44 割と近い将来の話
「ねえ、アスール。明日だったよね? ローザちゃんと王妃様がここに到着するのって」
「その予定だよ。何も起きなければね」
ゲオルグとウェルナーを送り出した後アスールたちがこの島に到着してから、あっという間に二週間が過ぎ去っていた。
今年の夏も例年と変わらず、午前中は勉強部屋にやって来る子どもたちの先生役をしながら過ごし、午後からは海へ泳ぎに行ったり、釣りをしたり、裏山へ登ったりしている。
「新型の小型船でヴィスタル港まで王妃様たちをお迎えに行くことになっているって、ジルさん言っていたよね?」
「そうらしいね。流石に王妃様が商人や観光客に混じって定期船に乗るのは問題あるだろうからって、母さんが」
「ははは。そりゃ、そうだ!」
今回のパトリシアの島への訪問は非公式、と言うかお忍びで、本当に極限られた者にしかその予定は知らされていない。
本来なら、王や王妃が離宮以外の場所を訪問をするとなると、訪問先や滞在場所の設定は王宮府の管理下となる。その上、大勢の警護の騎士や関係者が同行するのが常だ。
領主やその土地の管理者が揃って出迎え、歓迎の宴が開かれ、正餐会や晩餐会、舞踏会が盛大に行われる。
オルカ海賊団の本拠地でもあるこの小さな秘密の島に王妃が滞在するなど、本来であれば絶対にあり得ないことなのだ。
「体調はどうなの?」
「母上の?」
「そうだよ。他に誰がいるのさ?」
「ははは。そうだよね。最近は割と体調は良さそうだよ。夏期休暇に入ってからはローザもレガリアもずっと一緒だしね」
「明日は海が荒れないと良いけど……」
「そうなんだよね」
王家が関わる公式行事の場には欠かさずに参加しているので知らぬ者も多いが、パトリシアは元々あまり身体が丈夫な方ではないのだ。
三年前の夏、第一王女のアリシア・クリスタリアがハクブルム国の王太子のクラウス・ハクブルムと結婚をした際、パトリシアは夫であるカルロと共に娘の結婚式に参列するため、ハクブルム国を訪問している。
その帰り道の船旅が引き金となり、パトリシアは帰国後にかなり長いこと体調を崩して寝込んでいた時期がある。
そのせいもあって、ハクブルム国から帰国して以来、パトリシアは船に乗ることを苦手としているようなのだ。
「明日母上たちが乗ることになっている新型船は、他の船に比べても凄く快適だったってギルベルト兄上も話していたし、たぶん大丈夫だとは思うけど……」
「あまりにも海が荒れるようなら出発日を変更するだろうし、心配は要らないよ」
「……そうだよね」
最初にパトリシアが「自分もローザと一緒に島へ行ってみたい!」という話を切り出した際、パトリシアの船旅での体調悪化を心配したカルロが、付き添いとしてギルベルトに一緒に島へ同行してもらってはどうかと提案したそうなのだ。
その話を聞いたギルベルトはすっかりその気になっていたようなのだが、パトリシアとローザのそれぞれの側仕えも同行する上、更にギルベルトとその側仕えも参加するとなると、他の家よりも大きいアルカーノ邸と言えど、如何せん宿泊できる部屋数が足りない。
結局ギルベルトの参加は、直前になってたち消えになってしまったのだ。
「兄上も久しぶりに島でのんびりできると言って、凄く楽しみにしていたみたいなのだけどね……」
「そんな話があったの? 王宮府で働いている人たちってさ、ちょっと働き過ぎなんじゃないかと思うんだよね」
ルシオが言った。
「働き過ぎ? ああ、そう言えばルシオのところも、父上も兄上も王宮府勤務だったよね?」
「そうだよ!」
ルシオの話では、兄で、ギルベルトの側近候補と言われているラモス・バルマーも、毎日かなり遅くまで仕事をしているらしいのだ。
王宮府で働く者たちが皆同じように長時間勤務をしているかどうかは不明だが、少なくとも王宮府副長官であるフレド・バルマー侯爵の周辺の者たちに限っては、副長官から相当な仕事量を割り振られているようだ。
「ルシオも、やっぱりバルマー侯爵の下で働くことになるんだよね?」
「えっと、どうかな……。まだ具体的には考えていないけど、普通に考えたら、そうなる可能性が高いとは思うよ。本音を言えば、もっと楽なところの方が僕としては良いんだけどね」
貴族の子女が学院を卒業後に仕事に就こうとする場合、大抵の場合は、親の仕事の手伝いをするところから始めるとか、知り合いの伝手を頼るというのが一般的なようだ。
ルシオの兄のラモスが現在そうであるように、ルシオも余程のことがない限りはバルマー侯爵の元で働き始めることになるだろう。
「そう言うレイフは? 卒業後はどうするつもりなの?」
レイフの父親はアルカーノ商会(オルカ海賊団)を取り仕切っているミゲル・アルカーノ。母親は元スアレス公爵家の令嬢だったリリアナ。二人の三男に当たるレイフは、将来は第三王子のアスールと共に歩んで行きたいと願い、母方の実家に当たるスアレス公爵家と養子縁組をして、一年半程前に貴族としての身分を得ている。
だが、レイフの養父となった現スアレス公爵であるニコラス・スアレス(本来は伯父に当たる)は、領地の運営の傍ら趣味の魔法薬の研究をしていて、その関係で時折魔法師団に出入りをしてはいるが、勤務はしていない。
「実は、フェルナンド様が王宮府外事部の知り合いに僕を紹介して下さるという話にはなってはいるのだけど……」
「あれ、そうだったの? 全然知らなかった」
アスールは卒業後のことなどまだ漠然としか考えていなかったので、レイフが将来を見据えて既に行動を起こしていたことを知って驚いた。
「ああ、うん。でも、まだ決定しているってわけではないからね……」
「そっか、レイフも王宮府か! 一緒だね、心強いよ! 食堂で一緒に食事をする人が見つかった!」
そう言ってルシオが屈託なく笑いながら、レイフの肩をポンポンと叩いた。それから、思い出したようにもう一人の親友の名前を挙げる。
「マティアスはどうするのかな? 王都に残るよね? マティアスは騎士コースに在籍しているし、どう考えても騎士団志望だよね?」
マティアスの実家のオラリエ辺境伯領は、王都からはかなり離れた北の国境沿いにある。マティアスは長期休暇の度に実家へと帰省しているため、アスールたちと共にこの島へ来たことは一度もないのだ。
「だろうね。あれだけの実力があれば、確実にお声が掛かると思うよ。今年の学院祭の模擬戦で二連覇することにでもなれば、第一騎士団入りは確実なんじゃないのかな」
マティアスは既に、昨年の学院祭の模擬戦で第四学年生ながら優勝を果たしている。実力的から言っても、今度の学院祭でも優勝候補の筆頭としてマティアスの名前が挙がるのは間違いない。
毎年、王立学院の学院祭の模擬戦の試合会場には、騎士団の関係者がずらりと顔を揃える。彼らは優秀な学生に目星を付けて帰って行くのだと噂されているのだ。
実際、過去優秀な成績を収めた多くの者たちが現在各騎士団に在籍している。
おそらくマティアスも、卒業後は領地へは帰らずに騎士団へ入団することになるだろう。学院入学当初からマティアスはそう希望していたし、今もその意志は変わっていない筈だ。
「アスールも、王子の責務として騎士団に所属するんだよね?」
「そうだね。兄上たちが既に第一、第二騎士団に所属されているから、僕は第三騎士団になるのではないかな、たぶんね」
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