23 レイフともう一羽の雛
「へえ、そういうことだったのか! まさかあの生真面目な管理人さんが、ダリオさんの焼き菓子に買収されていたとは本当に驚きだよ! もっとも、このお菓子の美味しさを一度でも知ってしまったら……。分かる! 分かるよ! だって美味しいもんね!」
ローザが雛を選ぶためにアスールの部屋を訪れた翌日。
アスールの部屋には、ダリオの用意してくれた焼き菓子を頬張りながらご機嫌に喋り続けるルシオと、緊張の面持ちでずっと黙り込んでいるレイフの二人が並んでソファーに座っている。
ローザが雛を決めたので、いよいよレイフが雛を見に来たのだ。
「レイフ、もしかしてそれ、食べないの?」
レイフは出されたお茶にもお菓子にも全く手を付けていない。
「えっ? ああ、今はね。後でちゃんと食べるから、僕の分はちゃんと残して置いてよ!」
「ええと、そうなの? あらら、それは残念」
レイフは今日の剣術クラブの練習をわざわざ休んでこの場に来ている。余程早く雛を見たかったのだろう。授業が終わったと同時に鞄を持って席を立ち、アスールを急かしていそいそと寮へと戻って来たのだ。
ところが部屋に戻ってみれば、昨日に引き続き、今日も二羽の雛たちはピイリアのお腹の下で眠っているらしい。
「ねえ、ダリオさん。管理人さんを陥落させた焼き菓子って、どんなのだったの?」
「タルトレットで御座いますよ」
「タルトレット? ああ、それって確か前に食べさせて貰ったことあるよね? ビスケット生地で焼いた器の上に、アーモンドクリームがたっぷりと乗っていて、その上に甘酸っぱい苺!」
「よく覚えておいでですね、ルシオ様。今回のものは苺では御座いませんでしたが、タルトレットとは、そのような焼き菓子で正しゅう御座います」
「苺じゃないの? だったら、何?」
「今回は、ガイス殿が御好きな洋梨と、ラズベリーとブルーベリーの三種に致しました」
「三種? 三種類も用意したの?」
「左様で御座います。三種類と言っても、上に乗せる果物を変えるだけで御座いますよ」
「三種類もだなんて……。はぁ、管理人さんが羨ましい!」
「では、今度また折を見てタルトレットを焼きましょう」
「その時は、苺を入れて、是非四種でお願いします!」
「かしこまりました」
図々しいルシオの注文にもダリオは和やかに笑っている。
「ピィョ、ピィョ」
「あ、鳴いてる! 雛が起きたんじゃないの?」
ルシオの声に、レイフがガタンと酷く大きな音を立ててソファーから立ち上がった。急いで立ち上がったせいで、レイフは膝を思い切りテーブルにぶつけたらしい。
「レイフ。大丈夫? そんなに慌てなくても平気だよ。雛は逃げたりしないからね」
「分かってはいるんだけどね」
「ほら、見てよ! 一羽顔を出しそうだよ! えっとね、この仔は……どっちだ?」
ダリオは雛には個体差があると言うのだが、アスールにはこの二羽の雛の違いがいまいちよく分からない。
その時、一羽がピイリアのお腹の下から完全に這い出して来た。
「うわー。まだこんなに小さいんだね。凄く可愛い!」
「今出て来た雛が、レイフ様のところに行く予定の雛で御座いますよ」
「この仔が?」
「はい。左様です」
「ははは。凄いね、ダリオは。僕には二羽の違いが全く分からないんだけど……」
「アスール、大丈夫! 僕にも全然見分けは付かないから!」
ルシオはそう言って頭を掻いている。
ダリオは自分が雛を見分けられるのは、アスールやルシオが学院に行っている間もこの部屋に居て、雛たちの様子を見ている時間が長いからに過ぎないと言った。
「ねえ、アスール。ということは、この仔を僕が引き取っても問題ないってこと?ローザちゃんはもう一羽の雛の方を引き取ることに決めているんだよね?」
「ん? ああ、そうだよ」
「ああ、良かった。僕、この仔となら上手くやって行けそうな気がする!」
その後アスールは、昨日ローザに説明したのと同じ説明をレイフに伝えた。
ホルク飼育室で契約書を交わす必要があること、諸々の費用の支払いについて、鳥籠とスタンドのこと、夏期休暇が終わればホルク飼育室で飛行訓練が受けられること。
「レイフには申し訳ないけど、ローザの面倒を見てくれると助かるんだけど……」
「ローザちゃんの面倒?」
「そう。雛が小さいうちは成長に合わせて雛用の特別な餌が必要だし、いろいろと問題が起きるたびにホルク飼育室に相談に行かないといけないから。ローザとエマだけでは手に負えないこともあると思うんだ」
「ああ、そういうことなら任せてよ。兄弟鳥なんだし、お互いの雛の成長は気になるだろうからね」
「ありがとう、レイフ」
レイフがアスールの部屋に居る間、しばらく待ってみたがローザの雛はピイリアのお腹の下に潜ったまま出て来なかったので、レイフはローザの雛を見ずに部屋へと戻って行った。
ー * ー * ー * ー
翌週の雷の日。ホルクの引き渡しの日がやって来た。
アスールは引き渡しの為一旦寮へと戻り、ピイリアと二羽の雛を鳥籠へ入れ、ダリオを伴ってホルク飼育室へ向かう。
移動のため鳥籠に目隠し用のカバーをかけた途端、中から雛たちの不安そうな鳴き声が聞こえ始めた。
「おや。今回は賑やかですね」
「同じ親鳥から生まれた兄弟鳥でも、やっぱりそれぞれ個性があるのかな?」
「きっとそうなのでしょう。ホルクとはなかなかに面白い生き物ですね。飼育室までは私が御運び致しますよ」
「ありがとう、ダリオ」
ダリオはピイリアと雛たちの入った鳥籠を軽々と持ち上げると、年齢を感じさせない軽い足取りで歩き始めた。
鳥籠が宙に浮いた途端、雛たちの不安気な鳴き声は更に大きくなり、その鳴き声は、飼育室に到着してアスールによってカバーが外されるまでずっと続いていた。
「では、こちらの書類をお渡し致しますね」
「「はい」」
ローザとレイフは、ホルク飼育のゲント先生から緊張した面持ちで順に書類を受け取っている。
「大丈夫ですよ。今後もし不安なことがあれば、いつでもホルク飼育室に相談して頂いて構いませんからね。夏期休暇明けには飛行訓練も始まります。認定試験に合格して許可証を発行すれば、学院から貴方たちのホルクを飛ばすことも認められます。お二人とも頑張って、ここにいる二羽の小さな雛を立派に育てて下さいね」
「「はい!」」
ホルク飼育の職員が新しい鳥籠二つを持って来て、ローザとレイフの前に置いた。
今回もアスールの手で雛がそれぞれの新しい鳥籠へと移され、無事に雛たちの引き渡しは完了した。
飼育室を出ると、今回もルシオが廊下で待っている。
「やっぱり気になって……」
「そう言えば前回は、ローザとルシオの二人でこんな風にして廊下に立っていたよね」
「ええ。今回は雛を引き取る立場で嬉しいです!」
鳥籠を重そうに抱えながら、ローザは嬉しそうにそう言った。
「大丈夫? 僕が寮まで運ぼうか?」
「ありがとう存じます、ルシオ様。でも、大丈夫ですわ。だって私の雛ですもの!」
「そうだね! じゃあ、途中でもしも無理だと思ったらすぐに言ってね。いつでも交代するから」
「はい。その時はお願いします」
ローザとレイフは自分たちの雛の入った鳥籠を、アスールはピイリアの鳥籠を、数日分の雛用の練り餌をエマが、二人分のスタンドは今年もダリオが持って寮へと向かった。
夕焼けが空を赤く染めている。明日も良い天気になりそうだ。
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