2 ベアトリスとご令嬢たち
留学を終え、王立学院へ一年振りにダダイラ国から戻ってきたベアトリスは、自分が在籍していた学年が既に卒業してしまっているため、新学期からは一学年下のアスールの学年に席を置くことになっている。
コースは、留学前と同じく “淑女コース”。淑女コースは騎士コースと同じDクラスなので、ベアトリスは卒業までの一年間、アスールのもう一人の友人のマティアス・オラリエと同じクラスということだ。
「昼食の時に、何かあったんだね?」
言い淀んでいるカレラ・バルマーにアスールが優しく尋ねた。
「昼食の時には特に何も。お食事をするだけですし……。皆様がベアトリス様にダダイラ国での留学生活について質問されて、それにベアトリス様が答えて……」
「あのさ、カレラ。言いたいことがあるなら、はっきりと言った方が良いと思うよ!」
兄であるルシオにそう言われて、カレラは一瞬ローザの方に視線を投げかけた。ローザは曖昧な表情を浮かべている。
カレラは意を決したように話し始めた。
「実は……。食事を終えてそれぞれが部屋へ戻ろうとした時に、階段でちょっとした事故が……」
「事故?」
思わぬ妹の台詞に驚いたルシオが大きな声をあげた。その声に、カレラの横に座っていたマイラがビクリと体を竦ませた。
そういえば、マイラは皆で談話室へ移動してからも相変わらず殆ど口を開いていない。それどころか、今は完全に俯いてしまっている。
「はい。私とローザ様とで先頭を歩いていて、その後ろをマイラが、ベアトリス様とお喋りをしながら上って来ていたのです。その時に一人のご令嬢がマイラを……」
カレラは再び言い淀んだ。
「カレラ様。やはり、私が説明致しますわ」
ローザが、ローザらしからぬ強い口調でカレラに代わって話し始めた。
「そのご令嬢は、ご自分がベアトリスお姉様とお話しをしたいが為に、お姉様とマイラ様との間に強引に割り込まれたようなのです。それでマイラ様がよろけて、階段から足を踏み外してしまったのです」
皆の視線が一斉にマイラに集まった。見た感じ、マイラがどこか怪我をしているようには思えない。
「まあ、でも、マイラが無事で良かったよ」
ルシオが呟いた。
「はい。それはそうなのですが……。マイラ様を庇われて、すぐ後ろを歩いていたアニタ様が階段から転がり落ちてしまい、足に怪我をされました」
アニタというのはベアトリスの側仕えのことだ。
彼女は確かダリオやエマよりも年上だった筈。高齢を理由に、アニタはベアトリスのダダイラ留学へは同行しなかった。学院卒業と同時にベアトリスの側仕えの職を辞する予定だと、アスールはフェルナンドからそう聞いている。
どうやら食事中の会話だけでは満足できなかった令嬢たちが、部屋へと戻ろうとしていたベアトリスたちを追いかけて来たらしい。
一人の令嬢が後ろからベアトリスに声をかけたが、マイラと話し込んでいるベアトリスに気付いて貰えなかったようで、その令嬢はマイラを押し退ける形で強引にベアトリスの横に並ぼうとした。
令嬢に腕を引っ張られたマイラが階段の途中でよろけて、それを庇ったアニタが階段から落ちて怪我をしたと言う。
「アニタの怪我って、酷いの?」
「応急処置を施して貰ってから、王都の屋敷へ帰宅しました。先程カレラ様が仰ったように、私は先頭を歩いていたので彼女が落ちた瞬間は目撃していないのです。ただ、近くで一部始終を見ていた方のお話では、落ちた時にかなりの勢いがあったようですし、年齢的なこともありますし、しばらく側仕えのお仕事は無理だと思います」
「成る程ね。それでマイラはずっと元気が無かったのか……」
兄のルシオは、一応は妹の様子がいつもと違うことに気付いていたらしい。
「ルシオ様! マイラ様は、全然、全く、少しも悪くないのです!」
「話を聞く限り、まあ、そうだね。ありがとう」
必死になってマイラを擁護するローザに、ルシオが笑顔を見せた。
アニタの怪我の詳しい情報や、今後のことに関しては、アスールのところかダリオのところに、近いうちに王宮から連絡が来るだろう。
ローザの口振りでは、アニタの側仕え復帰はすぐには難しそうだ。今はローザの側仕えのエマが二人分の仕事をこなしているようだが、それも長期間となると難しいだろう。
かといって、アスールの側仕えのダリオがエマに手を貸すこともできない。ダリオは女子寮となっている二階には立ち入れないのだから。
「それで? ベアトリス姉上は、今どうしているの?」
「今日は一日、お食事の度に私がお部屋まで声をかけに行って、お食事を済まされると、お姉様は先にお一人でお部屋に戻られてしまっています」
「……そう」
新学期早々問題が山積している。
「ところで、そのご令嬢はどうなったの?」
それまでずっと黙って話を聞いていたレイフがローザに尋ねた。
「階段をアニタが転がり落ちた時、凄く大きな音がしたのです。運悪くその様子を目撃した子が悲鳴をあげて失神したり、数人がその子とアニタを助けるために駆け寄ってきたり、管理人さんを呼びに行ったり、兎に角混乱していて……」
「まさか、その本人はその場から逃げたってこと?」
「ちゃんと確認していないので、逃げたかどうかは……。ですが、その後はずっとお部屋に篭られているようです」
「流石に食事をするときは、部屋から出て来るでしょ?」
「それが、どうやらご友人がお部屋までお食事を運ばれているらしく……」
「本当に?」
「嘘だろう?」
ルシオとレイフが、ローザの話を聞いて呆れたように顔を見合わせている。
「ねえ、カレラ。階段でマイラの腕を引っ張った人が誰だったかを、カレラは見たの?」
「いいえ。はっきりと見てはおりません」
「私もです。ですが、ベアトリスお姉様はその方のお顔をご覧になったようです」
「誰だったの? 名前は分かる? 学年は?」
「お姉様は下級生ということしか……」
「……そう。困ったね」
(騒ぎを起こしておきながら、その令嬢は部屋に引き篭もっているということか。責任を追求するつもりはないが、せめて謝罪くらいはすべきだろうに……)
「あの。アスール殿下」
小さな弱々しい声で、マイラがアスールに呼びかけてきた。必死に勇気を振り絞っている顔だ。
「何? どうかしたの?」
アスールは、マイラをこれ以上怯えさせないように、精一杯優しい声で聞き返す。
「私。その令嬢が、誰なのかを、知って、います」
「マイラ、そうなのか?」
ルシオの大声にマイラがビクリとする。
「ルシオ、声が大きいよ」
「ああ、悪い。それで、お前を引っ張った相手は誰だ?」
「……家の……」
「マイラ、はっきり言わないと聞き取れないよ!」
すっかり怯え切った様子のマイラは、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「「ルシオ!」」
アスールだけで無く、今度はレイフの声も加わる。
「すまない。マイラを責めているんじゃないんだ。相手の名前を知っているなら教えて欲しい」
「去年同じクラスだった、ハイレン侯爵家のシャロン様です」
「「「ハイレン侯爵家?」」」
まさか今ここでその名前を聞くとは思ってもみなかったアスール、ルシオ、レイフの声が揃う。
「はい、そうです」
ハイレン侯爵家といえば、去年、散々学院執行部を引っ掻き回した挙句に、最終的には部長の職を投げ出した男の家だ。
「まさか、あの人の妹ってことかな?」
「その可能性はかなり高いと思うよ」
「そうだよね、やっぱり」
三人は揃って溜息をついた。
「あの、どうかされましたか?」
「ねえ、マイラ。その子に兄は居るかな? グスタフって名の」
「名前は存じ上げませんが、卒業されたばかりのお兄様がいらっしゃる筈です」
「「「やっぱり!」」」
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