51 その頃、ガルージオン国では……(3)
「あらあら、まあまあ! これは驚いたわ! まさか堅物のジュールが、綺麗なお嬢さんを一度に二人も連れ帰って来るとは思わなかったわ!」
「母上、何ということを! こちらのお方は……」
母親を前にして、ジュール・シェルンが慌てている。
普段から決して表情を崩すことなく、ジュールは常にザーリアの背後で警戒に当たっている。こんな自然な感じの今のジュールは、ヴィスタル城内では決して見ることはできない貴重な姿だ。
「もちろん分かっているわよ。クリスタリア国第二王女の、ベアトリス・クリスタリア様よね? ようこそ。ジュールの母、ユーリア・シェルンです」
ジュール・シェルンの母親のユーリアはニッコリと優雅に微笑んでから、ベアトリスに向かって手を差し出した。
息子から「風変わりな」と言われていたジュール・シェルンの母親は、どうやら悪戯好きでユーモアに溢れた可愛らしい性格の女性のようだ。
「突然の訪問をお許し下さい。クリスタリア国第二王女のベアトリス・クリスタリアです」
ベアトリスの方も完璧な笑顔でユーリアに応える。
「こちらは、私の従者で友人のカサンドラ・ギルファ。彼女はクリスタリア国では私の護衛騎士を務めてくれています」
「まあ、そうなの? こんなに綺麗で華奢なご令嬢が護衛騎士を? 信じられないわ!」
ユーリアはカサンドラが騎士だと分かった途端、カサンドラの両手をがっちりと握り込み、まるで夢見る少女のように目をキラキラと輝かせて、自分よりもずっと背の高いカサンドラのことをうっとりと見上げている。
カサンドラがドレスを着ている今でさえこの状態では、もしも騎士の正装をしているカサンドラを目の前にしたら、ユーリアはいったいどんな風になってしまうのだろうかと想像して、ベアトリスは笑い出しそうになるのを必死に堪えた。
一方のカサンドラは、ユーリアから “華奢” と表現されたことに戸惑っているように見える。
カサンドラはクリスタリアの平均的な女性としてはかなり身長も高く、普段から鍛錬を怠らないため、一般のご令嬢たちと比べれば “華奢” とは対岸に位置するような鍛え上げられた身体付きをしているのだ。
「母上。本当に、お止め下さい! カサンドラ様、申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですわ。シェルン卿」
ジュールが、興奮する母親をなんとか落ち着かせようと試みている姿が余計に可笑しい。
「ああ、そうね。ごめんなさい! さあ、さあ、お茶にしましょう! お二人にはいろいろとお話を伺いたいわ!」
シェルン伯爵家の現当主はジュールの父親だ。この日は不在だという話だが、シェルン伯爵とはジュールの紹介で舞踏会の時にベアトリスは挨拶を交わしている。
たいして長く話をしたわけではないが、とても温厚そうな、信頼に値する人物に思えた。
ガルージオン国では女児に家督相続の権利はない。
シェルン伯爵家では、三人いる息子のうちの長男がこの伯爵家を継ぐことが決まっており、次兄はジュールがザーリア姫と共に国を出て半年後に他家に婿入りを果たしているそうだ。
元々はこの次兄にザーリア姫の護衛騎士としてクリスタリア国へと付き従うようにとの王命が出ていたのだが、ジュールが既に婚約者がいた兄に代わって護衛騎士を引き受けてくれたのだと、ベアトリスは以前ザーリアから聞いたことがある。
「実は私ね、子供の頃、女性騎士になりたかったのよ」
「まあ、そうなのですか?」
ジュールが困ったような表情を浮かべて母親を見ている。
だからユーリアはあんなにもキラキラした瞳でカサンドラの手を取り見つめていたのかと、ユーリアの話を聞いていて、ベアトリスは妙に腑に落ちた。
ユーリアはベアトリスの母親のエルダと同じく、前クリスタリア国王の孫に当たるそうだ。つまり彼女も現クリスタリア国王とは従兄妹同士という立場になる。
だが、公爵家の娘であるそのユーリアが、家格としてはかなり格下ともいえるシェルン伯爵家に嫁入りしているのは、普通では考え難いことだ。おそらくは周囲の反対を押し切っての婚姻だったのだろう。
騎士になりたかったとの発言も含め、やはり、ジュールの言ったようにユーリアはかなり風変わりな女性なのかもしれない。
「ええ。でも、この国にいる騎士は残念ながら未だに全員男性なのよ」
「そうなのですか? クリスタリア国には女性騎士も多くおります。実は、私もクリスタリア王立学院の “騎士コース” に進みたいと言って両親に反対された口ですが」
ベアトリスは進級時にあった一悶着を簡単に、面白おかしくユーリアに語って聞かせた。
「まあ、そうだったのね! 私は夢見ていただけで行動には移さなかったから、ベアトリス様の方が凄いわ! まあでも、ベアトリス様は王女ですものね。反対されるのは仕方のないことだわね」
「ええ。そうですね」
「それで? カサンドラ様はその王立学院の “騎士コース” を出られたの?」
「はい。我がギルファ侯爵家は近衛騎士を多く輩出してきた家なので、兄弟姉妹揃って全員 “騎士コース” を選択しています」
「彼女の姉上も、既にハクブルム国へ嫁がれた第一王女のアリシア姉上の護衛騎士だった方なのですよ」
「まあ、姉妹揃って? 王女様を守る麗しの女性騎士? はぁぁぁ。なんて素敵なのかしら!」
ユーリアは、ベアトリスとその横に座っている女性護衛騎士のカサンドラを、まるで物語に出てくる登場人物でも見るかのようにうっとりと眺めている。
「母上!」
「あら、ごめんなさい。だって、まさか本物の女性騎士に会えるなんて思っていなかったから嬉しくて!」
ユーリアは本当に嬉しそうだ。
「この国の女性には家督相続の権利もないのをご存知かしら? そういうところも、国としてはとても遅れていると思うのよ! この家は、先代の頃から多妻ではないし、夫も私をとても大事にしてくれているし、息子たちも何人も妻を持つ気はないと思いたいけれど……。それってこの国では凄く特殊なことのよ」
「……そうでしたか」
「ああ、ごめんなさい。エルダ様も、そうよね、第二夫人というお立場だったわね」
先代のガルージオン国王が数年に渡った両国間の戦争終結の際に、孫娘であるエルダを “和平の証” としてクリスタリア国の皇太子だったカルロに半ば強引に輿入れさせたことは、娘のベアトリスでも知っている程度には有名な話だ。
その時、皇太子のカルロにはパトリシアという相思相愛の妃が既にいたのだ。
そんな形での嫁入りだったにも関わらず、カルロはエルダを受け入れ、カルロだけでなく正妃であるパトリシアも、自分の子ではないドミニクのこともベアトリスのことも分け隔てなく、深い愛情を持ってずっと接してくれている。
今までベアトリスはこのことに関して特になんとも感じてはいなかったが、父であるカルロにとっても、母であるエルダにとっても、それからもちろんパトリシアにとっても、今の関係を築くまでにはそれぞれに多くの苦悩と葛藤があったに違いない。
「エルダ様はお元気? もう随分と長いことエルダ様はこの国に戻って来られないけれど……。クリスタリア国では、お幸せにお過ごしなのかしら?」
「はい。そう思います」
「そう? なら、良いのよ! 貴女のお母様も、それからザーリア様もそうだけれど、異国の王家へ嫁ぐというのは、きっと普通の結婚以上に苦労が多いと思うわ」
「そうですね。ですが、母も義姉上も幸せにお過ごしだと思います。義姉上は私の妹のローザとも、もちろん兄のドミニクとも、大変仲が良いですし」
「私もそう思いますよ、母上。ザーリア様はヴィスタルの王城で毎日楽しそうにしておいでです。たぶん、この国に居た頃よりもずっと……」
「……そうなのね」
おそらくベアトリスが知らないだけで、大怪我を負ったルーレンだけでなく、ザーリアの周りでもいろいろなことが起こっていたのだろう。
まだ準備の殆ど整っていなかったヴィスタルの城に、ザーリアたち一向が聞いていたよりも早い日程であれ程慌ただしくやって来たのには、それなりの事情があったのだろうとベアトリスは思った。
「ところで母上にお聞きしたいことがあるのですが……」
「まあ、何かしら?」
「ルーレン殿下が今どこにいらっしゃるのか、母上はご存知ではないですか?」
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