55 東の鉱山にある泉へ、再び(1)
東の鉱山へと向かう馬車が出発する予定時刻の直前、今回も危うく置いていかれるギリギリで馬車に駆け込んで来たルシオ・バルマーは、先に馬車に乗り込んでいた小さな姿のサスティーを見て目を丸くしている。
「てっきり、王都見物を終えたら、すぐに島に戻るのかと思ってたよ」
「確か “温泉” って言ったかしら? そこに私が同行したらいろいろと役に立ちそうだから、貴方たちは私に一緒に来て欲しいのかと思っていたけど……。違った?」
「それはそうだけど……。そこ、座りたいんだけど、避けて貰っても良いかな?」
遅れて来たルシオが、遠慮がちにそうサスティーに声をかけた。
ルシオがなかなか来ないので、アスールは自分の膝の上にのせていたサスティーを空いていたルシオの座席に移動させ、サスティーはそこに寝そべりすっかり寛いでいたのだ。
つまり、サスティーが退かない限り、ルシオが座る場所はない。
「サスティー様。サスティー様用に、こちらを御用意させて頂きました」
そう言ってダリオが差し出したのは、普段レガリアが馬車で移動する時に使っている、エマがレガリアのために作った物にそっくりの籠だった。寝心地の良さそうな、見るからに上質な生地で作られたクッションもちゃんと敷かれている。
こんな物、いつの間に用意したのだろう。ダリオの手腕には、いつも本当に驚かされる。
「それは何なの?」
サスティーは、急に目の前にダリオが差し出した見知らぬ入れ物を訝しんでいるように見える。
「これ? これは移動用の籠だよ!」
すかさずルシオがダリオの代わりに答える。
「ねえ、アスール。レガリアも、確かこういうのを馬車での移動中は必ず使っているよね? いつだったか『寝心地が最高だ!』って言っていた気がする。そうだよ! 試しにこれに寝そべってみて、寝心地を確かめてみたらどう?」
サスティーに座席を譲って貰おうとルシオが必死にアピールをしているのが可笑しくて、ニヤけた顔を見られないようにアスールとレイフは思わずそっぽを向いた。
「そうなの? ティーグルも馬車の中ではこういうのに寝そべっているの?」
「そ、そうだよ! ねえ、アスール?」
「ん? まあ、そうだね。折角ダリオが用意してくれたんだし、試してみたら? 気に入らなかったら今いる場所にまた戻って寝そべれば良いし」
「ちょっと、アスール。そんなことを言ったら、僕の席がなくなるじゃないか!」
「もう一台の馬車に乗ったらどう?」
レイフが真顔でそう提案する。
「あっちだって、もう満員だよ!」
ついに堪えきれなくなったアスールが笑い出した。
「くふふ。ごめん、つい可笑しくて」
「ぷははは。僕も、もう我慢できないよ!」
「アスールもレイフも酷いよ!」
大笑いする二人と、それに異を唱えるルシオを横目に、サスティーは座席からふわりと飛び降りると、寝心地を確かめるかのようにクッションを何度か前足で叩いてから、ゆっくりとその上に身を横たえた。
「まあ……ここも悪くないわね」
「左様で御座いますか?」
ダリオが静かに微笑んでいる。
「ねえ、ところでルシオ。君は、やっぱり今日も寝坊したの?」
「え、ああ、うん。ごめん。でも、間に合ったでしょ?」
「間に合ったかって? ギリギリ過ぎるよ」
「でも、まだ出発はしていなかったよね? それってつまり、間に合ってるってことだよね?」
「えっ。間に合ってないよ!」
こんな風にいくら友人のレイフが口を酸っぱくしてルシオに苦言を呈しても、そう簡単にルシオの寝坊癖は直らないだろう。レイフよりもルシオとの友人歴の長いアスールはとっくに悟っている。
「忘れ物はないか? すぐに出発するぞ!」
アレン・ジルダニアがアスールたちが乗り込んでいる馬車を覗いて聞いた。
「ありません! いつでも出発できます!」
座席を確保できたルシオが、大きな声で自信たっぷりにアレンに答えた。その横でレイフが苦笑いを浮かべている。
今回 “温泉” に向かうのは、共同研究の発表の調査をするアスール、ルシオ、レイフの三人と、引率のアレン・ジルダニア。それから、身の回りの世話係としてダリオ・モンテスと、護衛としてディエゴ・ガランだ。
その他に王宮府の関係が二名。二台の馬車に四人ずつに分かれて乗り込んだ。その他に、今回も馬車には乗らずに馬に跨った護衛騎士が数名いる。
既に荷物だけを積んだ馬車が数日前に出発しているとも聞くし、光の魔力を含むと思われる “温泉” は、前回アスールたちが調査に入った冬期休暇からまだ半年しか経過していないにも関わらず、アスールたちの知らないところで大規模な都市開発計画として動き出しているようだ。
「今回は儂は一緒には行かれんが、向こうに既にギルベルトとラモス・バルマーも居るからの。心配はないだろう」
既に早朝鍛錬を終えたと思われるフェルナンドが、アスールたち一向を見送るために馬車寄せまで来てくれていた。
フェルナンドの話では、現地にはギルベルトを含め、大勢の者たちが計画推進のため行動していると言う。
アスールたちの “温泉” の水質調査と並行して、カルロから温泉開発に関する事業の統括責任者に任命されているギルベルトが率いる調査チームも、あの場所で主に町作りのための地質と環境調査を行なっている。
「兄弟で上手く協力し合って、互いがより良き結果を出すことを期待しているぞ」
そう言ってフェルナンドはアスールを送り出した。
ー * ー * ー * ー
「今回も、一泊は途中で野営をするってことだよね?」
馬車が走り出すとすぐに、ルシオが話し始めた。
サスティーはアスールの足元に置かれた籠の中で規則正しい寝息をたてている。
「そうなるだろうね。どこかで馬を休ませないと駄目だろうし」
「前回は寒い時期の野営だったけど、今回は夏だから、護衛の人たちも焚き火に当たって暖を取る必要はないだろうね」
「そうかなぁ。焚き火は暖を取るためじゃなくて、獣が近付くのを防ぐために熾しておくんじゃないの? だよね、ダリオさん?」
「その通りです。森の獣は火を恐れて、近付いて来ることはありませんから」
「じゃあ、今回も大人は交代で寝ずの番ってこと?」
ダリオが頷いた。
夏ということもあって、野営地に到着した時には、まだ動き回るのには充分なくらいには日差しが残っていた。
アスールたちはダリオと騎士たちが夕食の準備をしている間、近くの森の中を探検することにした。念の為、護衛としてディエゴ・ガランが付き添ってくれることになった。
サスティーが言うのに従って歩みを進めると、面白いくらいに美味しそうな実をつけた果樹が見つかる。四人でベリーをつまみ食いしながらのんびりと森を歩き周り、暗くなる前に、食後のデザート用にとスモモをいくつか取ってから野営地に戻った。
「ここから見える星空は、島から見えるものとそっくりだわ」
夕食を終え、馬車に戻ろうとアスールがサスティーを抱き上げると、夜空を見上げながらぽそりとサスティーがそう呟いた。
アスールも夜空を仰ぎ見る。確かに上空には溢れんばかりに星が瞬いている。
「そうだね。王都は島やここよりもずっと明るいから、星がこんなに輝いては見えないよね」
「もしかして、島へ帰りたくなった?」
レイフがサスティーに問いかける。
「そうね。でも、こんな風にあちこち見てみて回るのも、案外悪くはないわよ」
「へぇ。そうなんだ」
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