56 東の鉱山にある泉へ、再び(2)
二日目の昼過ぎ。馬車は街道を外れて大きく曲がり、細い道に入った。
「はあぁ。ここから先が、一番の難所なんだよね……」
ルシオが溜息を吐いた。
「難所?」
「そうだよ。あり得ないくらいのデコボコ道がここから先、目的地に到着するまでずっと続くから覚悟しておいた方が良いよ。馬車が尋常じゃないくらいに揺れるんだ。君は寝心地の良さそうなクッションの上にいるからまだ良いだろうけど、僕たちはお尻は痛くなるし、喋っていると舌を噛む可能性が……。って、あれ? あまり揺れてないよね?」
「そうだね。確かに、前ほど揺れてない気がする」
「道を、整備したのではないでしょうか?」
馬車の窓から外を覗いていたダリオがそう言った。
「この半年で? だとしたら凄いな!」
「まあ、でも、その方が絶対に効率が良いよね」
道が整備されていたおかげで、予定していた時間よりも随分と早く目的地に到着した。
「うわー。ここも随分と変わったね!」
一番初めに馬車から下りたルシオが、驚きの声をあげている。
「見てよ、アスール! 小屋も増えてる!」
ルシオの言うように、前回来た時には三軒だけだった “簡易宿泊施設” と呼ばれていた建物は、今までの場所に全部で五軒あり、もっと先の方に少なくとも現在二軒は建設中のようだ。
「アスール。皆も、よく来たね!」
「兄上!」
アスールたちが到着したことを伝え聞いたようで、ギルベルトとラモス・バルマーが一番大きな建物から姿を現した。
「半年で、随分と変わったのですね。驚きました」
「そうだろうね。この事業が本格的に始動すれば、関わる人も今まで以上に増える。それに備えて、今は大急ぎでいろいろと準備をしているところなんだよ。ほら、そこの建物は食堂だよ」
「食堂? そうか! 人が増えれば、そういった施設も必要になってくるのですね」
前回アスールたちがここへ来た時、先に滞在していた王宮府から派遣されて来ていた調査団の者たちは、数週間まともな食事をしていなかった。
というのも、多少は料理の経験がある程度の若者二人が食事の担当しており、彼らの料理の腕前は酷い有様だったようなのだ。
アスールたちが運んで来た食材を使ってダリオが肉と野菜が山ほど入った具沢山のスープと、パンを焼いただけの簡単な夕食を用意すると、しばらくまともな食事をしていなかった先遣隊のメンバーたちは、物凄い勢いで食べ始め、あっという間に、翌朝の分として用意しておいた分まで食べ尽くしてしまったのだ。
それを見たフェルナンドがすぐに料理人を手配したことはアスールも知っていたが、まさかあれ程立派な食堂が建設されているとは思ってもみなかった。
「美味しい食事は大事だよねー」
ルシオが言った。
「その通りだね。『各々がぐっすりと眠って休める部屋と、美味しい食事がなければ仕事は捗らない!』と仰って、まず先に食堂を作らせたお祖父様の判断は正しかったと思うよ」
「あれっ? でも、食堂があるってことは……。今回はダリオさんが作った料理を、僕らは食べられないってことですか?」
「当たり前だろう、ルシオ。ダリオ殿は料理人じゃないんだぞ!」
ルシオの兄のラモスが、そう言って笑いながら弟の頭を小突いた。
「兄さんはダリオさんの作った料理を一度も味わったことがないから知らないだろうけど、ダリオさんの料理の腕前は、その辺の料理人とは比べ物にならない程素晴らしいんだよ!」
「そうなのですか?」
「いえ、それ程では御座いませんよ」
「いやいや、それ程で、ご、ざ、い、ま、す! ダリオさんは凄いです! 特に焼き菓子は、本当に最高に素晴らしいから!」
「ルシオ様にこのように褒めて頂いたのでは、そうですね、明日にでも何か御作りせねばなりませんね」
「本当に? やったーーーー!」
「ルシオっ!!!」
ラモスの大きな雷が一つ、ルシオの頭上に落ちた。
ー * ー * ー * ー
翌朝。アスールたちはまだ完全に夜が明けきらないうちに起き出して、靄に覆われた森の奥にある一番小さな泉を目指した。
というのも、前回採取した水のサンプルを学院に持ち帰って解析した結果、一番小さい泉(一番温度の高い泉)の水が全ての項目に於いて高い数値を示したからだ。
「泉を見に行くのは良いんだけど、なにもこんな早朝じゃなくても良かったんじゃないの? せめて朝食が済んでからにすれば……」
列の一番後方、まだ目が覚めきっていない寝惚け顔のルシオが言った。
「それだと、途中で誰かに見咎められる可能性が出てくるよね? ルシオは忘れているようだから言うけど、僕たちは神獣を連れて歩いているんだよ?」
「ああ、そうか。それはそうだね……」
アスールたちがこんなにも早朝に泉を目指しているのは、真の姿のサスティーが余計な人目に晒されるのを避けるためというのが大きな理由だ。
小さな仮の姿でいる時のサスティーは、まるで愛らしい仔犬のようだ。だがサスティーの真の姿は、少し青っぽくも見える銀灰色の美しい毛並みをしたオオカミに近い見た目なのだ。そしてその大きさは、普通のオオカミの優に五倍はあるだろう。
こんなにも大きな生き物と不意に森の中で遭遇すれば、出会った相手は、驚きのあまり正気を失ってしまう可能性すらある。
「サスティーが万が一危険な動物だと誤解されて、騎士団にでも通報されたら困るだろう?」
「そっか。そうだよね」
「馬鹿ね。そんなことになる前に、さっさと姿を隠すわよ」
「ああ、そっか。そんなこともできたんだね。ああ、ほら! 目的の泉は、もう、すぐそこだよ」
先頭を歩くアレン・ジルダニアが鬱蒼とした下草を掻き分けた先に、目指す泉はあった。
「あらあら、これはまた凄いわね」
「凄いって、どういう意味?」
「温度もだし、魔力量も相当ね」
泉の縁から興味深そうに泉の中を覗き込んでいたサスティーが、振り返ってアスールにそう言った。
アレン・ジルダニアはこの日も黙々と瓶に温泉のお湯を詰めている。
「流石は水の女神の神獣様だね。近付いただけでそんなことまで分かるんだね?」
今度はレイフが近付いてきてそう言った。
「だいたいの魔力の量や質が分からない神獣なんて、そんなの神獣とは呼べないわよ」
「そうなんだ!」
「でもね、そうは言ったけれど、本当にすぐ近くまで寄らなければ、私もその魔力が湧き出ている場所や、詳しい情報までは判断できないわ。期待に添えなくて悪いけど、いくら私が水の女神に愛される者だとしても、これだけの高温の水に潜って調べるなんてことは不可能よ」
「そっか、やっぱり無理か……」
「こんな高温の中で動き回れるとしたら、スヴァーグぐらいでしょうね」
「スヴァーグって?」
「火の男神イグニア様の神獣よ」
「もしかして、赤いドラゴンだったりする?」
「赤い? まあ、赤いと言えば、赤いかしら……。でも、そんなに綺麗な感じではないわね。どちらかと言うと……。そうね、赤黒いって感じかしら」
「ほら、お前たちも、喋ってばかりいないでサンプル集めを手伝ってくれ! これが終わるまで食事には有り付けないぞ!」
一人黙々と作業をしていたアレンが、三人に声をかけた。
アレンは水だけでは飽き足らず、今回は泉の周りの土まで集めて持って帰る気らしい。
「仕方ない。それじゃあ、頑張ってやりますか!」
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