3 アスールと最終学年の新学期
王立学院の入学式は今年も滞りなく終了。アスールはベアトリスと共に最終学年の第五学年生に、ローザは第四学年生へとそれぞれ進級した。
ベアトリスを巡るちょっとした騒動は、それなりに多くの目撃者が居たにも関わらず、概ね沈黙が保たれたようだ。
ことの発端が第二王女のベアトリス・クリスタリアだったこと、怪我をしたのが学生ではなく王女の側仕えだったこと、怪我をさせた方も侯爵家の令嬢だったこと、それらがいろいろと複雑に絡み合って、皆が口を噤む結果になったと思われる。
誰だって興味本位で余計なことを言ったせいで、面倒ごとに巻き込まれたい筈もない。
クラス発表直前の出来事だったので、学院側の配慮があったとは思えないが、階段で腕を引っ張られた方のマイラ・バルマーと、引っ張った方のシャロン・ハイレンは、どうやら今年は別々のクラスになったらしい。
ローザの話では、マイラはシャロンとクラスが分かれたことで、すっかり元の笑顔を取り戻したようだ。
だが事故から数日経過した今も、マイラに対してシャロン本人からの謝罪は無いらしく、兄のルシオ・バルマーはそれに関して大いに憤慨している。
聞くところによると、東寮の管理人のマルコ・ガイスがこの事故に関しての詳細を学院に報告しているらしいので、数日中には学院からこの件に関わった各家に報告がいくと思われる。
それは加害者の親にも、被害者の親(もちろん怪我を負ったアニタには既に親は居ないが)にも、それからカルロと、ベアトリスの母である第二夫人のエルダの耳にも届くだろう。
ある意味ベアトリスも被害者なのだが、次回ベアトリスが王城へと戻った時に、エルダのお小言がベアトリスに降り注ぐことは間違いない。
この一件で思うところがあったらしいベアトリスは、以前に比べて、下級生に対して無駄に愛想を振り撒かなくなった。
学院内でも寮内でも、ローザと一緒の時を除き、常に同学年(とは言ってもベアトリスよりも年下なのだが)のクラスメイトと行動を共にしている。
大抵の下級生は最終学年生には遠慮もあってかあまり近寄らないので、あの事故以降、ベアトリスが下級生に取り囲まれるような事態をアスールは目にしていない。
ー * ー * ー * ー
新学期が始まった翌週。嬉しい出来事もあった。
敢えてあまり過度な期待をしないように心掛けていたのだが、ピイリアが卵を産み温めていることが判明したのだ。
アスールたちが東の鉱山近くの泉に滞在していた期間中、ピイリアとチビ助は割と自由に大空を飛び回っていた。
というのも、それぞれの鳥籠は泉へと持参したが、当然だが、鳥小屋も厩舎も泉には無い。ずっと狭い鳥籠に入れておくわけにもいかず、日中はアスールたちが泉の調査のために森の中を彷徨い歩いている間、二羽を空に離しておくことにしたのだ。
気付くと二羽は、森の木の枝で羽繕いをしあったり、楽しそうに大空を行ったり来たりしていた。
東の鉱山近くの泉から直接学院へと戻って来たアスールとルシオは、そんなピイリアとチビ助を、今年も一旦アスールの寮の部屋のベランダに設置してある鳥小屋へと一緒に入れることに決めていた。
ピイリアが卵を産んでも産まなくても、数日間ずっと一緒に自由に過ごしていた二羽を急に引き離すのが忍びなかったのもある。
寮に戻ってからの数日、ピイリアが初めて産卵した二年前のあの時とは違って、チビ助は鳥小屋に近付く人間に対して、無闇矢鱈と威嚇するような行動を全く見せていない。
前回はベランダへ出ることすら躊躇う程に、チビ助は誰に対しても威嚇を続けたのだ。餌やりや水の交換をしようとすれば激しくチビ助に突かれた。
アスールたちの授業時間中二羽の世話を請け負ったダリオは、肘まである革製の分厚い手袋を装着して世話にあたった程だ。
そのチビ助の威嚇が無い状態が続く以上、ピイリアは今年も卵を産まないかもしれないと、誰もが早々に諦め始めていた。
ところが、気付けばピイリアは巣箱に篭ったまま昨日から姿を見せていない。
もしかして? と期待は高まる。
チビ助が落ち着いているので、巣箱の蓋を開け中を覗き込んで卵の有無を確認することもできるにはできるが、それをしたことでピイリアが抱卵を止めてしまうのだけは絶対に避けたい。
悩んでいたアスールに、ルシオがある提案をした。
「アスール。明日、ダリオさんに焼き菓子を焼いてくれるように頼んでよ!」
「えっ。なんで焼き菓子?」
「名案が浮かんだからだよ!」
ルシオがニヤリと笑った。
「ピイリアが巣から出て来ないとは思ったけど、チビ助があまりにも普段通りだったから、まさか巣の中に卵があるとは思わなかったよ」
「そうだね。もうチビ助は、新米パパでは無いってことかも」
「経験者の余裕ってことかな?」
「それだ!」
ルシオの名案とは、レガリアを焼き菓子の甘い匂いで釣り出すことだった。
まんまと焼き菓子の甘い香りに釣られてアスールの部屋を訪れたレガリアに巣箱を視てもらったところ、巣の中には小さな卵が二個あるらしいことが判明した。
「二個だって、アスール!」
「はぁ、良かった。これでやっとローザに良い報告ができるよ」
「ローザちゃん、ずっと楽しみに待っていたもんね。ねえ、もう一個の方はどうするの?」
「ああ、そうだね」
「二人とも、浮かれているところに水を差すようだが、我は卵が二個あるとは言った。だが、無事に雛が孵るかどうかは我にもまだ分からないぞ」
喜びあっているアスールとルシオに向かって、レガリアが冷静に言った。
「あっ、そうか!」
「二つとも孵らない確率は低いだろうが、二つとも孵る確率だって高いとは言い切れんぞ」
「確かに……」
「ローザ以外の者に雛の話をして、変に期待させるのはやめておけ」
「ああ、まあ、そうだね」
「それで?」
「えっ、何?」
「美味そうな匂いで我をここまで呼びつけておいて、まさか忘れておるのか? ダリオの作った焼き菓子はいつここに出てくるのだ?」
アスールの部屋で散々焼き菓子を食べた後、レガリアはローザの分と、更にもう一つ自分の分を箱詰めするようにとダリオに頼んで、それをいつものように背負ってアスールの部屋を出て行った。
夕食時。てっきりローザが嬉しそうに飛び跳ねながら自分のところまでやって来ることを予想していたアスールは、食堂ですれ違ったローザがレガリア経由で焼き菓子を受け取った礼しか言ってこないことに驚いた。
「あれ? もしかして、ローザはレガリアから何も聞いていないの?」
「聞いている? 何をですか?」
「巣の中にピイリアの卵が二個あるって話だよ」
「卵? 二個? それは本当ですの? では、今ピイちゃんは卵を温めているのですね?」
「そうみたいだよ。今日レガリアに巣箱の様子をみてもらったからね」
「まあ、そうだったのですね! ああ、それで、レガリアは焼き菓子を運んで来てくれたのね」
レガリアはアスールの部屋を出た後、焼き菓子をローザに届けたものの、肝心のピイリアの卵の話は伝えなかったらしい。
アスールはレガリアが言っていたことを思い出した。ぬか喜びさせるべきでは無いと。
「あのね、ローザ。ピイリアは卵は産んだけど、その卵から無事に雛が孵るかどうかは、まだ分からないんだよ」
「そうなのですか?」
「駄目な場合もあるって話だからね。例えば親鳥が途中で抱卵をやめてしまったり、元々卵自体に問題があって放卵し続けても孵らなかったり。そういうことは多くは無いけど、ゼロでは無いそうだから」
前回の経験からいって、雛が無事に孵るとすればひと月後くらいだろう。
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