15 新しい命
学院の授業を終え、寮に戻ったアスールが部屋のドアノブにまさに手を伸ばしたその瞬間、まるでアスールの帰りを見計らっていたかのように中から扉が開いた。
その開かれた扉の向こうには、満面の笑みを浮かべたダリオが立っている。
「御帰りなさいませ。いよいよで御座いますよ」
普段から冷静沈着なダリオにしては珍しく、いつもより少しだけ声が弾んでいる気がする。
「やった! 荷物を置いたらすぐに行くよ!」
ダリオに向かって返事をしたのは、アスールではなく向かいの部屋のルシオの方だった。
ルシオはガチャガチャと大きな音を響かせ鍵を開けると、もの凄い勢いで自分の部屋に飛び込んでいった。
「卵は二個とも? いっぺんに?」
「そのようです」
ついにこの日がやって来た!
今年もホルク飼育室では既に何羽かの雛が孵っている。アスールとルシオは今か今かとここ数日ずっと落ち着かない思いで日々を過ごして来ていたのだ。
「お待たせ!」
アスールが部屋へと入るよりも前に、制服姿のままのルシオが自室から飛び出して来た。
「ルシオ、着替えは?」
「そんなの後で良いよ! 悠長に着替えをしている間に、雛が生まれちゃったら大変だ!」
おそらく荷物だけを部屋に放り投げて来たのだろう。
「そんなにすぐには生まれないよ!」
「まあ、そうだけど……」
笑顔のダリオが開けてくれた扉から、アスールとルシオは期待に胸を膨らませ部屋へと足を踏み入れた。
二年前の経験が活かされているのだろう、部屋では既に準備が整っていた。ピイリアとチビ助の鳥籠も、ベランダに並んで置かれている。
「ねえ、アスール。今回は僕にやらせてよ」
「ん? 何を?」
「何って、卵の入った巣をここまで運び込む役目だよ!」
「ああ。もちろん構わないよ」
「やったー!」
アスールとルシオがベランダへ出て行くと、今回は威嚇をする様子を全く見せなかったチビ助が、鳥小屋の中に設置されている止まり木の上からじっとアスールたちの動きを観察している。
ピイリアの姿は今は見えない。どうやらまだ巣箱の中に居るようだ。
アスールが扉を開けて鳥小屋の中に入って行っても、チビ助は全く動じることなくおとなしい。前回とは別鳥のようだ。
「チビ助、ちょっと巣箱の中を見せてね」
それでもアスールは父鳥であるチビ助に一応の断りを入れ、中に居るピイリアを驚かせないように出来るだけ静かに巣箱の上蓋を開けた。
卵の上に座っていたピイリアと目が合う。ピイリアはアスールの顔を見て「ピィ」と可愛らしい声をあげた。
「おいで、ピイリア。今から巣を部屋の中に運ぶよ」
アスールの声を聞いたピイリアは卵の上からヒョコリと立ち上がり、アスールの肩へと移動した。
巣の中に二つ並んだ卵には既に仲良くヒビが入っていて、それぞれの小さな割れ目から、可愛らしい薄いオレンジ色のクチバシを覗かせている。
アスールはほっと息を吐いた。
「ああ、ルシオ。気を付けて!」
「分かってるよ、アスール。そっちの準備は? ダリオさん、もう部屋に運び込んでも大丈夫ですか?」
「もちろんで御座いますよ」
アスールと交代するように鳥小屋の中に入ったルシオが、両手を巣箱に差し入れて巣を揺らさないようにゆっくりと慎重に引っ張り上げている。
アスールがピイリアを鳥籠へと入れている間に、ダリオが既にチビ助が入れられた鳥籠を室内に運び込んでいた。二度目ともなると、皆とても手際が良い。アスールも見習い、ピイリアが入った鳥籠をすぐに室内に運び入れた。
「はあぁぁぁ……」
「大丈夫?」
「前回のアスールの気持ちが分かったよ。すっごく緊張した。もし僕が躓いたりでもして巣から卵が転げ落ちたらとか想像して、心臓が痛いくらいだったよ」
「ああ、分かる! 確かに僕も、自分のこのドキドキが他の人にも聞こえているんじゃないかって、あの時は思ったよ」
「やっぱり?」
ルシオの頑張りにより、巣の移動は無事に終った。ピイリアとチビ助は交代で卵に寄り添いながら、オヤツの木の実を啄んでいる。
「それにしても、君たち親子は本当に賢いよ。だって明日は光の日。僕たち学生がが気兼ねなく夜更かしできる日を、わざわざ選んで生まれて来てくれるんだからね!」
「確かにルシオの言う通りだ! お利口さんだね、ピイリア!」
「ピィィ」
前回の感じからして、明日の夜明けまでには雛は卵の殻を自力で破って出て来るだろう。
「私が責任を持ってここで見ておりますので、御二人はどうぞ食堂へ。ゆっくり御夕食を召し上がっていらして下さい。ああ、その前に、ルシオ様は御着替えを!」
「おっと、そうだった!」
ルシオはまだ制服のままだ。
「部屋へ一旦戻ってすぐに着替えて来るから、アスール、そこで待っててよ!」
「分かった、でも、なるべく急いでよね! たぶん二人を待たせてると思う。ダリオ、じゃあ食事に行ってくるよ」
案の定、食堂の入り口でマティアスとレイフが、アスールたちが下りて来るのを待っていた。
「遅かったね。何かあったの?」
「帰ったら、ピイリアの卵にヒビが入ってた。だから慌てて巣をベランダから室内に移動していたんだ。二人とも待たせて悪かったね」
「それって、もうすぐ雛が孵るってことなの?」
「そうだよ! たぶん今夜中には出て来るね」
「そうなんだ! それは楽しみだね!」
先週。二個ある卵から雛が両方とも無事に孵れば、一羽をローザに、もう一羽はレイフが育てることに決まったのだ。
今レイフが使っている東寮の部屋は、以前ギルベルトが学院在学中に使用していた部屋で、ベランダにはギルベルトの愛鳥シルフィの鳥小屋が設置されている。
ギルベルトの卒業後、側仕え用の繋ぎ部屋が付いているこの部屋を使用したいと名乗り出た学生は居らず、レイフが西寮から移動して来るまでの一年間ずっと空き部屋になったままだった。
ルシオの兄のラモスが使用していた部屋のベランダにももちろん鳥小屋はあったのだが、今その部屋を使っている学生が、ベランダが狭くなるからと鳥小屋を撤去させてしまったのだ。
新たに鳥小屋を設置するにはそれなりの費用も時間もかかるので、少し勿体ない話だとも思うが、ホルクに興味のないものにとっては鳥小屋など無用の長物ということなのだろう。
だが、ギルベルトの部屋のベランダの鳥小屋の方は、運良く元のままの状態で残されていた。レイフはこれをそっくりそのまま使用できるというわけだ。
「今晩中に出て来るのか……。ローザちゃんが雛を見られないのに、僕が先に見ちゃうわけにはいかないからね。小さな雛が生まれて来るところに立ち会ってみたいけど、今回は我慢するよ」
「悪いね、レイフ」
「良いよ。無事に二羽とも孵ることを祈ってる」
「ありがとう」
本当かどうかは定かではないが、ホルクと飼い主は互いを選ぶとも言われている。
実際、アスールがピイリアを引き取った時、ホルク飼育室に何羽も居た雛のうち、アスールの目に止まったのはピイリアだけだった。
そのピイリアの方も、アスールをまるで自分の飼い主と認めるかのように、覚束ない足取りでアスールの方へ歩み寄って来たのだ。
母鳥に咥えられて巣に戻されても、何度も何度もアスールを目指してヨタヨタと近付いて来てくれた。
前回は卵が一つしか無かったため、孵った雛はそのままベアトリスの元へと渡されたが、今回は卵が二つある。
無事に卵が孵り、雛が複数居るのであれば、まずはずっと雛の誕生を心待ちにしていたローザに、ホルクを選び、ホルクから選ばれる権利を与えるとアスールは約束しているのだ。
「ところで、ローザちゃんは? 見かけないけど?」
「ローザだったら城に戻っているよ」
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