25 久しぶりに戻ってみれば(2)
パトリシアの突然の発言に、アスールもギルベルトも言葉を失った。
「ベアトリス姉上に想い人ですか? まさか! そんなこと、あり得ないでしょう?」
「母上、あのベアトリスですよ? 何を根拠にそんなことを仰るのですか!」
「二人とも年頃の女の子を相手に、発言が失礼過ぎるのではなくて?」
「「申し訳ありません」」
「ですが……」
「ですよねぇ?」
パトリシアの話では、フェルナンドがジング王国の使者を王宮から追い返した後で、カルロが念の為にベアトリスを執務室に呼んだそうだ。
そこでカルロは、ジング王国の第四王子との婚約の話が来ているが、ベアトリスにその気はあるのかどうかを直接本人に確認してみたらしい。
「ベアトリスちゃんとジング王国の第四王子は、学院では毎日同じクラスでお勉強をしているのでしょう? もしかしたら私たちが知らないだけで、二人が既に仲良くなっている可能性だってあるかもしれないでしょ?」
「まぁ、それは……。そう、ですね」
「姉上はなんと?」
「全くその気はありません! とはっきり答えていたわね」
「うん。そうだろうね」
「ははは。ですよね……。ん? なのに何故ここで、姉上に想い人が居るということになるのですか?」
「その時にベアトリスちゃんが言っていたのよ。『私は自分が心から望む相手と、尚且つ、相手が心から望んで下さった場合にのみ婚姻を結ぶつもりです』って」
「「……?」」
アスールとギルベルトが理解できないという顔をしているのを見たパトリシアは、おそらくベアトリスには想い人が居るだろうが、その相手がベアトリスの気持ちに気付いているかどうかまではベアトリスにも分かってはいないのだろうと二人に言った。
(母上は何か知っているのだろうか? もしかして、ベアトリス姉上の想い人が誰なのか、母上には心当たりがあるとか? それって、僕たちの身近な人物だったりするの?)
いくら考えても、アスールには何も思い当たらない。
「ええと……。僕には何がどうなっているのか、ちっとも理解できません」
アスールは少し顔を赤らめながら、パトリシアに向かって素直にそう告げた。
「そうなの? アスールにはまだ分からないのね。ねえ、ギルベルト。貴方はどう思うの?」
「えっ? 僕ですか? そうですね……。ベアトリスの気持ちでしたら僕にも理解はできます。僕自身、例えそれが国の為! と言われても、望まぬ相手との政略結婚を受け入れる気は全くありませんからね。ただ、それがどうしてベアトリスに想い人が居るという結論になるのかに関しては理解しかねます」
「そう? ふぅん。そうなの?」
パトリシアは意味あり気な表情を浮かべてギルベルトの顔をまじまじと見つめている。
「なんです? 母上、そんなに見つめられても僕の答えは変わりませんよ」
そう言いつつ、パトリシアに見つめられたギルベルトは、ふいっとパトリシアからの視線を外した。
「そうね。ふふふ。貴方たちにも、いつか素敵なお相手が見つかることを私は祈っているわ。もしかすると、もう見つかっているかもしれないけどね」
ー * ー * ー * ー
「さっきの母上は、いったい何が言いたかったのでしょうか?」
「さあね……」
「随分と母上は楽しそうでしたよね」
「ああ、そうだね」
夕食を終えると、パトリシアはアスールとギルベルトを食堂に残して、自室へと下がって行った。
「ねえ、アスール。“温泉” の水の調査は、どの程度進んでいるんだい?」
「既に有害な物質は含まれていないとの解析結果を王宮府から得ているので、僕たちはそれぞれの地点で採取した水の中に溶け込んでいる物質の種類や、それらが含まれることでどんな効果が得られるかなどといったこと中心に調べています」
「それを元に、三人で研究発表をするつもりなのだろう?」
「はい。それを調べている過程で、レイフが温泉の水に魔力が含まれていることに気付きました」
「そうみたいだね。その報告書なら、お祖父様に見せて頂いて僕も読んだよ」
一番温度の高かった泉の水が特に魔濃度が高いことが分かったが、アレン先生の研究室に置いてある装置では、水にどの程度魔力が含まれているかは分かっても、それがどんな属性かまでは調べられなかったとアスールはギルベルトに説明した。
「それで、その解析が魔法師団本部へと回されたわけか」
「はい」
「明日、お祖父様から詳しい説明があると思うけど、その解析結果が魔法師団本部から届いているようだよ」
「そうでしたか」
それでわざわざアスールたちが、こうして王宮へと呼び出されたわけだ。
「ローザから聞いたのですが、あの場所に離宮を建設するそうですね」
「離宮だけではないよ。あの一帯を新しい町として整備する」
「町、ですか?」
「そう、町。何年もかけてだね。少しずつだろうけど、かなり大掛かりな計画になるよ」
「ですよね! それに兄上も責任者として関わるわけですよね?」
「そうだね。責任重大だ」
ギルベルトはそう言って笑っているが、成人してまだ数年の王子が任される仕事にしては今回の事業はかなり規模が大きい。ギルベルトがカルロから相当に信頼を得ている証拠だ。
「話は変わるけれど、ベアトリスの新しい側仕えとして、学院にハイレン侯爵家の先代の奥方が向かっただろう?」
「ああ。……はい」
「その感じだと……既にいろいろと問題があるって理解しても良いのかな?」
「まあ、そうですね」
「やっぱりベアトリスと合わなくて揉めているんだね?」
「えっと。それは、そうでもないですね」
「そうなの?」
ギルベルトは、てっきりベアトリスがイレーナ・ハイレンと剃りが合わずに揉めごとを起こしていると思ったらしい。
「姉上は静観しています」
「えっ?」
アスールは最近東寮の談話室で起きた、イレーナ・ハイレンとヴァネッサ・ノーチの “紅茶染み事件” の話をギルベルトに語って聞かせた。
「あははは。そんな面白いことになっていたの?」
「ちっとも面白くなんてないですよ! 大変だったのですから!」
アスールは、イレーナのドレス全体を水魔法を駆使して均一に綺麗に仕上げるのが如何に大変だったかを思い出して大きな溜息を吐いた。
「ごめん、ごめん。でも、想像したら可笑しくて……」
「まあ、兄上が面白がるのも分かります。僕も他人事だったとしたら、兄上と同じように大笑いしてますよ、たぶん」
「それにしても、何故そこまで事態が悪化しているというのに、ベアトリスは全く動かないんだろう? なんだか、いつものベアトリスらしくないよね? アスールだって、そう思うだろう?」
「……そうですね」
おそらくベアトリスは、直接の原因ではないにしろ、自分のせいで側仕えのアニタが怪我を負ってしまったのだと悔やんでいるのだろうとアスールは考えていた。
あれ以来ベアトリスは、以前に増して剣術クラブの練習に打ち込み、剣術クラブのない日の放課後は図書館で過ごしている。
ベアトリスは寮に帰って来ても、食事以外の殆どの時間を自室で一人で過ごしているのだとローザが言っていた。寮に居る他の学生たちとは自分の方から接触しないようにしているようにも見える。
そんなわけで、ベアトリスにはアニタの代わりに側仕えになったイレーナ・ハイレンと過ごす時間は殆どないに等しいのだ。
(あれ? だとしたら、ベアトリス姉上にアニタの代わりの側仕えなんて、本当に必要なのかな?)
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