54 研究者アレン・ジルダニア(1)
「先生、ここは酷い!酷すぎます! 人間の暮らせるレベルでは無いですよ!」
なんとか座れる場所を確保する程度には掃除を終え、アレン先生が手づから用意してくれたお茶をソファーで飲みながら、レイフが溜め息混じりに呟いた。
「すまん、すまん。助かったよ。言っておくが、いつもいつもこんなに散らかっているわけじゃないぞ。どうしたわけだか、気付くとサンプルや資料がいつの間にか溜まっているんだ……」
再び大きな溜息を吐くレイフの横で、アスールが笑いを堪えている。
「ご馳走になっていてこんなこと言うのもなんですが、すぐに結婚する気が無いのでしたら、お茶の淹れ方もレイフに習っておいた方が良いですよ、先生!」
ルシオが更に追い討ちをかけた。
「美味しくないか? お茶なんて、喉さえ潤すことができれば、それで良いと思うがな」
学院で教師をしている時のアレン・ジルダニアは、いつもパリッとした服装で笑顔を絶やさず、はっきりと物を言い、受け持つ授業も面白いのでとても人気がある。
だが、今三人の目の前に居るアレン・ジルダニアは、同一人物なのかと首を傾げたくなる程の別人のようだ。
「アレン先生って、家ではいつもこんな感じなんですか?」
「家っていうのは、実家のことか? それとも、ここのことを言ってるのか?」
「そんな風に尋ねるってことは、実家とこことで差があると解釈して良いってことですよね?」
「まあ、そんなところだな。俺の母親は、ああだこうだとやたらと口うるさいんだ……。そんなわけで、家では気が抜け無いし、気も休まらない」
そう言って苦笑いを浮かべている。
「王立学院の教師の仕事に就いて何が良かったかと聞かれてまず一番にあげるとしたら、教師用の寮が完備されていることだな。お陰で実家に帰らずに済む。それに学院は食事も美味いしな」
「まさかとは思いますが、寮のアレン先生の部屋もここのように足の踏み場も無い、なんてことになっていないですよね?」
「……。大丈夫だ」
「今、変な間がありませんでした?」
心底呆れ顔のレイフが尋ねる。
「ははは。……これからは、もう少し片付ける努力をするよ」
「でもさ、別にアレン先生のお陰ってわけじゃないけど、新しい発見があったよね。まさかレイフが、こんなに片付け上手だとは知らなかったよ。アスールもそう思うでしょ?」
「確かに!」
ルシオの言葉にアスールもすぐに同意する。
レイフはアレン先生の部屋に入った早々に「部屋が散らかりすぎている」と呆れたように吐き捨てると、そのまま有無を言わさぬ勢いで黙々と掃除を始めたのだ。
「君たちと違って、僕はもともとごく普通の家庭の子どもだからね。自分のことはなんでも自分でするように育てられてるだけだよ」
スアレス公爵家に養子に入る前だって、レイフはあのアルカーノ商会の三男なのだ。下手な貴族よりも余程裕福に違いない。まして実母は(世間的には既に亡くなったことにはなっているが)スアレス公爵家の長女のリリアナなのだし。
ただ、アルカーノ商会の会頭で、レイフの実父でもあるミゲルは、オルカ海賊団を率いる船長でもある。『自分のことは自分で』というのはミゲルの教えなのかもしれない。
「正直、助かったよ。ありがとう」
アレンが素直に礼を述べた。
こんな風に素直に年下の者たちに対して頭を下げられるあたりも、アレン・ジルダニアが貴族らしからぬところだ。
「せめて見終わった資料は毎回きちんと片付けて下さいね。そうすればお茶を飲むスペースくらいは常に確保できる筈ですから」
「分かった。善処する」
「ところで、ここって、先生の家なのですか? もしかして、余りの放蕩振りに伯爵家から放逐されてしまったとか?」
ルシオが真顔で尋ねる。
「家か? 家ならちゃんとあるぞ」
「……そうですよね。先生だって、一応伯爵家の息子さんですもんね?」
「なんだ、その “一応” っていうのは? 確かに俺は跡取りでは無いがな。ここは、研究室兼、物置き部屋として個人的に借りている部屋だよ」
「へえ」
アレン・ジルダニアは、アスールたちが入学したのと同じタイミングで王立学院の教師となっている。それ以前は、王都にある魔法師団中央本部で、水魔法の研究者をしていた人物だ。
ジルダニア伯爵家の次代には、アレンの兄が居る。
家を継ぐ必要の無いアレンは、まだ学生だった頃から、脇目も振らずひたすら自分の好きな研究にのめり込んだ。
魔法師団在籍当時も「研究者としてはまだ若いが、実力は相当高い」と言われた逸材ではあったらしい。
だが、誰に対しても自分の意見をきっちり述べ過ぎることと、目上の者に対しても間違っていると思えば真っ向から否定するなどの行為を繰り返したことから、はっきり言ってしまえば魔法師団の中での居場所を徐々に失っていった。
そんなアレンだったが、魔法師団の中にも支援者は居たようで、どうやらその人の口利きで王立学院の教師の職を得たという話だ。
想像するに、その支援者という人物は、フェルナンドとは旧知の間柄なのだろう。
アスールがこの研究のアドバイザーとしてアレン・ジルダニアの名を出した時のフェルナンドの反応がそれを物語っている。
「貴族の屋敷が建ち並ぶ地区で、怪しい実験設備なんて置けないしな」
「実験設備? ここにはあるってことですか?」
「ああ、そこの扉の向こうにな」
そう言ってアレン先生は隣の部屋への扉を指差した。
「ところで、今日はどうしたんだ? 世間話をするためだけに、わざわざこんなところまで訪ねてきたわけでは無いだろう?」
アスールたちは昨日の昼過ぎに「用事があるので訪ねたい」とだけ書いた手紙をピイリアに付けて飛ばしたのだ。
それに対して、小さな紙切れを取り付けられたピイリアが、アスールの元へと送り返されてきた。
その紙切れに書かれていた住所がここだったのだ。
学院で働く今も、アレンは長期休暇の度にふらりと旅に出ては、あちこちでサンプルとなる謎の液体を集めているらしい。
こうしてすぐに引き留めていなければ、次にアスールたちがアレンに会えるのは、確実に長期休暇明けだったことだろう。
「実は、とある場所で、白濁した泉が見つかったんです」
「へえ。とある場所、ねえ」
「それで、僕たち、最終学年の共同研究として、その泉の成分分析をしたいと思っているんです」
「ほお」
「そこで、水魔法と魔鉱石の研究者でもあるアレン先生に、僕たちの共同研究にアドバイザーとして協力して頂けないかと思って、こうして訪ねて来ました」
「……成る程ね。それで? その泉っていうのは “温泉” なのか?」
「「「えっ?!」」」
「ん? 何を驚いている?」
「どうして、その泉が “温泉” だと、アレン先生は思われたのですか?」
「違ったか?」
「いいえ、違いません。けど……」
アレンはニヤリと笑った。
「唯の白濁しただけの水の分析程度なら、わざわざ専門家に頼む必要はないな」
「はい」
「それにさっき『三人での共同研究』と言っていたからな。個人ではなく共同研究、それも三人でとなれば、余程の規模になるのだろうと容易に想像できる」
「はあ」
「そうなると、俺のところへ持って来るような研究内容は、自ずと絞られてくるってことだよ」
「成る程」
「で? 俺はお前たちのために何をすれば良い? 俺を、楽しませてくれるんだろう?」
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