21 神秘の泉は森の中?
「今日は天気も良いし、折角だから外へ出てみようか」
「「やったー」」
アレン先生の予期せぬ提案にクラスがわっと盛り上がる。
魔導実技基礎演習の授業も回数を重ねていくうちに、ギクシャクしていた初回の授業が嘘のように、すっかりクラス内は打ち解けた雰囲気になっている。
立場云々とレイフ・アルカーノに意見したあのヴィクトル・ヒルツでさえも、今ではレイフを認め、尊重しているようにさえ見える。
学院本館から中庭を抜け、西の方向へ進む。五の月も半ばを過ぎていた。日差しを受けながらこうして石畳の上を歩いていると、少し暑いと感じるくらいには夏が目の前まで迫ってきている。どうやらアレン先生は森を目指しているらしい。
森に一歩足を踏み入れればその日差しも遮られ、樹々の間を吹き抜ける風が心地良い。足元は石畳から踏み固められた土に変わった。
「先生、どこまで行くのですか? まだかなり歩きますか?」
教室を出てから優に三十分は歩いている。行き先を知らされていないで歩くことに不安を感じたのか、それとも単に疲れたのか、一人がアレン先生に尋ねた。
「いや。もうすぐそこだよ」
すぐの解釈は人それぞれ。そのままさらに進んで行くとようやく目の前が開け、小さな泉とその周囲にアイリスの花が美しく咲き誇っているのが目に入った。
「やっと着いた……」
「綺麗ね。癒されるわ」
「でも、まさかこんなに歩かされるとは。疲れたー」
学生たちはそれぞれの感想を口にしながら泉の手前にある草むらにへたり込んだ。レイフは両手両足を広げ仰向けに寝転がっている。
「おいおい。目的地はここだが、まだ終わりじゃ無いぞ! 座り込んでないで、ほら、行くぞ。もうちょっと頑張れ!」
そう言うとアレン先生は学生たちを鼓舞しつつ小さな泉を目指した。アイリスに埋もれるようにして小さな泉によく似合った小さな女神の像がひっそりと置かれている。
泉に近づくと、アスールは少しだけ気温が下がったように感じた。おそらく地下からの湧水が地表の温度よりも冷たいせいだろう。
「この泉の水を調査したいので、それぞれ教室から持ってきた入れ物に水を汲んで貰いたい」
それだけ言うと先生は、斜め掛けした鞄からこの泉の見取り図らしきものとガラス瓶を取り出した。
手書きの見取り図には所々にバツ印が付けられ、その横にクラス八人分の名前が書き込まれている。
先生は「ここが現在地な」と言って、見取り図にバツ印と自分の名前を書き込んだ。それから瓶の蓋を開け、服が濡れるのも気にせず豪快に泉に瓶を突っ込んだ。
「さっさと終わらせようぜ」
レイフが横に立っていたアスールの背を押した。アスールは頷いて、二人は自分たちの場所を確認するために見取り図を覗き込んだ。レイフは今いる場所のほとんど真向かい、ここから一番遠い位置だ。アスールはその少し手前に名前を見つけた。
「行くか」
「そうだね」
皆が見取り図を囲んで覗き込み、自分の名前と位置を確認するとそれぞれの持ち場へと散っていく。
「ああーー、これで帰り道は更に重くなるってことじゃ無いですか」
「辛すぎる……」
「もしかして僕たちって単に水運びのために連れて来られたんじゃ?」
アレン先生はニヤニヤしながら皆が水を汲む様子を楽しそうに眺めている。文句を言いながらも結局は全員指定された地点で泉の水を汲み終え戻ってくる。
「泉の水を一人で運ぶのが大変だからお前たちをここまで連れて来たことは否定しない! でも本来の目的はそんなことじゃ無いぞ。お前たちには実験台になって貰おうと思ってるんだ」
「ちょっと、実験台って何ですか!」
「いくらなんでも酷すぎる……」
「まあ、落ち着いて聞いてくれ」
アレン先生の話によれば、先生は先日の休みの日に森をぶらぶら散歩をしていて、偶然この泉に辿り着いたそうだ。歩き疲れた先生は草むらで休み、喉が渇いたので泉の水を飲むことにした。するとどうだろう、疲労感がすうっと身体から抜けていったと言うのだ。
「自分の感覚だけじゃ確信が持てなかったので、お前たちにも検証に協力して貰おうと思ってね。それでここまで連れて来たんだよ。ちょっと遠回りしながら」
「遠回りって……?」
「ああ。多少疲れていないと泉の水の効果が分からないだろ? 程良く疲労が溜まる程度に歩いてもらった。だから帰りは心配しなくてもすぐ戻れるぞ」
「「えーーーーーーー」」
非難の声が一斉に上がったが、そんなことなどお構いなしでアレン先生は話し続けた。
「俺の予想では、この泉の水には何らかの疲労回復の作用がある。それを検証したい。水には身体に害を及ぼすものは入っていないことは俺自身で実証済みなので安心して飲んで良いぞ」
「本当ですか?」
「ああ。まあ……多分? どうしても嫌なら、全員で無くても、せめて数人分のデータが有れば……」
「数人分って、元々このクラスは数人だけじゃ無いですか!」
喧喧囂囂の騒ぎの中、アスールが手を挙げた。
「僕が飲みますよ」
「殿下、辞めた方が良いですよ!」
「大丈夫。ちょっと検証結果に興味もあるし。やってみたい」
「だったら俺が先に飲むから、それを見てからにしなよ。お毒味致しますよ、王子様」
レイフが悪戯っぽい笑顔でアスールを見ていた。
「じゃあ頼もうかな」
「任せろ」
そう言うとレイフは泉のほとりにしゃがみ込むと、皆の視線を浴びながら、両手で泉の水をすくうと全く躊躇すること無くその水を口にした。
誰も口を開かない。小鳥の囀りだけが響いていた。
「信じられない! 本当に疲れが抜けていく気がするよ。はは、何だこれ?」
「「本当に?」」
ヴィクトルと他数人も先を争うように泉に駆け寄り水を飲んだ。
「何だよ! こんなことってあって良いのか?」
「奇跡の水発見!」
「えーー。僕は全然分かんないんだけど?」
アレン先生が相変わらずニヤニヤしながら皆の様子を見ている。アスールもしゃがみ込んで水を一口飲んでみた。
特に味に違和感は無い。すごく冷たいが普通に水だ。
だが、しばらくすると身体の中の方から外側に向かって温められているような不思議な感覚を覚えた。実際に温かくなっているわけでは無いと思う。でも、そんな気がするのだ。
「ははは。これは不思議な感覚だね。この前授業で作った初級回復薬を飲んだ時とちょっと似た感覚。でもそれよりも効果は僅かかな」
「良い感想だ!」
アスールが飲んだことで安心したのか、女の子たちも泉に近づいて行った。
結果として、全員の意見が疲労感が取れることで一致したわけでは無かった。五人は取れる。一人は分からない。二人は取れないと言った。アレン先生は至極満足気な表情だった。
それからしばらくは自由時間となった。冷たい泉に手や足を浸したり、草はらに寝そべったり、皆が思い思いに時間を過ごした。
「なあ、アスール。夏休みはどうするの?」
草はらで眠ってしまっていると思っていたレイフが、突然アスールの方に向き直り話しかけて来た。
「夏休み?」
「そう。夏休み」
「去年までは兄上が学院から戻られると、母上と兄妹皆で夏の離宮に移動してそこでひと月半ほど過ごしているから、多分今年もそうなると思うよ」
「へえ。離宮かあ……。そこってヴィスタルから遠いの?」
「昼前に出て、馬車でその日の夜には到着するよ。どうして?」
「もし良かったら、俺の家に遊びに来ないかなと思ってさ。でも、よくよく考えてみたら、やっぱり無理だよね。護衛や世話係とかもアスールには必要だろうし……。平民の家に泊まりに来るなんて許可が下りるわけ、無いよな」
「……どうだろう。レイフの家って王都だったよね? 多分だったら行かれるよ。行きたい!」
「ああ、違うんだ。確かに王都に家は有るけど、あそこは仮の宿って言うか……王都滞在用って言うか……うちはちょっと複雑なんだよね。ちゃんとした家はヴィスタルじゃなくてテレジアなんだ。テレジアは知ってる?」
「知っているよ。行ったことは無いけど」
「それでさ。実際にはそこは商売上の邸宅で、本当に家って呼べるのはテレジアの市内のでも無くて……島に、許可された船でしか行かれない島にあるんだ」
「それは凄いね。でも、許可された船でしか行かれないって……どう言うこと?」
「その島には家族と、その関係者以外は住んでないから。知り合い以外は上陸出来ないんだ」
「へえ。そうなんだ」
「アスール一人だと流石に王家からの許しが下りないだろうから、友だちも一緒だったらどう? ほら、いつも一緒にいるあの二人」
「ルシオとマティアス?」
「そう! その二人」
「マティアスはきっと夏休みは実家に帰るんじゃないかな。ルシオは聞いてみないと分からないけど。今度王宮に戻った時に母上に相談してみるよ。僕としては是非その島に行ってみたいから。でもレイフは家の人に相談もしないで僕を誘って大丈夫なの?」
「ああ、うちは全然平気。母親は特に。誰でも大歓迎するタイプだから」
「そうなの?」
「もちろん本当に来られるようなら、ちゃんと家族にも了解は取るよ」
泉から学院本館までの帰り道は本当にあっという間だった。いったいどれだけ遠回りをさせられたのか……。今日はいつもの実習室ではなく、アレン先生の研究室で採取した水が入った瓶を回収して授業は終了した。
泉の水の効果か、それとも単に帰り道が予想以上に近かったせいか、特にアスールに疲労感は無い。帰り道にピイの好物の花も摘んできたことだし、寮へと向かうアスールの足取りは非常に軽かった。
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