34 それぞれの夏の計画(1)
「ああ、良かった! まだ残っていたな」
用事があるので今日は先に帰ると言って研究室を出て行った筈のアレン・ジルダニアが、再び研究室の扉を開けてそう言った。
「三人に言っておかなくてはならないことを、危うく言い忘れたまま帰るところだったよ!」
アレンが言い忘れていたらしい用件は、東の鉱山近くで発見された例の泉の調査に関しての話だった。
「俺たちが調査に入れるのは夏期休暇の後半。現地の宿舎に滞在できる日数は一週間だ!」
「えっ。一週間? 短くないですか?」
「レイフ・スアレス。現地調査なんて、長けりゃ良いってもんでもないぞ」
「それにしたって先生! 一週間は流石に……」
「あくまでも現地の宿舎に滞在できる期間だ。お前たちがもっと調査を続けたいと言うんだったら……。そうだな、ルシオ・バルマー。お前さん、テントでも張って自炊でもするか? 夏なんだし、いっそのこと野宿でもなんとかなるかもしれないぞ」
「野宿? いやいや、流石にそれは遠慮させて頂きます」
アレンは急いでいるようで、それだけを三人に伝えると、再び研究室から飛び出して行った。
「先生は、なにをあんなに慌てているんだろうね?」
アレンの後ろ姿を見送りながらアスールが言う。
「そうだよね。いつも時間にも、その他のことにも、てんで無頓着な先生があんなに慌てて行くところって……どこだろう?」
レイフは、この日も研究室の机の上だけに収まりきらなかったらしいアレン・ジルダニアの雑多な研究資料をテーマ毎に分類し、どんどん棚に収めていく。
最近のレイフは、すっかりアレン・ジルダニアの研究助手のような手際の良さだ。
「二人とも気付かなかったの?」
ルシオが閉じられたばかりの扉を見ながらニヤニヤ笑っている。
「「なにを?」」
「アレン先生、今日はいつもと違っておめかししてたよね?」
「ええと……。そうだった?」
「いつもとあまり変わらないような……」
「駄目だなあ。アスール、レイフ。君たち二人には、全然、全く、これっぽっちも観察眼ってものが無いんだね!」
「観察眼? なんだよ、それ! 僕とアスールには無いっていうその観察眼ってやつが、まるで君には備わっているみたいに聞こえるけど?」
ルシオの巫山戯た物言いに対して、レイフの方も負けじとニヤケ顔で応戦した。
「二人とも。良いからさっさとここを片付けて寮へ戻ろう! 帰寮時間に間に合わなくなるよ。今はアレン先生の観察合戦よりも、目の前の時計をよく見て!」
「うわぁ、本当だ!」
「急げっ!」
ー * ー * ー * ー
久しぶりにアスールは、姉のベアトリスと妹のローザと三人だけで談話室の奥で話をしている。
というのも、ローザは、ホルクの雛のウィリディの世話があって王宮へ戻れない。ベアトリスは、そもそも王宮へ帰る気がない。アスールのところへは頻繁に二人の様子を報告するようにとの指示が飛んで来る。文字通りホルク便が空を飛んで来るのだ。
仕方なくアスールは、三人で時間を作って情報の共有をすることにした。
側仕えのアニタが怪我をして以降、いろいろとあってベアトリスは以前程の快活さを失っているようにアスールには見えていた。
同じ学年とは言え、コースが違うので学院で顔を合わせることは殆どない上、放課後もそれぞれ忙しい。寮へ戻ると、ベアトリスは食事時以外は一人で部屋で過ごしていることが多いようだとローザから聞いている。
「たまには良いわね。こんなのも!」
そう言ってベアトリスは楽しそうにケラケラと笑った。
(本当に今日の姉上は、なんだかいつもと雰囲気が違うな。こんな風に楽し気な姉上を見るのは、すごく久しぶりな気がする。ローザが例のご令嬢をリルアン散策に誘ったって言っていたけど、それもあって少し風向きが良い方向に変わったのかもしれないな)
皆でリルアン散策を楽しんだ翌週から、シャロン・ハイレンは休みがちだった学院の授業にも、きちんと出席しているようだとローザが言っていた。
この様子からして、そのことはちゃんとベアトリスの耳にも入っているだろう。ベアトリスとしても、余計な心配がなくなったに違いない。
シャロンと話をしたローザによると、シャロンの父親でありハイレン侯爵家当主のダリル・ハイレンは、貴族至上主義で、家庭内に於いては当主である自分に家族が逆らうことなど決してあってはならないと考えるような人物だそうだ。
次期当主となる兄のグスタフには最高の教育を当然のように与えるが、三人いる娘には『学問など不要』と考えていたようだ。実際、シャロンの二人の姉は学院には通っていない。
学院への入学をシャロン自身が強く望んだため、シャロンは入学試験を受けることができたが、父であるグスタフは第四学年以降シャロンは当然 “淑女コース” に進むものと信じて疑いもしないらしい。
「シャロン様は今学年の終わりのコース選択希望調査で “技科コース” を希望するおつもりのようですよ」
「えっ、待ってよ、ローザ。あのハイレン侯爵家で “技科コース” の選択なんて許されるの?」
アスールはローザの言葉に耳を疑った。
「シャロン様のお話では『父は私に興味がないので “淑女コース” に進んでいないなんて、卒業するまで気付かないと思います』だそうですわ。家族なのに、そんなことあり得るのかしら?」
「いろいろな家庭があるのよ、きっと」
ベアトリスはローザに向かってそう言った。
(それにしたって、娘に興味がないにしても程があるだろうに……。本当にそうなのだとしたら、シャロン嬢も可哀想な立場にいるのだな)
「ああ、そうだわ。今度の夏期休暇のことなのだけれど、私、ガルージオン国へ行ってくるわね」
「えっ。そうなのですか? この夏姉上はガルージオン国へ?」
「思い切ってそうすることにしたのよ。今回が、私にとって本当に最後の長期休暇になるでしょうし……」
「どうしてですの? まだ冬期休暇もありますよね?」
ローザの膝の上では、レガリアが規則正しい寝息をたてている。
「冬期休暇は卒業式の後よ、ローザ。私とアスールは、その時はもう学院生ではないわ」
「……ああ、確かにそうですね」
「そうよ! 卒業してしまったら、私たちは王家の一員として果たさなければならない面倒ごとに押し潰される毎日よ。だからローザ、貴女も今のうちに楽しみなさい。もちろん貴方もよ、アスール」
「はい」
今日のベアトリスはなんだか本当に機嫌が良い気がする。
(何はともあれ、姉上が楽しそうで安心したよ。父上にも良い報告ができそうで良かった。……って、あれ? 報告?)
「姉上。ちょっとお聞きしたいのですが、夏期休暇を利用してガルージオン国へ行かれること、父上はご存知なのですか?」
アスールは慌ててベアトリスにそう尋ねた。ベアトリスのことだ、なにも言わずに勝手に予定を立てている可能性は大いにあり得る。
「ふふふ。心配しなくても大丈夫よ。今回の件に関しては父上からも母上からも、ちゃんと許可を頂いているわ」
「ああ、エルダ様もご存知なのですね。なら、良かった」
ガルージオン国はベアトリスと第一王子のドミニクの母であるエルダの故郷でもあり、ドミニクの妻となったザーリアの父が治める国でもある。
「姉上はガルージオン国へは何をしに?」
アスールが尋ねた。
「そうね、何を、と聞かれると困るわね。自分のルーツを知りに? かしら」
「ルーツですか……」
「いやね、アスール。冗談に決まっているでしょう!」
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