それでも、ルシオはすっごく楽しそうだ。
「王立学院ってなあに?」
「成績トップ3って凄いのか?」
騒ぎはちっとも収まりそうもない。
その時、部屋の入口がばあんと大きく開いて、背の高い男の人が勢いよく入って来た。
「随分賑やかだな! ここは勉強部屋じゃ無かったか? いつから仔豚小屋に変わったんだ?」
「あっ。キャップテンだ!」
「仔豚小屋じゃないよぉ」
「教室だよ!」
その人の登場によって、子どもたちの興奮は最高潮に達したらしい。アスールは余りの喧騒に眩暈を覚えた。
男は右手の人差し指を立てて、それを大袈裟に自分の口びるに黙って押し当てた。
徐々に室内に静寂が戻る。身体を揺らして騒いでいた子も、隣の子がいつの間にか静かになったことに気付くとお喋りを止めた。
「皆良い子だ! 勉強が終わったらお昼ご飯の時に、今日は特別に美味しい焼き菓子もあるらしいぞ。しっかり勉強しろよ!」
それだけ言うと、男はまた勢いよく部屋を出て行った。
「今のはもしかして……」
「うん。親父。はは、一瞬で静かになったよ……」
レイフはドアの方を見ながら「はぁ」と溜息をつき、頭を掻いている。
「じゃあ、勉強始めるぞー」
一旦静かになって勉強が始まると、思っていた以上の集中力を発揮してそれぞれの課題に取り組んでいる。
一つのテーブルでは計算を、もう一方では文字の書き取りの練習を中心に勉強をしているようだ。
ソファーでは部屋の本棚に置いてある本を出してきて読む子が居て、ラグの上では小さな子たちが座ったり寝転んだりしながら絵本を見ている。ローテーブルではお絵描きをしている子もいた。
皆飽きると別のところへ移動して、そこで別の課題に取り組む。なかなかどうして、ここは素晴らしい学習室だ。
「ねえ、この問題のやり方教えて!」
黒髪の男の子がアスールに計算問題がびっしり書かれた紙を持ってきて見せた。
「どれ?」
「これと……こっちのも」
「ああ、これなら、まずは先にこの掛け算をやってから、次にこっちの足し算をするんだよ。なんでも全部前から順番に計算するんじゃ無くて、掛け算と割り算を先にするんだ。やってご覧」
「ええと、先に掛け算。それから足し算」
「そうそう、それで良い!」
「出来た!」
「凄いね。あってるよ。こっちも同じ、やってみて」
「これは……先に割り算? それから足し算と引き算」
「正解!」
男の子が嬉しそうにアスールに礼を言って座っていた席に戻っていく。隣の茶色い髪の子とヒソヒソ喋っているのがアスールのところからもよく見えた。
今度はその子が紙を持って飛んで来た。
「僕にも教えて、先生」
ー * ー * ー * ー
どうやら昼食は毎回の授業の後にここで食べて帰るのが通例になっているらしく、勉強が終わると皆手際よく片付けをして食堂へ移動する。
昨日夕食を頂いた食堂とはまた別の部屋で、まるで学院の食堂の小さい版のような部屋だとアスールは思った。
「この子たちの親は皆それぞれ仕事を持っているから、授業の後はこうして昼を食べさせてから家に帰すんだよ」
アスールが子どもたちが食事を取り分けてもらっているのを食堂の隅で眺めているのに気付いたレイフが、すっと寄ってきて教えてくれた。
「お兄ちゃんたちは食べないの?」
「お兄ちゃんじゃ無くて、先生だろ!」
「そっか。先生も一緒に食べようよ!」
「今行くよ」
レイフに背中を押されてアスールも列に並ぶ。よく見れば、ルシオはもう子どもたちに挟まれて席に着いているではないか。
手招きをしている子たちが見えたので、アスールはそこへ向かう。手招きをしていたのは計算を一緒に解いた二人だった。
「先生たち、午後は何するの?」
「海まで行って、釣りでもしようかって話をしてたんだけど」
「釣り?」
「ああ。君たちは釣りをした事があるかい?」
二人は食べる手を止め、驚いた顔でアスールをまじまじと見ている。四つのキラッキラの瞳に正面から見据えられてアスールはドギマギした。
「釣りなんていっつもやってるよ!」
「もしかして先生は釣りをしたこと無いの?」
「……無い」
「えええええええええ。そんな人いるんだぁ!」
「じゃあさ、計算教えて貰ったお礼に俺らが先生に釣りを教えてあげるよ」
「良いの?」
「うん」
「じゃあ、今度は君たちが僕の先生だね。よろしく!」
「へへへ。先生だって」
食事の最後に、ダリオが焼き立てのパウンドケーキを三本運んで来た。見るからに美味しそうなケーキにダリオがナイフを入れた瞬間、わっと子どもたちから歓声が上がる。
焼き上がったばかりのケーキの切り口から、くらくらしそうな程食欲を刺激する香りを乗せた湯気が立ち上がる。
ケーキの周りを取り囲んだ小さな子どもたちが、ダリオの許可が出るのを今か今かとじりじりしながら待っている姿は可愛いらしい。
「数は沢山ありますからね。ゆっくり御召し上がり下さい。では皆様どうぞ……」
ダリオの台詞を最後までちゃんと聞いた子は何人いただろうか、あっという間に大皿の上からケーキが消えていく。
「本当でしたら、ちゃんと冷まして、明日以降に頂いた方がずっと美味しいと思うのですが……」
「まあ、それは無理だろうね」
「その様で御座いますね」
そう言いながらもダリオはなんだかとても嬉しそうだ。
あの様子ならここに滞在している間に、また美味しいケーキが子どもたちに振る舞われることだろうとアスールは密かに考えていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思って頂けましたら、是非ブックマークや評価をお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすれば出来ます。




