38 テレジアへ行こう!
夏の成人祝賀の宴の翌朝、アスールたちはテレジアへ行く定期船に乗船するために、ヴィスタルの港で待ち合わせをしていた。
アスールがダリオと共に船着き場に到着した時には、レイフ・スアレスとその側仕えのディエゴ・ガランと、ロートス王国からの留学生のゲオルグ・フォン・ギルデンとウェルナー・ルールダウの二人は既に港で待っていた。
ところが、ダリオが全員の乗船券を購入し、いつでも船に乗り込む準備は整っているにも関わらず、ルシオ・バルマーがいつまで待っても来ないのだ。
ギルベルトは「大丈夫だろう」と言ってはいたが、ルシオが来ないのはやはり前日の宴でルシオが口にした、たった一口のお酒のせいかもしれないとアスールは心配になった。
「そろそろ乗船しないと……」
「そうだね。取り敢えず乗って待つ?」
「その方が良いと思われます。皆様は先に船に御乗り下さい。私が乗船口でルシオ様を御待ち致します」
荷物の積み込み等の指示を終えたダリオがアスールに言った。
「もしルシオが出港までに来なかったら?」
「置いて行くしかないでしょうね……」
そう言ったのはディエゴ・ガランだ。
「可哀想だとは思いますが、時間に遅れた者を待って全員の予定を合わせてやる必要はないでしょう。彼は昨日成人の祝賀の宴を終えたのでしょう? ならばもう成人として扱うべきですよ」
そう言ってディエゴは、レイフのホルクの雛 “ヴェントゥス” が入れられた鳥籠を手に取った。覆いが被せられているため、急な揺れに驚いたヴェントゥスの小さな鳴き声が聞こえた。
「もし彼に参加する意志があるならば、次の船で自力で向かうでしょう」
ディエゴの言うことは正しい。アスールがピイリアの鳥籠に手をかけた丁度その時、大きな車輪の音を響かせて一台の馬車が石畳の上を近付いて来るのが見えた。
「ここって、馬車の侵入は禁止されていなかったっけ?」
アスールでさえ、もっと手前で馬車を降り、ここまでダリオと歩いてきたのにだ。まあ荷物は殆ど全て屈強そうな男たちがここまで運んでくれたのだが。
「うわ、見てよ、アスール。あれ、バルマー家の紋章付きの馬車だよ!」
レイフが叫んだ。
「本当だ。はぁ、これでなんとか間に合いそうだね」
「全くヒヤヒヤさせるよ……」
「ごめん、ごめん。本当に待たせて悪かったよ。反省してます!」
「その反省、口だけじゃないよね?」
「もちろん! 心の底から反省してます!」
「ルシオ。具合、悪い? 大丈夫?」
ルシオを待っている間に、心配したアスールが昨日の様子を話してしまっているので、前日の王宮での祝賀の宴に於いて、ルシオが口にしたたった一口の酒で家に連れ帰られるほど酔っ払ったことは、もはや全員の知るところになっている。
「大丈夫だよ、ゲオルグ。心配ありがとう」
「そう? なら、良かった」
驚いたことに、バルマー家の馬車からまず降りてきたのは、ルシオではなくて、父親のフレド・バルマー侯爵と、兄のラモス・バルマーだったのだ。
優雅に馬車から下りたフレドとは対照的に、ラモスは両手に荷物を抱えて馬車から飛び降りると、もの凄い速さで全て荷物を船へと運び込んだ。その後ろをチビ助の鳥籠だけを持ったルシオが続く。
馬車にもたれ掛かるようにして立っている二人の父親が、息子たちの様子を目を細めて眺めていた。
「それにしても、よくあの船着場まで馬車で入って来られたね。あの辺りって馬車は入れない筈じゃなかった?」
レイフが尋ねた。
「父上が頼んで下さったんだよ。港の管理官の一人と知り合いなんだって。もしその人が今日非番でここに居なかったら、絶対に間に合わなかったと思う」
「……そうなんだ」
ルシオは王宮の大広間から連れ出された後、完全に意識を失ってしまったそうだ。
まさかそこまでルシオが酒に弱いとは、ルシオ本人も、家族の誰も考えておらず、バルマー家はあの後大騒動だったらしい。
なんとか朝方にはルシオの体調も回復したのだが、宴が終わってから準備をすれば充分間に合うと考え、ルシオは旅の支度を何もしていなかったらしいのだ。
母親が服を見繕って着せてくれ、妹たちが持って行く荷物の準備を手伝ってくれ、そのままルシオは馬車に押し込まれたそうだ。
「ここにローザちゃんが居なくて、本当に良かったよ……」
昨日ローザを戸惑わせたあの整髪剤を落とさずに朝を迎えたルシオの髪は、今もの凄いことになっている。
船が出港してしばらくすると、レイフの鳥籠から鳴き声が聞こえ始めた。いい加減に覆いを外して欲しいのだろう。
覆いが外されると、鳥籠の中で雛がキョロキョロと周りを見回している。初めて見る顔がいっぱいで驚いているのかもしれない。
「ねえ、レイフ。その雛、なんて名前にしたの?」
ウェルナーが尋ねた。
「ヴェントゥスだよ」
「ヴェントゥス?」
「そう。古代語で “風” って意味なんだ」
「古代語?」
「そう! ヴェントゥスの兄弟鳥は、アスールの妹のローザちゃんが育てているんだけど、彼女がウィリディって名前にしたって聞いたからね。ウィリディは古代語で “緑色” って意味なんだって。だから僕も古代語繋がりでこの仔に名付けてみたんだ」
「カッコイイ、ね!」
「そう? ありがとう、ゲオルグ」
雛の名前で盛り上がる横から、はぁと大きな溜息が聞こえてきた。ルシオだ。
「どうした? 具合、悪い?」
「具合は悪くないよ。ちょっと反省しているだけ……」
「反省? どうして?」
「ローザちゃんもレイフも、古代語で名前を考えるなんて洒落ているなと思ってさ。僕なんてチビ助だよ。今じゃこんなに大きくなっているけど、あの頃はチビで、本当に凄く可愛かったんだ。もちろん今だって可愛いよ」
「ああ、名前のこと?」
「もっと考えた方が良かったかなと思って……。名前はきちんと届けを出して登録してあるし、もう今更変えられないけどね」
「アスールは確か、途中で名前を変えたよね?」
「「そうなの?」」
レイフの言葉にロートスの二人が興味を示した。
「さっきルシオは名前は変えられないって言っていなかった?」
「僕が名前を変えたのは、正式な登録の前なんだ。最初はピイって呼んでいて、登録時にピイリアにした」
「どうして、変えた? ピイ、可愛い!」
ゲオルグの問い掛けに、アスールは少し頬を染めた。
「僕も雛がピィピィ鳴くのが可愛くてつけた名前だったから、ちょっと安直すぎるかなって思ったんだ。兄上のホルクがシルフィって名前で、風の女神の名前シルファから貰ったって聞いたからね」
「えええ。そうだったの?」
ルシオが驚いたように叫んだ。
「そうだよ。もうピイって呼ぶと返事をするようになっていたから、全く違う名前にするわけにもいかないし、ピイの変化系でピイリアにしたんだ」
「知らなかった……」
真実を知ったルシオが、再び大きな溜息を吐く。
「ごめんよ、チビ助。安直な名前のままで……」
「どうして? ピイも、ピイリアも、チビ助も、皆良い名前! 全部可愛い!」
「ああ。ゲオルグ! 君って本当に良い奴だ!」
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