27 テレジア行きの船(2)
注意して人の動きを見ていると、この船には大まかに二種類の乗客がいることが分かった。大半はこれから夏の休暇を楽しむためにテレジアに向かっている観光目的の客。残りの大部分は商売目的でヴィスタルを訪れていたか、これからテレジアで商売をする目的の商人だ。
「この船には商売人が多く乗っているみたいだね」
アスールが隣に立っているレイフに声をかける。レイフの家はヴィスタルとテレジア、その他クリスタリア国内数か所の港を拠点に、国外をも含めて手広く商売をしている海運商会だ。今はレイフの父親と長兄が中心となって活動しているらしい。
この定期船は夕方テレジアの港に到着予定なので、一旦テレジアの商会の建物内にある部屋に泊めてもらい、明日再び船で島へ向かうことになっている。
「そうだね。テレジアには大小多くの商会が集まっているんだよ。王都からそれほど遠くないから便利なのと、商会を経営するのに王都よりも断然家賃が安いからね」
「この船、船倉に荷馬車も積み込めるらしいよ。馬付きでも馬無しでも乗せられるんだって。馬番をしている人に教えてもらった」
しばらく姿を見ないと思っていたら、どうやらルシオは船内を探検してきたらしい。船の大きさに対して乗客が少ないように感じたのは、荷物を運ぶ目的の客が多いためだったのだろう。
「テレジアの港に行くと、他所の国と商売をしている大型商船も沢山見られるよ。王都は大型船の入港を基本的に禁止しているから、ヴィスタルから一番近いテレジアに集まって来るんだろうね」
「そうなの?」
「知らなかった? 王都に入港出来るのは中型船迄で、大型船は許可を受けた場合だけだって聞いたよ。例えば他国からの要人が乗っているとか」
ここでもアスールは自分には知らないことが多いなと実感した。
「ほら、あそこ! あそこにイルカが居ますよ!」
突然横から声をかけられてアスールはギョッとする。声の主はアーニー先生だった。この人は本当に気配を消すのが上手い。
先生の指差す先を見ると、時々海面から何かが飛び出しては海の中に消えていくのが見える。その集団が段々とこちらに近づいて来ていた。
「本当だ! 群れになって泳いでいるよ!」
ルシオの興奮した大きな声に呼び寄せられたかのように、船縁には沢山の人がイルカを見ようと集まって来た。
アーニー先生は見物客との間に割り込むようにアスールにピタリと身を寄せる。
「イルカは人懐っこいですね。あんなに船に近づいて、まるで僕らに挨拶をしに来たみたいだ」
「本当だね。可愛い!」
「イルカが船の近くを泳ぐのは、その方が楽だからだと聞いたことがありますよ。実際にイルカと言葉を交わせるわけでは無いので本当のところは私には分かりませんけどね」
「なんだか夢が無いなあ……」
ルシオは先生の意見に不満の声を上げる。アーニー先生は困ったような顔をして話を続けた。
「船の横を泳ぐ理由がどうであれ、イルカが人懐っこいのは本当だと思いますよ。船から落ちた人を助けたって話も各地にありますし、好奇心旺盛な生き物なのでしょうね」
「まるでローザ様みたいだね、アスール」
「……確かにね」
そうルシオに指摘されてアスールは苦笑いした。
「ローザ様って、妹?」
「そうだよ」
「好奇心旺盛な妹か。可愛いんだろうな。良いなあ、妹。俺の……ああ、僕のところは男兄弟しかいないから。一番上の兄貴の子どもも二人とも男だし」
最近になってレイフは言葉遣いに多少気を遣っているようだ。気付くと “俺” だった一人称が時々 ”僕“ になっている。
「テレジアの土産にイルカの小物をその妹に買ったらどうだろう? 前に寄った店にいろいろと置いてあった気がする」
「えーー。良いんじゃない? ローザ様ならきっと喜ぶよ」
「そうだね。案内して貰えると嬉しいな」
「分かった」
しばらくすると気儘なイルカたちは船の反対側に移動してしまったようで、それに合わせてイルカを見るために集まっていた人たちも付き従うかのようにぞろぞろと移動して行った。
気付くとアスールの横に居た筈のアーニー先生もいつの間にまた先程の長椅子に寝そべっている。
アスールたちは果実水のお代わりを買うために空になったグラスを持って売店を目指した。
ー * ー * ー * ー
一時間もすると、海上の遮るものの無い強い日差しに耐え兼ねたようで、いつの間にかデッキ上には人影が疎になっている。アスールたちも船室に戻ることにした。
「お茶でも召し上がりますか?」
部屋に戻ると、ダリオがすっと立ち上がってアスールたちに聞いてきたが、散々果実水を飲んでお腹がタプタプになっている三人はダリオの申し出を断った。どうやらアーニー先生も断ったようで、ダリオは再び元いた椅子に腰を下ろした。
日差しの下にしばらくいたせいだろう、少し肌がヒリヒリする。三人はソファーに倒れ込んだ。アーニー先生も空いているスペースに腰を下ろした。
「ヴィスマイヤー卿はエールを飲んでも全然顔が赤くなったりしないんですね」
寝転んでいた身体を怠そうに起こして、ルシオがアーニー先生に話しかけている。
「まあ、一杯呑んだだけですからね」
「僕の父は一杯だけでも真っ赤ですよ。母に『みっともないから外では呑まないように』といつも煩く言われています」
「私はここよりずっと寒い国の出身なので、酒と言えばもっとアルコール度数の高いものが一般的なのです。私の国ではエール程度は酒の部類に入らないのですよ」
「どちらのご出身なのですか?」
「ロートス王国です」
アスールはアーニー先生が正直に出身国を言ったことに正直驚いていた。先生は最早出自を隠すつもりは無いようだ。
「へえ。随分と遠いところから来られているのですね」
「ええ」
「そう言えばアスールの “絵画の先生” って言ってたけど、アスールが絵を習っていたなんてちっとも知らなかったよ」
「それほど長い期間じゃ無かったから……。そう言えば、バルマー伯爵も一緒に習い始めたんだけど、ルシオは聞いてないの?」
「えっ。何それ? 全然知らない」
「そう言われればそうでしたね。確か奥方様の絵を描きたいとか仰って」
アーニー先生はその時のことを思い出したようで、我慢し切れずにくすりと笑った。釣られてアスールも笑う。
「何? 何? そんなに可笑しい話なの?」
「だって凄く意気込んで始めたのに、まともに参加したのは最初の三回位なんだもの。多分顔の輪郭も描いてないと思うよ。ねえ、先生?」
「まあ、そうでしょうね」
「はあ。……何やってるんだか」
その後はバルマー家の面白話でしばらく盛り上がった。
ルシオの口から伯爵の面白エピソードが次々と語られる。きっと今頃伯爵はクシャミが止まらないに違いない。
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