5 ピイリアと留学生
学院の授業が唯一休みの光の日。
そろそろ新しい学年に慣れてきた多くの学生たちは、学院からでも乗り合い馬車で簡単に行くことのできるリルアンの町へと繰り出しているようだ。
休日の午後のこの時間帯、中庭を歩いている人など居ないに等しい。
アスールは、学院がこの地に建てられたよりもずっと昔からそこに生えている大きな木の下にあるベンチに一人座って、何をするでもなくのんびりと中庭を眺めている。
そんなアスールの頭の上で、ガサガサと葉っぱが擦れ合う音が聞こえてきている。少しすると美しい翡翠色の鳥がアスールの肩に降りて来た。
腹面は白色に細い波状の青碧の横帯があり、目は赤みを帯びたオレンジで、白い眉斑が特徴的な美しい鳥だ。
「何か良いものは見つかったかい?」
ピイリアは何かを口に咥えていて、得意気にアスールにそれを近付けた。よく見ると、ピイリアが咥えているのは小さな虫ではないか。
「うわぁ。もしかしてピイリア、食事中だったの? いいよ、いいよ。僕の分は要らないから、早いとこ、それを全部飲み込んじゃってよ!」
虫を咥えたピイリアを思わず手で振り払わなかった自分自身に、アスールは正直驚いている。島での釣りの経験もあって、アスールは苦手な虫にも少しは免疫ができたのかもしれない。
ピイリアは一飲みで咥えていた虫を平らげた。
「まあ、一緒にいるといろいろあるよね……」
アスールがまだ小さい雛だったピイリアを学院のホルク飼育室から引き取ってから、もうすぐ四年になろうとしている。あの小さかったピイリアが、この春、再び待望の卵を産んだのだ。
二年前、ピイリアが初めて卵を産んだ時のことをふと思い出して、アスールは一人思い出し笑いをした。
あの時は初めての番の一大事に直面して、母鳥となるピイリアよりも、父鳥となるチビ助の方が興奮してしまい、どうにも手が付けられなくなったのだ。
チビ助は誰彼構わず威嚇をしつづけ、鳥小屋に近付くどころか、誰かがベランダに出ただけで毎回ギャッギャッギャッと大騒ぎをした。
あまりの威嚇に水替えや餌やりすら困難になった。困ったアスールがホルク飼育室に相談し、ダリオが肘まで隠れる分厚い革製の手袋を借りて餌やりをして、なんとか抱卵期間を乗り切ったのだ。
「そんなこともあったのに、今年の君の番殿は、まるで別の鳥のようだよね。ねえ、ピイリアもそう思うだろう?」
「ピイィ」
「お利口さんだね、ピイリアは!」
ピイリアはアスールの肩の上で、今度は虫ではなく乾燥させた果実をアスールの手から貰って、美味しそうに頬張っている。
前回の抱卵期間中、アスールはチビ助の威嚇騒動もあって、ピイリアの世話の殆どをダリオに任せっきりだったのではっきりと自分の目で確認したわけではないが、一般的にホルクの雄は抱卵には参加しないと言われているらしい。
そのダリオの話によれば、二年前の前回、卵を温めていたのは主にピイリアで、チビ助は巣箱に潜り込んでピイリアに餌を届けたりはしていたようだが、抱卵はしていなかったそうだ。
学院のホルク飼育室で飼われているホルクの抱卵も概ねそんな感じらしく、雛が孵るまでの約一ヶ月間アスールが(威嚇されてベランダに出られないので窓越しにだが)ピイリアの姿を見ることは無かった。
ところが、今回は最初から前回とは様子が違う。
まずチビ助が全く威嚇をしてこない。そんな感じなので、てっきり今年も昨年に引き続き卵は無いのかと皆が勘違いした程だ。
それから、雄は抱卵には参加しないというホルク研究家たちの通説を覆すかのように、チビ助が今回は抱卵に参加している。それもかなり積極的な参加だ。
チビ助が巣箱に潜り込むと、代わりにピイリアが巣箱から出て来る。少なくとも日に二回はチビ助が小一時間ほど抱卵を担当しているようだ。
そのお陰もあって、ピイリアはこうして中庭でアスールとのんびりオヤツを食べていられるというわけだ。
「ねえ、もしかして、それってホルク?」
「えっ?」
不意に背後から声をかけられてアスールが振り向くと、そこに立っていたのは見知った顔だった。
「ああ、そうだよ。もしかして、ホルクを見るのは初めて?」
「遠くからなら、一度だけ、ある。でも、こんなに間近で見るのは、初めて、だよ」
「そうなの?」
「隣。僕、座っても、良い?」
若干たどたどしくはあるがちゃんとクリスタリア語だ。
「もちろん!」
アスールに話しかけてきたのは、ロートス王国から来ている二人の留学生のうちの一人だ。
「ゲオルグ・フォン・ギルデンです。どうぞよろしく!」
「アスール・クリスタリアです。こちらこそよろしく!」
「僕のこと、ゲオルグって呼んで! 僕、君を、アスールって呼んで、良い?」
「もちろん構わないよ、ゲオルグ」
ゲオルグ・フォン・ギルデンと名乗ったその人物は、先日の自習時間の時にアスールとばっちりと目が合った彼だった。
「僕。あまり、クリスタリア語が、上手じゃない。大丈夫?」
「問題ないよ! 僕もゲルダー語を、勉強中なんだ」
アスールはゲルダー語でそう返した。
ゲオルグはもちろんアスールがこの国の第三王子だと知っていて話しかけてきたようだが、アスールとゲオルグは改めてお互い自己紹介をした。
ゲオルグ・フォン・ギルデンはロートス王国の公爵家の三男。
王都のキールにもギルデン公爵家の屋敷はあるがそこでは暮らしておらず、両親と四人の兄妹と王都から離れた領地で暮らしていると言った。
だから、キールにある貴族の子どもたちが多く通っている高等学院には行ったことがなく、ずっと家庭教師に勉強を教わっていたそうだ。ゲオルグは、クリスタリア王立学院での毎日は何もかも新鮮で楽しいとアスールに語った。
「もう一人の彼は、君の従兄弟なんでしょ?」
「そう。ウェルナーは従兄弟。僕の父親の姉の息子。彼は王都生まれだけど、小さな頃に父親が亡くなって、それからしばらく、僕たちは一緒に育った。分かる?」
「分かるよ」
ゲオルグの話によれば、ウェルナーの父親が亡くなった後、ウェルナーの母は弟であるゲオルグの父を頼ってしばらくの間ギルデン公爵領で暮らしていたらしい。
数年前に長男が成人して正式に家督を継いだため一家は王都に戻ったようだが、ゲオルグとウェルナーはずっと一緒に育ったため、従兄弟よりは兄弟に近い関係だとゲオルグは言った。
「ウェルナーが留学したいと言った。だから、僕も一緒に来た。ウェルナーはキールの学院でクリスタリア語を勉強していた。でも、僕は勉強していなかった。だから半年間頑張った。分かる?」
「もちろん分かるよ。クリスタリア語を勉強したのは半年だけなの? それは凄い! 素晴らしい!」
「そう? ありがとう!」
ゲオルグはウェルナーから一緒に留学をしないかと誘われ、小さい頃とは逆に、今度はゲオルグが王都にあるウェルナーの家で暮らしたそうだ。
「キールで半年間だけ先生に来てもらって、クリスタリア語を習った。先生はいろいろな国を旅して、いろいろな言葉を話せる凄い人」
「へえ、そうなの」
「そう。その先生がホルクを持っている」
「えっ?」
「持っている、違う? 飼っている? 僕のクリスタリア語の先生、ホルクを飼っている」
「えっ。ちょっと待って! その先生って、まさか……」
「先生の名前? エルンスト・フォン・ヴィスマイヤー。アスールは、知っているでしょう?」
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