58 思わぬ展開
結婚の儀が終わって数日後。アスールはカルロからの呼び出しを受けて、王の執務室へと向かっていた。窓越しに、中庭へと向かう通路が見える。
(あっ。あそこに居るのって、ベアトリス姉上とルーレン殿下だよね? ローザがが言っていたけど、本当に二人で中庭へ散歩しに行くのか……)
初日に見かけたルーレンの従者が近くにいるにも関わらず、ベアトリスが慣れた様子でルーレン・ガルージオンの車椅子を押している。
ベアトリスが何かを言ったのだろう。ルーレンがベアトリスの方を振り返り、二人が楽しそうに笑っているのが見えた。
(へぇ。ベアトリス姉上もあんな顔をするんだ)
「父上、お呼びでしょうか? って、あれっ、ルシオ? それに、レイフも?」
執務室のソファーに並んで座っているルシオとレイフの二人が、アスールに向かい手を振っているではないか。
「……どうしたの?」
「良いからこっちへ来て早く座れ、アスール」
「はい、お祖父様」
ルシオとレイフが避けて真ん中をあけてくれたので、アスールは二人の間に腰をおろした。
「お前を待つ間にもうこの二人には既に話したのだが、アスール、明日から東の鉱山へ行ってこい」
「えっ、明日? 父上、明日からですか?」
「そうじゃ。早くせんと冬期休暇が終わってしまうではないか」
そう言ったのはフェルナンドだ。横でカルロも頷いている。
「ドミニクたちの結婚の儀もあったので、なかなか出発できんかったからな。行き帰りに必要な日数を考えると、既にもう遅いくらいなんじゃ」
「まあ、そういうことだ。今は大まかなことだけ話すので、三人とも、詳細については後で父上から聞きなさい」
「つまり、引率はフェルナンド様ということですか?」
「そうじゃよ、ルシオ。引率が儂では、何か問題でもあるのか?」
「いいえ、滅相もないことです」
カルロは今の段階で分かっている東の鉱山近くの状況を説明してくれた。
先行して入った調査隊によると、泉の水に即効性の毒素はないことは確認されたそうだ。ただし詳しく調べてみないと、遅効性の毒素や長期間に渡り取り込んだ場合などについての検証は済んでいないらしい。
「つまり、今の段階で長期間の滞在は許可できない」
どのみち学院が再開するまでには戻らねばならないので、長期間にはあたらないとの判断のようだが、既に三週間近く泉の調査に行ったきり戻らないアレン先生は大丈夫なのだろうか?
「アレン・ジルダニアのことが気になるか?」
「はい」
「彼にも最初にこのことを伝え、注意喚起はしたそうなのだが『検証は自分の身をもってするので心配無用』と笑っていたらしいぞ」
「今のところ体調不良にもならずに、毎日元気に歩きまわっているそうじゃから、本当に大丈夫なんじゃろうな」
現地に既に派遣されている王宮府関係者たちは、掴みどころのないアレン・ジルダニアの言動に戸惑っているようだ。
「まあ、アレン先生らしいよね」
「「確かに!」」
その後、王の執務室を後にしたアスールたちは、東翼へと移動した。もちろんフェルナンドも一緒に。
「フェルナンド様。明日出発ということでしたが、現地までは馬車で三日かかるのでしたよね?」
「普通に向かえばな」
「つまり、今回は普通には向かわないと?」
「まあ、そうじゃな。普通じゃつまらんだろう?」
フェルナンドはダリオが用意してくれたお茶に、冷たいミルクをたっぷりと注ぐと、そのままぐいっと煽った。
「今回はダリオも連れて行く。それから、レイフ、お前さんの側仕えにも同行を求める旨のホルクは飛ばしてある。既に準備は済んでいるだろうよ」
ダリオは既に話を聞いていたようで、フェルナンドの言葉を聞いても、その表情は全く変わらない。空になったフェルナンドのティーカップにお茶のお代わりを注いでいる。
まあ、側仕えを同行させるのは理解できる。ただ、アスールはフェルナンドの言い方が気になった。
フェルナンドの話では、東の鉱山への向かうには
1. 整備された街道を通り、途中の町で宿に泊まりながら三日かけて向かう方法
2. それほど整備されているとは言い難い道を進み、適当な場所で野営して強引に二日で辿り着く方法の二つのパターンがあるらしい。
「ただなぁ、途中の町で宿泊するとな、いろいろと面倒なことになる。下手をすると目的地に辿り着けなくなるからな……」
どうやら、フェルナンドが町に宿泊していることが分かると、町の人たちが騒ぎ出すらしいのだ。
「ああ、フェルナンド様は人気がありますからね」
「まあ、否定はせん。だから、今回は途中の町で宿は取らんぞ。二日で現地に入るつもりじゃ」
「それって、つまり?」
「野営をするってことだな」
「「「野営?」」」
「そうじゃ。なかなか愉快だぞ」
今回は時間の制限があるので、余計なところで無駄な時間を使わずに行く方法を選ぶそうだ。つまり選択肢は最初から一つしか無かったのだ。
「二頭立ての馬車を二台用意して、食料や水や酒をたっぷり積んで行く。向こうで我々が飲み食いする分と、作業している者たちへの差し入れだ。言っておくが、普段乗っているような馬車を想像するなよ。王族が乗っていると気付かれたくないからの」
フェルナンドはひとしきり説明を終え部屋を出て行った。
「なんだか凄いことになってきたね!」
「そうだね。呼び出された理由はこの件だろうとは思っていたけど、まさか今日の明日で出発することになるとは驚いた」
「野営かあ……。どんな感じなんだろうね」
「フェルナンド様は愉快だって仰っていたけど……」
「お祖父様の話はそのまま他の人には当てはまらないと思った方が良いよ」
「「だよね……」」
三人は顔を見合わせて笑った。
何が起きるか分からないが、それはそれで楽しみだ。
「まあ兎に角。僕たちは準備があるから家に戻るよ。また明日だね、アスール」
「そうだね。ルシオは寝坊しないでよ!」
「あー。善処します」
ルシオとレイフを馬車寄せまで見送った後、アスールは中庭を目指した。
明日出発するとなると、もしかするとアスールたちが東の鉱山から戻って来る頃には、ルーレンはガルージオン国に向けて出発してしまっている可能性もある。最後に一言挨拶くらいはしておいた方が良いかもしれない。
日当たりの良い東屋で、ベアトリスとルーレンが談笑しているのを見つけた。
「あら、アスールじゃないの! こんなところで、どうしたの? 一人?」
自分たちの方へと歩いて来るアスールに気付いたらしい。ベアトリスの方から声をかけてきた。ルーレンも振り返る。
「はい。実は急なのですが、明日からしばらくの間、お祖父様と一緒に出掛けることになりました。それで、場合によっては私がルーレン殿下にお会いできるのはこれで最後かもしれないと思いまして……」
「それでわざわざ私に挨拶に? それはありがとう」
ルーレンがニッコリと微笑む。
「いえ、どうかお気を付けてお帰り下さい」
「はい。アスール殿下も、お元気で」
「ああ、はい。あの、それで、えっと……」
「なあに、アスール。いったいどうしたの? 変な子ね」
ベアトリスが揶揄うようにアスールに言った。
「あの。ザーリア様から伺ったのですが、ルーレン殿下が治療の為に薬湯に入ったりしていると。そのことについて、それがどういった治療なのかを教えて頂くことは可能でしょうか?」
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