24 家族の肖像(1)
「殿下。本日王宮より『週末に王宮へ戻るように』との通達が御座いました。馬車の手配は済んで居ります」
寮の自室に戻りダリオが淹れてくれたお茶を飲んでいるアスールに、普段と変わらぬ何気無い様子のダリオが告げた。アスールが慌てて問いただす。
「週末って。一昨日王宮から戻ったばかりなのに? また? 何かあったの?」
「特に私は何も伺って御座いません」
「呼び出しは僕だけ? 兄上も一緒?」
「はい。御二人共に。ですが “至急” では無く、あくまでも “週末” ですので、殿下が御心配されるような緊急事態ではないでしょう」
カルロのこの様子からして、きっとその通りなのだろうとアスールは思った。
「ねえ、ダリオ。今日の焼き菓子は新作?」
「はい。左様で御座います。レシピを手に入れたので試しに焼いてみたのですが、お味の方は如何ですか? カスティーリャと呼ぶそうですよ」
「カスティーリャ? すごくふわふわで甘いけど甘すぎない。とっても美味しいよ」
「バターを使わずに、卵と蜂蜜をたっぷり入れて居ります」
「へえ。そうなんだ。ルシオじゃ無いけど、何個でも食べられそうだね」
「御気に召されましたか?」
「凄く!」
「でしたら週末に王宮に戻られる際にも持って帰れるようにいくつか御用意致しましょう」
「本当に? きっとローザも大喜びすると思うよ」
カスティーリャを前にして喜ぶローザの顔が容易に想像出来るので、どんな用事で呼び出されたのか分からない不安も吹き飛び、アスールの顔から笑みが溢れた。
ー * ー * ー * ー
「では、まずは前列の方から始めたいと思います。長椅子中央にアリシア様、アリシア様を挟むように国王御夫妻、ローザ様は陛下の左隣へお座り下さい」
アーニー先生ことエルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿に、家族が揃った肖像画を描いて欲しいと、母であるパトリシアが突然依頼をしたらしい。
アスールとシアンが王宮へと呼び出された理由はこれで、二人が向かった先は家族が集まるサロンだった。
アーニー先生の指示を受け、側仕えたちが座っている女性陣の髪やドレスの裾を美しく整えている。
その間も長椅子の正面の椅子に陣取ったアーニー先生の鉛筆を持つ手は休むことなく、スケッチブックの上を右へ左へ忙しなく動いていた。
「二人共よく来たな。先ずは前列の長椅子組から描くらしいぞ。儂ら三人はあの後ろに立つんじゃと。取り敢えずはすることもないから、ここで茶でも飲みながら待機だな」
フェルナンドに勧められるままにアスールとシアンはソファーに腰を下ろした。
「エルンストがローザにねだられてローザの肖像画を描いたんじゃ。小さな絵なんだが凄く良い出来でな、それを見たカルロがアリシアの肖像画を宮廷画家にでは無くエルンストに依頼した」
フェルナンドが合図をすると、部屋の奥に控えていた使用人がそれ程大きくない額を持ってきてフェルナンドに手渡した。
花束を抱えたローザがにこやかに微笑んでいる。
「まだアリシアの肖像画の方は完成はしておらんのだが、パトリシアが最後にどうしても家族皆が揃った絵が欲しいと言い出してな。お前たちもこうして呼ばれたってことだ」
「……そうでしたか」
「後でカルロから詳しい話があるだろうが、アリシアの婚約が内定したんだよ。正式な婚約は秋の終わり頃。遅くとも一年後にはクリスタリアを離れることになるだろう」
フェルナンドはなんとも複雑な表情でアリシアの方を見ている。
「儂としてはどうせならクリスタリア国内で相手を見つけて欲しかったんだがな……。まあ、今更儂がどうこう言っても仕方がない」
「お祖父様はお相手の方がご不満なのですか?」
「そういう訳ではないよ、アスール。ただ他国に嫁入りしたとなっては、そう簡単には里帰りなど出来んからな……」
「ああ……確かにそうですね」
アスールはそう言われて初めて、あの優しい姉が遠くへ行ってしまうのだということを実感した。
そうしていろいろと話をしているうちにアーニー先生の手が止まり、四人分のラフスケッチを描く作業は終わったようだ。先生から声がかかり、残りの三人が四人の後ろに加わることになった。
「後列中央にフェルナンド様、その右側にシアン殿下、左側にアスール殿下。前の方と重ならないような位置にお立ち頂けますか? はい。そこで」
アーニー先生はその後は一切口を開かずに、視線を王家の面々とスケッチブックの上とを行ったり来たりさせ、ただひたすらに鉛筆を走らせていた。
時々我慢出来なくなったローザが身体をもぞもぞと動かしたが、特に注意を受けることは無かった。静かな室内に先生が走らせる鉛筆の音が小気味よく響いていた。
「終わりました。もう動いても大丈夫です。お疲れ様でした」
アーニー先生がそう声をかけて全ての作業を終えるまでには、アスールが思っていた程には時間はかからなかった。
「見ても良いですか?」
もう動いても良いと言われてローザがすぐに長椅子からピョンと立ち上がると、アーニー先生に駆け寄っていった。
「構いませんよ。ですが今の段階では大まかな構図だけなので姫様が期待しているような絵にはまだなっていませんよ」
「構図?」
「こちらです。ご家族の位置関係。例えば後ろに立たれている三人の背の高さの違いや体格ですね。それから、ドレスの裾の広がり具合などを忘れないようにこうして描き留めておくのです。私は専門の絵師では無いので、これはあくまでも私のやり方なのですが……」
「専門の方は違う描き方なのですか?」
「さあ、どうでしょうか」
アーニー先生とローザの周りに他の家族も集まってきて、物珍しそうに書かれたばかりの下絵を覗き込んでいる。
「さあさあ、お茶にしましょう! ヴィスマイヤー卿もお疲れ様」
パトリシアのその一声を待ち構えていたかのように使用人たちが一斉に動き始めた。
一同がソファーに移動すると、あっという間にそれぞれの前にお茶が用意される。お茶受けの焼き菓子は大皿に綺麗に並べられたカスティーリャだった。アスールと目が合うと、ダリオがニッコリと微笑んだ。
王と王妃に挟まれるようにソファーに座ったローザは、早速目新しい焼き菓子に気付きカスティーリャを一口食べた。その途端、ただでさえ大きな目が更に大きく見開かれる。
「んーー。これ、美味しい! ふわっふわ!」
「どら。儂も一つ」
フェルナンドがカスティーリャを丸ごと一つ頬張る。
「確かに美味いな。こりゃ何個でもいけそうじゃ」
「お祖父様、これは皆で仲良く頂くのですよ。独り占めはダメです!」
「分かっておる。じゃが、もう一つや二つ良いじゃろ」
フェルナンドはカスティーリャをもう一つ取ると、ローザの静止も聞かずにすぐに口に運んだ。
「あーーーー」
ローザが泣きそうな顔をして悲鳴をあげるので、フェルナンドが面白がってまた皿に手を伸ばそうとしたが、寸前でカルロが大皿をスッと引き寄せた。
「父上、あまりローザを揶揄わないで下さい」
「ははは。すまんすまん」
「御取り分け致しましょう」
そう言うとダリオが大皿を手に取り、すぐにカスティーリャを取り分けてくれた。ローザの皿には他の人よりも一つ多い三切れのカスティーリャが盛られている。アリシアが嬉しそうなローザを優しい表情で見つめていた。
しばらくして、アーニー先生がこの後の作業について説明し始めた。
今日描いたラフスケッチを下絵として使えるものにする為に、学院に戻る前、今日中にシアンとアスールのデッサンを終えてしまいたいとアーニー先生は言った。他の人の分のスケッチに関しては、それぞれ都合の良い時間を見つけて順番に描いていくつもりらしい。
「だったら僕からお願いしようかな」
シアンがアスールより先に願い出た。アーニー先生は「了解しました」といった表情を浮かべ立ち上がる。
「それでは、ここでは落ち着いて描けませんので、あちらの長椅子にお座り頂いて宜しいですか? それ程お時間はかかりませんので」
先生はスケッチブックとその上に置かれていた数本の鉛筆を手に取ると、シアンを長椅子に座らせ、自分はさっきまで座っていた椅子を長椅子の近くまで引っ張っていきそこへ腰を下ろした。
どうやら顔だけをスケッチしているようだ。アスールはそんな二人を眺めていた。
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