31 エルンスト・フォン・ヴィスマイヤーの過去
アーニー先生とアスールが顔を合わせるのは、あの日以来だった。
あの夜以降、アーニー先生の都合でしばらく絵画の授業がお休みになっていた。
ローザもバルマー伯爵も一緒なので、本当はいろいろと聞いてみたいこともあったが、アスールはどう声をかけて良いのか分からずにいた。
「では、今日はここまでにしましょうか」
そう言うと先生は、使用人たちを呼び入れて使い終わった水入れなどを運び出させ、手際良くその他の道具を自ら片付け始めた。
「アーニー先生……」
「ん? なんだい?」
「少しの時間で構わないのでお話することは出来ますか?」
「えっと……」
その二人のやり取りを横目で見ていたらしいバルマー伯爵が、アスールに助け船を出してくれた。
「私が王の許可を取って差し上げましょう。お話は次回以降で構いませんよね?」
「……はい」
「よろしくお願いします」
アスールはアーニー先生と話せる日ををずっと心待ちにしていたので、次回以降と言われ、不満顔を隠すことが出来なかった。アーニー先生はそんなアスールを困り顔で見ていた。
ー * ー * ー * ー
この日は学院入学を控えるアスールにとって、アーニー先生の絵画の授業は最後の日となる。
授業前、バルマー伯爵からアスールにメモが届けられた。
「私フレド・バルマー、今日の授業は所用によりお休み致します。先生とのお話は授業後図書室でどうぞ」
と書かれている。
既に先生にも伝わっているようで、メモを読み終えたアスールが顔を上げると、笑顔のアーニー先生と目が合った。
「それで? 殿下はいったい何をお知りになりたいのですか?」
「何を……と言うか……何だろう。僕は何も知らないので……ロートス王国について? 先生が知っていることをどんなことでも良いので教えて欲しいです」
「ロートス王国について、ですか……」
アーニー先生は「うーん」と唸って考え込んでしまった。
向かい合って座る二人の上から柔らかい光が差し込んでいる。クリスタリアには春が少しずつだが確実に近づいて来ていた。
「残念ながら、私もロートスの現状に関しては然程詳しいわけではないのです。私自身、あの国を離れて三年、そろそろ三年半になりますから……」
「その間は一度も帰られていないのですか?」
「ええ、一度も。……私にもいろいろと事情があるのですよ」
アスールは戸惑っていた。先生の事情は分からない。
もしかしたらロートス国に関して、本心では触れて欲しくないのかもしれない。先生の姉君は実際に被害に遭っているのだし……。
「どこからお話するのが良いのでしょうね。先ずは私の家のことと、私のことを知ってもらった方が良いのかもしれません。……おそらく殿下が考えておられるより話はずっと長くなってしまいそうですが、お時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「そうですか。ではお話しましょう。以前にも申しましたが……
ー * ー * ー * ー
ヴィスマイヤー家はロートス王国でも古くから王家に仕える家柄で、十年前のあの事件が起こった時点で父であるヨハンがそうであったように、代々の当主の多くはロートス王国の宰相を務めています。
私の母タチアナは先先代の王の妹の娘。ヴィルヘルム王からすると従叔母に当たります。
当時、姉のアナスタシアは十八歳でスサーナ王妃の側近くに仕えて二年程。
既に家督を継ぐことが決まっていた兄のクラウスは十七歳で、キール城で父親の補佐をしながら領地の管理や運営を学び始めたところでした。
私エルンストは十二歳の学生、私の下には九歳の弟デニスと五歳の妹レーナ。
あの日、父と姉は城に……その他の家族は家に居りました。
ノルドリンガー軍が侵略して来たあの日から数日間、キール城はもちろんロートス王国全体が混乱し、情報が錯綜しました。我が家に流れてくる報せにしても、どれが正しいもので、どれが間違っているものなのか判断など出来ず、父と姉の安否も不明なままでした。
五日後、ヴィルヘルム国王、スサーナ王妃、ロザーリア王女、王家三名の訃報が国民に向け発表されました。
その数日後、我が家にも「父ヨハンは死亡、姉アナスタシアは生死不明」との情報がもたらされたのです。
突如としてキール城に侵攻して来たノルドリンガーの兵士たちは、急襲から三日目にはロートス軍により鎮圧され、ノルドリンガー兵は激しい抵抗の後、全員が死亡したとのことでした。
そもそも彼らは帝国の正規軍などでは無く、軍の中の一部、それも既に軍から離反した者たちだったとの発表がありました。
ノルドリンガー帝国は国としての関与を完全に否定したのです。
あの日、王と共に国を動かしていた主要貴族の尊い命が数多く失われました。
その後の混乱は当時軍を統括していたザグマン伯爵が収めました。ザグマン伯爵は数年前に叙爵され、現ザグマン侯爵となっています。
ロートス王国では二十歳に満たない年齢での王位継承は行われないため、現在はレオンハルト王子はあくまでも第一王位継承者であり、王位を受け継ぐまでの期間は摂政であるザグマン侯爵が公務を国王の名代として行っています。
ちなみに、ザグマン侯爵家の長女のミヒャエラ様がレオンハルト王子の婚約者です。
これが現在の『公的な』ロートス王国の実情です。
『公的な』とアーニー先生が強調したのは、最早それが真実ではないことが明らかだからだ。
あの日、ヴィスマイヤー家は当主と長女を失いましたが、我が家の不幸はそれだけでは終わりませんでした。
二年半後、領地から王都の屋敷へと向かっていた我が家の馬車が崖から転落するという事故に見舞われたのです。
その馬車には母と兄と弟と母付きの従者の四人が乗っていました。私は妹と従者二人と共に別の馬車で母たちの乗る馬車の後ろを走っていました。
私が乗っていた馬車の馭者の話によると「前の馬車を引いていた馬たちが突然暴れ出し、制御を失ったその馬車はあっという間に谷底に落ちた」と言うのです。
母だけが一命を取り留めました……。
兄と弟、それから必死に母を庇ったらしい母の従者は亡くなりました。兄のクラウスは翌月二十歳を迎え、正式に爵位と家督を継ぐ予定だったのに。
その事故から四年後、今から三年前になります。十九歳の時に私はロートス王国を出ました。
その半年ほど前から、妙な事件や事故に見舞われ始めたのがその理由です。母のタチアナは「次はエルンスト、お前の命が危ない!」と言い出しました。
兄を失ったヴィスマイヤー家は、私が二十歳になり家督を継ぐまでの期間、父の弟であるヘルフリート・フォン・ヴィスマイヤーが管理していました。
兄の死以降、母はその義弟をずっと疑っていたようでした。そして、義弟の背後にザグマン侯爵の存在があるのでは……と。
そんなある日、私は刺客に襲われたのです。
大怪我を負った私を、母は自分の親族を頼って隣国のタチェ自治共和国へと秘密裏に出国させました。私はタチェで二ヶ月程静養し、その後は行方知れずの姉の捜索も兼ねて、画家と身分を偽り、偽名を使って各国を渡り歩き、遂にここ、クリスタリアまでやって来たと言うわけです。
ロートスでは、私は現在 “所在不明” という扱いになっています。我が家の家督相続に関しては保留の状態が続いています。
私の出奔から五年が経過するか、もしくは私の死亡が確認された場合は直ちに、相続権利は最後に残された妹のレーナに移動します。
叔父のヘルフリートは自分の息子をレーナと婚約させるようにと母にしつこく迫っているようですが、母は「まだレーナは学生の身分だからと」やんわりと返答を避けている状態です。
強く「否」と言えば、次は母が狙われるでしょう。
今はあえて曖昧にしておき、レーナの卒業迄に叔父の悪事の決定的な証拠を掴む時間を稼ぐつもりでした。
よもや姉アナスタシアの口から “国を揺るがす陰謀” を聞かされることになるとは思ってもみなかったですから……。
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