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16 休日をリルアンで(2)

「今日はずいぶん歩いたよね。なんだか少し足が痛いよ」


 ルシオが立ち止まって靴紐を結び直している。確かにルシオの言う通り、今朝リルアンに着いて馬車を降りてからというもの、三人はずっと歩き通しだった。

 市場を見て回り、花を買った後も、目抜き通りをのんびりと歩いた。特に何かを買う予定も無かったが、普段は必要があれば商人を城に呼んで品物を持って来させるのが当たり前のアスールには、こうして自分の足で歩いて、気になる店のショーウィンドウを眺める行為自体が目新しいのだ。


「そろそろ何か食べない?」

「そろそろって……ルシオ、お前さっきから食べっ放しだろうに。この上まだ食べられるなんて驚きだよ」


 マティアスが心底呆れた顔でルシオを見た。ルシオはそんなことはお構いなしで続ける。


「だって、もうすぐ二時になるよ。僕はさて置き、君たち二人は夕食までこのまま何も食べないつもりかい?」

「もう二時になるって?」


 アスールが慌てて辺りを見回し、塔の上にある大きな時計に目をやった。


「本当だ。一時の鐘がなったことにも気付かなかったなんて……もうこんな時間じゃ食事が出来る店なんて無いだろうね。どうしようか」

「僕は肉串なんかも食べたから大丈夫だけど、アスールはほとんど腹に貯まるものは食べてないな。どこか入れる店を探そう」

「そしたらさ。カフェに行ってみない? ヴィオレータ様のご友人が前に話してくれた店だったら、食べ物もいろいろ美味しいのがあるってことだったよ。店の名前は覚えてるし、その辺の人に場所を聞いて来るよ」


 そう言うとルシオはあっという間に駆けて行き、二人連れの若い女性に話しかけている。女性たちが指を指して店の方向をルシオに教えているのが見えたが、ルシオはそのまま話し込んでいて、なかなか戻って来ない。


「すごい行動力だよね。それにあのコミュニケーション能力も。ルシオ本人は否定するけど、ああいうところはバルマー伯爵によく似ていると思わない?」

「確かに。それにしても、何をあんなに熱心に話しているんだろう?」


 どうやら長話も終わったようで、ルシオは女性たちに手を振った後、こちらへ向かって小走りで戻って来るのが見える。


「お待たせ! カフェよりも良さそうな店を教えて貰ったよ。そっちへ行ってみようよ」



 二人連れのお勧めの店は、カフェでは無くパン屋だそうだ。どうやら元々向かおうとしていたカフェは混んでいて並ばないと入店は難しいらしい。


「パン屋って、パンを売ってる店のことだよな?」

「そりゃあそうだよ。本を売ってるパン屋なんて聞いたことないだろ。パンを売ってるからパン屋だろ。マティアス何言ってんの?」

「いや。それなら良いが……。どこで食べるんだ?」

「だからパン屋だってば」

「ん?」


 どうやらそのパン屋というのは、単にパンを販売するだけで無く、店内で商品を食べさせてくれるらしいのだ。最近はそういう店もあるらしい。


「流行りの珈琲は扱って無いけど、蜂蜜入りのホットミルクがすごく美味しいらしいよ。それとお勧めのパンは……。あ、あそこだよ。あったかパン」


 ルシオが指差した『あったかパン』と書かれた看板のかかった目的地は、予想していた以上にこぢんまりとした店だった。


「本当にここで良いのか?」


マティアスが不審気な顔でルシオに確認する。


「まあ、なんでも経験だよ。入ってみよう!」


 マティアスの不満などお構いなしでルシオは店の扉を大きく開けた。その途端、店内からパンが焼き上がるとても香ばしい匂いが流れ出てきた。


「いらっしゃいませ」


 恰幅の良い中年の女性が商品が並べられた棚の向こうから笑顔で声をかけてくる。棚には見たことの無いほど沢山の種類のパンが並べられている。


「店内で食べられるって聞いて来たんですけど」


ルシオも負けじと普段の五割増しの笑顔で店員に話しかける。


「三人かい?」

「はい」


 店員は身を乗り出して奥のスペースを覗き込んでいる。どうやらその奥に食事が出来るスペースがあるようだ。


「生憎、今は満席なんだよね。……相席でも構わないって言うんだったら入れるよ。相手は多分学院の子たちだろうから、そこの席でどうだい?」

「大丈夫です。お願いします」

「はいよ。すぐに用意するからちょっと待っていておくれ」


 店員は棚の向こうから出てくると、重そうに大きなお腹を抱えてゆっくりと奥へ歩いて行った。


「うわー。今にも産まれちゃいそうだね」


 ルシオがとても楽しそうに、だが一応彼なりに気を遣ったのだろう、小さな声で囁いた。


 奥から何かやり取りをする声がした後で「大丈夫だからもうこっちへおいで」と言う女性の声が聞こえた。

 奥はそれほど広くないスペースに簡素な四人掛けのテーブルが三つあるだけだった。だが大きく開かれた二つある窓からは明るい光が入り込み、窓越しに店の裏にある庭が見渡せるようになっている。そこには色とりどりの花が植えられているのが見えた。売り場の方ももそうだったが、この部屋にしても、古さは感じるがとても清潔で居心地の良い空間に整えられている。


「いい感じだね」

「そうだね」


 手招きしている女性のところへ行くと「学院の子たちだろう」と言われていた二人が座っている。一人は背を向けて座っているが、二人とも女の子で、おそらくは同じ学年か、せいぜい一つ上くらいに見える。アスールは見たことのない子だった。


「申し訳ないけど、ご一緒させて下さいね」


 ルシオが気安い感じで座っている二人に声をかける。その声に反応するかのように、背を向けていたもう一人が振り返った。


「あれ。なんだ、誰かと思ったらヴァネッサさんだ!」

「えっ。あっ。ああ。えええ?」

「こんにちは。君も今日リルアンに来てたんだね。僕たちは今日が初めてなんだよ。偶然だね」


 その時、おそらく焼き窯がある作業場から、背の高いがっしりとした男の人が椅子を一脚持って現れた。


「ちょっとごめんよ」

「あ、はい」

「一人はここで良いかな? ちょっと狭いけど」


 そう言って粉まみれの手で四人掛けのテーブルの一辺に椅子を置いた。


「ちょっとあんた。椅子が粉まみれじゃないか。まったくもう、気が利かないね」


 お腹の大きな女性は粉を布巾で叩きながら去っていく男の背を困ったような笑顔で見送っていた。


「あの人、腕は良いんだけど愛想が無くってね……。ごめんね。ちょっと狭いかもしれないけど」

「全然問題ありません。どうもありがとう」


 そう言うと、ルシオは今運ばれてきた椅子にさっさと腰を下ろすと、アスールとマティアスに「座らないの?」と言う視線を投げる。慌てて二人とも席についた。


「うちのお勧めは、チャパという四角い白パンにチーズ、ハム、トマト、オニオンなんかを挟んで、それを上下からぎゅっと潰すようにして焼いたチャパランってパンよ。ほら、あのお客さんが食べてるでしょ。こちらのお嬢さんたちもオーダーしてくれてるわ。試してみる?」

「じゃあ、そのお勧めのチャパランと蜂蜜入りのホットミルクをそれぞれ三人分。で、良いよね?」


 ルシオが率先してオーダーしていく。アスールは頷いたが、マティアスはホットミルクでは無く、果実水をオーダーした。

 店の奥さんは大きなお腹を支えながらゆっくりと戻って行った。


「改めて、こんにちは。そちらのお友だちは、はじめましてだよね。僕はルシオ・バルマー。こちらはアスール王子殿下で、こちらがマティアス・オラリエ。三人ともヴァネッサさんと同じAクラスだよ」

「はじめまして。私はヴァネッサの友人のライラ・オデイラ、Cクラスです。ヴァネッサとは家が近所なので小さい頃からずっと仲良くしています」



 ライラはヴァネッサよりは少しばかり背は高いようだが、それでも小柄で華奢な女の子だ。おそらく経験上、放っておいたらヴァネッサがいつまでも自分のことを紹介してくれないだろうということをよく理解しているようで、アスールたちに自ら自己紹介をした。

 彼女も男爵家の娘であること、地属性なので園芸クラブに入ったこと、花が好きなことなどを語った。


「リルアンの近くに花の栽培が盛んな村があるそうだよ。知ってる?」

「いいえ。初めて聞きました」

「僕たちもさっき知ったばかりなんだけどね。市場の人の勧めで僕とアスールは母上にその村の花を届けて貰ってるんだ。王都の花屋の十分の一の価格だって言ってたよ」

「まあ、それは素敵ですね」


 そうしていると、あっという間に五人の目の前にチャパランと飲み物が運ばれてきた。

 運んできたのはお腹の大きな女性では無く、また別の女性だった。その女性を見てルシオの顔に安堵の色が浮かんだ。


「さっきの人があの大きなお腹で運んで来るようなら、僕も手伝わないと駄目だろうと思ってたんだよね。他にも店員さんがいてくれて安心したよ」


 ナイフでチャパランを半分に切り分け、さっきのお客さんがしていたように手掴みで口に運ぶ。中から熱々のチーズが口の中に溢れ出てきた。


「おいひい」

「うん。でも、あ、あふい」


 その後は五人とも無言でチャパランにかじりついた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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