60 東の鉱山にある泉へ(2)
「はじめまして。アレン・ジルダニアです」
そう言って馬車から降りようとしたフェルナンドに向かい、アレンがスッと手を差し出した。
フェルナンドのことをよく知る人間であれば、馬車から降りるぐらいのことでフェルナンドに手を貸そうなどとは誰も考えない。余計なことをするなとフェルナンドから一喝されると分かっているからだ。
だが意外なことに、フェルナンドは差し出されたアレンの手を取った。そのままアレンの手を借りながら、フェルナンドはゆっくりと馬車を降りている。
フェルナンドに続いて、アスールたちも馬車を降りた。もちろんアスールたちに向かって、アレンの手が差し出される事はない。
馬車から降りたアスールの目にまず飛び込んできたのは、アレン先生の肩の上にちょこんと乗ったピイリアだった。
何度か手紙のやり取りをしているうちにすっかり懐いてしまったらしい。ピイリアは馬車から降りて来たアスールに気付くと、すぐにアスールの肩の上に移動して来た。
「ピイィ」
現場の指揮を任されているらしき王宮府の役人がフェルナンドに挨拶をしている間に、アスールたちは、まず皆で協力して馬車に積んできた大量の荷物を下ろした。
フェルナンドから寝泊まりができる程度の “簡易的な小屋” と聞いていた建物は、予想していたよりも立派な造りだ。それが少しずつ離れた位置に三軒建っている。中でも一番大きい建物を指差してアレンが言った。
「しばらくの間はここで寝泊まりして、昼の間に泉の調査に向かう。明るい時間帯しか歩き回れないから、今日は食事をしたら早く寝ると良い。長時間馬車に揺られっぱなしで疲れただろう?」
「はい。ここ数時間は特に」
「ああ。街道を外れてからこっちはずっと悪路だからな」
「先生は、体調はどうですか?」
「どうとは?」
「……その感じだと大丈夫そうですね」
「ああ、泉の水の影響を心配しているのか」
「そうです」
「明日現場を見れば分かると思うが、普通に泉の周辺で野生動物も暮らしているし、水質に問題は無いと思う。ところで、あそこで食材の分別をしている人は……」
アレンが今日から泊まることになっている建物の方を振り返った。
「年配の方が、ダリオ・モンテス。僕の側仕えをしてくれています。もう一人はディエゴ・ガラン。レイフの側仕えです」
「ああ、彼が噂の……」
「ディエゴさんですか? 彼は強いですよ!」
「強い? ああ、違う、違う! 俺が “彼” って言ったのはモンテスさんの方だよ」
「ダリオ?」
「そう! 有名だぞ。美味い焼き菓子を作るって」
「そっちですか。ダリオさんが上手なのは、焼き菓子だけじゃないですよ」
何故か得意気にルシオが話に割り込んできた。
「確かに、これは美味い!」
夕食は持ってきた食材でダリオが肉と野菜が山ほど入った具沢山のスープを大鍋にたっぷり作り、誰でも簡単にできる(?)というパンを焼いてくれた。
ダリオとしては明日の朝の分もと思って作った量だったようだが、しばらくまともな食事をしていなかったらしい先発隊の食欲は凄まじく、終わってみればパンがほんの少し残っただけだ。
「これは、料理人を常駐させねばならんな」
「フェルナンド様。その件、是非ともお願いしたいです! 我々だけではどうにも……」
食後のお茶を飲みながら、王宮府の役人が頭を掻いている。
ここへ調査団が派遣されてからの数週間。食事の支度は多少は料理の経験もあるという若者二人が担当していたらしい。皆の顔と、今日の夕食の減り具合からみても、彼らの料理の腕前は容易に想像できる。
「ダリオ。悪いがここに滞在する間、そこに居る二人に料理のいろはを教えてやってくれるか?」
「畏まりました」
「料理人も、すぐには来られんだろうしな」
「はぁ。同じお茶でも淹れる人間が違うと、こんなにも味が違うんだな……。前にルシオに言われた意味が、今ようやく理解できたよ」
どうやらアレンは、アスールたちが部屋に訪ねて来た時の話をしているらしい。
「ああ、あれは酷かったですね」
「ははは。さて、ここでの調査は日が出ている間しかできない。明日は日の出前に支度を終えて、明るくなったら泉を見て回るぞ。頼んでいた物も全て揃ったし、荷物持ちも到着したし、明日から本格的に調査開始だ!」
「ん? 今、アレン先生の口から不穏な言葉が聞こえてきたような……」
お茶を飲んでいたルシオがカップをそっとテーブルに置いた。
「荷物持ちか? もちろん三人のことだぞ」
食事を終えると、殆どの人たちは自分たちの部屋へと戻っていった。ここより小さい二棟にはそれぞれ個人用の部屋があるらしい。
先程アレンが言っていたように、ここでは太陽が出ている時間にしか外での作業はできない。日が出ている間に働き、日が沈めば食べて寝る。これの繰り返しだそうだ。
それでも、この短期間で大小三つの小屋を完成させた大工たちは、きっと素晴らしい腕の持ち主が揃っていたに違いない。
アスールたちが滞在している一番大きな建物の一階部分には、調理場や広い食堂、それから打ち合わせなどができる談話室のような小部屋がある。
二階には個人用の部屋がいくつかあって、簡易的な寝台と、小さな机と椅子が一組ずつ置かれている。
「ねえ、この部屋、布団が用意されていないけど……」
「もしかして寝袋を使えってことかな?」
「……そうかもね」
一つ目の部屋の入り口で考え込んでいるアスールたちの様子に気付いたアレンが声をかけてきた。
「ここは王都の屋敷でも、学院の寮でもないんだ。手元にある物を工夫して、それぞれに快適さを手に入れろ! 明日は寝坊するなよ。遅れた奴は置いていくぞ、ルシオ」
「ね、寝坊なんかしませんよ!」
アスールの側仕えのダリオは、フェルナンドの命でここに滞在中は料理を担当することになったため、アスールもここに居る間は自分のことは全て自分でしなければならない。
「ふあぁぁぁ。快適さよりも、僕は睡眠を選ぶよ。今日は疲れた……」
「だね。じゃあ寝るか。僕は隣の部屋を使うよ。二人とも、おやすみ」
「おやすみ。また明日ね」
ー * ー * ー * ー
昨日は気付かなかったが、建物は最初に発見された泉から少し離れた、開けた場所に建てられているようだ。
建物から一歩外へ踏み出すと、思った以上に気温が低い。その上、あたり一面靄がかかっている。ここは近隣の村の人たちから “迷いの森 ”と呼ばれているらしい。それはおそらくこの靄のせいだろう。
「凄い景色だね……」
「さっきアレン先生のから聞いたんだけど、あの靄の奥に最初に発見された泉があるんだって」
レイフが指差した方向は、気のせいかもしれないが靄が一層深い気がする。
「朝食を終えたらすぐに出発だってさ。やっぱり寝坊助のルシオを、起こしてあげた方が良いよね? アスール、どう思う?」
「アレン先生だったら、本気でルシオのことを置いて行くと思う。初日から置いていかれるのは可哀想過ぎるから、今日くらいは起こしに行く?」
「賛成!」
あの靄の中、迷いの森の奥に、まだアスールが見たことのない景色が広がっているのかと、想像するだけでなんだか凄くワクワクする。
楽しい一日になりそうだ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次回より第6部として『王立学院五年目編』をスタートする予定です。
これからも引き続き楽しんで頂けると幸いです。
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