13 ホルクが部屋にやって来た
待ちに待っていた「引き取りの準備が整った」との連絡をホルク飼育室から受けたのは、当初の「孵化から半月前後」という約束より少し後のことだった。
「やっとだね。待ちくたびれたよ。もしかしたら約束が反故になるんじゃないかとちょっと心配だったし」
一旦寮に帰り荷物を置いてから再び学院本館にある飼育室に向かう。支払いの件もあるので、父カルロとの約束通りアスールの側仕えであるダリオも同行することになった。
学院入学からもうすぐ二ヶ月が過ぎようとしていた。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ道を急く気持ちをグッと堪えながら、二人は貴族の子息らしくゆったりと歩くことを心掛けた。
それでも本館までの短い道中、ルシオは興奮気味にずっとアスールに話し続けていた。
「雛ってどのくらいの大きさなんだろう? 手乗りになる? 餌は何をあげたら良いのかな? ああ、楽しみすぎる!」
「落ち着いてよ、ルシオ。全部ちゃんと教えてもらえるから心配ないと思うよ」
「アスールは落ち着きすぎなんだよ! もっとこうドキドキとかワクワクとかウヒョーとか、そういうの無いわけ?」
「ウヒョー」
「なんだよ、それ!」
二人は肩をぶつけ合い、向かい合って大笑いする。
ダリオは普段と変わらない涼しい笑顔でそんな二人の後を静かに歩いていた。
「説明は以上です。何か質問があれば、いつでも飼育室まで問い合わせください」
「「はい。分かりました」」
「それではお二人にはこれからあちらでお好みの雛を選んでいただきましょう。ご存知の通り、この春は七羽の雛が無事に育っております。その中からお二人にこれから雛を選んで頂くのですが……人が選んだその雛が、同じようにその人を選ぶとは限りません。その点に関しては予めご承知下さい」
「えっ? それは、どう言うことですか?」
「ホルクにはホルクの矜持があるのでしょう。産まれて間もない雛だとしてもね」
質問をしたアスールに対し、先生はなんとも掴みどころの無い表情で、これまた掴みどころの無い答えを寄越した。
先生とは言っても、この人は学院で授業を持っているわけではない。学院に常駐しているわけでもないらしい。
今まで何度かこの飼育室に足を運んできたが、彼がここに居るのを見たのは今日が初めてだった。どうやら著名なホルク研究家なのだそうだ。
先生は立ち上がると、ガラスの向こう側にあるホルクの飼育スペースを指し示し、アスールとルシオをそちらへと案内した。
「中に入った後、お話になるのでしたら出来るだけ声は抑えて頂きます。なにしろ育雛中の母鳥はとても神経質になっておりますので。母鳥は三羽です。手前のケージから二羽、二羽、三羽の育雛中です。気になる雛がおりましたらまずその雛のケージの前でしばらく静かに雛を観察してみて下さい。雛もまた貴方たちを観察するでしょう」
そう言うと先生は静かに扉を開け、中に入るように促した。
飼育スペースに入った途端、ムワッとしたなんとも言えない鳥の匂いに包まれアスールは思わず足を止める。続いて入って来たルシオがアスールの背にぶつかった。
「……ごめん」
「大丈夫。こっちこそごめん。匂いがキツくてちょっと驚いた」
「確かにね」
先生はそんな二人をさっさと追い越し、少し奥のケージの前で立ち止まると二人に向かって手招きをしている。
先生が待っているところまでにもいくつかのケージがあり、その中にもホルクがいる。中には翼に怪我を負っているらしいホルクもいた。アスールたちが前を通ると、中のホルクが興味深げな目をこちらに向けているのを感じる。
「なんか、すっごい見られてる気がするんだけど……気のせいかな?」
「いや。……見られてると思う」
「ここから先が育雛ケージです。ご自由にご覧下さい。時間はたっぷりありますからね」
良く見るとまだ小さな雛がそれぞれのケージ内にいた。
どの雛もまだ成鳥の特徴である背中の美しい翡翠色も、覆面の白色に細い波状の青碧の横帯も無い。全体的になんとなくぼんやりとした薄い灰色だ。ただ、赤みを帯びた特徴的なオレンジの目をしているのでホルクの雛なのだろうと想像は出来る。
(お好みの雛って言われても、正直どれも同じにしか見えないんだけど……)
どうやらルシオもアスールと同じことを考えているらしく、二人は顔を見合わせて苦笑いを交わす。
一番奥のケージまで進んだ時、アスールの目は一羽の雛の上で釘付けになった。
(ああ。この子だ!)
その雛の何がそう思わせたのかは全く分からなかったが、確かにそれはアスールにとって確信と言えるものだった。
同じ巣の中に他にも同じ母鳥から生まれたであろう二羽の雛も居たが、全くと言って良いほど目に入らない。
アスールはその子のいるケージの前で言われた通りに静かにその雛だけを見つめていた。
「ピイィ」
雛がアスールに呼びかけた。……かどうかはわからないが、アスールはそう確信した。
その子はもそもそと巣から這い出して、アスールの方へヨタヨタと近づいて来ようとする。それを母鳥が慌てて咥えて巣に戻す。それを何度か繰り返す。
いつの間にか隣に立っていた先生がケージを開けて手を突っ込むと、素早く巣からその雛を取り出した。
「どうやら決まったようですね。はい、ではこれを」
先生は慣れた手つきで雛を柔らかそうな布に包むと、それをそっとアスールに手渡した。
横を見ると、ルシオも同じように雛入りの布を大事そうに抱えていた。
「では、先ほどの部屋に戻りましょう」
「お二人とも無事に雛に選ばれて良かったですね」
「雛を選んだのではなくて、僕たちが雛に選ばれたのですか?」
ルシオが驚いて先生に問いただしている。
「もちろんそうです。雛は気に入らなければそう易々と人に近付いたりはしませんよ。大事に育てて下さいね。こちらが雛用の鳥籠です。四ヶ月目位まではこれで大丈夫。夜はこちらのカバーをかけて下さい。それ以降はテラスの方で」
アスールとルシオの雛鳥はそれぞれの鳥籠の中で新しい住処を確認するかのように落ち着きなく動き回っている。
「訓練はおおよそ生後半年で始めます。残りの雛の訓練と一緒にすると良いでしょうね。定期的に飼育室に顔を出して下さい。餌も必要ですし、分からないことはすぐに聞くように。連れ出す時は必ずこの鳥籠に入れること」
ノックをする音がして、開かれた扉からダリオが入って来た。
「手続きは終わりましたか?」
「はい。滞り無く」
ダリオが手にしていた書類の中から二枚を選んで先生に手渡した。先生は内容を確認しているようだ。
「では、これで雛の譲渡手続きは完了です」
全て言い終わらないうちに先生は立ち上がると、スタスタと出入り口へ向かい扉を開ける。そしてそのまま扉の前に立ちアスールたちの方を振り返った。
アスールとルシオは慌てて立ち上がり、自分たちの鳥籠を持つと早く部屋を出て行かなければならない気がして扉へと急いだ。
「良き関係を築けるか否かは今後の貴方たち次第ですよ。頑張って」
扉は静かに閉められた。
「普段何気なく歩いているけど、学院本館と東寮ってこんなに遠かったっけ?」
大き目の鳥籠を両手でなんとか抱えて、アスールとルシオはヨタヨタと寮を目指し歩いていた。雛を興奮させないように鳥籠にはカバーをかけてある。
「問題は距離じゃなくて、この鳥籠だよ…‥お、重い」
「御二人とも。喋っていても余計な体力を消耗するだけですよ」
アスールとルシオが運んでいるのは雛が入った鳥籠本体だけで、その鳥籠を取り付けるためのスタンドを両手にそれぞれ一人分ずつ運んでいたのは背後を歩くダリオだった。
「ごめんね、ダリオ。重いでしょう?」
「この程度、どうと言うことも御座いませんよ。御気になさらず、殿下は前を向いて御進み下さい」
「分かった」
「ダリオって力持ちだよね」
「そうだね」
「そう言えば、さっきの先生、ちょっと変わった人だったね」
「ああ、確かにちょっとね」
「何で今日はあの先生だったのかな? いつもは居ないのに……」
「コホン」とダリオの咳払いが背後から聞こえて来たので、二人は黙って歩くペースを上げた。
部屋に戻るとダリオが慣れた手つきでスタンドを組み上げ、そこに鳥籠を取り付けてくれた。
アスールはリボンを解いて鳥籠からカバーを外してやると、急に明るくなった籠の中で雛がパタパタと小さな尾羽を振っていた。
「それでは、ルシオ様の分の組み立てを終わらせて参ります」
「分かった」
ダリオが部屋から出て行くと、アスールは鳥籠の真横に椅子を運んで座り、雛に話しかけた。
「ようこそ。今日からここが君の家だよ。先ずは君に名前を付けなきゃね。でも……まだ雄か雌か分からないんだよね。どうしようかな」
「ピイィ」
「返事をしたの?」
「ピイィ」
「可愛い。取り敢えずピイでいいか。安直だけど、性別が分かってからちゃんとした名前を付けてあげるよ」
「ピイィ」
余り話しかけ過ぎても雛を疲れさせてしまうかもしれないと思い、アスールはそれ以上話しかけるのはやめることにした。
だが結局、夕食だとマティアスが呼びに来るまで、アスールはずっと鳥籠の横から離れられずに座ったままピイを見ていた。




