46 王太后からの木箱(2)
カルロの私室を出た後、アスールはギルベルトの部屋へと移動した。
アスールはカルロから受け取った封筒から手紙を取り出した。そこには綺麗に整った美しい文字がびっしりと並んでいる。
「ゲルダー語。きちんと学んでおいて良かったね」
「そう思います!」
手紙には、悲しみ、怒り、後悔、絶望、それから見出したばかりの小さな希望、ヒルデグンデの想いが綴られている。
あの事件の後、ヒルデグンデがどれだけ望もうと、彼女は孫のレオンハルトに長期間対面することが叶わなかったそうだ。
まだ生後ひと月だった王子は、王子の乳母と共に、その乳母がザグマン伯爵の親戚筋にあたるという理由から、事件後、王宮からほど近いザグマン伯爵邸へ早々に避難してしまっていた。
というのも、キール城はノルドリンガー兵による襲撃と、その後に起きた火災のため、あちこち修復が必要だったからだ。
已む無くヒルデグンデは王子との対面を果たせぬまま、自身も東の離宮へと居を移すことになった。
ヒルデグンデがレオンハルト王子と再会できた時には、事件から優に半年以上が過ぎていた。
赤ん坊の成長は確かに早い。瞳の色も、髪の色も、顔立ちも、レオンハルトだと言われればそうなのかもしれない。だが、レオンハルトだとして目の前に連れて来られた赤ん坊を見たヒルデグンデは、微かな違和感と得体の知れぬ恐怖を覚えた。
その違和感はその後もずっとヒルデグンデの心の深い部分に居座り続け、後に侯爵になったザグマンに対する不信感と共に、徐々に徐々に大きくなっていったそうだ。
そこへ届けられたのが、あの首飾りだった。
ヒルデグンデの手紙には、フェルナンドからの贈り物を目にした瞬間に、それまでずっと抱えてきた疑問が確信へと変わったと書いてある。
ヒルデグンデは知っていたのだ! 公表されていない、レオンハルトとローザリアの魔力属性とその色を。
首飾りの台座にはキラキラと光り輝く大小様々な青色の石が美しく配され、その真ん中に、ピンク色の美しく繊細な睡蓮の花が咲いている。
その青とピンクの魔導石で作られた首飾りを目にした瞬間、それまで自分の周りに纏わりついて、決して振り払いことのできなかった靄のようなものが、一気に晴れた気がしたと手紙には書かれていた。
「ちゃんと、僕とローザの石だと、お祖母様はお気付きになって下さったのですね……」
「そうだね。僕を訪ねてヴィスマイヤー邸にお見えになった時にも、本当に嬉しそうに首飾りに手を添えられていたよ」
「……そうですか」
記憶には無い祖母の姿が、アスールには見えるような気がした。
「兄上。昨年、タチェ自治共和国で兄上がレオンハルト王子と会った時に仰っていましたよね、僕と彼は少しも似ていないと」
「ああ、確かに言ったよ。君たちは雰囲気がまるで違う!」
「でもあの時、バルマー侯爵は『亡くなられたヴィルヘルム王に似たところがある気がする』と、そう言っていた覚えがあるんです」
「そうだね。そんなことを言っていたね。僕はヴィルヘルム王を知らないけれど、侯爵はよくご存知の筈だから……」
「お祖母様も、半年後に再会した赤ん坊を見て、絶対に違う! とは思わなかった」
「だから、ここに書かれているように、心当たりを探るおつもりなんだろうね」
手紙には、はっきりとでは無いが、ヒルデグンデには今ロートス王国に居るレオンハルトに関して、何かしらの心当たりがあるようなことが匂わせてある。
ヒルデグンデは自ら動く決心をしたらしい。
「お祖母様に、危険が及ぶということは……無いのでしょうか?」
「絶対に無いとは言えないだろうね」
「だったら……」
「決めるのはヒルデグンデ様だよ、アスール」
「ですが!」
「これは僕の個人的な意見だけど、ヒルデグンデ様はこの十三年間、本当の意味で生きてはいなかったのでは無いのかな。ずっと離宮で後悔と共にただ日々を暮らしていただけで。だからもし、今後自分に危険が迫ろうとも自分らしく生きることを決意されたのだと僕は思うよ」
「……生きる?」
「そうさ。孫たちとの未来をね」
そう言って、ギルベルトは晴れやかな笑顔をアスールに向けた。
ギルベルトは、今すぐには無理かもしれないが、ヴィスマイヤー侯爵家がロートス王国内で力を取り戻すのにそう長い時間はかからないだろうと力強く言った。
ギルベルトが知る範囲だけでも、既に何人かの大物ロートス貴族たちが、若きエルンストへの後援と支持を表明しているらしい。
「それに、ヴィスマイヤー侯のお母上、タチアナ様はロートス王家に縁のある方なのだろう? ちっとも知らなかったよ」
「ああ、アーニー先生から以前そんなようなことを聞いた気がします。確か、先代? 先先代? の王の妹だったか、お姉さんだったかの娘……だったかな?」
「あはは。まあ、よくは分からないけど。君と彼は遠い親戚ってことだね?」
「……そうみたいですね」
貴族なんてものは、過去何代か遡れば親戚でした、なんて話はざらにある。
「あの日、ヒルデグンデ様はタチアナ様とも随分と話し込んでいるようだったし、今後はヴィスマイヤー侯爵家がヒルデグンデ様の動きを、安全面も含めてフォローしてくれる筈。心配は要らないと思うよ」
「そうですか」
「それより、アスール。君は手の届かないあの国の心配をするよりも、今君が居るこの国で、君ができること、すべきことを考えた方が良い!」
「そうですね!」
「取り敢えず、明日学院に戻るまで、僕の溜まっている書類仕事を手伝ってくれると嬉しいな!」
ギルベルトはそう言いながら、極上の王子スマイルを浮かべてアスールの肩に腕を回した。
「僕が? 兄上の書類の手伝いを?」
「そうだよ! もちろん断ったりしないよね? ああ、そうだ! いろいろとお土産を預かっているんだった!」
ー * ー * ー * ー
「アスール。そろそろ馬車の時間ではないのか?」
「はい。これを片付け終わったら帰ります」
「そうか。アスールは真面目だなぁ……」
翌日、アスールは本当にギルベルトの書類仕事を手伝わされた。
「お祖父様。今アスールが真面目に取り組んでいるのは、本来でしたらお祖父様がとっくに終わらせて下さっている筈の分ですよ!」
「そう五月蝿いことを言うな、ギルベルト! 分かっておるよ。本当にお前さんは最近カルロに似てきおって」
そうなのだ。今三人掛で必死になって片付けている書類の山は、ギルベルトの不在中に本来ならフェルナンドに割り振られていたものらしい。
フェルナンドが急に仕事を放り出して島に行ってしまったため、誰にも処理されることなく、書類はギルベルトの机に積み上げられていくことになったのだ。
「久しぶりに帰ってみれば、無い筈の山がある……」
「ああ、分かった。分かったからみな迄言うな、ギルベルト! 儂だって、こう見えてちゃんと反省しておるぞ」
そう言いつつ、フェルナンドの手は書類よりも、焼き菓子の皿にばかり伸びている。
「ローザも悪いんじゃぞ! あんな楽しそうなことばかりつらつらと手紙に書いて寄越すのだから……」
ギルベルトに焼き菓子の皿を遠くに移動されて、フェルナンドはようやく書類の山に手を伸ばした。それでも口は止まらない。
「儂だって、レガリア以外の神獣が居ると聞けば、その神獣に、サスティーに会ってみたくなるのも仕方無いではないか……」
「会えたのですよね? 良かったではないですか……」
ギルベルトの方はフェルナンドの相手をしながらも、その目と手は一切止まることなく書類の上を動いている。
「ああ! それで次はな、儂はローザと別の神獣探しの旅に出るぞ!」
その瞬間。アスールは、ギルベルトが手からペンを落とすという非常に珍しい姿を目撃した。
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