26 テレジア行きの船(1)
前期の試験も問題なく乗り越え、いよいよ王立学院は約二ヶ月間という長い夏休みに突入した。
そんな夏休みの初日。アスールはレイフの実家があるテレジアに向かう為、先ずはヴィスタルの港を目指していた。テレジアに向かうには「陸路を馬車で行くよりも海路の方が断然早い!」とのレイフの提案に従ったのだ。
ヴィスタルとテレジアを結ぶ定期船は一日に数本出ているらしく、今回は昼過ぎの便に乗るつもりで学院を出た。
「その大きなの、ホルク?」
レイフが馬車に載せられている二つの鳥籠を指差している。興奮したホルクが鳥籠の中で騒がないようにカバーを掛けてあるため、この状態では中に居るホルクは見えないのだ。
「そうだよ」
「随分おとなしいんだね」
「こうしてカバーが掛かっている間はね。船に乗る前に一度外に出すから、その時に見せるよ。まだ成鳥じゃ無いから興奮して君のことを突いたらゴメン」
「大丈夫。家にも居るんだ、ホルク。小さい頃はよく突かれたよ。まあ、今でも時々やられるけどね」
「そうなの?」
「アイツ、性格悪いから……」
「何それ? ホルクってそんなに個体で性格違うの? 育て方の問題?」
ルシオが身を乗り出すようにして矢継ぎ早にレイフに質問を投げかける。
この二人に関しては、寮も違うし同じ授業も取っていない。今日がほとんど初対面に近い状態だったのだが、こんな感じに人懐っこいルシオの性格からして特に問題は無さそうだ。
「家のホルクは俺のお袋にべったりだから。お袋のやった餌しか食べないし、お袋以外でアイツが素直に従うのは親父だけだよ」
「へえ、そうなの。でもそれってちょっとカッコイイよね。自分だけのホルク! って感じがするじゃない?」
「ある程度誰からでも餌を貰うように躾けておかなければ後々苦労されますよ。貴方方はまだ学生で、ずっと付きっきりでホルクの面倒を見られる訳では無いのですから」
それまで黙って座っていたダリオが口を開いた。
実際アスールもルシオも日中学院に居る間はダリオにまだ幼いホルクの面倒を見てもらっている。
「折角の機会ですから、島へ到着後はあの鳥たちを他人と触れ合わせるのも宜しいかと」
「そうだね。そうするよ!」
ルシオは最近すっかりダリオに籠絡されているようだと、アスールは二人のやり取りを横目で見ながら考えていた。少なくともルシオがダリオの作るお菓子の虜なことだけは間違いない。
今回「側仕えのダリオがアスールに同行する」というのが、旅行を許可するに当たってカルロが出した一つ目の条件だった。二つ目はどうやら一人護衛がつくらしい。お忍びだったとしても一国の王子が護衛も無しに出歩くなどとんでもないとドーチ長官がカルロに苦言を呈したとか。
「そろそろ港に到着しますよ」
ダリオにそう声をかけられ、三人は窓のカーテンをずらして外を見る。夏の眩い日差しの下、大勢の荷下ろしをする逞しい男たちが忙しなく行き交っているのが見える。定期船の乗船場はこの先にあるらしい。
馬車が着けられたのは埠頭からは少し離れた場所で、そこには数人の男たちが待ち構えていた。
その中に一人、胸元を大きく開けた涼しげな白いシャツを着て普段とは全く違う印象だったが、とても良く見知った顔があることにアスールは驚いた。アスールたちが馬車から降りるのを待って、その男が一歩前に進み出る。
「お待ちしておりました」
「先生! いったいこんな所でどうしたんですか?」
アスールたちが馬車から降りて来るのを笑顔で待っていたのは、アーニー先生ことアルノルド・マイヤー、いや、エルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿だった。
「どうしたかって? それはもちろん、殿下の護衛任務を陛下より仰せつかったもので」
そう言うとアーニー先生は悪戯っ子のような笑顔をアスールに向けた後、アスールのすぐ後ろに控えていたダリオと極自然な感じで挨拶を交わしている。いつの間に二人はこんなにも打ち解けた感じの知り合いになったのだろうか。アスールは戸惑いながら二人のやり取りを見ていた。
御者が馬車から下ろし終えると、ダリオが近くに居た男たちに手短かに指示出す。アスールたちの荷物は二つの鳥籠だけを残して次々と船着き場へと運ばれていった。ダリオは男たちを見送った後でアスールたちに声をかける。
「それでは私はテレジア行きのチケットを購入して参ります」
ダリオはポケットから懐中時計を出して時間を確認する。
「乗船まで一時間弱ですね。私は荷物の積み込み等の指示を出して参りますので、この辺りでヴィスマイヤー卿とお待ち頂けますか? ここでしたらホルクを籠から出しても問題ありませんよ」
ダリオはアーニー先生に「頼みます」とだけ言って男たちの後を追っていった。
残された四人は取り敢えず日陰を探して移動することにした。この時間の日差しはかなりきつい。カバーをかけられた鳥籠の中でホルクたちが早くここから出せと言わんばかりに落ち着きなく動き始めていた。
「ほら。出ておいで」
カバーが外され、日陰に入ったとはいえ急に明るくなった鳥籠の中でピイは首を傾げて周りの様子を観察している。扉を開けてアスールが腕を入れてもお気に入りの止まり木から動こうとしない。アスールは仕方なく腕を鳥籠に突っ込んだまま、アーニー先生を他の二人に紹介することにした。
「アーニー先生、こちらは僕の友人で今回テレジアのお宅に招待してくれているレイフ・アルカーノ君。と、ルシオ・バルマー君です。それから、こちらは僕と妹の絵画の先生のエルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿です」
レイフは礼儀正しく挨拶を返した。ルシオはアスールと同様鳥籠の中に腕を突っ込んだままだ。
「よろしく。今回はアスール殿下の護衛として同行します」
そうは言っても「アーニー先生は全く護衛には見えない」と口には出さなかったが、アスールは心の中ではそう思っていた。
ー * ー * ー * ー
「うわぁー。すごいよ、アスール! ちょっとこっち来て!」
テレジア行きの船の上。ルシオの興奮は収まることを知らないようで、凄まじいはしゃぎようだ。
デッキの柵越しに遠ざかって行くヴィスタルの街を眺めていたアスールはルシオに向かって軽く手を上げた。後ろから呆れ顔のレイフが果実水の入ったグラスを三つ持って近付いて来た。
「あの騒ぎっぷりはいつまで続くんだ?」
「どうだろう。まだしばらくは続くんじゃないかな」
「本気かよ……」
テレジア迄は途中で何ヶ所かの港に立ち寄りながらの五時間弱の船旅で、ほとんどの乗客はデッキの上や幾つかある広い共同の船室で到着までの時間を潰すそうだ。
それでもダリオは二羽のホルクを連れているからと言って、アスールたちのために特別な個室を手配してくれていた。アスールたちが船に乗り込んだ時には、すでに荷物は男たちの手で運び込まれており、部屋はダリオによって完璧に整えられていた。
埠頭の空き地で外に出してもらったことですっかり落ち着きを取り戻したらしい二羽のホルクは、今は大人しくそれぞれの鳥籠の中で寛いでいる。
少し休憩を取ると言うダリオを部屋に残して、四人はデッキに出ていたのだ。
アーニー先生はと言えば、エールを片手にデッキにいくつか設置されている長椅子に寝そべって寛いでいた。
アーニー先生は細身の長身で、目鼻立ちの整った綺麗な顔つきに柔らかそうな癖のある少し長めの金髪を今日は撫でつけることなくふわりと流している。
何処ぞの大店の気儘な跡取り息子といった感じにも見える先生の周りで、時折若い女性たちが声をかけけたそうにウロウロしているが、先生は一向に興味を示す気配もない。
あれで護衛が本当に務まるのかとルシオは訝しんでいたが、時々辺りに鋭い視線を向け、あんな調子に見えても決して警戒を怠ってはいないことにアスールは気付いていた。
そんなアスールたち一行を乗せ、船はゆっくりとテレジアを目指して順調に進んでいる。
この日は波も穏やかで、夏休みの初日としては最高のスタートになりそうな予感がした。
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