10 新たな問題(1)
「こっちの瓶の中身は全部終わったよ!」
両手で液体の入った瓶を持ったレイフ・スアレスが、奥のテーブルで仕分け作業をしているアスールに向かってそう言った。
「了解! じゃあ、残りの分の解析はまた明日以降にしようか」
そう答えたアスールの目の前の棚の中には、まだまだ沢山の液体入りの瓶が並べられている。
「そうだね。じゃあ、寮に帰って夕食だ!」
アスールが立っているすぐ横のテーブルで何やら書き物をしていたルシオが書類をひとまとめにしながら立ち上がる。
「まだだよ、ルシオ。寮に帰るのは、この部屋の片付けを終えてからだ」
「あー。そうだった。……それにしても、この部屋、今日も見事な散らかりっぷりだね」
ここ数日。アスールとレイフとルシオの三人は、放課後になると学院の教職員棟にあるアレン・ジルダニアの研究室に通って来ていた。
冬期休暇中に東の鉱山近くに発見された泉へ出掛け、皆で採ってきた水の成分分析がいよいよ始まったからだ。
既に『有害な物質は含まれていない』との解析結果を王宮府から得ているので、アスールたちが今こうして調べているのは、水の中に溶け込んでいる物質の種類や、それらが含まれることでどんな効果が得られるかなどといったことだ。
それを元に、三人で卒業前に研究発表をしようとしているのだ。
当然だが三人は専門家なわけではないので、分析器具などは全てアレン先生の研究室にある物を使わせて貰っている。もちろん指導担当はアレン・ジルダニア。
共同研究のアドバイザーを無償で引き受ける代わりに、アレン先生はアスールたちにいくつかの交換条件を提示した。
それは、放っておくとすぐに足の踏み場がなくなってしまう先生の研究室の定期的な片付けと、アレン先生が受け持つ授業の準備などといった細々とした雑用だった。
「昨日、寮に戻る前にあんなに綺麗にしたと思ったけど、もしかしてあれは夢だった?」
「夢じゃないよ、ルシオ。これは現実!」
「本当に、たった一日でどうしてこんなに散らかるのか……。意味が分からないよ」
レイフはそんな風に文句を言いながらも、あちこちに散らばった書類をどんどん片付けていく。
「まあ、家もこんな状態だったしね」
「確かに、あそこも酷かった……」
そう言って、三人は互いに顔を見合わせて笑った。
なんだかんだと口では文句を言いながらも、アスールたちははアレン先生のことを気に入っているし、頼りにもしているのだ。
「こっちに置いてある、しばらく使わなそうな瓶。どうしようか?」
「それなら、木箱にでも入れておけば良いんじゃないの?」
「そうだね! えっと、木箱、木箱。あれ、どこいった?」
「それなら廊下の先に置かれていた気がする。取ってこようか? 行ってくるよ」
「悪いね、アスール。頼むよ!」
アスールは木箱を取りにアレン先生の研究室を出て行った。
「それにしても、毎日今日と同じくらいの数の分析をするとして、後何日かかるんだろう?」
「週末を使えば、少しは早まるよね」
「週末? レイフ、まさかそれ本気で言ってる?」
「それしかないでしょ……」
「それしかないって……。ねえ、泉の水の分析ってさ、サスティー様に見てもらえば、もしかしてすぐに分かったりするんじゃないの? ある意味、サスティー様って水の専門家でしょ?」
「サスティー様に? はぁぁ。ルシオって、時々突拍子もないことを言いだすよね……」
レイフが呆れたように答えた。そう言いながらも、レイフの片付けをする手は止まらない。
「そう言うけどさ、レイフ。後どれだけ解析が終わっていない瓶があると思ってる?」
「それはそうだけど……。こういったことは、自分たちの手でやらないと駄目なやつでしょ」
「まあね」
レイフの正論を言われ、ルシオも再び片付けに加わる。
「サスティー様に何を見てもらうって?」
「「えっ!」」
急に背後から声をかけられ、ルシオとレイフの二人は跳び上がらんばかりに驚いた。
「なんだ? そんなに驚くことないだろ」
扉が開く音がして誰かが研究室に入ってきたことに二人とも気付いてはいたが、てっきり廊下に木箱を取りに行ったアスールが戻って来たのかと思っていたのだ。
「えっと、その……」
「なあ “サスティー様” ってまさか……」
「ねえ、木箱ってこの大きさで良いと思う?」
「「アスール!」」
「二人とも、どうしたの? あっ、先生!」
ー * ー * ー * ー
「まさかあの時アレン先生が、すぐ側で話を聞いているとは思っていなくて……」
「ルシオ、聞かれてしまったものは仕方ないよ。問題はこれからどうするか、だよね?」
「それだったら、フェルナンド様に相談した方が良くない?」
「お祖父様に?」
「僕も、その方が良いと思うよ。だって、あの泉でも僕たちとずっと一緒に行動されていたし、アレン先生のこともフェルナンド様だったら良くご存知の筈だよね?」
「……まあ、そうだね」
あの後、サスティーの話を聞きたがったアレンに対して「夕食に間に合わなくなる!」となんとか苦しい言い訳をして追求を振り切り、アスールたちは慌てて寮へと戻って来たのだった。
「明日はどうする? 研究室に行かないって作戦は、駄目だよね?」
「ルシオ、それは駄目だよ。そうでなくても時間が足りない位なんだから」
「だよね。じゃあ、どうする?」
「取り敢えず今日中にお祖父様にこの件を知らせておこう! 幸い、僕たちには頼りになる見方がいるからね」
「見方?」
「そう! ピイリアは抱卵中で今は無理だから、チビ助に行ってもらおうよ!」
学院のホルク飼育室でホルクを借りられる時間は、もうとっくに過ぎている。だが、個人所有のホルクならまだ間に合う。
「フェルナンド様のところ? こんな時間に?」
ピイリアもチビ助も長距離の飛行訓練は充分しているので、学院と王宮を往復するくらいは全く問題はない。ルシオが心配しているのは、既に外が薄暗くなり始めていることだ。
学院から王宮へ飛ぶのに関してはまだ問題ないかもしれないが、手紙をフェルナンドが受け取ってから、返事を書くのを待っているうちに、辺りはすっかり真っ暗闇になってしまうだろう。
もちろんホルクは夜間飛行もできるのだが、ピイリアもチビ助も夜間飛行訓練をまだ受けていない。
「王宮へ手紙を届けるだけだったら、この時間ならまだ大丈夫だよ! チビ助は、そのまま王宮の厩舎で夜が明けるのを待たせてもらって、僕らが寮を出る前までここに戻ってこられれば、何も問題ないよね?」
「ああ、成る程! それなら今から飛ばしても心配ないね」
アスールは大急ぎでフェルナンド宛に手紙を書いた。
「そんな小さな字でびっしり書き込んで、フェルナンド様、読めるの?」
「無理ならきっと誰か他の人に読んでもらうよ。だから大丈夫」
フェルナンドは眼鏡が気に入らないらしく、絶対に使おうとしないのだ。
「どうすれば良いか、お祖父様が指示をくれるよ」
「そうだね」
「まあ、それしかないよね」
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