15 休日をリルアンで(1)
光の日。アスールはルシオとマティアスを誘って馬車で学院から一番近い町 “リルアン” に来ていた。
アスールとしては折角なので “乗合馬車” というものに乗ってみたかったのだか、ダリオが「私の方で御用意させて頂きます」と言って断固として退かなかったので、結局はダリオに馬車の手配を任せることにした。
「どんなに遅くとも夕方四時までには馬車へお戻り下さい。それより遅くなると門限に間に合わない可能性が出て参りますので」
ダリオは念を押すようにマティアスを見た。マティアスが黙って頷いた。
ダリオの中で最も信頼を得ているのが誰なのかは、彼のこの態度で明らかだろう。贔屓目に見ても自分たちではなくマティアスなのだろうということはアスールもルシオも十分に理解していた。
天気は快晴で温かく、時々心地よい風が吹いている。絶好の散歩日和だ。
三人は取り敢えず初めて来たこの町の全体像を掴むため、特に当てもなくブラブラと歩き回ることにした。
町の中心は町庁舎と教会と広場のようだ。近づいて行くとそこでは市がたっており、大勢の人で賑わっている。
「うわー。すごい人だね」
ルシオが左手は腰に、掌を下に向けた右手をおでこに当ててキョロキョロと辺りを見回している。その様子が余りにも可笑しくて、アスールは思わずプッと吹き出した。
「あっ。やっと笑った!」
「えっと……そうだった?」
「自分で気付いてなかったの? アスール、今日は朝からずっと眉間に皺寄せてさ。ずっと考え込んでる風だったから何かあったのかなとは思ってた。ね? マティアス」
「ああ」
「そうか……ごめん」
アスールは二人にそう指摘され、思わず自分の額に手をやった。それもあってダリオは馬車の手配を譲らなかったのだろう。
「まあ良いよ! それよりどんなものがあるのか見て回ろうよ。小腹も空いてきたし、何かつまめそうな物でも探しながらさ」
「小腹って。それが朝から山のように盛った食事をペロリと平らげてた奴の台詞か?」
マティアスが呆れ顔でルシオを見る。
「えー。マティアスは小腹が空いてないの? 折角リルアンまで来たんだから、思いっきり楽しまなきゃ損だよ。それに、美味しいものを食べながら歩くっていうのが朝市の醍醐味って決まりだろ?」
「へえ、そうなんだ」
「いや、違うから! おい、ルシオ。アスールに変なこと吹き込むなよな」
「えー。間違って無いと思うけどなぁ」
その後ルシオは希望通り、炒った胡桃にたっぷりと蜂蜜が絡めてある、見るからに甘そうな菓子を購入し、もちろんそれを美味しそうに頬張りながら歩く。
ルシオはこの胡桃を二人にも勧めたが、マティアスはきっぱりと断り、アスールは一つだけ貰ってお代わりは辞退した。
市場には多くの屋台が連なり、八百屋には新鮮そうな野菜や果物が並ぶ。卵屋、魚屋、それからハムやソーセージも並べている肉屋もある。奥の一角には花屋の屋台が数軒並んでいた。
バケツが沢山並べられ、その中に切花がまとめて入れられている。切花とはいってもどれも蕾は硬く閉じたままだ。
「この近くの村に大きな湿地があって、そこで大規模にここに並べているような花を生産しているんだよ」
店先で足を止めて眺めている少年に気付いたようで、白い顎髭を蓄えた店主らしき老人がアスールに話しかけてきた。
「坊ちゃんたちは王立学院の新入生だろう?」
「はい。そうです。……でも、どうして分かったのですか?」
「そりゃあ分かるさ。儂はここで何十年もこうして店を出している。光の日にこの辺をぶらついてキョロキョロと物珍しげに見物しているのは決まって学院の新入生だよ。リルアンに来たのは今日が初めてだろう?」
「ええ、その通りです」
アスールは言い当てられて照れたように微笑んだ。それを見て老人は自慢の髭を撫でながらしばらくの間考え込んでいた。
「大方、王都のお貴族さんってところかな?」
「…‥はい」
「当たりか。じゃあもし良かったら、ここに残っている花を坊ちゃんの母親に贈ってみないかい?」
「えっ?」
老人は目の前に置いてあるバケツを指差している。
「ここにあるのは大体後三日で花が開くんだ。儂は明日と明後日は店を出す予定は無いんで、出来れば今日中に全て売っちまいたい。そろそろ店仕舞いにしようかと思ってるんだが、どうかな? 安くしておくよ」
「でも、僕たちは夕方までに学院に戻らないとならないので、残念だけど、王都まで花を届けに行くことは出来ません」
「ああ、それなら大丈夫。あそこにいる連中分かるかい?」
老人は少し離れたところで煙草を燻らしながら喋っている数人の男たちを指差した。
「あいつらは王都からリルアンに花の買い付けに来てるのさ。今から王都に戻るだろうから、小遣い程度の金を払えばきっと坊ちゃんの家まで届けてくれるよ。どうだい? 頼んでみるかい?」
「ところで、おじいさんが早仕舞いするために売ってしまいたいその花の値段はいくらなの?」
アスールの肩越しにルシオが話に加わってきた。ルシオはたった今胡桃を全て食べ終えたようで、右手の親指と人差し指を美味しそうに舐めている。
「このバケツのだったら一束二千リル、小銀貨二枚だね。そっちのは小銀貨三枚でどうだい? 一束に花は五十本入っているよ。王都のお貴族さんが行くような花屋でこいつが咲いているのを買ったとしたら、きっと小銀貨じゃなくて同じだけの大銀貨が必要だよ」
「えー。十倍になるの?」
「そりゃあそうさ。ここは市場だよ。そこから数人の人手を通して花は店に並ぶんだ。同じ花も並ぶ店で値段はそれぞれ。立派な店に並べられれば値段もその分高くなる。商売ってのはそういうものだよ。それから、手間賃は一箇所につき小銀貨二枚くらいが相場だろうな。そのくらいで交渉してみたら良いと思うよ。で、どうする?」
ルシオがアスールの顔を覗き込んでくる。彼の目が「絶対買おう!」とアスールに訴えてかけているのが一目で分かる。アスールは苦笑いして頷いた。
「蕾の先の色の花が咲くんでしょ?」
「ああ、大体そんなところだな」
「そうしたら‥‥僕はこの黄色で」
「じゃあ、僕はこの薄い紫のを一つ、白を一つ、それからこっちのピンクのを一つ。メッセージカードを付けたいんだけどできますか?」
「それだったらそこにある雑貨屋で売ってるから買うと良い。だけど急いだ方が良いな。あの連中はそろそろここを出発するぞ。届け先は何箇所だい?」
「僕たちの父親が王宮で働いているから、全部まとめて王宮の門番に届けてくれれば大丈夫」
「そりゃあ良い。一箇所なら一人で良いな。おーい、イアン。ちょっと来てくれ!」
老人は向こうにいる男たちの方へ向かって叫んだ。若者が一人こちらに気付き歩いて来る。
「イアン。ちょっと頼まれてくれるかい? この花を四つばかり王宮へ届けて貰いたいんだが。どうだ?」
「えっ。王宮?それはちょっと……」
王宮と聞いてイアンは及び腰になる。その様子を見てルシオが口を開いた。
「王宮って言っても門までで良いんです。中まで入る必要はないですよ。その代わり誰から誰宛への花なのかが判るようにカードをそれぞれに付けたいんで、ちょっとだけ待って貰えますか? 今すぐそこの店まで買いに行くので」
「ああ、門で良いんだったら良いよ、行ってやる」
「ありがとうございます。運んで貰う手間賃なんですが、全部同じ場所なので小銀貨三枚でどうでしょう?」
「ああ、それで良い」
「ありがとうございます! じゃあすぐカードを用意するのでちょっと待ってて下さい。アスール行こう!」
「お金は僕が払っておくよ」
ずっと近くで黙ってやり取りを聞いていたマティアスがそう言った。
アスールとルシオは店に急いだ。後ろで老人がマティアスにも花を勧める声とマティアスの「僕は王都出身ではないので」という声が聞こえていた。
ルシオの発案で、封筒にメッセージを書いたカードを入れてサインをし、二人の印璽を使って封はしたが、封筒には宛名も差出人も敢えて記入しなかった。
城の中枢にいる者であれば印璽を見れば「誰から贈られた物なのか、誰に届けるべきなのかは容易に分かるはずだ」とルシオは言った。そして、父親であるバルマー伯爵はほとんどの時間を王の側で過ごしている筈なので、自分の分も多分大丈夫だろうと言って笑った。
「では、お願いします」
「はいよ」
カードが添えられた花束はイアンと呼ばれた男のバケツに移され、それはそのまま馬車の荷台に積み込まれた。
イアンの馬車が出発したのを見送った後で、マティアスがボソリと呟く。
「あんな状態の花が届いたら、きっと王妃様は驚くだろうな……」
「そうだね。ただの紙にまとめて包まれてる切り花がドサっと五十本だもんね。僕の母だってビックリすると思うから、王妃様なら尚更だ。でもそれはそれで面白いじゃない? どの色が誰? 僕の予想では薄紫が王妃様、白いのがアリシア様ので、ピンクの花はローザ様にかい?」
「当たり! 最初は母上だけでも良いかと思ったけど、それだと揉め事の種をまた蒔いちゃいそうだから」
「何かあったの?」
「前回帰った時に兄上がペンダントを贈ったの覚えてるだろ? 僕からは何も無いのかとローザに拗ねられたからね。僕だってちゃんとダリオにローザの好きそうな焼き菓子を作って貰って渡したのに……。それだと僕からではなくて、ダリオからってことになるらしいよ」
「はは。そう言われちゃうとそうかもね」
ルシオは可笑そうに笑っている。
(ルシオはあの『ペンダント騒動』を知らないから……まさかあの薔薇のペンダントがあんな事になったなんて知ったら、驚くどころの騒ぎじゃ済まないだろうな)
三人は笑いながら町の散策を再開した。
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