45 王太后からの木箱(1)
「ようやく戻って来たか、アスール」
「お待たせして申し訳ありません。お祖父様」
「よい、よい。お前にはお前のすべきことがあったのだから、戻って来れんかったのは仕方あるまい」
学院祭も無事に終了し、アスールはやっと王宮へと戻って来ることができた。
「今回は、ローザは一緒では無いのか?」
「ローザでしたら、明日、友人たちとリルアンに行くと言っていました」
「ほう。友人たちと。それは良いな!」
フェルナンドがアスールを案内したのは、いつもの王宮府内のカルロの執務室では無く、驚いたことに、東翼にあるカルロの私室だった。
「ここなら、話の途中で邪魔が入ることは無いだろうからの」
そう言うと、フェルナンドはノックもせずにいきなり扉を開けて、ズカズカと中へ入って行く。アスールも慌ててフェルナンドの後を追いかけた。
アスールはこのカルロの私室に入るのは初めてだ。広い室内にはいくつもの飾り棚が置かれていて、その中には沢山の美しい石が整然と飾られている。
石好きのカルロが全て趣味で集めて来た物だろう。
「おかえり、アスール」
「ただいま戻りました、父上」
奥のソファーに座っていたカルロが、軽く手を上げてアスールに合図をする。カルロの正面に座っていたギルベルトが振り返り、アスールに微笑みかけた。
「あっ、兄上!」
「おかえり、アスール。元気そうだね」
「はい。兄上も、長旅お疲れ様でした。ハクブルム国の姉上は? お元気でしたか?」
「ああ、心配要らない。聞いていたよりもずっとね。皆からいろいろとお土産を預かっているから、後で僕の部屋まで取りにおいで」
フェルナンドがカルロの横に座ったので、アスールはいそいそとギルベルトのすぐ隣に腰を下ろした。
目の前のテーブルの真ん中には、何かが置かれている。
アスールの視線に気付いたギルベルトが、アスールの耳元でそっと囁く。
「それ! その布の下にある物こそが、今日ここにこうして集められた本当の理由だよ」
使用人たちがお茶の用意を終えてカルロの私室を出て行くまでの間、ギルベルトはハクブルム国でのアリシアの様子や、王都シーンの街のこと、アルカーノ商会の新型船の快適さなどを語って聞かせてくれた。
「さて、あまり時間も無い。そろそろ本題に入ろうか」
そう言うと、カルロはポケットから宛名も何も書かれていない封筒を取り出すと、アスールの目の前にその封筒を静かに置いた。
「これは、ロートス王国の王太后ヒルデグンデ様、お前のお祖母様から私に宛てられた手紙だ。既に開封してある。アスール、後でゆっくり読むと良い」
「……はい」
アスールはその封筒を手に取った。封筒を持つ手が小刻みに震えている。だが、その震えを自分ではどうすることもできない。
不意に、アスールは背中に温もりを感じて顔を上げた。隣に座る兄のギルベルトが、アスールの背中を、ゆっくりと優しくさすってくれていたのだ。
「……兄上」
「大丈夫。何も心配要らないよ」
「……はい」
「よく見ると、ヒルデグンデ様は目元が少しアスールに似ていらっしゃるのかな。優しくて、とても素敵な方だったよ」
「もう大丈夫そうだな?」
カルロはそう言うと、テーブルの上の布を剥ぎ取った。置かれていたのはなんとも古めかしい木箱で、少し錆色に変色した錠前がついている。
「ギルベルトがヒルデグンデ様から直接受け取り、ロートス王国から持ち帰った物だ。鍵は先程の封筒に入れられていた」
カルロは手に持っていた鍵を木箱の横に置いた。
「中身についてはその手紙に詳しく書かれていたので、手紙を読んだ私と父上は既に知っている。本来はあの翌日に、お前とローザの手に渡る筈だった物だ。アスール、鍵はお前が開けなさい」
「……ローザは?」
カルロはアスールの問いに首を横に振った。今でもまだ、真実をローザに伝えるつもりは無いということだ。
アスールは持っていた手紙を置き、代わりに鍵を取った。もうアスールの手は震えてはいない。
「開けます」
錠前はやはり錆びついていて動きが悪い。が、ガシャリと鈍い音がして、どうにか錠が外れた。
木箱の内側は、その質素な外観に反して、美しい織りのしっかりとした布地で覆われている。そこに、更に布に包まれた細長い物が二つ並べて入れられている。
アスールはそれらを両手で取り出し、片方をテーブルの上に置き、もう一方を包んでいた布を剥いだ。
「……杖?」
「杖では無い。それは王笏だ」
「王笏?」
「ああ。本物では無いがな。ヴィルヘルムが持っていた本物は、おそらく今でもキール城できちんと保管されていると思う。それは、王太后が双子の孫たちのために、本物の王笏を模して作らせた祝いの品だそうだ」
それは金色の金属で造られており、一番上にあたる丸い先端部分には、美しい宝石が散りばめられている。
よく見ると、王笏の柄の部分に “ローザリア・フォン・ロートス” と刻まれているのが目に入った。
「これ、ローザのだ!」
アスールは持っていた王笏をテーブルの上に置き、もう一つの方を掴むと、急いで布を剥ぎ取った。柄の部分を確認する。
「レオンハルト・フォン・ロートス。……僕の、名前?」
なんだか分からない感情がアスールの中に自然と込み上げて来る。
向かい側に座っているフェルナンドが、アスールがテーブルに置いた王笏を手に取ると、それを興味深げにじっくりと細部まで観察しはじめた。
「カルロ。お前さん、これの本物を見たことはあるのか?」
「ええ。一度だけなら。ですが、ヴィルヘルムが持っている姿をなんとなく眺めていた程度なので、これとどれ程同じなのかと聞かれても困ります。ですが、大きさは、そうですね、この倍くらいはあった気がします」
「いずれにしても、これらが素晴らしい品だということは間違いないぞ」
「そうですね」
アスールは、自分の名前の刻まれた王笏を手に持ったまま、じっと黙ってそれを見つめている。
「アスール。後で手紙を読めば分かることだが、ヒルデグンデ様はヴィルヘルムとスサーナを驚かせようと、この王笏を造らせていることを内緒にしていたらしい。完成した品を受け取るため友人の屋敷へヒルデグンデ様が向かっていた間に、キール城であの事件が起きた」
これを取りに行っていなければ、ヒルデグンデの命もあの時、他の王族たちと一緒に奪われていた可能性が高いだろう。
「おかしくは無いですか? 何故、王笏は二本ともここにあるのでしょうか?」
ギルベルトが呟いた。
「ローザリア姫の王笏があるのは分かります。渡すべき相手が、既にこの世に居ないと王太后様は思っていたのですから。ですが、王子の分は? 実際にはすり替えられている別人とはいえ、王子は生きている。なぜ渡さなかったのでしょう?」
「確信は無かったようだが、ヒルデグンデ様はずっと疑っていたんだよ」
「「えっ?」」
「ギルベルト。後でお前もアスールにあの手紙を読ませて貰うといい」
「いろいろと、書かれているのですね?」
カルロが頷いた。
「なあ、その王笏。まさか二本並べて飾って置くわけにはいかんじゃろうし。この後はどうするんじゃ?」
「……ああ、そうですね」
「父上、お祖父様。ローザに真実を告げる日まで、またこの箱の中に入れておいては駄目でしょうか?」
「アスール。お前は、それで良いのか?」
「はい」
「じゃが、ローザにはいつ伝える?」
「成人を迎えれば、本当の名前がローザにも当然知らされるわけですよね? それは、僕の一年後ですか? それとも一緒に?」
カルロとフェルナンドは顔を見合わせている。
「まだまだ先のことだと考えないようにしていたが……。そう言うわけにもいかなくなってきたということか。子どもの成長はあっという間だな」
カルロはアスールを見つめて小さく微笑んだ。
「ローザには、あの子がローザとして成人を迎える時に伝えることにする。つまり、アスール、お前の成人の一年後だ」
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