30 さあ、島へ行こう!(2)
帆が大きく風を受け、船は海の上を滑るように進んで行く。
舵を取っているのは意外にもマルコスだった。
馬車で迎えに来ていたのが彼だったので、てっきりもっと下っ端なのかとアスールは考えていたのだが、その予想に反して、この船の全権を握っているのはマルコスのようだ。
相変わらず苦虫をを噛み潰したような表情のままだったが、乗組員たちに的確な指示を次々と出して、見事に風と船を操るその姿を目の当たりにすると、不機嫌そうなその顔でさえも凛々しく見えて来るのだから不思議なものだ。
「風の向きでその日の航路を変えるから、この感じだと今日はちょっと遠回りになりそうだよ。でも、このルートが実は僕の一番のお気に入りのルートなんだ」
レイフは実に嬉しそうだ。
三十分程走っただろうか、気付けば眼前に断崖絶壁の島が見えてきた。
「もしかして、島って……あれなの?」
「そうだよ。想像していたのと違う?」
「全然別物だよ! 島って、こう、もっと平坦なものかと思ってた」
「ずっと昔。ここは火山噴火の隆起で出来た島なんだって。だからだと思うけど、この島には大して高さはないけど山もあるし、原生林の中に短いけど川もある。小さな島に川があるのはとっても珍しいみたいだよ。山のあちこちから水が湧き出ていて、それの水が冷たくてとっても美味しいんだよ。本当に自然豊かな島だよ」
レイフが言ったように、島全体が切り立った崖と木々の緑で覆われている。
アスールだけでなく他の三人も同じく、それぞれが想像していた『島』と違ったのだろう、レイフの話に皆が聞き入っていた。
「そろそろイルカが現れるよ」
レイフがそう言ってから数分もしないうちに、本当にイルカの群れが船の横に現れた。昨日の定期船の時よりもイルカとの距離はずっと近い。
イルカが海面に跳ね上がり、再び水面に着水する時の飛沫が手を伸ばせば届きそうに思える。
「ねえ、このイルカたちって本当に野生のイルカなの? まさかレイフの家で飼っている訳じゃないよね? 迎えに来させているとか?」
「まさか! そんな訳ないだろ!」
レイフがルシオの発言を呆れたように否定するが、ルシオは全然納得しない。
「だってこんなに懐くなんて変だよ!」
「変だと言われても、アイツらは本物の野生のイルカだよ。それより前を見て! もうすぐ滝が見えるよ」
レイフの指差す先に緑で覆われた岩肌を割くように白い筋が縦に走っているのが見えた。船が近付くと、その白い筋が崖の上から海へと流れ落ちている滝だということがはっきりと分かった。
「あんたたち運が良いよ。数日前に随分と雨が降ったから、今日は普段よりずっと水量が多い」
水夫の一人がそう教えてくれる。
滝は最初に見たその一つだけでは無く、しばらく船が進むと、短いもの、長いもの、何本もに分かれて流れ落ちているものもあった。
「こんなに素敵な景色、初めてだよ」
「そう? それは良かった。見慣れてると、どうって事ないけどな」
そう言いながらも、レイフの顔はひどく誇らし気に見えた。
レイフがお気に入りだと言った今日のルートは、本当に完璧な観光ルートであったようにアスールには思えた。
ルート選択が風任せなのは事実だろうが、ああ見えて、実はマルコスが客人の為に敢えてこのルートを選んで走ってくれたのではないだろうかと思わずにいられない。それほど見所の多い船旅だった。
「もう着くからね」
レイフが指差す先に、船着き場らしきものと、その奥に家が数軒まばらに建てられているのが見えてきた。
「この島には何世帯くらい暮らしているの?」
「それ程多く無いよ。二十五か……もう少し居るかなぁ」
船に乗った時と違い島の周りの波はずっと穏やかで、アスールもルシオも難なく歩き板を渡ることが出来た。
迎えに来ていた馬車に乗り込み最終目的地となるレイフの家を目指す。
島には平坦な場所があまり無い。埠頭から馬車で少し走ると、道は緩やかな登り坂になった。途中、小さな可愛らしい石造りの家がぽつりぽつりと建っている。どの家もきちんと手入れされていて、玄関先には小さな庭もあって綺麗に花が植えられている。
レイフの話によると、彼の家はこの坂を上がった一番奥にあるそうだ。それより先にも道はしばらく続いてはいるが、斜度が急過ぎて馬車ではそれ以上進むことは出来ないらしい。
ようやく到着したらしく、ゆっくりと馬車が停車した。
馬車を降りたアスールは驚きのあまり絶句してしまった。アスールの目の前に建っているその家は、今まで通り過ぎてきた家々とは全く別物のとても大きな屋敷だった。
だが、アスールを驚かせたのは家それ自体では無く、その後方。大きな屋敷のすぐ後ろに、うっそうとした熱帯の森が迫っている。おそらく太古の昔からほとんど姿を変えずにそこにあるだろうその森の、見た事も無い圧倒的な存在感にアスールの目は釘付けになった。
「なんか……凄い」
隣からルシオの呟き声が聞こえてくる。
「ほお、確かに。これは凄い」
振り返ると、いつもの何にも動じず冷静なダリオにしては珍しく、すっかり感心しきった様子で森を眺めていた。
「馬車が入れないだけで、この先も道は続いていると先程仰って居られましたが、この森に入ることは可能なのですかな?」
「はい。もちろん。ですが、その道も段々と細くなって、ある程度まで進むと後は山頂までやっと人が歩ける程度の山道ですけどね」
「それでも山頂まで行くことは出来ると‥‥ふむふむ。それは楽しみだ」
「楽しみって……まさかダリオ、この山を登る気なの?」
驚いてアスールがダリオに詰め寄るが、ダリオは至って当然のように答えた。
「ええ。出来るのであれば明日にでも」
「明日にでもって。やめてよ。迷ったらどうするのさ。危ないよ! だってダリオはもう……」
「年寄りだと仰いますか?」
「えっと、……まあ、……そうかも」
そう思ってはいても本人の目の前ではっきりとは断定し辛く、アスールはモゴモゴと口籠る。
そんな二人のやり取りをニヤニヤしながら見ていたレイフが口を出した。
「心配なんだったらアスールも一緒に登ったら良いんじゃない? 折角だし、天気が一日中安定しそうな日に皆で行こうよ。途中湧水が飲めるところも沢山あるし、頂上までゆっくり歩いても二時間位あれば到着出来ると思うよ」
「二時間。それは良いですね」
アスールの困惑を他所に、ダリオはすっかりその気になっている。
「良いんじゃない? こんなに楽しそうなダリオさん凄く珍しいし。僕もその美味しい湧水に興味あるなぁ」
「私も構いませんよ。ここ数日運動不足だと思っていたところですしね」
ルシオもアーニー先生もすっかり行く気になっているようだ。
「後はアスール次第みたいだね」
レイフがニヤリと笑ってアスールに最終決定を委ねた。
「分かったよ。僕も行く」
「そうこなくっちゃ!」
ルシオがアスールの肩に腕をまわして楽しそうに笑った。
そんなやり取りをしていると、随分と前に荷物が運び込まれているにも関わらず、なかなか家に入って来ない客人たちの様子を見ようと思ったのだろう、玄関の扉が開き屋敷から女性が一人出てきた。
「あっ。母さん! ただいま」
レイフの声に反応するかのように全員の視線がその女性に集まる。女性はにこやかな笑顔でアスールたちに向かって手を振っている。
(えっ、どうして?)
アスールは驚きの余り絶句し、その場に呆然と立ち尽くした。
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