45 予期せぬ乗船客
「あ、見て! あれって、王妃様じゃないの?」
「本当だ! あははは。どうしたんだろう? 母上があんなに大きく両手を振っている姿なんて、初めて見たよ」
段々と近付いて来る船のデッキ上で、パトリシアがローザと並んで立ち、満面の笑みを浮かべながらアスールたちに向かって両手を左右に大きく振っているのが見える。
「随分と……お元気そうじゃない?」
「うん。そうだね。良かった」
母のパトリシアは、船での移動を苦手としていると聞いていた。だから、てっきり真っ青な顔をして下船して来るだろうと想像していたアスールは、予想外に楽しそうなパトリシアの様子を見て安堵した。
「ローザも変わらないわね。ふふふ。相変わらずだわ」
アスールの横に立って船を見ているリリアナの声も弾んでいる。
リリアナの視線の先、パトリシアの横でローザもピョンピョン飛び跳ねながらこちらに向かって何か叫びながら手を振っていた。
ローザの影になってここからは見えないが、きっとローザの側仕えのエマは、ローザが船から落ちないかとヒヤヒヤしながら、ローザのドレスを必死に掴んでいることだろう。
「ねえ、ローザお姉ちゃんはまだ?」
「ローザお姉ちゃんは誰と一緒に来るの?」
「先生! お姉ちゃんは今年も猫ちゃん連れて来る?」
普段は誰が来ても屋敷の玄関前までしか迎えに出ないリリアナが、わざわざこうして桟橋まで客人を迎えに出ているのを珍しがってか、いつの間にか島の子どもたちまでが桟橋に集まって来はじめた。
「この夏は、ローザとアスールのお母さんが屋敷に滞在するのよ。でもね、皆。お願いだから、良い子にして頂戴ね! フェルナンド様、えっと、髭のお爺ちゃんと違って、ローザとアスールのお母さんはあまり丈夫ではないから、飛びかかったり、急に抱きついたりしては絶対に駄目よ」
「えーー。そうなの?」
「分かったーー」
「ねえ、アスール兄ちゃん。お髭のお爺ちゃんは? 一緒に来ないの?」
「うーん。どうだろう。少なくとも、あの船には乗っていないと思うよ」
ギルベルトが泊まる部屋が足りなくて一緒に来られないのだから、流石のフェルナンドも今回はついては来ないだろう。来るとしたらアスールたちが島を離れて部屋が空いてからだ。
「ねえ、ねえ。じゃあ、あの男の人は誰? もしかして、アスール兄ちゃんか、ルシオ兄ちゃんのお父さん?」
「えっ? 父上が一緒に船に乗ってる? まさか! そんな筈はないと思うけど……」
確かにパトリシアとローザたちから少し離れた船の船尾辺りに、男が一人立っているのが見える。着ている服装からしてカルロでも、フレド・バルマーでもない。
「ねえ、あれってまさか……」
「うわぁ。なんで?」
船尾辺りに立っていた人物が、桟橋にいるアスールたちに気付いたらしく手を上げた。
「アレン先生だよ!」
ー * ー * ー * ー
「アレン先生! いったいどうしたんですか?」
「よぉ。三人とも元気そうだな! 少し日に焼けたか?」
大きな旅行鞄を抱えて一番最後に下船したアレン・ジルダニアは、学院で見かける姿よりもずっとラフな服装で、荷物さえ置けば、今すぐにでも森の中を分け入って “温泉” の調査にでも行けそうな雰囲気だ。
アスールは船から降り立ったパトリシアとローザに簡単に挨拶だけ済ませると、二人をレイフたちに任せて急いでアレンの元へと駆け寄った。
「なんで先生まで、この船に乗っているのです?」
「フェルナンド様から、三人がとても魅力的な場所へ行っていると聞いたのでね! ならば、僕も是非お目にかかりたいと思ったんだよ。そんな時、王妃様たちが島へ向かうらしいと知ったので、一緒にこの船に乗せてもらえるようにフェルナンド様にお願いしたというわけさ」
「えっと……。言っている意味が全然分からないのですが……。先生は、いったいこの島の誰に会いたいのですか?」
「そりゃあ、決まっているじゃないか!」
「ん?」
アレン・ジルダニアはアスールの耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。
「サスティー。神獣様だよ! ここの島に居るんだろう?」
ー * ー * ー * ー
アレンの大きな荷物の中身は、一人用のテントと、野営に必要な道具が一揃えだった。
「いやぁ、本当に申し訳ないです。フェルナンド様から部屋が無いと伺っていたので、庭先か、無理なら道端にでもテントを張ろうと思っていたんですけどね」
「子どもたちが学院でお世話になっている先生を、庭先や、ましてや道端になんて寝かせるわけにいきませんわ! 今は殆ど使っていない次男の部屋をすぐに片付けさせますので、どうぞ何日でもお泊まりになって下さい」
「では、ありがたくお言葉に甘えさせて頂きます」
リリアナはテント持参で来島したアレンを甚く気に入ったようだ。
今は殆どオクルタ島(オルカ海賊団の本拠地)で暮らしているレイフのすぐ上の兄、イアンの部屋にアレンを泊めるつもりらしい。
「食事も、子どもたちとご一緒で……特に問題はないですわよね?」
「いえ、私は適当にやりますからご心配なく。船は兎も角、流石に食事まで王妃様と同席するわけには……」
「へえ、アレン先生でも、一応は王妃様に遠慮とかするんですね。てっきり、全然気にしていないのかと思いましたよ」
「いや、そこは、まあな」
ルシオが、ここぞとばかりにアレンを揶揄っている。
「あら。パトリシアはそんなことは気にしないと思うわよ。それより、学院での子どもたちの様子を聞きたがるのではないかしら。特にルシオの普段の様子とか……」
「ええっ! リリアナさん、どうして僕なんですか?」
「あら。だって、一番いろいろと面白そうな話が出て来そうなのは、どう考えても貴方じゃなくって?」
「うわぁ。だったら僕が先生の野営道具を借りて、別の場所で一人で食べようかな……」
「ほらね。やっぱり知られたくないような生活をしているのでしょう?」
「そこまで酷くはないと思いますよ」
「そうなの?」
「……たぶん」
「なら良いじゃないの! 私はちょっとイアンの部屋を見て来るわね。どうぞごゆっくりなさって!」
そう言うと、リリアナは居間から出て行った。
島に着いたばかりの面々は、アレンを除き、各自に割り振られた部屋に荷物を置きに行っている。
イアンの部屋が片付くまで、アレンはアスールたちと居間でお茶を飲みながら待つことになった。
「なあ、神獣様は普段はどこに暮らしているんだ? 水の女神の神獣なのだから、やっぱり綺麗な水場の近くなんだろう? ここから近いのか? 近々そこへ行く予定はあるのか? 日帰りでも行けるようなところか?」
アレンはリリアナが部屋から出て行った途端、急に身を乗り出すようにしてアスールたちに矢継ぎ早に質問を投げかけ始めた。
普段から水属性の魔力に関しての研究をしているだけあって、アレン・ジルダニアは水の女神の神獣であるサスティーに興味津々のようだ。
「先生は、サスティーに会いたくて、わざわざこの島まで来たってことですか?」
「もちろんそうだ!」
「だってさ。サスティー」
アスールは、アスールの足元で美味しそうにダリオの作った焼き菓子を食べている、モコモコとした銀灰色の毛皮の小さな生き物に話しかけた。
「ん? サスティー?」
「はい、そうですよ」
「まさか、その仔犬が、か?」
「ええ。焼き菓子をお腹いっぱいに食べるには、この姿の方が断然効率が良いそうですよ。レガリアがそう言ってました」
「レガリア様が……。ああ、成る程」
アレンは、ローザと契約を交わしている光の女神ルミニスの神獣であるティーグルのレガリアが、目の前の仔犬にも見える生き物と同じように小さな仔猫のような姿で焼き菓子を食べている姿を以前目撃している。
目の前で焼き菓子に食いついているこの仔犬に見える生き物がが “神獣の仮の姿” だと言われても、すんなり受け入れられるだけの度量はあるようだ。
「ねえ、サスティー。ある程度満足したら、先生に本当の姿を見せてあげてくれない?」
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