25 家族の肖像(2)
カルロが人払いをしたので、サロンに残ったのは王家の七人とシアンのスケッチを描いているアーニー先生だけになった。
カルロは長椅子に座っているシアンに自分の声が届いていることを確認した上で話し始めた。
「アリシアの婚約が内定した。相手はハクブルム王国の第一王子のクラウス殿下だ。秋の終わりまでには正式な婚約の申し込みをするために、クラウス殿下自らクリスタリアを訪れることになっている」
「でしたら、アリシアお姉様は将来はハクブルムの王妃様になると言うことですか?」
ローザが目をキラキラと輝かせている。
「ああ、そう言うことになるな」
「素敵です! お母様と同じ王妃様ですね。」
「もしかして、ローザも王妃になりたいのか?」
カルロは心底驚いたような顔をして、自分のすぐ横に座っているローザを見た。
「はい。もちろんです」
「……そうか。ローザもどこぞの王太子と結婚したいのか……。それは知らなかった……」
「私はお父様のような優しい王様と結婚して、お母様のような素敵な王妃様になるのです」
カルロはなんとも複雑そうな顔でローザを見ている。
「良かったですわね、父上。優しい王様と素敵な王妃様だそうですよ」
アリシアが楽しそうにカルロに笑いかける。カルロは益々複雑な表情になって、咳払いを一つした。
「話を戻すぞ。正式な日取り等は今後の両国間での話し合いで決まることになるが、おおよその予定だけは伝えておく。結婚式は一年後。来年の今頃にハクブルムの王宮にて執り行われる。こちら側の出席者は私とパトリシア、それからドミニク、スアレス公爵ニコラス、その夫人ベラ」
「他の者は儂と留守番じゃ」
ローザは自分の名前があがらなかったことに一瞬不満気な表情を浮かべたが、留守番だとフェルナンドからはっきり言い渡されてがくりと項垂れた。が、すぐに気を取り直したようで矢継ぎ早に質問を投げかける。
「お姉様、ハクブルム王国は東の方にある国ですよね? どんな国ですか? ヴィスタルから何日位かかるのですか?」
「さあ、私はこの国から一度も出たことが無いのでよく分からないわ。でも、船と馬車とで何日もかかると聞きました。とても遠い国だそうよ……」
アリシアの口から「とても遠い国」と言う言葉が出たことで、ローザの表情が一瞬にして曇ってしまった。分からないと言ったアリシアの代わりにカルロが答えた。
「海が荒れなければ船で隣国タチェ自治共和国の港まで一週間。そこから陸路でハクブルム王国の王都シーンまでは四〜五日だろうな」
「「そんなに……」」
アリシアとローザがほぼ同時に呟いた。こうして聞くまで、アリシア自身も自分の嫁ぎ先がそれ程遠い場所にあるとはぼんやりとしか想像していなかったようだ。
「あの……私……やっぱり……王妃様にならなくても良いです」
ローザが消え入りそうな小さな声で呟いた。パトリシアが困り顔で小さな娘を見ている。
「アスール。交代だよ。次は君の番だって」
突然の明るい声に、そこに居た全員が声の主であるシアンの方を振り向いた。シアンは立ったままテーブルに手を伸ばし、カスティーリャを一つ取ると、そのままヒョイと口に放り込む。
「ほら。早く! 先生が待ってるよ」
慌てて立ち上がったアスールにシアンは軽くウィンクをして見せてから、元居た席にドサリと腰を下ろした。
「ローザは王妃になるより先に、先ずは学院生にならないとね! ちゃんと算術の勉強は進んでいるのかな?」
「大丈夫です。ちゃんとやっています!」
「本当に? 次の試験でローザが合格出来ないと、僕は学院を卒業してしまうからね。心配で夜も碌に眠れないよ……」
「もう、心配しなくても大丈夫ですってば! シア兄様は意地悪です!」
そう言うとローザが不貞腐れたようにプイっとそっぽを向いた。それを見てアリシアが笑い出し、つられるようにして皆が声を上げて笑う。いつの間にか重苦しかった雰囲気が消えていた。
アスールはアーニー先生の待つ長椅子に向かって足を踏み出した。
ー * ー * ー * ー
「学院にはもう慣れましたか?」
ずっと黙ったまま正面を向いていなければならないと思い込んでいたアスールは、急に話しかけられたことに驚いて目を瞬かせた。
「少し位ならお喋りをしても、もちろん動いても大丈夫ですよ」
「なんだ。そうだったんですね」
そう聞いてアスールは安心したように小さく息を吐いて首を左右に動かした。先生はそんなアスールを上目遣いで見ながら鉛筆を動かし続けている。
「で? 学院では楽しく過ごせていますか?」
「はい」
「それならば良かったです。学生でいられる時間は本当にあっという間に過ぎてしまいますから、いろいろなことに挑戦したら良いですよ。年齢や身分を超えた繋がりを得られる貴重な時間ですからね」
「先生にもそういった友人が居るのですか?」
「もちろん。現にこうして私が国外を身分を隠して移動出来たのも多くの友人が支援してくれているお陰です。貴族だけでなく商人や役人、その他いろいろな人のね」
そう言うとアーニー先生は悪戯っぽい微笑みをアスールに向けた。
「そう言えば、先生はローザとの絵画の時間以外はいつも何をされているのですか?」
「今はバルマー伯爵のお手伝いをしながら、国の様々な仕組み等を学んで頂いています」
アーニー先生はチラリとローザの方に視線を送ってから、手を止めて小声で話を続ける。
「まだ決定時事項では無いのですが、姫様が学院に入学された後は私の教師としての役目も終わるので、アリシア様をお迎えする準備も兼ねてクリスタリア国の一員としてハクブルム王国へ渡る方向で伯爵と話を進めています」
「ハクブルムですか?」
「ええ。あの国はロートスとは距離的にも近いですし、隣国のタチェ自治共和国とも深い繋がりもある。いろいろと彼の国の情報も手に入れやすいでしょうし、何より、私にはタイムリミットが迫って来ていますからね」
アスールは以前アーニー先生が言っていた、出奔から五年で家督の相続権利が無くなると言う話を思い出していた。
「姉アナスタシアの無事も、姉がこの国で幸せに暮らしていることも確認出来ましたし、今後は残された家族と、私自身の将来を考えていかねばなりません。何の後ろ盾も無く国へ戻っては命を守る術が無かったあの頃と変わらないので、先ずは出来ることから、自分の足場を固めることから始めようと思います」
アーニー先生はそう言いながらアスールをじっと見つめている。アスールはアーニー先生のあまりに真剣な眼差しにどう対処したらいいのか分からず、視線を逸らすことが出来ずにいた。
「兄と弟も亡き今、私がロートス王国に忠誠を誓うフォン・ヴィスマイヤー侯爵家の正当な相続人です。父が守ろうとしていたあの国を、遠くない将来、不当な簒奪者たちから必ず取り返してみせますよ」
それだけ言うと、アーニー先生はまた絵の続きを描きだした。先生の心の内を垣間見た気がして、アスールの心臓は早鐘のように打っていた。
ー * ー * ー * ー
「では、次回お会い出来るのは夏休みですね!」
そう言って屈託のない笑顔を向けるローザに、アスールはなんとも気不味い思いを隠しながら若干引き攣った笑顔を見せた。横でシアンが必死に笑いを堪えている。
「さあさあ。貴方たちは早く学院にお戻りなさい。門限に遅れてしまっては大変よ」
パトリシアが気を利かせ、アスールの背中に手を当て馬車へと押し込んだ。そして別れ際、アスールの耳元でアスールにだけ聞こえる位の小さな声で早口に囁く。
「夏の旅行の件なら心配要らないわ。お世話になる相手のお宅への手土産はダリオに渡してあるからね。気を付けて行ってらっしゃい。楽しい旅を」
アスールとシアンを載せた馬車が走り出し、車窓からはパトリシアが満面の笑みを浮かべて手を振っているのが見えた。
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